120話
その夜、あづさはミラリアと隣り合った寝袋に入りつつ、皆の死角でスライムの連絡を行おう、としたのだが……なんとなく危険な気がして、『今日は連絡できない。無事』という旨の連絡だけ、簡単に行うのみとした。それだけならば、スライムを取り出さなくても連絡ができる。
あづさが気にしているのは他の誰でもない、フォグの視線である。
完全な妄想ではあるが何となく、彼なら夜闇の中くらい見通せそうな気がする。そもそも彼は、魔法の花瓶を仕込んでいたダニエラの懐刀だ。人間にしては高度な魔法の道具を持っていてもおかしくはなく……警戒するに越したことはない。
……フォグをこのままにしておくわけにはいかない。恐らく、フォグが得た情報はダニエラの元へ流れているのだろうし、ダニエラは何かを企んでいる。アーリエス4世を動かしているのも、ダニエラだろう。
彼女の狙いは分からないが、少なくともアーリエス4世からは『魔王を殺せ』と言われている。……となると、フォグをこのまま一団の中に置いたまま魔物の国へ行くのは、躊躇われる。
かといって、彼を置いていく理由もつけられない。失態を侵すなり、国王の命令に背く行動を取ったりすれば大義名分を得て追放できるが、そんな下手を打つとも思えない。
「どうしようかしら……」
あづさはぼやきつつ、ころり、と寝返りを打ち……そこで、焚火の傍に座るフォグの姿を見つける。
自ら不寝番を買って出た彼は、焚火が消えないように時折火の世話をしつつ、周囲にも気を配っている。
……そんな彼であったので、あづさが自分を見つめていることにも気づいたらしい。
目が合った時、フォグは数秒、逡巡したようにも見えた。だが結局は特に何もせず、あづさから目を逸らすのみとなる。
「ねえ」
だがあづさは話しかける。ごく小さな、フォグまで届くかすら怪しいような声であったが、フォグはあづさの方を向いた。
反応したわね、とあづさは内心でにやりとしつつ、寝袋を抜け出してフォグの隣、焚火の前へと移動する。フォグは一瞬、あづさを警戒したのか身を強張らせたが、あづさは構わずフォグの隣に座る。
「暇じゃない?」
そしてあづさがそう問うと、フォグは『こいつは何を言っているんだ』とでもいうような顔をしたものの、あづさの真っ直ぐな視線に耐えかねたらしく、ため息交じりに答える。
「……見張りの任務中だからな」
「……それってつまり、暇ってこと?」
「暇じゃない」
フォグはそう答えると、ちら、とあづさを見て、またすぐ視線を他へとやってしまう。
「早く寝ろ。明日に差し支える」
「眠れないの。少しだけ付き合ってくれない?」
あづさがそう言うと、フォグは表情一つ変えずにちら、とまたあづさを見やると、ため息を吐き出す。あづさはこれを了承か諦めの意であると解釈して、勝手に話し始めることにした。
「あなたは戦う人、なのよね」
フォグからの返事は無かったが、あづさは構わず続ける。
「魔物と戦ったことって、ある?」
「無い」
返事があったことに内心喜び、ついでにそれを表情にも滲ませてしまいつつ、あづさはフォグに向き直って問う。
「じゃあ、人間とは?」
フォグはじとり、と暗い目をあづさに向けた。そして、何ということもないように、あづさを少々脅すように、それでいて努めて無機的に答える。
「数え切れない」
フォグの目からは感情が読み取れない。ただ、底知れぬ気配が、あづさを捕らえて離さない。
「殺したこともある」
「へえ、そう」
あづさは少々笑って、フォグの言葉を受け止めた。やはり、何ということもないように。
……フォグはあづさの反応に、少々当てが外れた、というような顔をした。だが、それを口に出すようなことはしない。
「もしかしたら、私もあるのかもね。人を殺したこと」
あづさがそう零すと、フォグの注意が向いたのが分かった。なのであづさはそれに笑って付け足す。
「ま、記憶無いんだけど」
そういう設定なのだから、何を言おうが自由である。
フォグが何か言いたげな顔をしていたが、それが言葉としてあづさに向くことはなかった。つくづく自制心の強いことだ、といっそ感心しながら、あづさはふと、零す。
「……でも、まあ……殺したことは無くても、殺そうと思ったことくらいは、あったかも」
妙に心がこもってしまったからだろうか。このあづさの呟きには、フォグが言葉を挟んだ。
「それは、真実か」
珍しいわね、と思いつつ、あづさは取りなすように笑って答える。
「だから、記憶無いんだってば」
「全ての記憶が無いわけではなさそうだが」
妙に突っ込んでくるわね、と訝しみつつも、あづさは少し考えて、フォグが何を聞きたいのか、察することができた。
恐らく、記憶がある部分……あづさとミラリアが軟禁されていた期間について、ということだろう。あづさはそう悟るが、そこについては触れないことにする。
「まあね。あるんだかないんだかよく分からない奴なら、あるわね。綺麗な夕焼け空を見ても『こんなの初めて見た』とは思わないし、会ったことが無いくらいちょっと酷い人が居ても『まあこういう人も居るわよね』って思うし。そういうの、あるわ」
フォグが期待していた回答ではなかったからだろう、フォグはまたあづさから視線を外すと、周囲の警戒を始めた。
「それとも、気になる?私がどこで誰に軟禁されてたか」
だが、あづさがまたそう言ってやれば、今度こそフォグはあづさへ注意を向ける。
「……何が言いたい」
「別に?気になるのかな、って思っただけ。あなただって貴族の中で生きてきたんでしょうし、気になってもおかしくないでしょう?」
「だがお前は話すつもりが無い。違うか?」
「そうね。巻き込みたくないの」
情報をちらつかせておきながらもあっさりと引き下げてやれば、フォグは少々訝しげな顔をしはしたものの、それ以上の追及は無駄と割り切ったらしい。
だが、そこに興味がある、ということはこれで知れた。問題は、その興味が誰のものなのか、という点である。ダニエラのものなのか、はたまた、フォグ自身のものなのか。
……あづさの勘ではあるが。
なんとなく、後者のように思えた。或いは、そうであればいい、というだけのあづさの願望なのかもしれないが。
「私ね、あなたと仲良くなれたらいいなって思ってるわよ。損得勘定抜きにして、本当に」
本心だ。フォグの狙いも分からず、どう対処していいかもわからない状況だが、それでも本心から出た言葉だった。
同行する以上、楽しくやりたい。そして可能ならば、『仲良く』。
絵空事なのかもしれないが、それでも……あづさはそう、思っている。
「……心配しなくても、役目は果たす」
フォグの反応はそっけなく、それ故に却って人間味を感じるようなものだった。
要は、心配なのはフォグ自身なのだ、とあづさは悟る。何を考えているのか分からない相手を前に、どう出たものか、そして自分の対応は間違っていないか、心配している。
あづさがフォグをどうしていいものやら迷うのと同じように、フォグもまた、迷っているのだろう。だから、無駄に距離を置こうとしている。
本当にあづさを騙して利用しようとするならば、距離はむしろ縮めた方がいい。そうしてあづさを操ってもいいし、あづさを油断させて殺すことだってできるだろう。
「そういうんじゃなくて。何て言うか……だって、つまらないじゃない」
だからこそあづさは、にこにこと笑って言うのだ。
「そうだわ。私、この旅であなたの笑顔、見ることに決めた」
フォグはいよいよ『こいつは何を言っているんだ』とでも言いたげな顔であづさを見ていたが、そうした感情が表出していること自体、あづさにとっては喜ばしい。
「……ふふ、なんだか楽しくなってきたわ」
「暢気なものだな。魔王の所へ行くというのに」
「ええ。だってあなたが少し話してくれるようになったから」
フォグは、しまった、とでも言いたげな顔をしたが、直後、苦い顔であづさから目を逸らす。あづさはくすくす笑ってそれを眺めてから、フォグに背を向けた。
「じゃあ、おやすみなさい。邪魔してごめんね」
返事は無かったが、背後からナイフが飛んでくるようなこともない。精々、ため息が聞こえてくるだけである。
あづさはくすくす笑いながら寝袋に戻って、瞼を閉じた。
「……今夜の連絡はなし、かあ……」
ギルヴァスは深々とため息を吐く。
あづさの状況は概ね、分かっている。
ルカが報告してきた分もあれば、あづさがスライムを通じて連絡してきた分もある。
ひとまず、あづさ達は王城の武具庫を空っぽにして30名余りの団体で旅立つらしい。また、少々不審な魔法についても報告してきた。
水の盗聴の魔法、というものについて、ギルヴァスは既にオデッティアに尋ねている。その答えは『まあ、古い下等な魔法よの』というにべもないものであったが、同時に『気づかれにくくするには良いやもしれんな』ということでもあった。
あづさの報告では、人間の国ではそれほど魔法が発達していない、ということだった。魔導書は売っているがとても高価で、魔物の国のように誰でもある程度の魔法は使える、というような環境ではない、とも。
……そんな人間の国で盗聴の魔法の花瓶があることには、少々引っかかりを覚える。
王家の影の部分として、間諜が居ることは想像できるし、諜報のための魔法が密かに伝えられていたとしてもおかしくない。
だが、そもそも、人間の国に魔法が少ない、ということ自体、ギルヴァスには引っかかるのだ。
ギルヴァスは300年程度を生きているが……少なくともギルヴァスが幼少の頃は……人間はそれなりに、魔法を使っている印象であった。
それがいつの間にか『人間の国ではそれほど魔法が使われていない』という状況になり、それでいて更に『人間の国にしては珍しくも盗聴の魔法があった』という状況を生み出している。
「……100年前に何か、あったんだろうか」
気になるのは、『勇者の力』だ。
あづさの報告では、アーリエス4世は『勇者の命と同時に勇者の力も100年前に奪われた』と言っていたらしい。
『勇者の力』とは一体何なのか。あづさにはそれが与えられなかったらしいが、逆に言えば、本来ならば勇者に与えられるべき力であるらしい。だから勇者は碌に争いのない異世界からやってきてすぐに戦うことができ、それでいて反則のように強いのだろうが……。
ギルヴァスは悩みつつ、手慰みにスライムをつつく。
いつもあづさがそうするとスライムはふるふると揺れて喜ぶのだが、ギルヴァスがそうしても時折ふるんと揺れるだけである。何かつつき方に違いでもあるのか、はたまた現金にもつつかれる相手によって態度を変えているのか。
……そもそも、スライムに態度がある、などという考え方は、異端である。スライムに意思など無く、思考すら碌に無く、意思の疎通などできようはずもない。そう、ルカは言っていた。
だがこのスライムは、どうにも意思の疎通ができているように思えるのだ。きちんとあづさとの連絡役を担っているし、つつかれれば喜ぶ。
「どうしてお前は賢いんだろうなあ」
ギルヴァスはそうぼやきつつ、少しスライムを調べてやる。
特に何が見つかることも期待せず。ただ、『やっぱり分からんなあ』と言うことを目的として。
だが。
「……ん」
ギルヴァスは、眉を顰める。
スライムの中に、どうにも、あづさの魔力の気配があるのだ。
「……まさか」
ギルヴァスは、スライムを持ち上げて……言った。
「お前、あづさに祝福を授けられたか!?」
スライムは特に答えるでもなく、ぷるぷると揺れるばかりである。




