華北、中南および華東地区を視察した際の談話 (一九六七年七月~九月)
[訳注] 一九六七年九月二五日付『人民日報』は毛沢東が一時期、華北・中南および華東地区を視察し、河南、湖北、湖南、江西、浙江、上海などの省市の文化大革命の情況を調査して、二四日、北京に帰ったと伝えた。本文件は、その間の談話を集めたもの。
上海での談話
労働者階級内部には根本的な利害の衝突はない。プロレタリア独裁下の労働者階級の内部では、両立しがたい大きな二派の組織にどうしても分裂しなければならないという理由は、なおさらない。(上海工人革命造反総司令部の総合報告に対する評語)
毛主席――なぜ連合しないのかね。張春橋〔上海市革命委員会主任]——上海の一部の組織は連合することができません。張春橋――誰を中核にするかという問題が解決されていません。毛主席――そのことを強調してはならない。[連合することは]無条件でなければならない。誰を中核にするかは、 闘争の中で形成されるものだ。王明・陳独秀等も、自分を中核とすることを強調したが、結果的には、かれらはいずれも失敗したではないか。
浙江省での談話
南萍[浙江軍区政治委員、一九六八年三月、浙江省革命委員会主任] ――われわれのところでは、懲罰のため人をひざまずかせたり、三角帽子をかぶせたりなどする現象がまだあります。
主席――私は、これまで、このようなやり方には反対してきた。幹部を遇するのに地主と同じように扱ってはならない。われわれには立派な伝統がある。すなわち、団結―――批判―――団結である。幹部に対しては「一を分けて二とし」なければならない。
江西省での談話
程世清〔江西軍区政治委員、一九六八年一月、江西省革命委員会主任]————(武器受け渡し情況を総合的に報告する)
主席――これらの鉄砲は誰が支給したのかね。両側〔地方の軍・政府指導者のうちの文革促進派と反対派]が支給したのだと私は思う。どちらからの支給が多いのかね。 程世清——軍分区[省に「軍区」、その下に「軍分区」がある〕や人民武装部が保守派に支給したのが多い。
主席――ほお!
(撫州問題を話した時に)
主席――撫州市の問題は研究してみる必要がある。なぜ、彼らはこんなに大胆なのだろう。彼らは、いつも、会議を開いて、情勢について研究し、人びとに、全国と世界の情勢が彼らにとって有利だと信じさせ、そうしてはじめて、 このようなことをするのだ。彼らの情勢についての評価は不正確であると、私は思う。
(撫州で、ある派が九つの県を支配するにいたったことに話が及んだとき)
主席――この点から考えると、彼らは勢力を拡大し、南昌を攻撃しようと考えている。これはどういう性質の問題なのかね。
程世清――中央の指示の精神によれば、それは軍事反乱です。
主席――君たちはそうきめたのかね。
程世清――きめました。
主席――承認されたのかね。
程世清――総理が承認されました。
主席――そうか! 性質は叛乱であり、総襲撃だ。中国には内戦はないというものがいるが、私はこれこそ内戦だと思う。外戦ではない。「武闘」〔武装闘争〕であって、「文闘」〔言論による闘争〕ではない。贛州市、吉安市、宜春などの地方では、まだ農民の管理が行われており、一つの生産隊から一人がひきぬかれ、一つの大隊から十数人がひきぬかれ、強制的なやり方がとられている。労働点数がつけられており、一日六○銭 [○・六元]とされている。〔こうして〕現在、農村が都市を包囲しているが、これは、いけないことだと思う。
(江西問題の処理についての中央の決定に話がおよんださい)
主席――やはり、教育することからはじめるべきだと思う。悪質な人間は概して少数である。人民武装部は概して、 良い人間が多い。軍分区では沢山の人が、だまされた。もし、誤りをおかした人がいれば、その人にその誤りを正す機会を与えてやらねばならない。
造反派の大衆については、よくよく説得しなければならず、打撃を加えたり報復したりしないようにしなければならない。人を殺すことは、どうしてもよくないことだ。人が君を殺すのもよくなければ、君が他の人を殺すのもよくない。説得し、教育しなければならない。打撃を加えたり報復したり、人をひざまずかせたり、高い三角帽子をかぶせたり、罪状をかいた札を[首に〕かけさせたり、さらにジェット式にしめあげたりするのは、よいことではない。 (『文匯報』がよい論文をのせており、影響が非常に大きいことに話がおよんださい)
張春橋――他の人びとは、われわれが右翼化したといって、われわれの右翼化に反対しています。 主席、それは、左派を教育する問題であり、右翼化の問題ではない。たとえば、かつて、いくつかのお山❲根拠地〕があった。江西省には中央ソビエト区、湖南・江西ソビエト区、福建・江西ソビエト区、湖南・湖北・江西ソビエト区があり、そのほかに、なお、湖北・河南・安徽ソビエト区があり、広東省南部から陝西省北部にわたっていた。 抗日戦争の際には、根拠地はもっと多くなった。われわれはどの派に属していようと団結せよ、という一つの綱領を用いた。一つのお山だけが必要で、他のお山は必要ないというわけにはいかなかった。ただ一つの派だけで、どうして、やっていけただろうか。
私はやはり、少しでも多くの人を保護し、救ってやれるものはやはり、救おうとする気持に傾いている。われわれが多数を獲得しさえすれば、極く少数のものは、いつまでも、頑固であってもかまわないのだろうか。彼らには飯をあたえておけば、それでよいのだろうか。
私は『火線戦報』〔江西省大中学校紅衛兵司令部発行〕を読んだ。南昌が急を告げているとか、南鋼、廬山が陥落し、白色テロが横行し、宜春が農民に管理されているとか。農村が都市を包囲しているとか〔ということが書かれている❳。六・七・八の三ヵ月間は最も緊迫した。この緊迫した時期に、問題があばき出され、事態がうまく解決されたのだと私は思う。緊迫せずして、どうして事が解決されようか。現在、兵士たちを挑発して長官たちに反対させているものが一部にいる。諸君は毎月六元しかもらえぬのに、上官たちはうんともらっている。その上に、自動車にも乗れる、といっている。農民たちは解放軍[兵士]になりたがっている。解放軍〔兵士〕になることは名誉なことであり、彼らは毎月六元をもらっており、家族には優遇があたえられている。農民たちは、兵士になりたがっている。私の考えでは、彼らは挑発しきれるものではない。(一〇月に全省の造反派の政治工作会議を開く準備をしていることに話がおよんださい)
これはよいことだ。造反派をも教えさとさなければならない。彼らは、腰が落ちつかないのであり、心がそわそわしているのである。
「私は、現在の右派については、そんなに固定的には見ていない。ひとこと教えさとせば、すぐ方向転換するだろう。 悪質な人間は極く少数であり、多数の人びとは認識の問題である。一部には、認識の問題を立場の問題だといいくるめてしまう人もいる。立場の問題ということにすると、すぐ、原則の問題になってしまい、一生、解放されて立ちあがること〔原文「翻身」」ができなくなる。まさか、立場の問題は改めることができないというわけではあるまい。
大多数の人びとについて言えば、立場は変えることができるものであるが、極く少数の悪質な人間には変わることができないのである。要するに、打撃面は縮小し、左右ならびに中間をも含めて、教育面を拡大しなければならない。 左派は教育しなければ、極左にかわるだろう。
湖南での談話
(大連合に話がおよんださい)
みんなが自己批判をしなければならず、人の欠点をとりあげるのは少なくしなければならず、矛先を相手方に向けてはならない。かつて、われわれが経験したことであるが、かつての、軍隊と地方〔ここの「地方」は「中央」に比べての「地方」ではなく、解放前の主として「軍隊」を除く、すべての党、非党組織、地方政府、大衆組織などを広くふくめた概念であり、軍隊以外をすべて包括している〕との関係で、軍隊は「擁政愛民」「軍隊が政府を擁護し、 人民を愛すること」を打ち出し、地方は「擁軍優属」〔地方が軍隊を擁護し軍人家族を優遇すること」を打ち出し、 軍隊が率先して自己批判を行ったので、両方の関係が非常にうまく行った。
二つの派はともに労働者であり、一方は造反派であり、他方は保守派である。保守派の上部に、かれらをだますものがいるのである。だまされている群衆に対しては、圧迫を加えてはならないのである。圧迫を加えれば、加えるはど、反抗するのである。われわれ〔中国共産党❳だって蔣介石が圧迫を加えたために成長してきたのである。大革命後には、われわれは、数万人しかいなかったが、蔣介石がわれわれを圧迫したので、われわれには希望がわいてきた。 一回の圧迫で、三〇万人の紅軍と三〇万人の党員が出てきたのである。
湖北での談話
(幹部の解放の問題に話がおよんださい)
私個人としては、五回にわたって、他の人から押しのけられたことがあったが、後には、また私にもどってきて欲しいと要請された。だから、大衆の指導者は自ら自認してその地位につくべきものではなく、大衆的な闘争のなかから成長するものである。長征とは何であろうか。長征とは戦いのなかから出てきたものであり、やむなく出てきたものである。長征後は、❲党や軍の〕質が高まった。つまり、現在のこれらの幹部のなかで、誰が戦場で傷を受けなかったのだろうか。革命の中で誤りを犯さなかったのだろうか。民主主義革命においては、やはり少なからぬ功をたてたものの、文化大革命において誤りを犯したという人もいるが、改めさえすれば、それでよいのである。古参幹部も、 戦争がおこり、私の命令が下るや、戦場に出かけて、大変勇敢に戦ったのである。すべてのものを疑い、すべてのものを打倒することはできないのである。すべてのものを疑い、すべてのものを打倒することはよくないことであり、革命事業にとって不利なことである。
私自身の経験してきたことからいうと、中国のこれまでの何回かの革命で、本当に期待をかけることができるのは、 問題をよく考える人びとであり、でしゃばる人びとではない。現在大ゲンカをしたり、大さわぎをしたりしている人たちは、きっと歴史の上ではバッと現われ、たちまち消えていく人物である。
河南での談話
毛主席――君が紀登奎かね。古くからの友人だね。
劉建勲[河南軍区第一政治委員、一九六八年一月、河南省革命委員会主任]———四ヵ月閉じ込められ、四ヵ月闘争にかけられました。
毛主席——(紀登奎〔河南省委員会侯補書記、一九六八年一月、河南省革命委員会副主任]に)君は、役に立つことは、いささかもないと言ったのかね。
紀登奎――大いに役立つところがあります。
毛主席――あれは文敏生 [河南省委員会書記処書記兼河南省長〕、趙文甫、何運洪[河南省軍区第二政治委員〕らがやったことだ。この前、途中、鄭州に立寄ったとき、私は、「大局はすでに決まった。「二七」「河南二七公社とよばれた造反派の組織] は必ず勝利する! という大きな標語を見たことがある。河南の情勢は大変すばらしいようだね。
劉建勲(幹部の情況を総合的に報告した)
毛主席――何運洪はなんてすごい男だ! 何運洪は非常にいいことをやった。
(軍内部の情況に話がおよんださい)
毛主席――軍内部の一つまみのものをつかまえろというスローガンがうち出されてまだそんなに経っていないが、 現在ではもうあまり偉力がなくなった。彼らは軍を守ろうとしない。ひとたび軍を擁護すれば、すぐ闘う相手がなくなるからだろう。
北京に帰る途中の列車内での談話
(鉄道系統の三派が列車内で行った大連合についての協議がととのい、毛主席にその喜びの報告をした)諸君にお祝いを言おう。諸君に「闘私批修」(私心とたたかい、修正主義を批判しよう)という四つの文字を送ろう。




