121話
「い、いつの間に……」
ギルヴァスは半ば唖然としつつスライムを見る。
スライムは相変わらずふるふる揺れるばかりであったが、どことなく誇らしげに見えるのが小憎たらしい。
「……余程切迫した状況だったのか?相当強い祝福を貰ったようだが……」
つん、と少々強めにつついてやるも、スライムの柔らかい体は、むに、とギルヴァスの指を埋もれさせるばかりである。
「しかし、いつの間に、どうしてこう、スライムに祝福を授けることになったんだろうなあ……意味は分かっていなかったんだろうが……」
あづさは祝福というものの存在自体、知らないようであった。となれば、意図せずしてスライムに祝福を与えた、ということになるのだろうが、それにしては祝福が大分強い。あづさが人間の町へ旅立つ前にギルヴァスへ授けたものより、よほど大きい。
「……別に嫉妬じゃあないぞ」
口に出すと益々みじめたらしい心地であったが、ギルヴァスはそれを誤魔化すように、ため息交じりにスライムをまたつつく。
……そうしてふと、思いついてしまったというか、魔が差したというか。
「そういえばお前は、よく働いているな。褒美というのも何だが、俺の祝福も要るか?」
ギルヴァスはスライムにそう、提案してみたのである。
翌朝。あづさが目を覚ますと、既にミラリアが起きて、朝食の支度をしていた。
そこから少し離れたところにフォグも居る。本当に不寝番をしていたらしい。
「お姉様、おはよう」
「ええ、おはよう、レイス。よく眠れた?」
「とっても。……朝ごはんの支度?」
「そうね。傭兵の皆さんには昨夜、ご馳走になってしまったから、そのお礼も兼ねて」
ミラリアはにっこりと微笑んでそう言った。これ以上傭兵達を誘惑するつもりとは恐れ入る。あづさはミラリアの強かさと慎重さに敬意を表して神妙に頷いた。
それからあづさはフォグの傍に寄る。フォグはあづさに気づいたが、ちらりとあづさを見ただけだった。
「おはよう、フォグさん」
「ああ」
「不寝番、お疲れ様。眠くない?」
「慣れている」
フォグとのやりとりは細切れであったが、そこに敵意や警戒は無いらしかった。それを嬉しく思いつつ、あづさはフォグの横に座った。
「道中、馬車の中で寝ててね。何かあっても起こすから」
「必要ない」
「寝て。お願いだから寝て頂戴。何なら勇者からの命令ってことにしてもいいわ。体壊されたくないし、睡眠不足でぼんやりしてるところを魔物に狙われる方がよっぽど危ないでしょ」
鬱陶しがられることは覚悟の上でそう言えば、案の定フォグは少々嫌そうな顔をしたが、存外素直に頷いた。
「ならそうさせてもらう」
「ええ。よかった。馬車は好きなところでいいからね。何も、私に寝顔見せろとは言わないわ」
フォグは黙って頷くと、立ち上がって馬車の方へ向かう。
「……え?もう寝るの?もうすぐ朝ごはんできるけど」
「必要ない」
ミラリアの作る食事が既に良い香りをさせているというのに、フォグはそう言って去っていこうとしたが。
「食べて。命令」
あづさはその服の裾を捕まえて、そう言った。
全員揃っての朝食の前に、毎朝恒例と化したラギトのハーピィ式の挨拶があり全員が驚かされていた。
これにはあづさも感心させられたのだが、ラギトは明らかに逃げようとしたフォグを俊敏にも捕まえて、無理矢理挨拶行為に及んだのである。フォグの嫌そうな顔と、寝ぼけた相手に素早さと動きの読み合いで負けたことへのショックらしいものとを見ながら、あづさはラギトの身体能力の評価をまた少し上方修正した。
そしてミラリアが全員に朝食を振舞うと傭兵達は大層喜び、士気が大いに上がった。
そんな一団の様子を横目に、フォグはさっさと食べ終えて馬車の中に入っていってしまった。あづさはそれを見送ると、また食事を再開したが。
「あのフォグという男は何を考えているのか、分かりませんね」
シャナンは困ったような顔で、ミラリアにそう言った。
「まるで協調性が無いというか、一団としてやっていこうという意思が見られないというか……困ったものです」
どうやらシャナンは少々、苛々しているらしかった。ミラリアと一緒に旅ができるという思いで付いてきたのに、傭兵が増えて30人以上の大所帯となってしまった。自分がミラリアと話すタイミングが奪われていることに不満を感じているのだろう。
「しかし彼には不寝番をお願いしていましたから」
ミラリアは取りなすようにそう言って微笑む。
「何を考えているのか、分からなくてもいずれ知ることができるように努力します。共に行く仲間ですもの」
ミラリアの答えに、シャナンは複雑そうな表情を浮かべた。
「マリー嬢は博愛の精神をお持ちなんですね。僕はまるで駄目だ」
「……あの、シャナンさんもお疲れですよね。こんな旅に付き合わせてしまって」
「苛ついているように見えましたか」
ミラリアが控えめに頷くと、シャナンは苦笑しつつ、わざと拗ねたような表情を作って見せる。
「嫉妬しているんですよ。あなたの周りに近づく人が増えたのでね」
率直な物言いは、純粋にミラリアへの好意を表している。それはミラリアの誘惑の効きが良いという証明であり……或いは、それをきっかけにして、紛い物でもなく本当にミラリアへの愛が生まれてしまっているのかもしれないが。
「フォグという男にしても、他の傭兵達にしてもそうです。それに、ラギトというあの馬鹿っぽい……いや、少々能天気な奴についても。彼は少しあなたに馴れ馴れしすぎるのでは?あの、よく分からない挨拶といい……」
シャナンはラギトをちらり、と見る。ラギトは少し離れたところで朝食のスープを飲みながら「うめえ!」と喜んでいる。
……どう見ても怪しくは見えない。ただの馬鹿に見える。ミラリアはそう、確信したが。
「そういえば彼は、突然現れた。魔物が僕の屋敷に攻めてきた時から同行していますが……もしかして彼は、あのように振舞って僕達の警戒を逃れようとしている……敵なのではありませんか?」
……驚くべきことに。
シャナンは嫉妬心という、およそ理性からは程遠い感情を元にして、全く正しくない勘を辿り……正解に近いところへ、到達してしまったらしい。
「まさか、そんなことは……」
「あんなに馬鹿……天真爛漫な男が居ると考えるよりは、狙ってああいう行動を取っていると考えた方がいい。朝、フォグに対してもあのよく分からない挨拶をしていましたが、あの身のこなしを見る限り、只者じゃない。正統な戦闘訓練を受けたようには見えないが、戦い慣れしている者の動きでしょう」
前半は見事に大外れだが、後半は見事に大当たりである。ラギトの戦い方は正統どころか、人間の戦い方ではないのだ。しかも、それで戦い慣れている。本来ならば翼と鉤爪での戦いではあるが……シャナンの観察眼は冴えている。
「今、ここに居る中で素性が分からないのはラギトとフォグの2人です。警戒した方がいいと思いますよ」
「え、ええ……」
ミラリアは何と答えてよいものか、曖昧な返事をして困惑の眼差しをシャナンへ向ける。するとシャナンは、自分の言葉の説得力の無さに思い当たったらしい。何せ、嫉妬していると公表した後の言葉だ。嫉妬故の言いがかりめいて聞こえても仕方がない。
「……いや、僕がこんなことを言っても説得力が無いかもしれませんが。しかし、人を見る目はそれなりに養ってきたつもりです。彼らには何かがある。油断していたら、足元を掬われかねない。どうぞ、お気をつけて」
シャナンはばつの悪そうな顔でそう言うと、退散していった。ミラリアはどうしたものか、と思いつつ彼の後姿を見送るのだった。
その日も馬車に揺られて道を行き、今日は宿で休むことができた。流石に連日連日野営をしていては体が持たない。それに……個室である方が、都合がいいことも多い。
あづさとミラリアは当然のように同室になって、ベッドの中に入っていた。
やや大きめのベッドに2人で入ることを条件に、2人はこの1人部屋に2人きりで泊まる権利を勝ち取っている。少々手狭だが、密談するには丁度良い距離かもしれない。
「……ということで、シャナンさんがラギトとフォグさんを疑っているようで」
ミラリアはそう言ってため息を吐く。美貌のローレライともなると、ため息1つも甘やかで美しい。
「そう……どうしたものかしらね。フォグさんについては確かに色々気になるけれど、ラギトのアレは本当に只のバカなのよね……うーん、あんまり疑われると困るんだけど」
あづさも悩みつつ、ベッドの中でしばらく唸る。
……フォグはともかく、ラギトが疑われるのはまずい。ラギトへの疑いから芋づる式にあづさ達の正体まで露見しかねない。だが、ラギトが今更離脱するのも不自然だ。処理のしようがない。
あづさは悩み……そしてようやく、思いつく。
「こうなったら、注意を逸らさせた方がいいわね」
「どのようにしましょうか。シャナンという男、あれでそれなりの切れ者に見えますが」
「どんな切れ者でも狂う瞬間はあるわよ」
ぱちり、とウインクしつつ、あづさは言った。
「恋する相手が敵に攫われたら、流石に動揺してそっちに意識がいくでしょ」
「ってことでミラリア。ルカに攫われてきて頂戴」




