125話
「静かだなあ」
ギルヴァスはため息交じりにそう吐き出して、苦笑する。
どうにも、独り言が多くなった。それはあづさがこの城に居ないのに、自分だけがこの城に居るから。
あづさがやってくる前なら、どんな静けさも気にならなかった。『何もない』のが当たり前であったし、そうであるべきだ、とも思っていた。
そうして『自分がもっとうまくやれていたら』という自責の念と後悔と、少々の悔しさなどをひたすら反芻し続けて、じっと黙ったまま100年近くを過ごしてきたのだ。
……それが、あづさが来てからというものの、一変してしまったのだな、と実感する。
静かであることがどうにも気になるようになった。他者の気配と声が常に手の届く範囲にあるということの安心感を知ってしまった。何かふと思いついた時、それを聞いてくれる誰かが居るということが、どんなに幸せなことかを知ってしまった。
だから今、無性に寂しいような、情けないような、そんな気分になる。
「ラガルの時でもう慣れたと思ったんだが」
火の四天王城にあづさが攫われた時も、同じ状況だったと言えばそうなる。だが、あの時はあづさを取り戻すためにひたすら動き続けていた。その日その日の寂しさなど顧みる余裕もなかったのだ。
それが今、ギルヴァスは『魔王役』として、この城に待機の一択である。目標もなく、ただ待ち続けている、となると……寂しさが堪えた。
あづさ達はどうやら、明日には到着するらしいが、そのための準備などとっくに終わってしまっている。要は、やることがなさすぎるのだ。こんなことになるなら、少々無理を言ってでもあづさとミラリアについて人間の町に入っておけばよかった、と、ギルヴァスは後悔している。
「あづさが帰ってしまったら、俺は一体どうなるんだろうなあ……」
……そうして思ってしまうのは、いつか来るその日のことである。
あづさは元の世界に帰るのだ。そう分かってはいるが、いつか来るその日のことは、永遠に受け入れられそうにない。
このままでは廃人一直線なのではないだろうか。ギルヴァスは苦笑しつつ、城の窓の外を眺めた。
良い星月夜である。だが、寂しい夜だった。
翌朝。
あづさは早くに目を覚ましてしまった。
今日、やっと地の四天王城に戻れる。そこで何か波乱があるのは間違いないが、事が動くことも間違いない。
目下の問題はフォグだが、それも多少は、関係が改善されてきたように思う。押しに押せば彼も傾くのではないか、とあづさは淡く期待していた。
……かくして、あづさは目を覚ましたのだ。要は、緊張と興奮とで眠りが浅かった、ということである。
だが起きてしまっても問題は無いだろう。あづさは馬車の中からそっと抜け出すと、不寝番の傭兵達に挨拶をしながら朝食の準備を始める。傭兵達が手伝ってくれたため、準備はそれほど手間でもなかった。
彼らと雑談しながらスープの鍋を時折かき混ぜ、他の者達が起きてくるのを待つ。
起きてきた者には挨拶をし、朝食を用意してやり、そしてまた雑談に興じる。起きてくる者が多くなってくると、スープの鍋の前にささやかな行列ができるようになる。
……そんな時だった。
「……あら」
あづさがスープの鍋の前でお玉を握っていたところ、あづさの足元に小さな魔物がやってきた。
それは、ヘルルートであった。そして、ずっと向こうの方、枯れ木や岩の陰に、火の四天王領から地の四天王領に移り住んだ魔物達も含めた数種の魔物が集まっていた。
「もしかして、スープ、貰いに来たのかしら」
あづさは魔物達とヘルルートとを眺めて、くすり、と笑った。
面白いことに、ヘルルートは木を削って作ったらしい器を抱えて、傭兵達の列の後ろに並んでいるのである。
「レイス嬢、どうしましょうか」
シャナンは自分の後ろに並んだヘルルートをどうしたものかと見下ろした。人参や大根が椀を持って並んでいる光景は、何とも不思議なものである。攻撃するでもなく、暴れるでもなく、ただ黙って行儀よく列に並んでいる。そんな人間じみた行動は、傭兵達にも苦笑と共に受け入れられていた。
「レイス様。この人参と大根にもスープを分けてやれませんかね」
「こういう魔物も居るんだねえ。もっと恐ろしいのだって聞いてたけど」
傭兵達がそっとヘルルートを撫でたりつついたりすると、ヘルルート達は驚いたり照れたりする様子を見せた。どうにも仕草が人間じみて愛らしい。
「いいわ。悪さしないならね。ほら、お椀、貸して」
あづさがヘルルートの前に手を差し出すと、ヘルルートはあづさの手に木の器を乗せた。あづさはそこにスープを入れてやり、それからパンも一切れ、乗せてやった。
するとヘルルートはぺこん、と頭(なのかよく分からない部分)を下げると、スープの椀を受け取って、他の魔物達が待っている方へとてくてく進んでいくのである。
「……なんかかわいいじゃないのよ」
あづさはそれを見送ると、ヘルルートが持ち帰ってきたスープを分け合って魔物達が喜ぶ様子を眺めることになった。
「魔物というものは、あのように意思疎通ができるものなのですね……」
シャナンはというと、あづさと同じく魔物達の様子を見て、感心とも困惑ともつかない表情を浮かべていた。
勇者の子孫として魔物を憎む気持ちはあれど、今目の当たりにしている魔物の姿にはどうにも和やかな気持ちになってしまうらしかった。
人間の国で伝え聞かされてきた魔物の話と実際の魔物の姿が大きく異なる、ということに、シャナンも他の傭兵達も、気づき始めていた。
「おい」
「ああ、フォグさん。おはよう」
あづさが振り返ると、そこにはフォグが立っていた。
「あれは魔物だろう。食事を分け与える必要はないはずだ」
そして開口一番、そういうのを聞いて、あづさは苦笑する。
「そうね。でも、あげたくなっちゃったの。可愛いんだもの」
「相手は魔物だ。油断させて襲ってくる可能性もある。今度はあの根菜だけじゃない。後ろに別の魔物も居るが」
「何にも悪さしてないけどね」
あづさが答えると、フォグは黙る。フォグにも、魔物の様子は見えている。スープを分け合う数種の魔物達は、特に危害を加えてくるでもない。
「それに、思ったんだけれどね。魔物を倒す意味って何かしら。魔物だったら倒した方がいいって、思う?」
「……それが任務だろう」
「魔王についてはね。でも、魔物は違うでしょ?なら、魔物達にどう接するかは、私が決めてもいいはずだわ。誰かのために捻じ曲げてやる必要、無いでしょ?」
フォグは昨日に引き続き、また複雑そうな顔をした。反論が見つからず、ただ何かを探しているかのように視線を彷徨わせる。
……そんなフォグとあづさの足元に、もう一度、ヘルルートがやってきた。今度はその手に、瑞々しい果物を持っている。
「あら、くれるの?」
あづさが身を屈めて手を差し出すと、ヘルルートはあづさの手の上に果物を置いて、またてくてくと戻っていった。
「……私、やっぱり、魔王と話してみたいわ」
あづさはヘルルートを見送りつつ、フォグにそう言った。
「あの魔物達を見ていたら、魔物とも話せるように思えてくるから」
「……そう思わせることが魔王の謀略だったら」
「ならそれに乗ってあげる。だって、少なくとも『人間と仲良くできるふり』ができる、っていうことは分かったもの」
それからラギトが起きてきて、傭兵達にハーピィ式の挨拶をし始めた。
同じくフォグもまたラギトにハーピィ式の挨拶をされていたが、はじめと比べると拒否感は薄いようだった。
それを見てあづさは、ほらね、と思う。
魔物は人間と仲良くできる。利権を折半するか独占するために争うかはさて置き、意思の疎通はでき、時に過剰な挨拶をすることだってできるのである。
……少なくとも、王の号令の元、今も今までも人間達がそうしてきたように魔物を恐れる理由など、碌に有りはしないのだろう。
そうして一団はまた出発し、旅を続けた。
道中には時々、魔物の姿が見えた。それは新たに地の四天王領に来た魔物であったり、それ以外の魔物が特に理由もなくそこに居たりと様々である。
スケルトン達が畑を耕しているのを見て人間達は驚き、ドワーフ達が住居の建設を行っているのを見てまた驚き、更にはマーマンの類が水路を泳いでいるのを見てまたまた驚く。
人間達にとって、魔物の国の風景はあまりに新鮮で、そして予想と大きく異なっていた。
「魔物の暮らしってのは案外文明的だなあ……」
「おいおい、こりゃあ何の冗談だ?魔物ってのはもっと野蛮な生き物なんじゃあなかったのか?」
「あいつら、野菜食ってますけど。てっきり、肉と生き血しか食わないもんだとばかり……」
「骨が畑耕すのって凄い眺めだなあ……」
傭兵達は口々に感想を呟きつつ、それなりに楽しんで魔物の国を見ていた。
魔物達も人間達の馬車が通りかかるのを見ると少々怯えたり、はたまたのんびりとした調子で手を振ってきたりと、特に危害を加えてくることもなく、むしろ歓迎さえしているような様子であるのだ。
「これすら魔王の仕組んだことだったとしたらとんでもない規模よね。国全体に指示がいきわたってるって事なんだから」
あづさがそう零すと、それを聞いていたシャナンとフォグはそれぞれに複雑そうな顔で頷く。
魔王があづさ達を騙そうとしていて、このように友好的で平和な魔物達の様子を見せているのだとしたら、それは魔物の国の統制の強さを表すものにすぎない。
敵にしたならば、強敵だ。
「……まあ、種明かしはもうすぐ、かもね」
だが泣いても笑っても、もう終わりの時は近い。
「見えてきたわ」
……あづさ達の前には、もう地の四天王城が迫ってきていた。
飾り気のない、魔王の居城にしてはあまりにも質素な城を前にして、人間の一団は困惑していた。
「これが魔王の城か……?生首も頭蓋骨も飾ってないぞ……?」
「金銀宝石と人間の血と骨で飾ってあるものだとばかり思ってたんだが……」
「なんだか質素だねえ……」
傭兵達の遠慮のない感想に苦笑しつつ、あづさはそっと、門の向こうを覗く。
開かれた門の向こうでは、ヘルルート達がトレント達と協力して、せっせと花壇の整備を行っていた。どうやら、あづさが以前殺風景だから花でも植えたい、と言っていたのを覚えていたらしい。
そして、ヘルルート達は門から覗いている人間達に気付くと、驚いたように飛び跳ね……しかし数秒後には、おずおずとした様子で、手(と言うべきか、根っこのでっぱりと言うべきか微妙なもの)を振るのだった。
「……とりあえず、入ってみましょう」
「いいのか」
フォグはあづさの腕を掴んで引き留めようとしたが、あづさは笑って頷く。
「ええ。一度、入ってみないことには何も分からないわ。お姉様の無事も、魔王の狙いも、私の記憶も。何もかもね」
あづさがはっきりと答えると、フォグは視線を彷徨わせ、小さく了承の返事をした。
「……じゃあ皆。準備はいいかしら。勿論、無理についてきて、なんて言わないわ。ここに残りたい人が居れば、残ってくれて構わない。責めもしないし、恥だと思う必要もないわ。残ってくれる人が誰も居なかったら、私に何かあった時に報告してくれる人も居なくなっちゃうし……」
それからあづさは傭兵達にそう声をかけた。だが、傭兵達は皆顔を見合わせると、それぞれに頼もしい笑みを浮かべてあづさの後ろについてくるのである。
「レイス様。今更ですよ」
「結界を越えちまった時点で、俺達もう腹は決めてます」
「ま。『詳しくは言えないが危険な仕事だ』なんて聞かされて、しかも王家の武具まで貰えりゃ、それなりに覚悟してから来るわよね」
「それに、ここの魔物達……どうにも、気さくな奴らに見えてきたんだよなあ……」
どうやら、傭兵達は城に入るつもりらしい。
「分かったわ。……シャナンさん。ラギト。フォグさん。あなた達は?」
「僕は当然ついていきます。マリー嬢を救い出す為なら」
「俺もついてくぜ!何かあったら守ってやっからな!な!頼りにしてくれて良いぜ!なんてったって俺様はラギト様だぜ!」
「任務だからな」
……そして、残り3人についても、意思は固いらしかった。
「そう。分かったわ。ならよろしくね。……でも、何かあったら、皆、自分のことを最優先にして頂戴ね」
あづさはそう前置いてから……地の四天王城の門へ、脚を踏み出す。
心の中で、ただいま、と呟きつつ。
……そして人間達は、城の中に入ってすぐ、言葉を失うことになった。
「おお!よく来たなあ!遠路遥々、疲れただろう。こんなに大所帯で来るとは思っていなかったが、だが大丈夫だ。準備は余分にしておいた。さあ、席についてくれ」
そこに用意されていたのは、卓。
卓の上に用意されているものは、大量の茶菓子とティーセット。
そして、にこにこと笑みを浮かべている、角の生えた大男。
「いや、浮かれていて済まない。久しぶりの客人なもんでなあ……」
照れたように笑う大男を前に、人間達は動けない。唯一、ラギトだけは「美味そう!」と喜んでいたが。
「……ああ、この姿だと分からんか。すまない。名乗り遅れた。俺はギルヴァス・エルゼン。人間の国の城を訪ねさせてもらい、そこで魔王と名乗った竜だ」
全く以て魔王らしからぬ人物は、確かに、人間達に衝撃を与えたのである。
人間達の、全く予期せぬ方向から。




