111話
あづさとミラリアは門番にシャナンの紹介状を見せて屋敷の中へ入り込むことに成功した。屋敷の前でラギトの姿を見ているが、お互いに特に何もしなかった。ただ、ラギトは屋敷の中で何かあった時のために待機していればそれでいい。それまでは屋敷と庭の美しさに見惚れる田舎者を演じていればそれでいいのだ。……尤も、ラギトの場合は半分以上が演技ではなく素なのだろうが。
「マリー様、レイス様。ようこそおいでくださいました。シャナン様はもうじきお帰りになります。それまでこちらでお待ちください」
ミラリアとあづさは丁重にもてなしを受けつつ、応接間のソファに座ってシャナンの帰宅を待つことになった。
……室内は品の良い調度品に飾られていた。如何にも富裕層の邸宅らしい内装である。
また、それと同時にあづさとミラリアの目に入っていたのは、壁に飾られた肖像画である。
「あれが勇者イーダ、なのかしら」
「そう、でしょうね。……まだ少年のように見えますね」
その肖像画にあったのは、黒い髪、黒い瞳の少年の姿である。少々線が細く、気が弱そうにも見える。
彼もあづさと同じ、日本人らしく見えた。『イーダ』というのももしかすると『飯田』や『井田』なのかもしれない。
「ねえ。勇者って皆、私くらいの年頃なのかしら」
「そうですね。私が知る限りでは、そのくらいかと。勇者イーダについてもそうなのでしょうし、勇者マユミも同じくらいの年頃だったと聞きます」
ふうん、と頷きながら、あづさは肖像画をじっと見つめる。
そこに描かれている少年が、何を思って『勇者』になり、そして何を思ってこの世界に留まることにしたのか、あづさには分からなかった。
「お待たせしました!」
やがて、2人の元に、シャナンが息を切らしてやってきた。その表情は喜びに満ち溢れている。
「お越し頂けて本当に嬉しく思っています。ああ、夢のようだ!」
「こんにちは。シャナンさん。あれからお姉様と話して、やっぱりあなたにもう一度会ってみよう、って。ね?マリーお姉様」
「ええ。……勇者マユミの子孫について、世間のこともよく分からない私達が調べるのは無理がありますから」
あづさとミラリアが微笑んで頷き合うのを見て、シャナンはまた表情を緩める。
「ええ。お任せください!……しかし、美女に頼られるというのはなんとも嬉しいものですね。余計に張り切ってしまう」
あづさとミラリアには少々反応しづらいことを言いつつ、シャナンは懐から帳面を取り出した。
「勇者マユミの子孫について、あれから少しだけですが調べてみましたよ」
「本当ですか」
「ええ。これでも商人ですから、噂話はよく集まってきます。それに、隣町まで足を運ぶ機会がありましてね。その時にまた少し」
シャナンは帳面を捲ると、早速話し始めた。
「ええと……まず、勇者マユミの足取りですが、1つだけ見つけることができました」
「勇者マユミは王城に上る前、どうやら隣町に滞在していたようですね。勇者マユミの世話をした、という宿がありましたよ」
思いがけない情報に、あづさとミラリアは顔を見合わせる。
勇者マユミの軌跡が分かれば、彼女が何者だったのか、そしてどうして魔物との和平を望み、最終的には先代魔王が死に、勇者マユミも消えることになったのか、その流れの一部が分かるかもしれない。
「なんでも彼女は、どうしてここに来たのかもよく分からず、只々困惑した様子だったとか。……到底、勇者、というような人物には見えない、大人しくて優しい少女だったようです」
「大人しくて、優しい……」
「ええ。宿に世話になることが決まってから、すぐに自ら手伝いを申し出て宿で働き始めたらしいですね。始めは固い様子だったのが、次第に打ち解けていくにつれて表情が解れてきたのが嬉しかった、と、当時の女将が話してくれました」
「そう。家事が、得意だったのね……」
あづさは、思案する。
……あづさの知る真弓の情報と、一致する。だがそれだけだ。大人しくて優しく人の手伝いを自ら行う『マユミ』という名の少女がいったいどれほど居ることか。
「ただ、当時は魔王との戦いの最中でしたから、勇者マユミが異世界から来た少女だと知れるとすぐ、彼女は王城へ取り立てられていったということです。結局、宿に滞在していたのは2週間もなかったとか」
「ああ……宿ですと人の出入りもありますものね。異世界人が居る、となれば、すぐに噂が広まってしまうのも無理はないでしょうね」
ミラリアの反応にシャナンは頷いて、それから少々寂しげに笑う。
「……勇者マユミは宿の女将に、『勇者なんて向いてるとは思えないけれど、それでお世話になった人達に恩返しができるなら』と話して、宿から去ったそうです。……彼女は勇者になることを、望んでいなかったのかもしれませんね」
シャナンはふと視線を上げて、壁に掛けられた肖像画を見た。
「勇者イーダも、そうだったのでしょうか」
肖像画は何も答えない。
だが、あづさは……あづさの記憶の中に居る『真弓』は、確かに、争うことを好みはしなかった。きっと、勇者になることも、望みはしなかった。あづさは、そう思って唇を噛んだ。
「そうそう。それからもう1つ、勇者マユミについて情報を得られましたよ」
少々空気が暗くなってしまったことを気にしてか、シャナンは意図したように笑顔を浮かべて2人に向き直った。
「どうやら、勇者マユミに恋する青年が居たとか!」
「えっ」
「なんでも、赤い髪の体格の良い青年だったそうですよ!勇者マユミが立ち寄った祝福の泉で2人は出会い、そこで青年は勇者マユミに恋をしたそうです!」
……あづさとミラリアは、顔を見合わせた。
赤い髪の、体格の良い青年。
「……マリーお姉様」
「レイス。多分私も同じことを考えています」
ラガル・イルエルヒュールに聞かねばならないことが増えたわね、と、あづさはにっこり笑うのだった。
シャナンが手に入れた情報はそれまでだった。
今晩は是非泊っていってくれ、というシャナンの言葉に従って、あづさとミラリアは客間に案内され、そこで探知の魔法を警戒しつつ、筆談交じりで話す。
「ねえ、お姉様。結局分かったのって、勇者マユミが勇者になる前のことよね?」
「そうですね。……赤い髪の青年、の方は勇者になってからなのでしょうけれど」
「まあ、そっちはまた置いておくとして……でもやっぱり、勇者マユミの足取りが分からなくなるのって、王城に行ってからのように思えるのよね」
そこであづさはペンを走らせ、紙に書く。
『王様が怪しいわよね』と。
するとミラリアも頷いて応えた。
「……そうですね。そもそも、勇者というものが何かもよく分かりません。図書館で調べてみても、『強大な力と正義の心を持ち悪を挫く救世主』『異世界からやってくる少年少女』というようなことしか分かりませんでしたし……」
「そう、よねえ。うーん……やっぱり、王城を出てからの足取りが分からないと真相が分かりそうにないわ」
あづさはまたペンを走らせ、文字を書く。
『やっぱり王城に行くしかないわよね』
するとミラリアも頷いて、ペンをとる。
『王城を出てからの足取りは、王城の中で何があったかを知ることができればおおよそ知ることができるでしょう。ならば、可能な限り情報を収集してから勇者として名乗りを上げるのが良いかと』
ふむ、とあづさは考える。
……そして、紙を拾い上げると暖炉の火の中に放り込んでしまっておいてから、窓を開けた。
「あーあ、風が気持ちいいわ。あんまり考え込んでも仕方ないし、少し外の空気、吸いましょ?」
「そうね。……いいお天気」
2人は窓から外を眺める。すると門の前でぼんやり立っているラギトの姿を見つけた。
ラギトは窓から顔を出したあづさとミラリアを見ると、嬉しそうに手を振る。あづさとミラリアは顔を見合わせてから苦笑しつつ手を振り返してやった。これはあらかじめ決めてあった合図であったが、それにしても、ラギトは随分と目立つ。腕の動作が一々大きいのは元が翼だからなのだろうが。
「ねえお姉様。もうあと何日かはイーダ家にお世話になる?」
「そうですね。ある程度情報を頂けたら、隣町の宿というところに向かってみてもいいかもしれませんね。それから、勇者マユミと赤い髪の青年と出会ったという祝福の泉、という場所にも」
「赤い髪の青年、ね。体格のいい」
「筋骨隆々の」
「もしかしたら火を使うかしら!」
「そうかもしれないですね」
「勇者マユミに恋をしたのよね、その青年。ロマンチックだわ!」
「ふふ、話の詳細が分かったらきっと楽しいでしょうね」
……2人は今後の予定をざっと話す。するとラギトは2人の会話に耳を澄ませて、ふんふん、と頷いた。
勿論、この距離である。普通にしていて、あづさ達の声がラギトに聞こえるはずはない。だが彼はこれでも風の四天王団の隊長である。風に乗った音を拾い上げるのは得意であるらしい。
こうしてラギトが伝令役になれば、あづさとミラリアはイーダ家に居続けつつ、ギルヴァス達に情報を伝えることができるのだ。
ラギトが満面の笑みであづさ達を見ている中、いよいよ門番がラギトに注意し始めたのを見て、あづさはまた苦笑しつつ、そっと窓を閉めたのだった。




