124話
馬車は進む。ガタガタと揺れながら進む数台の馬車の中の1つに、あづさとラギトとシャナン、そしてフォグが座り込んでいる。
「……マリー嬢、どうぞ、ご無事で……」
シャナンは思いつめた表情でじっと祈りの姿勢を取っている。あづさより余程、シャナンの方が取り乱していた。
「大丈夫よ。お姉様はきっと、大丈夫だわ」
これ役割が逆よね、と思いつつ、あづさはシャナンを慰めてやる。
「そうだ!大丈夫に決まってる!さっきの魔物だってなんか弱っちそうで大人しかったし!多分他の奴らもいい奴だ!な!」
ラギトもラギトなりにシャナンを励ましている。引き合いに出されたヘルルート達には悪いが、確かにそう言われると妙な説得力があった。
「さっきの魔物、か」
そんな中、ふと、フォグがあづさを見た。
「……『魔王に騙されるな』と国王陛下から仰せつかっていると聞いたが」
「騙されてないわよ、別に」
あづさはフォグの言葉に言い返す。
「お姉様が人質にされている以上、下手な動きはしない方がいい。理に適ってるじゃない」
「理由はそれだけか」
「まあ、相手があんなに弱そうでなければ、もっと警戒したかもね」
フォグはちら、とあづさを見るとため息を吐く。
「あら。何か言いたげね」
「何も」
あづさが突っ込んで聞いてみるも、フォグの反応はそっけない。
……だが、そのまましばらく黙っていると、フォグの方から口を開いた。
「……姉が大切か」
「お前は何を聞いているんだ!失礼だろう!」
あづさより先にシャナンが口を挟んだが、あづさはそれを制してフォグに答える。
「ええ。当然。私、魔王をどうこうすることよりも、お姉様の無事の方が大切だわ」
あづさがそうきっぱりと答えると、フォグは苦々しげな顔をする。
「それは、人間全員を殺さねば姉の命は無いと言われれば、国を滅ぼすつもりだ、ということか」
「いいえ。その時は魔王を殺してお姉様を助け出すわ。最善を探すわよ。当然。なんとしても」
フォグはあづさの答えを聞くと、また何か言いたげな顔をし、しかし言い淀む。あづさは辛抱強く、フォグが話すのを待っていた。
……すると、フォグは表情を微かに歪めて、言うのだ。
「そんなに姉が大切なのか」
その表情がどこか、痛みを堪えているようにも見えて、あづさは少々の引っ掛かりを覚える。これにはシャナンも何も言えないらしかった。
「ええ。……あなたにはそういう人、居ないの?」
問い返してみると、フォグの表情はまた少し、歪む。
「いない」
「……そう」
短い答えが、妙に寂しい。きっぱりと切り捨てるように言い切られたたった3文字が、寂しさか悲しさか、何かどうしようもないものを隠そうとしているようであった。
「俺にはお前の考えは理解できない。俺は任務を優先する」
自分に言い聞かせるようにそう言って、フォグは馬車の床の上、座り直す。馬車が一度がたり、と大きく揺れたが、フォグが姿勢を崩すことはなかった。
「それは、どうして?」
「え」
だがあづさが尋ねると、フォグは気の抜けたような声を発して少々、バランスを崩した。
「変なこと聞くようだけれど、どうして、あなたは任務を大切にするのかしら」
道が安定してきたのか、もう馬車はそれほど揺れない。だが、フォグは自分の体を安定させようとし続けて過剰なまでに身構えていた。
「それは、一体誰のため?」
あづさの問いに、フォグは答えられない。
「もしあなたが任務を自分じゃない誰かのためにやっていて、その誰かのことが別に好きでもないんだとしたら……そうね。この旅が終わったら、私と一緒に来なさいよ」
あづさは少々悪戯っぽく笑って、そう言う。
「魔王と会って、その後どうなるのか、分かんないけど。でも、ま、楽しいと思うわ。きっとね」
「待て。魔王と会ったなら、魔王は殺さねばならないのだろう」
「王様はそう言ったわね。でも私、悪いけどお姉様を優先するわ。それから、私の記憶もね。魔王を殺すべきかどうかはその後考えるわよ」
にっこりと笑ってあづさがそう言えば、フォグはいよいよ途方に暮れたような顔をした。
「……それは、謀反の告白と受け取っていいのか?」
「まあ、そう言われちゃったらそうかも。でも私、王様の指示に完全に従わなかったとしても、国を敵に回すつもりは無いわ。最善を尽くすつもりだって事は変わらないの」
「……俺には理解できない」
フォグは恐らく、告げ口しようと思えば告げ口できるのだろう。ダニエラが何も仕込んでいないとは思えない。
だが、今のフォグの様子を見る限り……なんとなく、告げ口はされないか、されたとしてもぼかされるのではないか、と、あづさは感じた。
「ま、人の指示に従わなくったって案外楽しく生きていけるわよ。きっとね。あなたも、そうじゃない?」
フォグは平静を装いながらも明らかに動揺していて、ただじっと視線を彷徨わせる。それを見て、あづさは苦笑した。
「ごめんなさい。困らせるつもりじゃなかったんだけど。……でも、困ってくれるってことは、こっちに気があるってことでしょ?そういうことよね?」
「それは」
「結論は急がないわ。何なら、別に決めたことだって私に報告しなくていいわよ。逆に、帰ってからすぐ王様やダニエラ様に私がこう言ってた、って言ってくれたっていいわ。……ただ、あなたがちょっと考えてくれたらいいなって。それだけ」
あづさはそう言って話を切り上げた。
フォグは戸惑っていたものの存外素直に頷くと、じっと、視線を馬車の床に落とし続ける。……しかし、耳が少々赤く火照っていた。
その晩は野営となった。一応、道中に『おいでませ』と書かれた旗を掲げた宿がありはしたのだが、『怪しすぎる』という満場一致の意見によって素通りすることになったのである。
宿の前で旗を振っていたヘルルート達には悪いが、次回はもう少し人間に近い形の魔物に居てもらった方がいいだろう。次回があるかは分からないが。
「レイス嬢」
焚火の傍に座っていたあづさの元へやってきたのは、シャナンだった。その手にはスープの入ったカップを持っている。
「どうぞ。温まりますよ。マリー嬢の料理に比べれば数段劣ると言わざるを得ませんが、これもこういう少し冷える夜には良い」
「ありがとう。貰うわ」
あづさはシャナンからカップを受け取ると、その中身を飲んだ。
塩漬けの肉を戻して作ったらしいスープは、少々きつめに塩が効いているものの、それが却って疲れた体には嬉しかった。
「これパン突っ込んで食うとうまいぜ!ほらよ!」
そしてあづさのカップの上に、パンが乗せられた。犯人はラギトである。ラギトは少々硬いパンをスープに浸して食べては「うめえ!」と喜んでいた。また、ラギトはこの食べ方を布教すべく、他の傭兵達の所にもパンを運んでいる。その様子を見ると、すっかり人間の中に溶け込んでいるように見える。
「……彼は元気ですね」
「ええ。ほんとに。見ててちょっと落ち着くわ」
あづさとシャナンは顔を見合わせて苦笑する。ラギトは良くも悪くもマイペースなので、取り乱しかけている時には見ると落ち着く。
「……実は、彼が魔の手の者なのではないかと疑っていたのですが」
ミラリアから聞いて知っていたことではあるが、あづさは少々驚いた顔をして見せる。シャナンはあづさの顔を見て苦笑しつつ、ラギトへ視線を戻した。
「彼はただの……その、少々元気な人なのではないかという気もしてきました」
要は馬鹿って言いたいのよね、と思いつつ、あづさは苦笑する。
「そうね。まあ、天才と紙一重、ってところかしら」
「はは。レイス嬢もそう思われますか?うん、彼には悪いが僕にもそう思える」
シャナンはそう言うと、ふと、フォグに視線を向けた。
「……ラギトとフォグの2人については、素性がよく分かっていない。フォグについてはダニエラ様の後ろ盾がありますが、ラギトについては全く。だからこそ、僕はラギトを疑っていました。しかし……」
「もしかして、結界の事?」
あづさが尋ねると、シャナンは難しい顔で頷いた。
「ええ。彼だけが、結界を通れなかった。そこに何か、ある気がするのです」
「それで、ラギトじゃなくてフォグさんが敵かも、って?」
「……はい」
シャナンが慎重にそう答えるのを聞いて、あづさは少しばかり、笑みを浮かべる。
「それもどうかと思うけれど。だって、もし彼が魔物の側についてるなら、どうして『魔王が張った結界』で傷つくのかしら?」
「それは……」
あづさの指摘は尤もである。何せ、先代の魔王が生み出した、魔物を守るための結界なのだ。人間に危害が及ぶならまだしも、『人間の敵』に危害が及ぶのはおかしい。
「むしろ、魔王の結界を素通りできちゃう私達こそが、魔物なのかも。……なんてね」
あづさがウインクしながらそう、限りなく真実に近い事を言えば、シャナンはゆるゆると息を吐いて笑みを浮かべた。
「……僕はすこし考えすぎていたかもしれないな」
「まあ、そういうこともあるでしょ。ごめんなさい。あなたには気苦労いっぱいかけちゃってるから」
「気苦労なんてとんでもない。あなた達に掛けられる気苦労があったとしても、それは僕にとっての喜びでしかありませんからね」
シャナンが少々気取ったようにそう言うのを聞いて、あづさは笑う。
ひとまず、シャナンが元気を取り戻したならそれでいい。そして、ラギトの疑いが薄れたのならば、それもまた良い。
そしてシャナンは少々疑り深く神経質になっているようではあったが……その心配の大半はやはり、あづさの狙い通り、ミラリアへ向いているように見えた。
あづさとシャナンはしばらく焚火を眺めていたが、ふと、シャナンは意を決したように切り出した。
「それから、その、先程は……結界の前でも、馬車の中でも、少々取り乱しました。申し訳ない」
「ああ、お姉様の、ことよね……」
あづさが表情を曇らせると、シャナンも暗い面持ちで頷く。
「ええ。あなたが一番、誰よりも傷ついていたはずなのに、却って、あなたに励まさせてしまって……」
縮こまるシャナンは、年下の少女、それも思い人の妹に醜態を曝したことを恥じているらしい。なんとも素直な反応である。
「いいのよ。なんというか私、自分よりも取り乱してる人を見ると落ち着けるみたいなの。むしろ助かったわ」
ラギトを見て落ち着くのとはまた別の落ち着きが、シャナンからは得られる。それは即ち、ことが計画通りに運んでいる、という実感になるからなのだが、それは伏せつつ、あづさは笑った。
「あなた本当にお姉様が好きなのね」
更にそう言い切ってしまうと、シャナンはなんとも気まずそうな照れくさそうな顔をしつつ、しかし、否定することはせずただ頷いた。
「……ええ。あんなに素晴らしい女性は2人と居ないでしょう」
「確かにお姉様、綺麗だもの。分かるわ。……でも、それだけ?」
あづさは悪戯っぽく笑いつつ、興味半分、疑い半分でシャナンに問う。
「どうしてそんなにお姉様にこだわるのかしら、って。ちょっと不思議なのよね。ねえ、なんで?」
「恋とは、そういうものではありませんか?」
シャナンから返ってきた言葉は、随分とはっきりとしていた。シャナンは堂々と、そう言って笑う。
「特に理由もなく、ただその人がいい。傍に居たい。自分をその人の唯一にしてほしい。一度そう思ってしまったならばもう逃れられない。違いますか?」
実感の伴うことを感じさせる、はっきりした答えだった。あづさはそれを聞いて、妙に納得してしまう。
「……そう、かも」
「理由を挙げようと思えば恐らく、いくらでも挙げられますよ。でもそれらを1つ1つ言っていったところで、全てにはなりませんし、それでは嘘を吐いているようなものですから」
ある意味では曖昧な回答だ。だが、それが彼の本心から出ていることが分かるからこそ、あづさはそれを誠実だと思った。
「あなたって結構真面目な人なのね?」
「ま、まあ、僕は商人ですからね。信用と誠実が武器ですよ、商人は」
「ふふ、それもそうね」
笑いながら、あづさはまた、スープにパンを浸して食べる。塩味と温かさが口内を満たした。
「……じゃあ、お姉様を救い出すために頑張らないとね」
「ええ。交渉はお任せください。これでも商人ですので」
あづさは、頼もしいわ、と言いつつ、視線を上げた。
……地平線に見える、地の四天王城。明日にはきっと、辿り着くであろうそこで、ギルヴァスは今、何をしているだろうか。ふと、そう気になった。




