108話
「勇者マユミの、ですか?」
「ええ。100年前の勇者の。何か知らないかしら」
ここで聞いて、駄目ならまた別を当たるが……200年前の勇者の子孫が目の前に居るなら、またとないチャンスである。これを逃すよりは、多少の危険を冒してでも情報を獲りに行った方がいい。あづさはそう判断した。
「勇者マユミ、というと……うーん、子孫が居るという話は聞いたことがありませんが……」
「じゃあ何か、勇者マユミの足取りとか、そういうことは分からないかしら?なんでもいいの」
あづさはあくまでも目的は勇者マユミの『子孫』なのだ、という体で話を進める。そしてそのついでに、『勇者マユミ』についても調べよう、と。
すると。
「うーん……そもそも勇者マユミについてはあまり記録が残っていませんから。ご存じかとは思いますが、勇者マユミの時代に生きていた人々もまだご存命です。しかし、彼らも勇者マユミについてあまり詳しいことは知らない」
シャナンはそう言って、表情を曇らせた。
「実は僕も気になって、個人的に調べたことがあります。勇者イーダの子孫として、他の勇者の子孫達とは懇意にしていますから。……しかし、勇者マユミについて調べると、ある一時を境にぱたりと情報が途絶えてしまう」
あづさもミラリアも真剣にシャナンの話に耳を傾ける。その『ある一時』が何か、あづさ達は知っている。
「魔王は死んだ。それによって我々は魔物に脅かされることなく生活できるようになった。それは確かです。ただ……恐らく勇者マユミは、魔王と相討ちになったのでは、ないでしょうか」
「魔王が勇者マユミを殺した、ってこと?」
「そうとしか思えない」
シャナンは頷きつつ、茶のカップを傾けてそこに中身が無いことを知ると次の茶をオーダーし、そして茶のカップを下げるウェイトレスに礼を言い、ようやく話し始める。
「……勇者マユミは突然現れて、そして勇者らしい行動はあまりせず、魔王との戦いに赴いた、と聞いています」
「勇者らしい行動、というと……」
「まあ、例えばドラゴン退治であるとか。僕の祖先である勇者イーダはドラゴンに支配されていた町を、ドラゴンを倒すことによって救ったと聞きますし、他の勇者達も、魔王を倒すこと以外に様々なことを成し遂げています。概ね、人々の役に立つことですね。まあ、記録に残るようなこと、といいますか……」
倒されたドラゴン、というのは、もしかしたらギルヴァスと関係のある竜だったかもしれない。そう思うと、あづさは何とも言えない気分になる。もう終わってしまったことにあれこれ思っても仕方がないとも分かっているが。
「何より勇者マユミは、現れてから消えるまでの時間があまりにも短すぎる。まるで何か、急いでいたかのようです。王と会ってから魔王討伐に向かい……しばらくして、魔王が死んだという知らせが入った。実際に魔物の姿も消えた。ですから、魔王城で何かがあった、のではないかと、思っていますが……まあ、すみません。この程度のことしか知らないもので……一般的に知られる程度のことですね」
そして、シャナンの話はそこで一区切りした。
どうやら、彼が知っているのはここまで、ということらしい。
「いえ、ありがとうございます。勇者イーダの子孫の方でもご存じないということが分かっただけでも、十分な成果ですから」
ミラリアがそう取りなすように言うと、シャナンは申し訳なさそうな顔をしつつ、曖昧に頷く。
……そして、ふと、聞いてくるのだ。
「……しかしどうして、勇者マユミの子孫を探しているのですか?」
「お2人を見ていて、ずっと不思議でした。着ているものは上等ですが古めかしい。まるで古くから続く良家の倉庫にしまってあったものをとってきたかのようだ。それに、お2人ともどうにも、世俗には疎いように見受けられる。まさか、本当に天使様だったり?」
「ええっと……」
あづさとミラリアは顔を見合わせ、頷く。
ここからは、嘘八百を並び立てる時間だ。
存分に、楽しもう。あづさはそう決心した。
「勇者マユミの子孫に会いたいのは、勇者マユミの血が私達の呪いを解いてくれるらしいからなの」
あづさが最初にそう切り出すと、シャナンは一体何のことか、とばかりに目を丸くした。
「呪い、ですか?一体どんな呪いが……?」
「記憶が封印される呪いなの。だから私達、ある時から前の記憶が無いのよ」
そしてあづさの答えに、なんと、とシャナンは労し気な顔をする。
「そんな……それではあなた達は、自分が何者なのかも分からない、ということですか?」
「そうですね。名前だけは、教えられたものがありましたから分かったのですが……もしかしたらこの名前も、偽物なのかもしれませんね」
ミラリアも嘘に乗ってしまえば、あとはあづさもミラリアも楽しんで嘘を重ねていくばかりとなる。
「だから私達、町に来たのは記憶にある中初めてなのよ。記憶にある限りほとんどずっと、その、人に遠いところに居たものだから。持っている服はドレスばかりだったから、倉庫にあったものを持ってきて、この格好で逃げてきたわ。あと、宝石をいくらか持ってね。宝石がお金になるってことは知ってたの」
「私もレイスも記憶を失ってしまってからずっとそこに居たものですから、世俗のことはあまり詳しくなくて……だから、お会いした相手があなたのような方でよかったです」
あづさとミラリアがそう説明すれば、シャナンは成程、と神妙な顔で頷いた。
「そういうことだったのですか……失礼ですが、まるで物語の悲劇の姫君のようですね。もしかしたら運命の女神があなた達の美しさに嫉妬して、このような仕打ちをなさるのかもしれない」
芝居がかったような台詞にあづさもミラリアも苦笑するしかないが、シャナンはいたって真剣だった。
「あなた達は呪いを掛けられ、更にどこかに閉じ込められていたのですね?そんなことをしたのは一体誰ですか?勇者マユミについて私が知ることは少ないですが、これでも勇者イーダの子孫。商人としてそれなりの地位もあります。もしかしたら、あなた方を救うことができるかもしれない」
正義感と義憤に燃えるシャナンを見て、あづさもミラリアも『いいかんじ』と思ったが、それは顔には出さずにすまなそうな顔をするだけにする。
「お気持ちはありがたいのですが、それを言うことはできませんわ。あなたにご迷惑をおかけしてしまうでしょう。それも、きっと、取り返しのつかないような」
「ごめんなさいね。本当だったら多分、私達、あなたとお茶なんて飲んでない方が良かったかもしれないわ。私達が逃げ出したことはもう知れてるでしょうし、そうしたらきっと、追手が放たれてるはずよ。どこであなたを巻き込むか分からないもの」
「いいえ。それでも、これもきっと勇者イーダのお導きです!」
シャナンは立ち上がると、ミラリアとあづさの手を取って、真剣な顔をして言った。
「どうぞ、ご迷惑などと思わず、僕を頼ってください。情報を得る伝手もあります。あなた達を匿う程度のこともできます。何か、力になりたいのですよ。どうですか?このまま僕の屋敷へいらっしゃいませんか?あなた達も、誰が来るか分からない宿に居るよりは安心できるのではないかと思ったのですが」
……あづさとミラリアは顔を見合わせた。
そして。
「……ごめんなさい。私、誰を信じればいいのかもよく分からないのです」
ミラリアはそっとシャナンの手を離すとそう言って……まるで水に泡となって消えるかのような、そんな儚げな美貌を存分に発揮しつつ顔を俯ける。
「こんなにご親切にして頂いているのに、どうしても、不安が拭えなくて……あなたを信じることができないの」
「お姉様……」
小さく震えるミラリアの肩を抱いて、あづさも同じように顔を俯けた。
「……分かりました」
シャナンはあづさとミラリアを見てそう声を発すると……笑みを浮かべた。
「いや、嬉しいです。そう言って頂けたということは、少し僕を信用しようと思ってくださったということですよね?」
「え?」
シャナンの言葉にミラリアもあづさも不思議そうな顔をしてみせた。するとシャナンは益々笑みを深める。申し訳なさそうな2人を気遣うかのように、少々茶目っ気を感じさせるような表情で、言うのだ。
「だって本当に僕を欠片たりとも信用していないのなら、僕を信用できない、なんて言わないでしょう?きっと適当に誤魔化した方が良かったはずだ」
それはその通りである。そのつもりであづさもミラリアも話を進めた。
「それに、そうですね。確かに先ほどお会いしたお嬢さん方をいきなり屋敷へ誘うというのは礼儀がなっていなかった。申し訳ない。ただ、これが下心故のことではないのだという点だけ、ご理解いただきたく」
「え、ええ。それはもちろん」
下心が0ってわけはないわよね、と思いつつ、あづさは神妙な顔で頷いた。
「ですから、僕の方ではそれとなく、勇者マユミについて調べてみますよ。何、商家の息子が何か妙なことを調べていても、大して気に留める輩は居ないでしょう。今までも勇者について調べることは多かったのでね」
シャナンはそう言って、後ろに控えていた従者から帳面を受け取ると、そこにペンで何かを書いていった。
「そして、もし何かあったら僕の屋敷にいつでも来てください。きっとあなた達をお守りします」
そして帳面のページを破り取ると、それをミラリアに差し出した。そこには家の住所と思しきものと、シャナンのサインが書いてある。
「門番に話は通しておきます。その紙を見せて頂ければ屋敷に入れますので、いつでもいらしてください」
「そんな……いいのですか?」
ミラリアが不安そうにそう問えば、シャナンは満面の笑みを浮かべてウインクを飛ばした。
「ええ!あなた方のような美しいお嬢さん方なら、いつでも大歓迎です!」
それから少しして、2人はシャナンと別れることになった。商家の息子ということであるらしいので、やはり彼も彼なりに忙しいのだろう。シャナンは従者にせっつかれ、非常に不本意そうに帰っていったのである。
「……悪い人じゃなさそうね、お姉様」
「そう、ねえ……」
宿へ向かう道すがら、ミラリアとあづさはそんなことを言い合いつつ、万一、シャナンの従者がどこかで自分達を監視していることも警戒しつつ、それぞれにぼんやりと考えていた。
ひとまず、中々いい伝手を拾ってしまったな、と。
「連絡が来た」
ギルヴァスはスライムが動き出したのを確認して、表情を綻ばせた。
「どうやら買い物が終わったらしい。今晩中にはこちらへ戻って来るそうだ」
「おおー!やったぜ!」
「まあ、失敗するとは思っていなかったが……何はともあれ、よかった」
ギルヴァスが報告すると、ラギトとルカも表情を綻ばせる。
「これで町を焼かなくてもよさそうだ」
「俺も町の火事を消火する必要はなくなったな」
「あーあ、俺の美しさと強さと賢さを示す機会がなくなっちまったぜ!」
……結局今まで雑談がてら話していて、平和的な解決が何も思い浮かばなかった3人なのだった。




