第三次五ヵ年計画についての講話 (一九六四年六月六日)
〔訳注〕 第二次五ヵ年計画は、一九六二年に終了し、本来なら一九六三年から第三次五ヵ年計画が始まっているはずであった。しかし、一九六三年一一月一六日から一二月三日にかけて開かれた第二期全国人民代表大会第四回会議のプレス・ コミュニケは、この点については、何ら触れなかった。自然災害、ソ連の専門家の引きあげなどが、国民経済発展の当初の計画に混乱をもたらしたためであろう。
一九六四年一二月二二、二二日、周恩来は、第三期全国人民代表大会第一回会議で、政治報告を行ったが、その中で、一九六六年度から第三次五ヵ年計画に入る予定で、一九六五年はそのための準備をととのえる年とすることを明らかにした。しかし、同計画の内容、規模については言及しなかった。
計画を制定する方法は、以前は、基本的には、ソ連に学んだものだ。比較的やりやすいのは、まず、どれだけの粗鋼を生産するかをきめ、その上で、これを拠り所にして、石炭がいくら、電力がいくら、輸送力がいくらいるか等々を計算し、これらを拠り所にして、さらに、どれだけの都市人口を増やすか、生活福祉にどれだけ支出するかを計算するもので、計算機をまわすというやり方である。
粗鋼の生産量を減らすと、他のものも、一律に、それにつれて、削減される。こうしたやり方は実情に合わないやり方であり、うまくいかない。このような計算ではお天道さまを計画にもりこめない。天災になると、こまったことに、ごっそりと、食糧生産が減ってしまう。都市人口はそんなに増やせなくなる。その他の計画もすべて宙に浮いてしまう。
戦争も計画にははいらない。われわれはアメリカの参謀総長ではない。だから、かれがいつ戦争をはじめるかを知らない。さらに、各国の革命の問題も計画にはもりこみにくい。ある国に人民革命が成功すると、われわれの経済援助が必要になるが、どうしてこれをあらかじめ計画にもりこむことができようか。
計画のたて方を改めなければならない。これは一つの革命である。ソ連のやり方を学んで以後、それが慣習の力になってしまって、改めるのが大変むずかしくなったように見える。
この数年間、いろいろ模索した末、われわれはいくらかのやり方を編みだした。われわれの方針は、農業を基礎とし、工業を導き手とすることになった。この方針によると、計画を制定するさいには、まず、どれだけの食糧が生産できるかを見、さらに、どれだけの肥料・農薬・機械・鉄鋼・・・・が必要かを見るのである。
年々の作柄をどう計画に織りこむのか。五年のうち、一年は豊作、二年は平年作、他の二年は不作として、計画をきめるのである。このようにすれば、比較的に確実で、信頼のおけるものとなろう。まず、このようにして生産できる食糧・棉花・その他の経済作物〔の生産量〕を基礎として、どれだけの工業がやれるかを確定するのである。もし、 作柄がよければ、一層うまくいくのである。
さらに、戦争のことも考慮にいれねばならない。戦略配置がきめられていなければならぬ。各地の党委員会が武のことは取りあわず、文のことにばかり頭をつっこんでいたり、鉄砲のことは取りあわず、銭かねのことにばかり頭をつっこんでいるのではいけない。帝国主義が存在するかぎり、戦争の危険は存在する。戦略的後方を樹立しなければならない。・・・・・・沿海地方ではその必要はないというのではない。沿海地方も十分に按配しなければならず、新基地建設支援の役割を発揮させなければならない。
二つのこぶしと一つの尻〔の問題〕。農業は一つのこぶしであり、国防がもう一つのこぶしであり、こぶしに力を入れるためには、尻がすわっていなければならない。尻とは基礎工業のことである。
基礎工業では、いまは主として品種の問題、質の問題を解決することだ。昨年の粗鋼の生産量は以前よりも減ったが、品種は以前よりも多くなったし、品質も以前よりはよくなり、用途は以前に比べて広くなった。鍵は量にあるのではないのだ。
ソ連は量を標準にしているので、もし、粗鋼の量的指標が達成されなければ、まるで、社会主義建設全体が駄目なように思ってしまう。かれらは毎年生産の量的指標をふやし、毎年、虚勢を張っているのだ。だが、実のところ、数量計画が完成しなくたって、国家が崩壊するようなことはないのだ。一定の量が増えれば、品種は一層多くなり、品質も一層よくなるのであり、基礎も一層固まるのである。
農業は主として大寨精神に頼り、自力でたち上がることである。これは工業の支援がなくてよいということではない。水利・化学肥料・農薬はいずれも基礎工業を必要としているのである。
われわれが掌握している客観的な釣り合い関係に応じて、計画を按配しなければならぬ。
計画は加減・乗除だけにたよってはならない。計算ができても、各部門・各地区が(それぞれ分担する〕数字を争い、労働力の取り合い、かねの取り合いとなり、訴訟沙汰・・・・・・にもなる。政治に統率させ、大局的な観点に立たなければならず、どの地区も自己の願望にもとづくものはなく、客観的な存在、事物そのものの法則にもとづいて、計画を按配しなければならない。
いつもいつも、かねの取り合いをしていてはいけない。かねをせしめると、やたらに浪費してしまう。周信芳〔京劇俳優〕の一ヵ月の給料は千七百元であるが、芝居にはほとんど出演せず、香港に貯金をしている。年若い俳優の中には「十年の計画」をたてて、周信芳に追いつこうとしている者もいる。
・・・・・・ブルジョア知識分子に対しては、[党の〕政策にしたがって、必要な場合には、買収してもかまわない。〔しかし]、プロレタリア知識分子に対して、なぜ、 買収が必要なのか。かねが増えれば、必ず、自分を腐らせてしまい、家族やその周囲の人びとを腐らせてしまう。・・・ ・・・ソ連の高給取り階層はまず文芸界からあらわれたのだ。
数年のうちに、もう食糧を輸入しなくてすむよう努力し、外貨を節約して、技術設備や技術資料・・・・・・をもっと多く買い入れることである。
かねを乱費してはならぬ。情況が好転したのを見て、また気ままに「大きくやろう」としてはいけない。「余地を残す」問題は、これまで、何度も話したが、そのとおりにはやられなかった。この二年間は、そのとおりにやられたが、情況が好転しても、また再びそれをやめないようにしよう。
機関工作要員は、大部分、自分の時間の半分を機関で働き、半分を肉体労働にあてることができる。このやり方は提唱するに値する。なまけることは修正主義が生まれる根源の一つである。
文芸界はなぜあんなに沢山の協会を北京におくのだろうか。何もすることがないか、またはでたらめなことをやっているかだ。文芸の競演では軍隊が第一位、地方が第二位であり、北京(中央)がやったのがもっともまずかった。
あれやこれやの協会をたてるというやり方もソ連からもちこんできたものである。中央の文芸諸団体はやはり外国かぶれの連中、時代おくれの連中が支配しているのである。・・・・・・どうしても生活に深く根を下ろさなければならない。 いつまでも、時代おくれのものや外国ものをやっては、われわれの国家は滅びてしまうだろう。労働者や貧農・下層中農のために奉仕しなければならぬ。体育も革命闘争や建設に有益なものでなければならない。
一般幹部のうちでは「三つの門」をくぐった幹部が非常に多い。(家の門を出て、学校の門を通り、機関の門に入った者)。「三つの門」は幹部を立派に養成することができない。国家が将来こうした幹部に掌握されるのは危険である。「小学の門、中学の門、大学の門」出身の幹部にたよるのもよくない。
本を読まないのはよくないが、本を読みすぎるのもよくない。能力はたんに読書だけに頼ったのでは駄目で、実践にたよらなければならない。われわれの国家は主として実践のなかで読書し〔て成長し]た幹部に頼ることだ。
各省はいずれも軍事工業をおこさなければならない。工業・農業・文化教育からかねをひねり出さなければならない。そんなに沢山の正規の学校をつくる必要はない。清華大学では、学生は一万人あまりだが、教職員はその家族をふくめて、四万余人にのぼっている。こんなふうでは、指導精神は大きな浪費になるだろう。
アカデミー会員・博士は必ずしもつくらなくてもよい。




