新段階を論ず 中共六期拡大六中全会における政治報告 一章から三章(一九三八年一〇月二二日―一四日)
注:民族戦争における共産党の地位については、毛沢東選集に収録されているので割愛した。
「論新階段――抗日民族戰爭與抗日民族統一戰線發展的新階段」(『解放』第五七期 一九三八年一一月二五日刊 四―三七ページ)
[編注] 中共拡大六中全会における毛沢東の報告。現行『毛沢東選集』第二巻には、本資料のごく一部(「七、民族革命戦争における中国共産党の地位」)が収録されているのみであり、しかも収録に際してかなり手が加えられている。 胡華主編『中国革命史講義』によれば、抗日戦争期でもっとも重要な党中央会議である拡大六中全会は、一九三八年一〇月に延安で開かれ、中央委員三八名と全国各地の指導的幹部多数が参加、陳紹禹らの「階級投降主義」を批判し、統一戦線における共産党の「独立・自主」の原則を確認し、「毛沢東を指導者とする党中央政治局の路線を批准した」という(三八二―三八八ページ)。
正確な会期は明らかにされていないが、大会諸決議の日付などから見て、一一月六日閉会はほぼまちがいない。開会の時期は、本報告が一つの目安になるが、九月二八日説もある(郭華倫『中共史論』第三冊、四〇一ページ)。六中全会関係の資料としては、本資料のほか、毛沢東の結語の一部(資料27)、本報告にもとづく決議(資料28)、七全大会召集についての決議(資料29)、「政府委員長電」、「致東北義勇軍及全體同胞書」、「致八路軍新四軍電」、「致日本共産黨電」、「致西班牙共産黨中央電」、「致各國共産黨電」などがある。以上は当時公開されたもの(『解放』第五七期は所収)。当時非公開とされ、今日も原典を入手することはできないが、台湾で公表され、中国側の物件によってもその存在を確認できるものに、「關於各級黨委暫行組織機構的決定」、「關於各級黨部工作規則與紀律的決定」がある(郭華倫、前掲書三八〇―三八五ページに収録)。原文をいかなる形でも知ることのできないものが、毛沢東の「結語」であり、その一部が「統一戰線的獨立自主問題」、「戰爭和戰略問題」と題して『毛沢東選集』に収められている。
なお、六中全会および本報告の評価については、徳田教之「中国共産党における毛沢東の権威について II」(『アジア研究』第一一巻第九号)、中西功「中国革命と毛沢東思想」など参照。
――抗日民族戦争と抗日民族統一戦線発展の新段階―― 同志諸君。私は、中央政治局を代表して、拡大六中全会〔第六回中央委員会拡大全体会議――訳注〕に報告する。私が述べようとしているのはどんなことか。私が述べようとすることは、いくつかの部分に分かれている。 (一)五中全会から六中全会へ、 (二)抗戦一五ヵ月の総括、 (三)抗日民族戦争と抗日民族統一戦線発展の新段階、 (四)全民族の対面する緊急任務、 (五)長期の戦争と長期の合作、 (六)中国の反侵略戦争と世界の反ファッショ運動、 (七)民族戦争における中国共産党の地位、 (八)党の第七回全国代表大会。私が述べようとするのは、これらの問題である。
同志諸君。全国が砲火につつまれ、全世界的な戦争の危機が切迫している環境のなかで、われわれの拡大六中全会を開くのである。われわれは、どんな仕事をしなければならないのか。われわれの目的はどこにあるのか。われわれは、なんとしても全中国のすべての愛国諸党派、すべての愛国同胞と永遠に団結し、新しい困難を克服し、新しい勢力を動員して、当面は、敵の進攻をくいとめ、将来は、こちらから反攻を行なって日本帝国主義を駆逐し、三民主義共和国を樹立する、という目的を達成しなければならない。われわれは、なんとしても自由にならなければならず、なんとしても勝利しなければならない――これがわれわれの目的であり、これがつまり、私の報告の全般的な方向でもある。
一 五中全会から六中全会へ
(一)拡大六中全会の召集わが党の中央全体会議は、一九三四年一月に江西で第五回中央全体会議を開いてからはぼ五年になる。各中央委員が国内の外の各種の異なった環境のなかに分散して工作していたために、われわれは一堂に会することができなかった。今回は、数名を除くすべての同志を除いて、中央委員の圧倒的多数が集まったし、そのうえ、全国各地で指導工作に従事している多くの同志が集まったことによってわれわれの今度の中央全体会議は、第六回全国代表大会以来もっとも多数の人びとが集まった会議となった。もともと、第七回全国代表大会は今年中に召集される予定であったが、戦争が緊迫したために、第七回大会を来年まで延期せざるを得なくなった。ところで、当面の時局は、抗戦の勝利をかちとるために、明確に解決しなければならない幾多の問題をわれわれに提起している。このため、今回の拡大中央委員会を召集したのである。
(二)五中全会から六中全会へ五年の相形、わが党は幾多の重要な出来事であった。もっとも大きな、またもっとも重要な出来事は、国内の各党派・各階級が相互対立の局面から抗日民族統一戦線に転換し、国内戦争から抗日戦争に転換したことである。過去における国内戦争形成の原因は、一九二七年に不幸にして国共両党の統一戦線が分裂したことにあるが、これは当時の歴史的環境がつくりだしたものであった。では、抗日民族統一戦線の政策は、どのようにして形成されたのであろうか。それこそ新しい歴史的環境によるものである。どんな人にもきわめて明白なように、九・一八事変このかた、中華民族の敵――日本帝国主義――は、東四省侵略という第一のステップを経て、全中国への侵略を準備し実行する第二のステップにすすんだ。こうした空前の歴史的出来事のために、国内状況にも、国際状況にも変化が生じた。まず第一に、国内の各階層・各党派・各集団間の相互関係が変化したし、また変化しつつあると同時に、国際間の相互関係も変化したし、また変化しつつある。それゆえに、わが党は、こうした空前の歴史的出来事にもとづき、新しい国内・国際諸関係にもとづいて、はやくも一九三三年にはすでにとりはじめた新しい政治的立場(三つの条件のもとで、われわれと協力することを望む国民党内のいかなる部分とも、抗日作戦協定を結ぶ)の道にそって、それを抗日民族統一戦線の新政策にまで高めたのであり、それゆえに、一九三五年八月の宣言、〔同年〕一二月の決議、一九三六年八月の国民党への書簡、〔同年〕九月の民主共和国についての決議〔など〕を発表し、かつそれらにもとづいてわれわれは、その年の一二月に起こった西安事変では、平和的解決の方針を堅持することができたのであり、一九三七年二月には、国民党三中全会に、団結抗日の具体的提案をおくったのである。
昨年五月には、臨時的な代表大会を召集し(ソヴェト区域代表大会と呼ばれ、当時のソヴェト区域、非ソヴェト区域および紅軍の代表が参加した)、「抗日民族統一戦線の現段階における任務」を採択し、紅軍の国民革命軍への編成替えの実施、ソヴェトの民主制度への改革の実施を承認した。このようにして事実上、国内戦争の状態から抗日民族統一戦線樹立開始の新しい時期に転じた。その頃、中国国民党もしだいにその政策を変えていき、しだいに団結抗日の立場に転じていった。もしも、国民党の政策転換がなかったならば、抗日民族統一戦線樹立することは不可能だったであろう。その頃、救国団体が多くの地方で組織され、他の諸党派も抗日の要求を掲げるにいたった。国共両党の政策の転換により、蒋介石先生の指導により、全国国民の擁護により、他の諸集団や他の諸党派の協力によって、全中国を滅ぼそうとする日本帝国主義の侵略のステップは、かつてなかったほどの全民族的な反抗にであった。
昨年七月七日の蘆溝橋事変発生ののち、全中国では、民族の指導者であり最高の統帥者である蒋委員長の統一的指導の下で、神聖な正義の砲声が放たれ、全中国には空前の抗日の大団結が形成され、偉大な抗日民族統一戦線が形成された。蘆溝橋事変発生の翌月、すなわち昨年八月、わが党は抗日救国十大綱領を公表した。同時に、八路軍では編成替えが完成し、戦うために華北に向かって発進した。〔同年〕九月二二日、わが党は、三民主義を基礎とし、国民党と誠心誠意団結し、ともに国難に赴くことを声明する宣言を公然と発表した。その翌日、国民党・国民政府および国民革命軍の最高の指導者蒋介石先生は、共産党の合法的存在を承認するとともに、これと団結して国を救うという談話を発表した。国共両党を基礎とする抗日民族統一戦線が、このとき以降、完全に樹立されたのである。一二月には、わが党は真の、抗日民族統一戦線を強化し発展させるために、国民党と協力して日本に抗戦するばかりでなく、共同して建国することをも望む旨の宣言を発表した。この後また間もなく、南方の紅軍遊撃隊が国民革命軍新編第四軍に編成替えされ、戦いのために江南に発進した。これ以後、抗日と団結が日ごとに進展したのである。
同志諸君。かようにして両党は、一〇年間にわたる戦争から両党のあらたな合作に転ずるとともに、きわめて困難な諸条件の下で、こうした転換を行ない、両党間の長期合作の基礎をすえたのであるが、それは多くの迂余曲折を経てようやく完成されたのである。しかしながら、中央と全党の努力によって、それは完成されることになったのであり、コミンテルンは、わが党のこの新しい政治路線に完全に同意しているし(コミンテルンの決定、九月八日付『新華日常』また中華民族の勝利のために、全世界各国の共産党とプロレタリアートに、中国の抗日戦争を援助するよう呼びかけているのである。
同志諸君。もしも国民両党を基礎とする抗日民族統一戦線が発起されず、うちたてられず、堅持されていなかったとすれば、このような偉大な抗日民族革命戦争が起こり、持続され、勝利をおさめることは不可能だったであろう。いまは、全中国・全世界の人びとはみな、中華民族が起き上がったこと、百年このかた、他国から虐げられ、侮辱され、侵略され、圧迫され、とりわけ九・一八事変以来のあのうたたえがたい奴隷的地位が改まったことを、はっきりと知ったのである。全中国人が武器をとって、民族自衛戦争の戦場に赴いたのであり、全中国の最後の勝利、すなわち中華民族の自由・解放の曙光がすでに現われたのである。
われわれは、今日のわれわれのこの偉大な民族戦争が中国の過去のすべての歴史的時代の戦争とは異なったものであることを知っている。というのは、この戦争が中華民族を半植民地状態から、亡国滅種危険から解放するための戦争だからであり、そのうえ、この戦争が中華民族の歴史においてもっとも進歩的な時期に遂行されているからであり、同時にまた、われわれの敵・日本帝国主義が、みずから死をもとめて崩壊に向かい進つつある時期に遂行されているからであり、同時にまた、全世界の先進的な人類が、まさにかつてなかったほど広範な、またかつてなかったほど深刻な闘争力をもって、世界の輝かしい前途をかちとるために、独・日・伊といったファシストの魔王たちに抵抗し、これにうち勝とうと身構えている時期に遂行されているからである。
このような三側面の諸要因の結合――中国の進歩、ならびにひきつづく進歩をおもな基礎とする三側面の結合――が、われわれの抗日戦争がかならず最後には勝利をおさめることができ、自由な、解放された新中国がかならず東アジアに出現するであろうし、また未来の輝く世界で中国がきわめて重要な構成部分となるであろうことを保証しているのである。このような中国は、四億五〇〇〇万の中国人に幸福をもたらすだけでなく、全人類にも幸福をもたらすであろう。
(三)六中全会の任務
抗日戦争が一つの新しい発展段階にはいろうとする重要な転換点で、今回の拡大六中全会が開かれた。拡大六中全会は重大な歴史的任務を担っている。 まったくたしかに、抗日戦争は一年余にわたって英雄的に闘われ、全国が偉大な進歩を遂げ、日本帝国主義に重大な打撃を与えた。多くの土地を失ったとはいえ、同時に非常に多くの勝利が得られた。これは否定しようのない事実である。戦争が発展していくのは、主として中国がひきつづき進歩するためであり、同時に日本の困難が増大するにつれて、われわれに対する国際的な援助が増強されているからであり、最後の勝利は、敵のものではなくて、かならずわれわれのものである。これも予測することができることである。これまでの偉大な成績と将来の勝利の前途をみようとしないものは、誰であろうと、悲観主義の泥沼に陥って、抜け出すことができないであろう。
しかしながら、単にこの側面をみるだけでは不十分であり、そのほかになお、消極的な側面がある。それはわれわれの前に横たわっている幾多の困難のことである。現在の状況がわれわれに教えているとおり、この一年余の間の中国のあらゆる奮闘・団結・進歩・勝利も、なお敵の前進を阻止することができないでおり、なお敵に反撃を加える力がなく、武漢は現に敵に脅かされている状態にあり、敵はさらに広州・長沙および西北に向かって進攻しようとしている。このため、全国人民は、共産党が見解を発表することを望んでおり、新しい環境が多くの問題を提起している。同志諸君。われわれは、見解を発表しなければならず、問題を解決しなければならない。そのとおりだ。わが党はとっくに見解を発表したし、多くの根本問題がやはりとっくに解決されている。とはいえ、新しい環境が、新しい見解を発表し、新しい問題を解決するよう、われわれに要求しているのだ。
新しい問題とは何か。 どのようにして、現在の土台の上で新しい力をふやし、戦争の難関を乗りきり、敵の進攻をくいとめ、わが方の反攻を準備し、日本帝国主義を中国から追い出す目的を達成するのか。これが当面する諸問題の鍵である。この問題は全国の無数の人びとの間で論議され、人びとが焦慮しているところである。われわれはこの問題に答えるべきかどうか。疑いもなく答えるべきである。
この問題が各方面に展開され、多くの問題を起こしている。たとえば、一五ヵ月の抗戦の経験は結局、何を証明したのか、一五ヵ月の経験は、抗戦が長期的であることを証明したのか、それとも短期的であることかを証明したのか。戦略方針は、持久によって敵にうちかつことなのか、それとも速決によって敵にうちかつことなのか。最後の勝利は中国のものなのか、それとも妥協に活路があるのか。抗戦に活路があるのか、それとも妥協に活路があるのか。もし戦争が長期的であるとすれば、どんな方法によって長期の戦争をささえ、また最後の勝利をかちとるのか。これらのあらゆことに明確な解答を与えるだけの根拠が、一五ヵ月の経験のなかに見出せるのかどうか。また、これらの過去の土台に拠製すれば、抗戦の新しい段階でも、新しい困難を克服し、新しい勝利をかちとるための積極的な役割を果たすことができるのかどうか。これらはいずれも重要な問題であり、関連する問題である。
また、たとえば抗日戦争全体はどのように発展し変化するのであろうか。いわゆる新段階とは結局、どんな性質の段階なのか。かりに武漢が守れなかったとしたら、戦争はどのような趨勢をたどるだろうか。今後の全国の努力の方向、すなわち全中華民族の当面の緊急任務は何であろか。戦争の難関を乗り切るどんな方法があるのであるか。これはより重要な問題であり、これもまた関連する問題である。
また、たとえば国共合作の前途や展望はどうなるであろうか。共産党には長期合作を語るどんな根拠があるのであるか。共産党には、両党の関係を改善するどんなやり方があるのであるか。協力して抗戦するだけでなく、協力して建国するというが、一体どんな国家を樹立するのか。三民主義と共産主義の関係はどうなるのか。これもまた非常に重要であり、これは一連の問題である。
また、たとえば世界の風雲は急を告げているが、その趨勢はどうなのか。中国の抗日戦争と世界のファッショ運動とはどのような利害関係をもっているのであろうか。これもまた関連する問題である。
そのほかになお、民族戦争における中国共産党の地位いかん〔という問題〕がある。共産党員が党の政治的主張のために闘う際には、その工作態度はどうあるべきであろうか。共産党には、他の党と協力し、人民と結びつき、苦難な時局を勝利の方向に向かわせるにはどんなよりよい方法があるのであるか。共産党内部の関係はどうなのであるか。全党を結集し、抗日戦争のなかで、とくに当面の時局のなかで、全党にその大きな役割を果たすようにするどのような方法があるのであるか。共産党の第七回代表大会は、一体どのようなものになるであろうか。これもまた重要な問題であり、これもまた関連する問題である。
これらのあらゆ問題は、いずれも党の内外においてさし迫って解決を要求されている問題であり、最近数ヵ月来、われわれはこれらの問題に解答することを求める人びとにしばしばであってきた。
同志諸君。わが国は広大であり、複雑であり、この国はいまや強大な帝国主義との決死の闘争のなかにおかれ、この闘争は現在すでに新しい発展段階に近づいている。現在はまさに新しい段階へと発展する過渡期におかれているのである。われわれの拡大六中全会は、こうしたときに開かれたものであり、拡大六中全会の責任は非常に重大であり、われわれは多くの問題を見かしなければならない。
二 抗戦一五ヵ月の総括
(一)一五ヵ月の経験から述べていこう。
一五ヵ月の経験はわれわれに何をえたであろうか。私の考えは、主として次の三側面がある。第一に、抗日戦争が長期的であり、短期的でないこと、したがって抗戦の戦略方針が持久戦であって、速決戦でないことを証明した。第二に、中国の抗戦が最後勝利をおさめることができること、悲観論者には根拠がないことを証明した。第三に、長期戦をもちこたえて、最後の勝利をかちとる唯一の正しい道が、全民を統一し、結集して、極力進歩をはかり、民衆に依拠して困難を克服し、勝利をかちとることであって、それ以外のものでないことを証明した。
(二)抗日戦争は長期的であって短期的でないこと、戦略方針は持久戦であって速決戦でないこと
抗日戦争が始まった頃は、多くの人びとが敵味方の基本的な力関係から出発しないで、若干の一時的・表面的な現象から出発して、戦争は間もなく解決するだろうと想定し、連勝思想にわか充満したのである。ところが、蒋委員長は昨年の双十節に、次のようにはっきり指摘した。すなわち「今度の抗戦は、一年や半年ですむものではなく、非常な苦痛や艱難を経たうえでなければ最後の勝利は得られるものではない」と。われわれは、ずっと以前に、抗日戦争の長期性を指摘し、けっして短期間に解決できるものでないことを指摘しておいた。「戦争の結果として、日本はかならず敗れ、中国はかならず勝利するのである。日本はかならず敗れ、中国はかならず勝利するからう。ただ犠牲は大きく、きわめて苦難な時期を経過しなければならないというだけのことである」(一九三六年七月一六日の毛沢東の「スノーとの談話」)、「この抗戦が苦難な持久戦であることを考えるべきである」(一九三七年八月一五日の、中共中央の「当面的情勢と党的任务についての決定」と。これらのすべてはいずれも抗日戦争が長期的であって短期的でないこと、戦略方針が持久戦であって速決戦でないことを指摘したものであり、抗戦一五ヵ月の経験がその正しさを完全に証明しているのである。
その理由はどこにあるのか。敵が強く、わが方が弱いこと、敵が優勢であり、わが方が劣勢であることが、帝国主義国でであり、わが方が半植民地国であることにある。
われわれは、ずっと前に、日本帝国主義にうちかつには次の三つの条件が必要であることを指摘している。第一は、中国の進歩であり、これは基本的な、主要な〔条件〕である。第二は、日本の困難である。第三は、国際的な援助である。これらの条件が、抗日戦争一五ヵ月の間にどうなったかをみてみよう。一口に答えれば、すでに基礎はできたが、必要な程度からはなおはるかに遠いということである。
第一の条件(敵にうちかつ基本的な主要な条件)である中国の進歩〔の問題〕をとりあげてみよう。この一五ヵ月間には、たしかに一つの基礎はできた。しかし、ひきつづき進歩してこそ、最終的に敵にうちかつことができるのである。いわゆる中国の進歩には、国内の政治・軍事・党活動・民衆運動・文化教育などのあらゆる側面が含まれている。これらの諸鹿児面の進歩は、一五ヵ月来、非常に顕著であった。しかしながら、たんに既存のものがあるだけでは、まだ敵の進攻をくいとめ、わが方からの反攻を実行することはできないのである。
反攻を実行するには準備期間がなければならず、全民族の努力を通じ、わが民族内のあらゆ生き生きとした力を広く深く動員してこそ、はじめて反攻に転じ、敵にうちかつことが可能になるのである。したがって、速決戦には根拠がないのであり、それは敵が強くわが方が弱いという特質を忘れ、敵が優勢でわが方が劣勢であること、敵が帝国主義国でわが方が半植民地国であることを忘れているのである。中国には非常に大きな潜在的力があるのを動員すれば、自己の敗北を勝利に変え、劣勢を優勢に変え、敵味方の関係を根本から変えることが十分にできる。しかしながら、それにはなお今後の努力が必要とされており、既成の事実ではないのである。
第二の条件である日本の困難〔の問題〕をとりあげてみよう。この問題も同じことである。敵は、一五ヵ月の間に、一〇〇万の兵力を動員し、数十万の兵力を死傷させ、数十億を消費した。軍場の士気は日ごとに衰え、財政・経済は日ごとにいきづまり、国際世論はますます非難の声をあげている。これらの点は、すべて日本の野蛮な侵略と中国の英雄的な、勇敢な抗戦が、つくりだした結果である。しかしながら、敵側のこれらの既存の困難も、なおおそれらの進攻を停止させ、われわれの側の反攻を有利にするには十分ではないのであり、なお敵がもっとも大き困難であり、わが方がもっと大きな進歩を遂げるまで待たなければ、反攻して敵に勝利する機会はないのである。したがって、速勝論には、敵側の情勢という面でも根拠がないのである。一五ヵ月の経験がすでにそれを証明したのである。
第三の条件であるわが方に対する国際的な援助という点をとりあげてみよう。いまでもまだ最大の有利な時機には達していない。一五ヵ月来、われわれは国際間で広範な世論の声援をうけており、ソ連およびその他の民主主義国は国際連盟の決議にもとづいて、すでにわれわれに多くの援助を与え、われわれが孤立していないことを証明したのである。しかしながら、われわれは、国際平和戦線の各国にも、それぞれ異なった状況があることに注意しなければならない。資本主義諸国では、人民はわが方を援助しているが、政府はある程度の中立的態度をとっており、そのブルジョアジーは戦争を利用して商売をやり、さらになお大量に武器・弾薬やその製造原料を日本に輸出している。
社会主義国は資本主義諸国と根本から異なっており、中国援助問題でも、すでにそのことが具体的に現われている。しながら、現在では、いまの程度以上の援助を社会主義国が行なうことは、国際情勢が許さないのである。したがってわれわれは、いましばらくは、国際援助にけっして過大な期待をかけてはならない。自力で起き上がる方針を放棄して、主としてその望みを外国からの援助に託するのは、疑いもなく非常な誤りである。一五ヵ月の経験は、主として自力で起き上がる〔方針〕に頼り、同時に外国からの援助の獲得をゆるがせにしないようにすることのみが正しい道であることを証明している。この点では、過去の経験も速勝論を否定しているのである。
要するに、中国側でも、敵側でも、国際面でも、みな同様に、一五ヵ月の経験は、すべて速勝論の主張にいささかも根拠がないことを証明し、逆に、戦争の長期性と苛烈性とをはっきりと示したのである。したがって、われわれの戦略方針はけっして速決戦ではあり得ず、持久戦であるべきである。長期にも持ちこたえて、敵に勝利すること――これが抗日戦争の唯一の正しい方針である。これまで、こうした方針を信じなかったものにも、いまや事実が明白な教訓を与えており、これ以上疑問はないはずである。
これが一五ヵ月の抗戦の第一の総括である。
(三)最後の勝利は中国のものであり、悲観論者にはいささかも根拠がない
抗戦開始前、唯武器論が大いに偏をきかせ、中国の武器は他国に劣っているから戦えばかならず滅亡する、中国はかならずアビシニアになる、と考えていた。抗戦開始後は、こうした議論は表面上にはなくなったが、陰ではなお盛んであった。抗戦がひとつのやま場にさしかかるごとに、こうした議論がかならず風波を起こして、中国は戦争をやめ講和すべきだ、これ以上戦えばかならず滅びると考えた。われわれは、それとは逆である。われわれは、中国の武器はたしかに他国に劣っているが、武器は人の努力によって増強することができるものであり、戦争の勝敗は主として人によって決定され、物によっては決定されないと考えている。持久抗戦という結果は、全民族の努力に依存しているのであり、中国はかならず、次第に自己の弱点を克服し、自己の力を増大させ、受動を能動に変え、劣勢を優勢に変えることができるであろう。同時に、敵側の困難はかならず次第に増大するし、国際面でのわが方に対する援助もかならず増大するであろう。
これらの諸要因を総合すれば、最後にはかならず日本帝国主義にうちかつことができるのである。蒋委員長は、ずっと前に、はっきりと布告している。「すでに戦争が起こった以上、ただ全民族の生命を賭け、最後まで身を犠牲にするだけであり、中途で立ちどまったり、妥協したりする理由はない」(昨年七月の廬山談話)。
「今回の抗戦は、国民革命がかならず通らなければならない過程であり、被侵略民族の侵略者に対する独立と生存のための戦争であり、通常の場合のように、交戦国が伯仲した力をもっているのとは大いに事情を異にしている。したがって、たのみとなるのは武器や軍備ではなくて、剛毅不屈の革命精神と堅強不抜の民族意識である」(昨年一二月の「国民に告げる書」)。中国共産党もまた、とっくに次のように指摘している。「日本は、中国の抗戦によって長期の消耗を強いられ、その経済は崩壊し、その士気は衰えていくでしょう。だが、中国側では、抗戦の潜在力が日一日と奔騰し高揚していくでしょう。あらゆるこれらの諸要因がその他の諸要因と結合すれば、われわれは日本の占領地域に対して、最後の攻撃を行ない、日本の侵略軍を中国から追い出せるようになるでしょう」(毛沢東の「スノーとの談話」)。「われわれは、すでに発動された抗戦がかならずや全国人民の努力で、すべての障害物を粉砕することによって、ひきつづき前進し、発展するものと信ずる。数百万人数十万大衆を真に組織して、抗日民族統一戦線に引き入れさえすれば、抗日戦争が勝利することは疑いないのである」(昨年八月の中国共産党の決定)。
あらゆるこれらの点は、一五ヵ月の経験がすべて証明している。悲観論者または亡国論者の、敵は抵抗できないほど強く、中国は一戦にもたたえない、妥協こそ活路である、等の出たらめな論法がまったく誤りであることは、すでに証明されたのである。
理由はどこにあるのか。敵が強くわが方が弱いという点は、たんに一面の事実にもすぎず、敵にもなお弱点があり、中国にもなお長所があるという点にある。
敵の弱点とは何か。第一に、敵は比較的小国であり、その兵力・財力は不足しており、長期の消耗には耐えられないのである。その兵力が不足しているので、中国の頑強な抵抗を前にして、その兵力を分散・消耗せざるを得ず、全中国を占領するにもしょうがないのである。たとえ、それが占領している地区においてさえ、実際には、大都市・重要道路および一部の平野地帯を占領し得るだけで、その他の地帯は依然として中国のものである。第二に、敵の戦争の性格は帝国主義的なものであり、退歩的なものである。その内部的矛盾によって、敵は侵略戦争を行なうことを余儀なくされ、また異常に野蛮な掠奪政策をとることを余儀なくされている。
このようにして、彼らの戦争は一方では、中華民族全体と絶対的に対立する戦争にかえられてしまっているので、中国のどの階層、どの政党も、団結して断固抗戦せざるを得ないところまで追いやっている。他方では、彼らの自国の人民大衆とも絶対的に対立する戦争にかえられてしまい、日本帝国主義が人力・財力のすべてを挙げて戦争の要求に応えようとする結果、彼らの国内の人民や前線の兵士の間に、しだいに多くの不満がかもし出されるにいたっており、戦争が発展していけば、自国の人民や兵士大衆が断固たる方法で戦争そのものに反対する傾向に追いやられるであろうことは疑いない。これらの点は、すでに一五ヵ月の間に証明しはじめたのである。
この点こそ、敵自身の側に存在する、そして敵をかならず敗北させるもっとも主要な根拠なのである。第三に、まさに敵の戦争の性格が帝国主義的なものであるからこそ、いいかえれば自己の利益のために人を傷つける戦争であるからこそ、彼ら自身、自己と利害の相反するあらゆる国々と対立する地位に立たざるを得ないのである。二、三のファシスト諸国を除いたすべての国々、ことにそれらの国々の人民大衆は、みな日本の侵略戦争には賛成しないのである。このようにして、日本は日ごとにその国際的活動範囲を縮め、ことに孤立した地位に立たざるを得ないことである。この点もまた、すでに一五ヵ月の間に証明されはじめたことである。
このようにして、日本は国が比較的小さくその兵力・財力の不足に影響を及ぼしていること、日本の戦争の退歩性、日本の国際的地位の孤立、この三つが同時に一つのものに結合されて、日本の戦争のなかにある先天的弱点および困難性を形成し、そしてこれらの弱点と困難性がまた日ごとに発展している。これらの点については、亡国論者や悲観主義者はめくらないという点だけしか見ておらず、敵が強くわが方が弱いという点だけしか見ていない。したがって、亡国論や悲観主義は、敵の情勢の面においても、けっして根拠をもたない。それゆえに、彼らの妥協策は亡国政策でしかあり得ない。われわれは最終的勝利者であり、われわれの観点は、敵の情勢の面でも十分な根拠をもっている。一五ヵ月の経験は、すでにそれを証明しはじめているのである。
われわれの長所は何であろう。第一に、われわれが大国であり、土地が広く、物が豊富であり、人も多く、兵も多いことである。敵がわれわれの主な大都市や交通線を占領したとしても、われわれにはなお長期抗戦を遂行し、また最後の勝利をかちとるための根拠とする広大な土地が残っている。たとえ敵が占領している地区においてであろと、われわれにはなお多くの遊撃戦争の根拠地が残っている。これらの特質は、チェコスロヴァキアやベルギーのような小国とは根本的に異なったものである。これがわれわれの第一の特質である。第二に、われわれの今日の抗日戦争は中国の歴史的時代のあらゆる戦争と異なっており、われわれの戦争は民族革命戦争であり、進歩的な戦争である。戦争そのものの性格が進歩的であるだけでなく、行なわれている戦争でもある。二〇世紀の四〇年代の中国は、この戦争ではかつてなかったほどに進歩した土台の上で行なわれている戦争でもある。
二〇世紀の四〇年代の中国は、歴史上のいかなる時期の中国とも異なっており、歴史上のいかなる時期にくらべても異なった進歩的な人民、進歩的な政党、進歩的な軍隊をもっている。こうした土台の上で行なわれる抗日民族革命戦争そのもののうちに、ひきつづき発展し、進歩することのできる偉大な力が含まれている。この点こそ、われわれの側にあって、われわれが長期の戦争をささえ、最後の勝利をかちとることのできる主要な根拠である。一五ヵ月の経験は、からの進歩を土台にして行なわれている、偉大で神聖な民族革命戦争が、すでに中国の進歩をうながしたし、旧い民族的な腐敗した伝統が破壊されつつあり、新しい民族的な進歩的な力が成長しつつあり、一民族全体の統一・団結・進歩・発展の偉大な過程が完成に近づきつつあることを証明している。抗日開始前の中国が抗日開始以後の中国と異なっていることは、眼のある人なら誰でも見ることができるということである。
抗日第一段階(この段階はいまだ終わっていない)の中国は、またその後の抗日段階とは異なるであろうし、またすでに予測ができるのではない。資本主義諸国がいまおく多くの戦争は孤立したものではない。また国際情勢がわれわれと矛盾した政策を保持していようとも、また国際情勢がわれわれに対する各国の援助の程度に一時的に影響する可能性があろうとも、中国の抗日戦争は世界の反ファッショ闘争と不可分に結びついている。日本の侵略戦争に反対しているものは、たんに中国人だけでなく、なおヨーロッパ人、アメリカ人、アフリカ人、オーストラリア人、およびその他のアジア人もある。一五ヵ月来の世界各国の同情と援助は、われわれにこうした確信を与えている。主として自力に依拠して起ち上がると中国は、同時に世界の援助をこれに結びつけることができない、というのは、今日の世界がもはや以前の世界ではなく、世界の先進的な人類がすでに利害関係を同じくする一つのものとなっており、敵がわれわれを孤立に陥れようとする企ては徒労でしかないからである。
このようにして、われわれは大国であり、われわれの戦争は進歩的な戦争でであり、われわれにはまた国際的援助もあり、この三つが同時に一つに結びついている。これらはすべてわれわれにとって有利な条件であり、それらはすでにあるばかりでなく、ますます発展もしている。ここでは、この点が少しも見えないのである。彼らはわれわれが弱国であり、劣勢であり、半植民地であるという点だけしか見ないで、「抗戦すればかならず滅びる」、「これ以上戦えばかならず滅びる」というばからたな説をくどくどとならべてるのであり、そこでのたらずものがこうしたでたら目をよりどころにして、こそりと投降と妥協の陰謀をすすめるのである。われわれはその逆であり、われわれは、一五ヵ月の経験のなかで すでに証明されたものをもにして、全党・全国に対し、わが国とわれわれの戦争がもっている長所と短所、有利な条件と不利な条件を指摘し、また長所と有利な条件が全戦争の中で優勢をしめていることを指摘し、全国が努力・奮闘し、自己の長所を発揮し、自己の有利な条件を増強し、自己の短所と不利な条件を克服し、最後の勝利をかちとるために闘うよう呼びかけなければならない。
最後の勝利は誰のもののか。われわれは確定的に答えるのだ。これを土台にして、われわれの政策をきめるのだ。と。断固として抗戦するのか、それとも動揺し妥協するのか。われわれは確定的に答える。どのような動揺も、妥協も、断じてゆるされない、断固として抗戦することのみが活路なのだ。と。東四省の喪失、オーストリアの滅亡、チェコスロヴァキアの分割は、いずれも抗戦したがためではなかった。これは誰にでも明らかなことである。いまの場合もやはり同様で中国のもつ多くのすぐれた条件の下では、抗戦すればかならず興隆するのであろうが、もし妥協の道をあゆめば滅亡はけがたいであろう。それゆえに、断固として妥協に反対し、全人民を呼び起こし、最後まで奮戦させることこそ、唯一無二の方針である。
要するに、敵が強くわが方が弱いという、この矛盾している関係が、戦争の長期性を規定し、持久戦の戦略方針を規定しているのであり、われわれは速勝論者ではなく、持久することによって敵に勝利することを主張するものである。敵が小さくわが方が大きいこと、敵の戦争が退歩的なものであり、われわれの戦争が進歩的なものでこと、敵の国際的地位が孤立しており、わが方が割合に外国の援助を得やすいこと、これらのいくつかの矛盾している関係が、戦争の最後の勝利が敵のものではなくてわが方のものであること、また戦争の最終勝利がの場所ではないくわが方のものであることを、を規定しているのである。これが一五ヵ月の抗戦経験の第二の総括である。
(四)長期の戦争をもちこたえ、最後の勝利をかちとる唯一の道は、全民族の統一と団結をはかり、極力進歩をもとめ、民衆に依拠することにある
抗日戦争が長期的なものであり、最後の勝利が中国のものであるという二つの基本的問題は、すでに一五ヵ月の抗中の経験のなかで証明されている。しかし、長期の戦争をささえ、最後の勝利をかちとる具体的方策はどうなのか。これまでに、国民の見解は一致していなかった。多くの人びとは、これまで通りにやっていけばよいと考えている。彼らは全国民を結集することに注意せず、軍事・政治・文化・党活動・民衆運動などの各方面の改善に注意せず、それどころか摩擦をひどくし、進歩を妨げさけするのである。われわれは従来、こうした見解には賛成せず、だた全民族の統一と団結をはかり、極力進歩をもとめ、民衆に依拠してのみ、長期の戦争をもちこたえ、最後の勝利をかちとることができるし、そうしなければ、それは不可能だと考えてきた。
中国国民党は、その抗戦建国綱領のなかで、次のようにはっきりとき指摘している。「抗戦にかならず勝利し、建国をかならず達成しようとするには、もちろんわが党の同志たちの努力によらなければならないが、とくに全国人民が力をあわせ、心を一つにして、ともにことにあたるべきである」と。中国共産党も、とくに次のように指摘している。「抗戦期のもっとも中心の任務は、すべての力を動員して、抗戦の勝利をかちとることであり、そして、抗戦の勝利をかちとる中心の鍵は、すでに発動された抗戦を全面的な、全民的な抗戦にまで発展させることであり、こうした全面的な、全民的な抗戦だけが、抗戦に最後の勝利をおさめることができるのである」(昨年八月の中国共産党の決定)と。これらのことがまったしくったことは、一五ヵ月の経験がすでに証明しているのである。
抗戦以来、国内のそれぞれ互いに対立している各階級・各党派・各集団をことごとく結集し、それぞれの異なった区域、異なった軍隊がことごとく国民政府と軍事委員会の指揮のもとに統一されてきた。この統一と団結がなければ、抗戦が一五ヵ月も堅持されることは不可能であったし、また抗戦することによってのみ、各方面を統一し、団結させることができたのである。こうした統一と団結こそが、抗日民族統一戦線なのである。だが、一五ヵ月の経験はまた、われわれに、敵の破壊の謀のひどさと内部的団結の堅さが不十分であることを証明している。抗戦がなぜ非常に多くの挫折をこうむったのか、なぜいまだにいるもお敵の進攻をくいとめわが方の反攻を実行することができないのかについては、客観的原因を除くと、統一戦線の力が不足していること、統一戦線が必要な程度に拡大され、固められていないことがその主要な原因である。このことからわかるように、もっと全民族を統一し団結させ、もっと抗日民族統一戦線を強化し拡大してこそ、長期の戦争をもちこたえ、最後の勝利をかちとることができるのである。
これが第一である。第二に、一五ヵ月の抗戦は、全民族の団結をおしすすめたものの、同時にまた、こうした団結が不十分であったことと民衆運動の各側面の進歩をおしすすめたものの、同時にまた、こうした進歩が不十分であったことをも暴露したのである。長期の戦争をもちこたえ、最後の勝利をかちとるには、全民族のすべての生き生きとした力を動員して、この目的を達成しなければならないず、軍事・政治・文化・党活動・民衆運動などの各分野で極力進歩をもとめるようにしなければならない。各分野における、より大きな進歩なしには、全民族のすべての生き生きとした力を動員することはできないであろうし、もっとすすんで、全民族を統一し、団結させることも、やはりできないであろう。第三に、一五ヵ月の抗戦はまた民衆が抗戦をするたける力の偉大さを証明したが、同時に民衆の力がその当初に動員されただけであり、したがって抗戦は民衆の広範な援助が得られないで、多くの挫折をこうむったことも証明している。
このことから、わが国人民はもっとすすんで、抗戦が民衆に依拠しているというこの基本問題を認識しなければならない、という教訓が得られるのである。民衆に依拠すれば、すべての困難も克服することができ、どんな強敵にもうちかつことができるが、民衆を離れれば、何一つとしてやりとげることはできないであろう。中国的今後の進歩は、民衆の力を動員する面で、なお大いに示されなければならない。
要するに、長期の戦争をもちこたえ、最後の勝利をかちとる唯一の正しい道は、全民族の統一と団結を強化し拡大することにあり、極力進歩をもとめ、全民族の生き生きとした力を動員することにあり、民衆に依拠して困難を克服することにある。これがわれわれの第三の総括である。
同志諸君。抗戦を堅持し、持久戦を堅持し、極力団結と進歩をもとめること――これが一五ヵ月の抗戦的基本的教訓であり、今後の抗戦的全般の方針でもある。われわれと全国〔民〕がこの全般的方針を堅持するとともに、長期の、広範な努力をはらいさえすれば、われわれは敵にうちかつことができる。抗戦はいまや新しい段階へと発展しつつあり、新しい段階には多くの新しい任務が生ずるであろうが、この全般的方針にはかわりはない。一五ヵ月の経験は、われわれが新しい情勢を観察し、新しい任務を提起する基礎となるものである。
三 抗日民族戦争と抗日民族統一戦線発展の新段階
(一)戦争と統一戦線の法則性を研究することは政策決定の基礎である
同志諸君。われわれがこれまでの経験を総括したあとでの重要な問題は、当面的情勢の発展傾向をみることである。抗日戦争と抗日民族統一戦線は、どのようにして過去の土台の上で今後変化し、発展していくのであろうか。これがわれわれのいま答えようとしている問題であり、この点はわれわれが当面の問題を解決するうえで、重要な意義をもっている。というのは、もしも抗日戦争全体の変化・発展の過程について、だいたいの見通しをもっておかないと、われわれは戦争に引きずりまわされ、自分が戦争に縛られてしまって、戦争を自分のコントロールの下におき、これに調整や整理をくわえ、戦争が必要とする諸条件をつくり出し、戦争をわれわれの要求する方向にみちびき、戦争の勝利をかちとることができなくなるであろう。だから、抗日戦争の法則性をつかまなければならず、そうしてはじめてそれに対する戦略的指導を実現し、戦争に奉仕するすべての戦略・戦術・政策・計画・方策がきめることができるのである。抗日民族統一戦線についていっても同様であり、われわれがその法則性を研究し認識してこそ、われわれはじめて統一戦線を有効におしすすめ、これを強化・発展の軌道に乗せて、戦争の勝利のための支柱的役割を果たせることができるのである。
われわれはここで、まず戦争の問題について述べよう。
(二)特定の歴史的条件と主体の能力の優劣が戦争の発展過程を規定する
歴史上の戦争には、一つの段階だけで終わるものがある。たとえば、一九〇五年の日露戦争は、日本軍が進撃し、ロシア軍が敗退しただけで終わってしまった。また、イタリア・アビシニア戦争なども、ただイタリアが進撃しただけで、アビシニア軍がすぐに敗退し、それで終わってしまった。中国の一九二六年に入って始まった北洋軍閥反対の戦争も同様であった。これらはいずれも事情は同じであり、一方では双方の強弱が異なっているから、また他方では双方の指導能力の優劣がくらべものにならなかったことから生じたものである。これらは第一種類の戦争である。第二種類の戦争は、二つの段階で終わりをつけるものである。たとえば、露仏戦争では、ナポレオンが進攻から退却にすすみ、ロシアが退却から反攻にすすんだのであり、双方にはともに二つの段階があった。中国古代の有名な呉と魏の赤壁の役、秦と晋の淝水の役もまたこのとおりであった。
両軍の強弱には相異があったが、弱者が他のすぐれた条件をうまく利用して、正しい指導を与えたために、退却後ただちに反攻に転じ、敵にうちかったのである。しかしこのほかに、なお、第三の種類の戦争がある。たとえば、外国の七年戦争、八年戦争、三十年戦争、百年戦争ないし二〇年前の四年にわたるヨーロッパ大戦(とくに西部戦線に現われた)などには、みな三つの段階がある。Aの方が進撃し、Bの方が退却するのが第一段階であり、双方がい互に相対して〔戦局が〕きまらず、それがいまだ長期にわたる、これが第二段階である。Bの方が反攻し、Bの方が退却するのが第三段階である。中国の歴史にもたくさんこうした種類の戦争があった。こうした種類の戦争の特質は、かなり長い、または非常に長い対時段階があることであり、これはやはり特定の歴史条件や戦争指導集団の特徴によってつくりだされるものである。
中日戦争はどの種類の戦争に属するものであろうか。第三の種類の戦争に属するものだ、と私は考える。これは双方の、異なった歴史的条件と異なる戦争指導集団の特殊な事情によってつくりだされるものである。
(三)中日戦争の長期性は戦争の三つの段階に現われる
中日戦争の長期性は、敵側における進攻・対時・反攻という、こうした三つの段階のうちに現われるであろう。敵が強くわが方が弱い(敵は優勢でわが方は劣勢、敵は帝国主義国でわが方は半植民地国家)ことのために、敵側が進攻し、わが方が防禦するという第一段階が現われた。退却といわないで防禦というのは、戦略的運動防御をあらわすのであり、一度にすっかり退却してしまうことではないのである。だが、敵側では、小国で、退歩的で、〔外国からの〕援助が少なく、わが方では、大国で、進歩的で、勇敢な抗戦という特殊な条件があるために、わが方の英雄的な抗戦という損害をこうむって、一定の時機がくれば、その戦略的進攻をやめ、軍事的には、その占領地を防衛し、政治の上から、経済封鎖の上から、わが方に進攻してくる段階に転ぜざるを得なくなる。この時には、敵は消耗しながらも、急にはまだけ敗転するほどには消耗にいたっておらず、わが方も、断固として抗戦し、また各方面で進仕事を遂げはするが、急速に反攻に転じ、敵を国外に追い出すことができるほどには、いまだ進歩してはいないのである。上述の諸要因によって、双方が相対する第二段階、または中間段階が形成されるのである。
第二段階における敵の困難とわが方の進歩とが、ともに増大し、これがまたわが方に有利で敵側に不利な国際情勢と結合することによって、敵が強くわが方が弱く、敵が優勢でわが方は劣勢であったそれまでの状態をしだいに変えていくことができるで、全局的にみて、日ごとに、敵に不利でわが方に有利な局面にすすみ、まず敵味方〔の力関係〕が均衡するところまですみ、次にふたたび、わが方が優勢で敵が劣勢〔な状態〕に達することができるようになる。その時には、わが方の反攻・敵の退却という第三段階に転ずることができるのである。
上述の三段階による見方法は、敵・味方の、既存のおよび将来起こる可能性のある、双方の対照的な具体的条件にもとづいてみた、戦争の過程全体に対する一つの予測であり、いまだ事実ではなくて、一つのありうべき趨勢である。わが方の主体的努力により、こうしたありうべき趨勢が必要とする諸条件をつくりださなければならず、そうしてこそ、はじめてこうした趨勢を事実に変えることができるのである。ところで、既存の条件に依存し、これに正しい指導と全民族の広範な、持久的な努力を加えることが、こうしたありうべき趨勢を事実にかことを可能にするのである。
(四)速勝論者と亡国論者はともに、こうした予測に反対する
速勝論者は三段階論に反対し、わが方は急速に反攻することができるのであって、一つの中間段階は必要ないと考えいる。こは正しくない。抗日戦争の前には多くの困難が存在しており、これらの困難を克服するには、一定の時間が必要であり、急速な反攻は不可能である。速勝論者が三段階論に反対するのは、一方がで敵の力を過小評価し、他方でまた、自己の力を過大に評価するからである。亡国論者も三段階論に反対し、対時と反抗はともに不可能であり、中国はアビシニアになるだけだ、敵の前の前には暗黒があるだけで、敵が全国を滅ぼすことができ、わが方の抵抗や努力は徒労であり、反攻によって敵にうちかつことなどなおさら問題にならないのである。
したがって、一方では、速勝論に反対しなければならない、また他方では、亡国論にも反対しなければならず、そしてこそはじめてわれわれの三段階論を堅持することができるのである。そして、目下の状況では、亡国論に反対することが速勝論に反対することよりもずっと重要である。そのほか、一部には、口先では持久戦に賛成するが、三段階論には賛成しない人もいる。これも正しくない。いわゆる持久戦、いわゆる持久戦はどういう点に現われるのか。戦争の三段階のなかに現われるのである。もし持久戦または長期戦を認めながら、しかも三段階に賛成しないとしたら、いわゆる持久戦や長期戦はまったく抽象的なものであり、何の内容も現実性もないわけであり、したがって、どんな実際のな戦略指導、どんな実際の抗戦政策をも実現することはできないであろう。実際において、こうした見解はやはり速勝論なのであり、「持久戦」の外衣をまとっているにすぎないのである。
(五)三段階論と国際情勢との関係
張鼓峰〔原文では「張高峯」――訳注〕事件発生の際、国内の一部世論は非常な興味をおぼえ、日ソ戦がもし勃発すれば中国はすぐ反攻に転ずることができ、持久戦は必要なくなると考えた。こうした観点に立てば、三段階論はもちろん成立し得ず、われわれの予測は誤っていたことになる。これは外国の援助に主に取りする思想であり、速勝思想の一種である。ところが、国際情勢はこれらの友人たちの主観的願望にしたがって発展するものではなく、自分自身の法則にしたがって発展するその主な重心はヨーロッパにあり、東洋はそれをとりまいている重要な一部分である。
世界の主な平和戦線の諸国と主なファシスト諸国とは、いままさに、ヨーロッパの戦争の危機のために、西洋でごたごたしており、大国間の戦争の前夜にあるにせよ、戦争が勃発するにせよ、西洋の大小各国はヨーロッパ問題の解決を議事日程の第一位におくのであり、東洋は暫時、第二義的な地位におかれざるを得ないのである。こうした状況から中日戦争をみれば、急速に反攻するという二段階論にはやはり理由がないのであり、われわれは自力で起ち上がるを主にしなければならず、われわれは三段階を恐れないだけでなく、まさに三段階をつくりだすもしなければならない。三段階は中日戦争の法則であり、敵・味方の力関係にその根拠があるだけでなく、国際情勢にもその根拠があるのである。
(六)対時段階は戦争のかなめである
三段階の主要的特質は、一つの過渡的な中間段階を含んでいることにある。すなわち、第一に、わが方の抗戦はあらゆる努力をかたむけて敵の進攻をおしとめどめなければならないのであり、仮に敵の進攻が一定の時間や一定の地域内でしどめられないとすれば、性格の異なる三つの段階というものはめられないとすれば、性格の異なる三つの段階というものはなくなるのである。第二に、対時段階が生まれた場合には、あらゆる努力をかたむけてわが方の反攻に必要な条件を準備しなければならず、もしそうしないならば、反攻の段階に移行することができないで、いつまでも対時しているだけであり、やはり三段階というものはなくなるのである。ここでわれわれは、速勝論者に対してきっぱりといおう。すなわち、一つの準備段階を経なければならず、そうしてこそはじめて全国〔民〕を結集し、困難を克服し、新しい力を成長させることができるのであり、同時に、これらの敵の困難、国際的援助と結びつけてうえで反攻を実行し、敵を国外に追い出すのであり、そうしなければ、それは不可能なのである。と、主として、自力に依拠して敵にうちかつ観点から問題を見れば、不可避的にこの結論が引き出されるだろう、と。
亡国論者と悲観主義者に対しては、われわれはきっぱりとこういおう。すなわち、この過渡的段階こそは戦争のかなめなのである。中国を植民地にかえるか、それとも解放をかちとるかは、第一段階における主要な大都市や交通線の喪失によってきまるのであって、第二段階における全民間の努力の程度によってきまるのである。二段階における大都市や交通線の喪失は残念なことであり、敵の力を増大させ、自己の力を減少させることではない。しかしながら、敵を制するうえのもとでがまだたくさん残されているから、宝物を失ったことにため息をつくのは無益である。第一段階で確保しておいた領土や種々の人的戦力、とくにすでにかちとった軍事・政治・文化・党活動・民衆運動などの各分野での進歩はもっとも貴重なものであり、これは第二段階で進歩をつづけ、反攻を準備する土台である。しかしながら、これはたんに進歩をつづけ、反攻を準備する土台にすぎず、やはり反攻を決定づけることはできない。反攻を決定づけるものは、第二段階で増大してきた力なのであり、新たに生まれてきた偉大な力の増大がないならば、反攻も空虚な叫びにすぎないのである。
(七)三段階の特質――第一段階
抗日戦争の三段階の特質で、すでに現われているものや、
まだ現われてはいないが予測することができるものについて、概略的に指摘し、説明する必要がある。それは戦争を指導し、政策を決定するのに重要な関係がある。 第一段階には、どのような特質または重要な指標があるのであるか。 次のような三つの側面がある。 第一に、中国側では――民族統一戦線の形成、全国的な軍隊の参戦、抗戦の果敢さ、国民党の抗日建国綱領の公布、国民参政会の開催、共産党およびその他の諸党派の合法的地位の獲得、遊撃戦争の創造、全国軍隊の進歩、民衆運動の発展など。これらはすべて中国側の進歩を示す大きな出来事である。だが同時に、逆にまた多くの不利な出来事や好ましくない現象がある。たとえば、主要大都市・交通線および主要工業椅の喪失、土地と人口の喪失、全国的な進歩の不均等(一部の地方では進歩が非常に緩慢である)、政治制度が一般的にはまだ民主化しはじめたばかりであること、頑迷分子や腐敗現象の存在、妥協的な傾向の醸成などである。
第二に、敵側では――軍力・財力の消耗、国際世論の非難、士気の衰えて、軍隊の戦闘力の相対的弱化、国内人心ならびに前線兵規の頽廃、軍隊の戦闘力の相対的弱化、国内人心ならびに前線兵規の頽廃、軍隊の戦闘力の相対的弱化、国内人心ならびに前線兵規の類廃、軍隊の戦闘力の相対的弱化、国内人心ならびに前線兵士の間における不満の醸成、張鼓峯戦争の失敗、漢奸軍の組織難およびすでに組織された漢奸軍の無能ぶりなど。これらはすべてその困難さをあらわす大きな出来事である。だが同時に、逆にまたその能力をあらわすものもある。すなわち、進攻の果敢さ、軍力の増強、占領地の拡大、政治・組織力の強靭さ、陰謀機関の強力さなどである。
第三、国際面では――中国支援増大の力の成長およびその中国に対する援助。これはすべて中国に有利なものである。しかしなお、別に次のようなものもある。すなわち、ヨーロッパ大戦の醸成、イギリス・日本との間のある程度の妥協傾向、敵に対する各国の武器・弾薬やその原料の援助。これらはすべて中国に不利なものである。
以上の中国、日本および国際面でのそれぞれの多くの事後はすべて抗日第一段階、一五ヵ月の間に現われた特質であり、これらの特質はそれぞれ新しい段階にその影響をおよぼすであろう。
(六)第二段階
武漢が陥落すると仮定した場合には、戦争の情勢にまた多くの新しいものが出現するのである。たとえ敵が武漢を占領しても、それはけっして旧い段階の終結、新段階の開始と同じではないけれども、敵がまだ進攻をつづけることのできる現在から、敵がその進攻の余儀なくされるまでのこの段階は、もとの段階から新しい段階にすすむ一つの過渡期間である。そうは言っても、武漢の陥落が事実となったのちには、多くの新しい状況が生まれるであろう。
武漢陥落ののち、および新段階の大部分の期間に予測できる基本的状況としては、一画面では、より一層困難が加わるが、また他の一面では、より一層進歩するであろう。これが新段階における基本特質である。
より一層の困難が次の各方面に現われるであろう。
(1) 主な大都市と交通線の喪失によって、国家政権と作戦陣地が地域的に敵から分断される。このために、多くの新しい問題が生まれるであろう。(2) 財政・経済の異常な困難、(3) イギリスと日本の間のある程度の妥協傾向(あるいは逆に、日本が南洋の本格を固執し、南洋を脅かすという条件の下では、イギリスと日本の間により一歩すすんだ衝突の可能性がある)、(4) もし敵が広州を攻めれば、中国の主要な海上交通が切断されるおそれがあり、国際援助は一時的に、弱まるであろう、(5) 全面的な傀儡政権が形成される可能性およびそれの抗日陣営に対する影響、(6) 抗日陣営における部分的裏切りの可能性、妥協的空気の増大、(7) 悲観的な気分の生長、意見のくいちがい現象の増大など、これらはいずれも起こる可能性のある、抗日戦争自体に加わる新しい困難な諸事項である。これらの困難を予測してこそ、十分準備し、計画して、これを克服するのに役立つのである。
より一層の進歩が、次のような各方面に現われるであろう。
(1) 蒋委員長と国民党の抗戦堅持の方針、およびその政治上のより一層の進歩、(2) 国共関係の改善、抗日民族統一戦線の強化・拡大、(3) 軍隊改造工作の進歩、(4) 遊撃戦争の広範な発展、(5) 国家の民主化の進展、(6) 民衆運動のより一層大きな発展、(7) 新しい戦時財政・経済政策の実施、(8) 抗戦文化・教育の向上、(9) ソ連からの援助の継続と増大の可能性、および中ソ関係のより一層の親密化、など。
第二段階全体、すなわち対時段階は、中国が反攻を準備する段階である。その期間の長短は敵味方の力の程度の向上および国際環境いかんによって決まる。しかし、われわれは長期戦にそなえるべきであり、この段階の苦難な行程を耐えぬけば、平坦な勝利の大道が到来するのである。
第二段階では、敵・味方は、戦略上では、相対対峙しているが、なお広範な戦争が行なわれている。それは主として、主力軍が正面で防禦し、広範な遊撃戦争は敵の後方に展開されるという点に現われる。その時には、遊撃戦争が多くの重要な地区で、きわめて苦難な戦争に変わるであろう。いまは、こうした苦難に対処する用意をととのえるべきである。
(九)第三段階
具体的な状況は予測できない。しかしその時には、わが方の反攻条件はすでに準備され終わっており、同時に敵の困難さの程度が大いに加わり、国際情勢はまた大いにわが方に有利になっていよう。そのときには、戦争の情勢は戦略的防禦または戦略的対時ではなくて、戦略的反攻である。すなわち、戦略的内線〔作戦〕ではなくて、戦略的外線〔作戦〕である。そのときには、国内政治では大きな進歩がなければならず、軍事面では新式技術がなければならない。そうできなければ、反攻は不可能である。
(一〇) 武漢の防衛は時間をかせぐ問題であって、死守の問題ではない
武漢の防衛闘争の目的は、一面では敵を消耗させることであり、他の一面では、わが方の全国的工作の進歩に役立てるよう時間をかせぐことであって、拠点を死守することではない。戦況がわが方に不利で、放棄した方がむしろ有利になることが証明されるにいたった場合には、そのものを放棄して軍力を保存するのが原則であり、したがって大きな不利な決戦は避けなければならない。戦略的決戦は、第一、第二の段階ではともに行なうべきではなく、それはともに抗戦の堅持と反攻の準備を妨げることになり、したがってそれは避けるべきである。戦略的決戦を避けて、極力有利な条件の下で戦術的決戦と戦闘的決戦を行なうことが持久戦の方針の一つである。必要な時機と一定の条件の下で、これ以上死守することのできない都市を放棄することは、たんに強いられた、やむを得ないことだというだけでなく、敵を深く誘いこみ、敵を分散させ、消耗させ、疲労させる積極的な政策でもある。抗戦を堅持し、妥協や投降はしないという大前提のもとで、必要な時機に、あるいぐるかの拠点を放棄することは、持久戦の方針においては許されることであるし、またそれに驚く必要はないのである。
(一一)現在から対時段階に移行するまで
敵の進攻をくいとめることこそ、わが方の反攻準備に有利なのであるが、この目的を達するにはなお大きな努力が必要である。それゆえに、現在から、敵がやむなくその戦略的進攻を停止し、その占領地の防衛に転じ、全体として敵味方が対峙した段階が出現するまでの時期も、やはり一つの闘争過程であり、多くの困難を克服しなければそこに達することはできないであろう。というのは、武漢を占領したのちも、敵はなおただちにその進攻をやめることはなく、かならずや西安・宜昌・長沙・衡州・梧州・北海・南昌・汕頭・福州などの都市およびその付近の地区に進撃しようとするだろうからである。わが方が敵の進攻をくいとめようとするには、なお敵のこうした企図に対して、ひきつづき戦略的運動防御を行ない、最大の努力をして持続的な戦闘を行ない、さらに大量に敵を消耗させ、しかも敵に手のうちを見せず、敵が進攻を停止するほかはないよにしむけ、戦局を敵味方の対峙する有利な局面に移行させなければならないのである。
(一二)だが対時の局面はもうすぐくる
敵の武漢占領後には、敵の兵力不足と兵力分散の弱点がより一層露呈されよう。敵がさらに西安・宜昌・長沙・南昌・梧州・福州などの都市に進撃し、またこれを占領しようと企図するならば、その兵力不足と兵力分散の弱点が敵に与えるきわめて大きな困難は、かならず敵の進攻段階において高度に達するであろう。これこそ、わが正面主力軍の頑強な抵抗と敵の後方の巨大な領土内でのわが遊撃戦争の脅威が、敵の兵力不足(敵には兵力が十分になることはない)と兵力分散(敵は兵力を分散させざるを得ない)の現象に与える最大の困難である。この情勢――敵側における兵力不足と兵力分散、わが方における正面防禦と敵の後方における脅威――が敵の絶大な劣勢、わが方における絶大な優勢を示すものである。もちろん、敵味方の力関係からいえば、敵が強くわが方は弱い、敵が優勢でわが方が劣勢であるという基本情勢はけっして変化しておらず、これは長期の対時段階内で、わが方が全民族の絶大な努力を傾け、また国外的諸条件をこれに結びつけることによって、はじめて変化させることができるのである。しかしながら、敵は武漢進攻の戦闘のなかで、すでにその強い力を一層強く発揮させた。
こうした強い力のより一層強い発揮は、一方では、もとよりわれわれに損失を与えることになったが、同時に敵自身にも困難を与えることになった。というのは、敵の強い力(それは同時に、その不足した、分散した力なのである)がより一層強く発揮されたのちには、その気力はいきおい衰退してしまい、その戦略的進攻全体をその頂点にまで近づけてしまわざるを得ないからである。われわれは、敵の進攻はなお一陣の余力を残していることを認めるし、またこの余力がなお相当大きく、したがって、敵が西安・宜昌・長沙・南昌・梧州・福州などの都市およびその付近の地区を攻略する可能性はなお十分にあるし、そのほかに、粤漢鉄道全線や西蘭公路に向かって進攻する準備さえしようとしていると評価しておくことがもっともよいことだし、また妥当でもある。しかしながら、これは敵の全体的な力からすれば、ほんの余力でしかないであろう。
日本の国力全体からいえば、彼らは北ではソ連を防がなければならず、東ではアメリカを防がなければならず、南では英・仏に対抗しなければならず、国内では人民を弾圧しなければならないが、彼らはあの程度の力しかくてもおらず、中国方面に使用可能なものはほぼ使いきっている。そのうえ、その正面〔戦場〕および占領地内で対処しなければならない広範な戦争はなお依然として存在しており、日ソ、日米、日英、日仏の間の矛盾は増大しつつあり、前線での上官と兵士との矛盾、大量の支出と財政枯渇の矛盾が深まりつつあり、これはすべて敵が眉をひそめざるを得ないのである。
われわれおよび全国人民は、これらの点をみてとらなければならず、主要大都市や交通線の喪失に驚かされてはらず、政府をたすけて、全国の作戦を調整し、粤漢鉄道・隴海鉄道・西蘭公路およびその他の戦略地区の作戦を計画的に配置し、邸大な敵後方地区の遊撃戦争を配置し、敵の兵力不足と兵力分散の弱点をとらえ、敵により多くの消耗を強い、より大きな分散を促し、戦争を成功裡に、確定的に、敵味方の対峙する新段階に転入させなければならない。これが全国の当面する緊急任務である。
(一三) 敵の力は漸次減少し、わが方の力は漸次増大している
敵は力を増大させでたろうか? 敵がもとからいていた力についていえば、なんら増大していない。それどころか力は大いに減少している。敵がもとからいていた軍力や経済力は大いに消耗した。一五ヵ月の戦争で、敵の軍力は数十万人の死傷者を出し、大量的武器・弾薬および軍用資材を消耗した。この消耗は日本の歴史にかつてなかったことである。しかがむなくその戦略的進攻を停止するまでには、敵はなお大量の力を消耗しなければならない。この点は、敵の盟友ヒトラーがずっと前から大いに憂慮している。それなら、敵には少しの力の増大もなかったのか。増大はしている。それはつまり、中国の主要大都市と交通線および一部の農村に対する占領であり、各国の掌中および中国民族資本の掌中から市場を奪い、中国の掌中から資源と生産用具を奪い、多くの人力を奪ったことである。これらが日本の戦争の唯一の目的なのであり、日本は一時的にこれらのものをふやしたのである。
ところで、問題はこれらのものがこれまでの戦争の消耗を償い得るかどうかということである。答は、償えない、である。消耗された戦争「投資」はすでに全て消耗されてしまったのであり、日本が償いをとうとするには、さらに新しい生産投資を行なう必要がある。問題はまた次の点にある。すなわち、日本が生産投資を行なう能力がないことはさておき、たとえ日本にその能力があるとか定しても、日本はその戦争の消耗を償うことができるだろうかという点である。それもできないのである。なぜなら、依然として広大な戦争が存続するし、依然として、今後も、依然として広大な戦争が存続するし、広大な敵後の遊撃戦日消耗しなければならないからである。広大な敵後の遊撃戦争が存在する限り、たとえ現在の華北の遊撃戦争がその例だが、日本が償いを得ることははなはだ困難なのである。たえずの無い戦争によって、日本はたんに旧い部分の償いを得ることができないだけでなく、さらに新しいものをも支出しなければならないのであり、われわれの抗戦が堅持される限り、日本のこの憐れな運命はだいたいいにおいてきまってしまっているのである。
われわれが日本は第二の戦略段階、すなわち対時段階で、しだいに強から弱に変わり、優勢から劣勢に変わるだろうというのは、こうした消耗の継続が決定的な一面をなしているのである。次に、中国側に移ろう。中国の力は、結局減少したのだろうか、それとも増大したのだろうか。減少したのは在来の力の質と量であり、これは軍場の兵員と武器の消耗、人口・工業・土地および資源の損失などの面に現われている。これはわれわれが困難を感じる重要な一面である。しかし、増大したものがないわけではない。増大したのは新しい質と量であり、それは全国の団結、軍場の進歩、政治の進歩、文化の進歩、人民の自覚度、および組織度の向上、に現われている。主力軍は後退したが、遊撃戦争は前進した。一部の地方は損失をこうむったが、他の一部の方は進歩した。
問題は、増大の程度が今日でもなお不十分であり、今日でもなお十分に敵の進攻をくいとめるにいたっておらず、今後はなおさらがた方の反攻を行なううえで不十分であり、このため広範な、持久的な努力によって、新しい力をふやさなければならないという問題が生まれている。そして、こうした〔力〕をふやす問題、すなわち全民族の各階層における生き生きとした力のより大きな動員と党・政・府・軍隊・人民の各方面におけるより大きな進歩〔の問題〕は、今後の広範な持久的な努力にもとづけば、完全に出可能なのである。主として自分の生みだし育てた力に依拠し、さらにこれに敵の困難の加重、わが方に対する国際的援助の増強を結びつければ、敵味方の全情勢を変化させ、敵が優勢でわが方が劣勢であるという現在の情勢から、まず敵と味方が均衡した状態にすすみ、さらにわが方が優勢で敵が劣勢である状態にすすむことができるのであり、これが長期の対時段階のなかで解決しなければならない、また解決することのできる根本問題である。
(一四)敵が都市に拠りわが方が農村に拠っているから戦争は長期的なのであるが、農村は最終的に都市にうちかつことができる
そこで、問題は、敵が中国の主要な大都市や交通線を占領したのち、敵が都市に拠ってわが方に対抗し、わが方が農村に拠って敵に対抗するにあたって、農村は都市にうちかつことができるのか、ということである。答えは、困難はあるが、できるということである。抗日戦争の長期性は、たんに敵が帝国主義国であり、わが方が半植民地国であるからだけでなく、この帝国主義がさらにわが方の都市を占拠しており、わが方が農村に退いて敵に対抗していることによっても、長期性が生まれているのであり、速勝論はここではいささかも根拠がないのである。
しかしながら、今日の中国の都市と農村の問題は、資本主義外国での都市と農村の問題とは、性質上のちがいがある。資本主義国では、都市は、実質的にも、形式的にも、農村を支配している。都市という頭が切断されると、農村という四肢は生存できないのである。英・米・仏・独・日・伊などの諸国で、長期の反都市的な農村の農民戦争をもこたえることができるなどは想像できないのである。半植民地の小国でも、それは不可能である。中国のような半植民地的大国でも、数十年前には、やはり非常に困難であった。中国のような半植民地的大国では、今日ではむしろ、そうした可能性が生まれている。ここで明らかなことは、三位一体的な三つの条件である。
第一は、半植民地という条件である。半植民地では、都市は指導的性質をもってはいるが、完全に農村を支配することはできない。というのは、都市があまりに小さく、農村があまりにも大きく、広大な人力・物力が農村にあって、都市にないからである。第二は、大国という条件である。一部を失っても、なお他の一部がある。敵が少ない兵力で大国に攻めても、なおわが方が頑強に抵抗すれば、敵は兵力不足と兵力分数の困難を余儀なくされ、かくしてわれわれには敵が占領しようにもしようのない全体の抗日根拠地、すなわち大後方、たとえば雲南・貴州・四川などが与えられるだけでなく、敵の後方においても、敵が完全に占領しようにもしうのない広大な遊撃活動の基盤、たとえば華北・華中・華南などの地が与えられるのである。第三は、今日という条件である。もし数十年前仁、中国がある強大な帝国主義に占領されていたとすれば、たとえばイギリスがインドを占領していたように、その時には、国の滅亡をまぬがれなかったのであろう。
今日では、新しい政党・軍隊・人民がいる。これが敵にうちかつ基本的な力である。その次には、敵が退歩しており、日本帝国主義の社会・経済的発展過程がすでに老衰の限界に達しており、日本帝国主義の発達が自己を墓場に送り込むことのできる条件をつくりだしたし、またつくりだしつつある。さらにその次には、国際情勢が変化し、旧い世界が死滅に近づき、新しい世界がすでに曙光をみせている。こうした道理については、私は「持久戦を論ず」のなかで、すでに詳しく述べてい要するに、今日の半植民地大国、たとえば中国では、われわれが持久的な、長期的な、広大な戦争を組織して、都市を占領している敵に反対し、大牙交錯した戦争によって都市を包囲し、都市を孤立させ、長期戦争のなかからしだいに自己の力を生長させ、敵味方の情勢を変えさせ、さらにこれに世界の変動を結びつければ、敵を追い出して都市をとりもどすことができる多くの優れた条件が存在しているのである。
農村が都市に反対することが、今日の中国においても困難なことは、いささかも疑いがない。なぜなら、都市は、一般に集中的で、農村は、一般に分散的であり、敵がわが方の主要な大都市と交通線を占領したのちには、わが方の行政区域と作戦陣地は、地域的に分断され、われわれに多くの困難を与えるからであり、これが抗日戦争の長期性と苛烈性を規定しているのである。だが、われわれがいいたいのは、農村が都市にうちかつことができるのは、上述の三位一体の諸条件があるからなのだ、ということである。内戦という条件の下では、なお小部分の農村が都市に反対する長期の戦争を行なっていたその時には、なお帝国主義各国が一一致して反共を行なっていたその時においてであって。〔それなのに〕民族戦争という条件の下で、しかも帝国主義陣営が分裂している時に、中国が絶大な部分の農村によって、長期の戦争をもこたえて、都市の敵に対抗することなどできない、といったい誰が得るであろうか。
何の意味もなく、もちこたえられるのだ。そのうえ、いわゆる農村は、内戦時代の農村と大いに異なっており、たに地域が広いだけでなく、雲南・貴州・四川などの省の大後方には、なお多くの都市や多くの工業があり、それはなお外国とも連絡がとれるし、建設することもできる。大後方のお外国との遊撃戦争の根拠地の設立に依拠して、長期にわたってわが方の力を蓄え、敵の力を弱め、それに将来の国際的な有利な条件を結びければ、反攻を行ない、都市を奪回することができる。蒋委員長は、昨年一二月の「国民に告げる書」のなかで指摘している。「中国的持久抗戦の最後の勝利の中心は、たんに南京にあるのでもなければ、まして各大都市にあるのでもなくて、実に全国農村および広範な強固な民心にかかっているのである」と。これはまったく正しいことであり、戦争は困難ではあるが、勝利の見通しはあるのである。
(一五)妥協の危機は重大であるが、克服はできる
われわれはずっと前にこう言った。すなわち、恐日病にかかっている一部の人びとは、政府の抗戦の決意を動揺させようと企図しており、いわゆる和平・妥協を主張しており、それに以前には、南京陥落後に現われたが、いままた動きだす気配がみえており、これは抗日陣営内への敵の陰謀の反映である。こうした危機の存在は重大であり、国民人は十分に注意し、親日派にその悪だくみを売りさばかせてはならない。親日派の親日派にその悪だくみとは一致しており、必然的に反蔣・反共にかざると敵の企図とは一致しており、必然的に反蔣・反共に集中される。
もし、その悪だくみが売りさばかれたとすれば、抗戦の前途は大問題になる。したがって、全国上下は、敵の陰謀と内部離間のおそるべきことを自覚し、自らすすんで自覚的に、こうした陰謀に反対するよう努力し、片時といえども、その努力をゆるめてはならない。こうした危機は克服できるから。国共両党およびすべての愛国の志士が一致団結するとともに、必要な努力をはらったうえで、「さらに」妥協の危機を克服し、敵の悪事に加担する妖怪変化を駆除して抗戦を維持することは、絶対に必要ばかりでなく、完全にも可能でもある。なぜなら、親日派は結局大した勢力はもっておらず、抗日派の勢力が親日派より大きいからである。
(一六)対時段階における遊撃戦争の新しい形勢
新段階において、正面の防衛にあたるのは主力軍であるが、敵後方の遊撃戦争が一時的に主要な形勢となるであろう。だが、敵後方の遊撃戦争は敵味方の対峙する新段階では、一種の新しい形勢となって発展していくであろう。遊撃戦争の新しい形勢とは何であろう。それは、第一に、広大な地域内で、遊撃戦争が依然として広範囲に発展し得ることである。これは、わが方においては土地が広大であるが、敵側としては兵力が不足し、兵力が分散しており、わが方が遊撃戦争の方針を堅持し、発展させるとともに、これを正しく指導していくことができさえすれば、敵がわが方の発展を根本的に制限することは不可能だからである。だが第二には、あるいはいくつかの重要な戦地区、たとえば華北や長江下流一帯では、いきおい敵の苛烈な進攻をこうむり、平野地帯では大兵団の保存が困難になり、山地が主要な根拠地となるであろう。一部の地区の遊撃戦争がその数を一時的に縮小することもあり得るので、いまからの情勢の到来にそなえるべきである。現在では、正面主力軍の戦闘に呼応するため、新段階への転入にそなえるため、敵後方の遊撃戦争をだいたいにおいて二種類の地区に分けるべきである。
その一つは華北のような遊撃戦争が十分に発展した地区であり、〔そこでの〕主要な方針はすでに樹立された基礎をかため、〔そこでの〕主要な方針はすでに樹立された基礎をかため、根拠地を堅持め、新段階において敵の苛烈な進攻にうちかち、根拠地を堅持することができるようそなえることである。もう一つは、華中一帯のように、遊撃戦争がまだ十分に発展していないか、またはいま発展しはじめた地区であり、〔そこでの〕主要な方針は、遊撃戦争を急いで発展させることによって、敵がその部隊をひき返してきた際、遊撃戦争の発展が困難に陥るのを防ぐことである。将来においては、正面の防禦に協力し、主力軍に休息と整理の機会を得させるために、また力を成長させて戦略的反攻にそなえるために、あらゆる努力をはらって、根拠地防衛の遊撃戦争を堅持するよう努力し、長期にこれを堅持するなかで、遊撃部隊を生き生きとした軍隊にまで鍛えあげ、敵を阻止し、正面に協力するようにしなければならない。
一般にいって、新段階では、敵後方の遊撃戦争は、前の段階にくらべてずっと困難が多いので、われわれはこうした困難を前もって見てとり、こうした困難を認め、前段階の発展が容易だったからといって、それでのぼせあがるようなことがあってはならない。なら、敵は必ず進攻の鋒先を遊撃戦争に向けてくるだろうから。しかしながら、〔遊撃戦争は〕堅持することができるのであり、敵後方で工作するすべての指導的な人びとは、このような自信をもっていなければならない。なぜなら、民族戦争における遊撃戦争は、敵がいかに強くとも、内戦の時期にくらべてより多くのすぐれた条件をもっているからである。この場合、傀儡軍の獲得と瓦解によって、日本侵略者を孤立させることが非常に重要な任務である。
(一七) 抗日戦争発展の新段階は同時に抗日民族統一戦線発展の新段階である
以上に述べたことは、すべて抗日戦争の情勢の問題であった。以下、抗日民族統一戦線の諸情勢に移ろう。 抗日戦争が一つの新しい段階に発展したときは、同時に抗日民族統一戦線が一つの新しい段階に発展した時である。新段階では、以前よりずっと多くの困難にであうであろうから、抗日民族統一戦線もこうした状況に応じて、困難に向かって闘争するとともに、どのような困難とも闘ってこれにうちかつ偉力を表わさなければならない。現在の過渡期および将来の新段階に達した時に、中国抗日民族統一戦線が困難に対してその無能ぶりを示すようなことなく、困難を克服する偉力をそなえていることを示すために、真剣に統一戦線を固め、これを拡大しなけれならない。長期の戦争は、長期の統一戦線があってこそはじめてもこたえることができるのであり、戦争の長期性と統一戦線の一戦線とは分けられないものなものである。
(一八) 国民党には輝かしい前途がある
抗日民族統一戦線は国共両党を基礎としており、両党のうちでは、国民党を第一の大きい党としている。抗戦の発動と堅持は、国民党を除外してはとうとう考えられないことである。国民党はその輝かしい歴史をもっている。それは主として、清朝を倒し、〔中華〕民国を樹立し、袁世凱に反対し、連ソ・連共・労農〔援助〕の政策を樹立し、民国一五一年〔一九二六一七年〕の大革命を行なったことであることが、今日ではまた、偉大な抗日戦争を指導していることなどである。それは三民主義の歴史的伝統をもち、孫中山先生と蒋介石先生という前後二人の偉大な指導者をもち、衷心から国を愛する広範な党員を擁している。あらゆるところの点は国民が軽視してはならない点であり、これらはすべて中国の歴史的发展の結果である。
抗日戦争の遂行と抗日民族統一戦線の構成において、国民党は指導的ならびに基幹的地位にある。一五ヵ月末、全国の各抗日諸派はいずれも進歩をとげ、国民党の進歩にも顕著なものがある。それは臨時代表大会を召集し、抗戦建国綱領を公布し、国民参政会を召集し、三民主義青年団を組織しはじめ、各党各派の合法的存在と共同の抗日建国を認め、またある程度の民主的権利、軍事上ならびに政治機構上の若干の改革、抗日の諸要求に照応した外交政策の樹立などを実施した。これらいずれも、歴史的意義をもつ大きな出来事であった。抗戦を堅持し、統一戦線を堅持することを大前提とする限り、国民党の前途は輝かしいものであることを予言することができる。
ところが、今日でもなお国民党について、正しくない見方をしているものが少なくからずいる。彼らは国民党の前途に対して、懐疑的である。彼らが国民党に対して疑いを抱いている問題とは、〔国民党が〕抗戦をつづけることができるかどうか、進歩をつづけることができるかどうか、抗日建国の民族盟盟となることができるかどうかという問題であり、この三つの問題は互いに不可分に結びついている。われわれの見解はどうか。われわれは、国民党には輝かしい前途があると考えており、さまざまな主観的・客観的諸条件にもとづけば、国民党は抗戦をつづけ、進歩をつづけ、抗日建国の民族連盟となることができると考えている。
敵の進攻の果敢性、中国の各階層に対する敵の重大な打撃と掠奪、全国軍隊の敵に対する憤怒と抗戦の勇敢さ、全国人民の抗日運動の昂揚、国際的に有利な情勢などによって、全中国と国民党の政治的方向が基本的に決定されている。第一に、国民党、共産党、その他の抗日的諸政党・諸団体をも含めて、いずれの諸党派も抗戦をつづけずにはいられないのであり、抗戦をつづけないものには、漢奸となる道があるだけで、それ以外にどんな活路もないのである。第二に、いずれの党派も、抗戦をつづけようとする限り進歩しつづけざるを得ないのである。なるほど、国内政治の進歩は急速でも、普遍的でもなく、そのため戦争の損失を招いている。だが、それが損失であるからこそ、今後は、政治・軍事・文化・党活動・民衆運動の面で進歩をはかって、敵に抵抗し、失った土地を回復できるようにしなければならないのである。
このため、権力の座にある国民党にしろ、その他の諸党派にしろ、すべてが進歩しつづけないわけにはいかないのである。第三に、国内進歩の重要な一環は、国民党の組織形態の民主化ということであり、国民党自体を抗日建国の民族連盟たらしめ、抗日民族統一戦線の最良の組織形態たらしめることである。このような可能性はあるだろうか。私の考えでは、やはりある。抗日戦争の大勢のおもむくところ、国民党がもしも広範な民衆にその門戸を開き全国の愛国諸党派と愛国の同志を偉大な組織のなかに受けいれないならば、抗戦をつづけ、敵にうちかつ苦難な任務をひきうけることは不可能であろう。国民党はその五十余年の歴史において、大きな革命闘争にくずわしたときには、いつでも一般にそれ自体を革命的な民族連盟に変えたが、そのうち、もっとも顕著で、もっとも歴史的意味があった場合が二回ある。その第一回は同盟会の結成から辛亥革命までであり、孫中山先生は、清朝に反対し、「中華」民国を樹立する目的のために、すべての反満的な革命諸党派(光復会から哥老会まで)と提携した。
この期間における国民党員には英雄的な闘争の事績が充満し、ますます積極的となり、新興の気にあふれるようになり、これによって辛亥革命の成功をかち得たのである。第二回目は民国一三年から一六年までであり、反帝反軍閥の目的のために、対内的には、労働者・農民ならびに共産党と提携し、対外的には、社会主義のソ連邦と提携して、有名な「三大政策」をうちたてた。これがために、黄埔軍官学校が創設され、党の軍隊が設置され、北伐戦争の勝利が勝ちとられるにいたった。などのあらゆる点は、国民党の統一戦線政策の発展を示しているだけでなく、三民主義の発展をも示している。
今日は、国民党がその歴史上、三たび革命的民族連盟に変わるべき時機であり、日本帝国主義に反対し、三民主義共和国を樹立するためには、やはり自分自身を抗日建国のための民族連盟に変えなければならないし、また変えることができるのである。この偉大な運動はすでに始まっており、共産党その他の諸党派の合法的存在を認め、八路軍の国民革命軍系列への加入を認め、抗戦建国綱領において、はっきりと「抗戦の必勝・建国の必成をもとめるには、もとよりわが党の同志の努力によるものであるが、とくに全国人民が力をあわせ、志を同じくして、共同して担わなければならない」と声明したし、また国民参政会を召集し、三民主義青年団を組織したことは、いずれも国民党自身を抗日建国の民族連盟に変えはじめたことを示している。
現在の問題は、共産党が国民党のこの組織拡大運動に対してどのような態度をとるのか、賛成するのか、それとも反対するのかということである。われわれは言う。われわれはどんな時にも、国民党が自分を革命的民族連盟にまで発展させることに賛成するものである。民国一三年の国民党の再組織の際には、われわれはこれを賛助する政策をとった。いわんや今日、民族的危機がきわめて重大なこの時にあたって、われわれは全力を挙げてこれを賛助するであろう。その理由は、抗日の友軍は大きければ大きいほどよく、たんに共産党が発展し、進歩するだけでは、日本帝国主義を撃退するに不十分だからである。第二党の地位におかれている中国共産党は、各党・各派・各界・各軍の統一戦線の発起者となり、またこれを堅持するとともに、自己の組織においても、広範な革命の同志に門戸を開くことによって、抗日の勝利のために闘っているのである。
だが、もしも第一党の地位にある国民党が依然としてこれまでのような旧い状態を保持するならば、それは抗戦にとっても、統一戦線にとっても、ともにきわめて不利であろう。抗戦は勝利することができず、全民族は危険に陥り、共産党とプロレタリアートもこうした危険から抜けだすことができないであろう。だから共産党は、国民党がその組織を拡大し、強化し、党内民主化を実施するとともに、それ自身を革命的な民族連盟に変えることによって、抗戦の継続と最後の勝利の獲得に役立てようとすることに、たんに反対しないばかりでなく、むしろ大いに希望し、断固として賛成するのである。
(十九) だが国民党の前途にはなお障害物があり、その克服に努力してこそ発展することができる
国民党の輝かしい前途は存在するし、その進歩と発展は可能であり、蒋介石先生および国民党〔員〕の大多数は国民党が前進するよう指導し、推進している。ところで、誰にでも明白なように、国民党内にはなお一部の保守分子があり、国民党の進歩の速度と程度を妨げている。などの分子が存在し、また社会における多くの保守分子と結びついているために、民族革命戦争の巨大な流れの中に一つの逆流がうまれ、進歩という舟に頑強に抵抗し、国の民主化をかなり強力に妨げ、抗戦のために必要なすべての進歩的な事業の進行を妨げ、蒋介石先生が宣言・談話・講演・命令のなかなどで幾度も述べている多くのきわめて立派な方針・方法の遂行を妨げ、国民党の抗戦建国綱領の実施を妨げ、国民政府の救国諸法令の実施を妨げ、民衆運動の発展を妨げている。これらはみな事実であり、みな国民党の進歩が急速にならず、普遍的にならず、また抗戦が多くの不利をこうむっていることの重大な原因である。
彼らは国民党の進歩に反対し、国民党の発展に反対し、さらには妥協さえ主張する。もしこれらの分子が優勢をしめれば、中国の民族解放事業はいわめて大きな挫折をこうむるであろう。だから、きびしく注意しなければならない。しかし、われわれは、などの保守勢力はいつまでも存在することはできないことを確信している。彼らは優勢をしめてはいないし、また優勢をしめることもむずかしい。彼らは逆流であるがけっして主流ではない。蒋委員長の指導と国民党の大多数の人びとの努力と全国人民の援助の下で、こうした保守的傾向は克服され得る。共産党は断固として国民党の進歩を賛助し、進歩を妨げる保守分子に対しては、彼らが旧いものを棄てて新しい方向をめざし、一緒になって進歩することを希望する。
われわれは、これらの人びとが態度をすっかり一変することを希望する。「君子の過ちは日蝕や月蝕のようになもの」である。改めさえすればそれでよいのである。事実において、われわれは、すでに抗戦過程で進歩をとげた保守的な人びとにであっている。今後も、かならずなお多くの人びとが抗戦の教訓から目覚め、大衆と一緒に進歩するであろう。これが抗日戦争における保守分子の可変性である。しかし、少数的人びとはもっと悪くなり、甘んじて抗戦の大波の中にまきこまれていくかもしれない。これも可変性の一面であり、こうした人びとについては、何も残念がることはないのである。
(二〇) その他の党派も同様に輝かしい前途をもっている
抗日戦争と抗日民族統一戦線に参加しているすべての党派は、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持することを大前提として、みな発展の前途をもっており、われわれはみなそれらの諸党派と長期の合作関係をうちたてるとともに、できるだけ賛助を与えたいと望んでいる。この点は第三党・国家青年党・国家社会党・救国会の諸派、またその他のいずれの集団、いずれの党派についても同じである。きわめて明らかなことであるが、いわゆるすべての党派は抗戦を堅持し、統一戦線を堅持することを大前提としてみな輝かしい前途をもっているということのなかには、各党内部の保守的傾向を克服する努力も含まれているのである。もしも、抗戦と統一戦線に不利な保守的傾向が存在し、それが発展するままに放置するならば、それはこの輝かしい前途を断ちきってしまう危険性をもっている。このことは、国民党であろうが、共産党であろうが、その他の諸党派であろうが、みな十分注意すべきことである。
(二一) 中国抗日民族統一戦線の特質
中国の歴史的原因によって、今日の中国の抗日民族統一戦線はどの外国の統一戦線、たとえば人民戦線などとも異なっており、また中国の歴史上の統一戦線、たとえば第一次国共合作などとも異なっていて、それ自身、今日の中国的な特質をもっている。こうした特質を認識することは、抗日民族統一戦線を強化・拡大するうえで、非常に重要な意義をもっている。
その特質とは何であろうか。結局、次の八つの点に帰着する。すなわち、全民族が抗日的であること、長期的であること、不均等であること、軍隊をもっていること、一五年間の経験をもっていること、大多数の民衆が未組織であること、三民主義的なものであること、新しい国際環境の下にあること、である。
まず第一は、全民族が抗日的であるということである。この特質がわれわれの統一戦線の根本的性格を規定している。一面では、われわれの統一戦線の目的は、国土に侵入した異民族日本帝国主義に反対するために結成され、また発展してきたものである。もう一つの面では、われわれの統一戦線の構成は全民族のあらゆる異なった諸党派、異なった諸階級、異なった軍隊、異なった国内諸民族を含むやつのもっとも広範な団体である。異民族の侵略に反対するものであることからして、組織成分はこのように広範であり得るのである。組織成分が非常に広範であることからして、この統一戦線は偉大な力をもっている。
だが同時に、統一戦線内部では相互間の多くの摩擦を避けて、適切にこれを調整しなければならず、そうしてこそ団結して外にあたるという目的を達することができるのである。われわれの統一戦線のこうしたもっとも基本的な特質――政治目的が異民族の侵略に反対することであことと、組織成分が非常に広範であること――は、フランスやスペインの人民戦線とも異なり、第一次の大革命の時期の民族戦線(当時の国共合作)とも異なって、今日の統一戦線に多くの特殊な内容と特殊な結果を生じさせている。これが今日の統一戦線の第一の特質および長所である。もちろん、その組織が複雑であるという面では、同時に欠点も含まれてはいるけれども。
第二は、長期的であることである。この特質は第一の特質から生まれたものである。この統一戦線が民族戦争によって日本帝国主義に反対するものであり、日本帝国主義が強い帝国主義であることからして、抗日戦争の長期性が生まれ、そこからまた統一戦線の長期性が生まれているのである。この点は、報告の第五の部分でさらに論及するつもりである。これはすべての政策の出発点である。この点も、やはり第一次国共合作と異なっている。
第三は、不均等なことである。歴史的原因によって、各党派・各階層の政治力の不均等などが生まれており、同時に地域的分布のうえからも、こうした不均等根が現われている。国民党は第一番目の実力をそなえた大政党であり、共産党は第二党であり、その他のものがその次にある。こうした状況から、多くの特殊なことが生まれている。
第四は、軍隊をもっていることである。国共両党はともに軍隊をもっている――この特殊な歴史的条件がつくりだした結果は、欠点ではなくて長所である。両党が軍隊をもっていることによって、抗日戦争中、両党はそれぞれよく分業・合作の最善の責任を果たしており、相互に相手を見ならい、激励しあおうという長所もなかなか多い。この点は、スペインと同じであるが、フランスとは異なっており、第一次国共合作とも異なっている。これも両党が長期に合作できる要因の一つである。
第五は、一五年間の経験をもっているということである。一九二四―二七年の第一次国共合作の四年間、一九二七―三六年までの国共分裂の九年間、現在の国共間の新たな合作が始まってからの二年間のこの一五年間の合作―分裂―再合作の経験は、国共両党、その他の諸党派および全国人民に深刻な教訓を与えた。その結論はすなわち、合作すべきで、分裂すべきではない、ということである。これも長期合作の基礎の一つである。こうした貴重な経験は、世界各国どこにもない。第一次国共合作の時にも、尺れはなかった。
第六は、大多数の民衆が未組織であるということである。これは中国の特質であり、西欧諸国はこれとは異なっている。したがって、これは一つの欠点であり、そのため統一戦線には、既成の組織された民衆的基盤がない。しかし同時に、各党間で分業的に民衆を組織化すればよく、一つところで押しあいへしあいして摩擦を起こすべきでない。なぜなら、未組織の民衆はいくらでもおり、抗戦の焦眉の必要にこたえるべく、組織されることを待ち望んでいるからである。
第七は、三民主義的なことである。抗日民族統一戦線は三民主義を政治的基礎としており、これが合作抗日の基礎であるだけでなく、合作建国の基礎でもある。三民主義のなかの民族主義はこの合作を全民族的解放の獲得にまでみちびき、民権主義はこの合作を民主国家の徹底的樹立にまでみちびき、民生主義はさらに、この合作をきわめて長期間にわたってみちびいていくものとなるであろう。三民主義の政治綱領と政治思想が、統一戦線の長期性を保証しているのである。
第八は、新しい国際環境のなかにおかれていることである。今日の世界の政治的経済的条件は、第一次の合作期および両党内戦時のいずれの時期とも異なっている。今日では、日独伊などの一部の帝国主義国のみが国共合作と抗日民族統一戦線に反対しているだけで、その他の第一部の帝国主義国は、彼らと日本との矛盾のために、現在ではやはりわれわれの統一戦線には反対せず、逆にわれわれを賛助する立場をとっている。あらゆる国々の先進的な人民はみなわれわれを賛助しており、ソ連はなおさらのこと、誠実にわれわれを賛助している。こうした新しい国際環境は、われわれの長期合作に重大な影響を与えているのである。
上述のこれらの特質を深く研究し、認識してこそ、適切な政治上の諸政策や工作上の態度をとることができる。政治問題や工作上の問題は、頭が痛ければ頭をなおし、脚が痛ければ脚をなおすというように、場当たり的に対処するのではなく、科学的基礎にたって正しく問題を解決しなければならず、抗日戦争の勝利と抗日民族統一戦線の強化・拡大には、こうした科学的基礎が必要なのである。
(二二) 統一戦線の新たな情勢
抗日戦争の新段階では、抗日民族統一戦線は新しい姿で現われるべきであり、そうすることによってのみ戦争の新しい局面に対応できるのである。そうした新しい姿とは、統一戦線の広範な発展と高度の強化である。一五ヵ月の団結抗戦の教訓によって、各党は統一戦線のこのような発展と強化の必要を認識するようのせまられるであろう。発展の面は各党の組織を拡大することと、民衆の組織を拡大することである。強化の面は、各党が新しい政策と新しい工作〔の形態〕を採用して、相互間の摩擦を減らし、真の誠心誠意の団結をはかり、協力して国難にあたることである。抗戦の新段階には多くの困難が存在しており、統一戦線〔加盟の〕各党がその組織を広くのばし、各党の内部関係および各党相互間の関係を高度に強めることによってのみ、新しい政治的任務が力強く遂行され、新しい困難にうち勝ち、敵の進攻をおしとどめ、わが方の反攻を準備するという目的を達成することができるのである。これこそ抗日戦争の新情勢下における統一戦線の新情勢であり、各党の共同の努力と全国人民の熱心な支持があれば、こうした新情勢の到来はまったく可能なのである。




