本の読みすぎは人をダメにする 春節談話紀要(一九六四年二月十三日)
*一部足りない部分があったので二つの本を合わせて一本の文章とした。
毛主席――今日は春節〔旧暦元旦〕なので、座談会を開き、国際問題、国内問題……………などを話しあいたい。
諸君は、われわれの〔建設した〕 国家が倒れてなくなると思うかね。帝国主義・修正主義が連合して国境まで攻めて来たら、民主人士は原子爆弾〔が投下されるのではないかと〕心配するだろうか。原子爆弾が爆発しても、どうせもう一度延安に帰ってゆくだけのことだ。陝甘寧辺区全体には百五十万人がおり、延安県域には三万人がいる。人は一般に悪口をいわれてから、やっと公然と返答するものだ。国民党にも、賢明にたちふるまい、公然とは罵らず、異党活動制限弁法という文書をだして、共産党の活動を制限しようとした一時期があった。諸君は御存じだろう。
章士釗――知りません。 毛主席――諸君はあまり消息には通じていないようだ。一九四一年一月、国民党は皖南事変をおこした。われわれは〔この事件で〕一万七千余人を犠牲にした。かれらはその後、また、何回か反共運動の高まりをひきおこして、わが党を教育してくれた。蔣介石は善人ではなく、機会があれば、われわれをやっつけようとしていた。抗戦[勝利】後、蔣は平和の問題を話しあおうといって、私を重慶に交渉によびよせておきながら、勝手に部下に命令を出していた。交渉期間中でさえ、〔蔣は]上党戦役をおこしたが、高樹助〔国民党第一一戦区司令長官であったが、一九四五年一〇月三〇日、邯鄲で中共側に寝返った。当時、河北省副省長〕の三個師団を消滅させた。
×××高はすでに入党しました。人間は変わりうるものだ。
康生——宣統皇帝が年賀の挨拶にやってきた(政治協商会議で)。
毛主席 宣統皇帝とはよく団結をはかるべきだ。光緒・宣統はともに私の最高の上官だった。宣統〔皇帝〕の給料が百元あまりというのはあまりに少なすぎる。あの人は皇帝だった人だから。
章士釗―――宣統の叔父載濤は生活が苦しいらしい。
毛主席―――載濤という人は陸軍大臣だった。フランスに留学したことがある。私はかれを知ってはいるが、熟知してはいない。君の手を通して、かれに援助をあたえ、いつも食膳に魚が出るくらいに、生活を改善してやったらどうだろう。やはり、かれに生活を改善するようにさせたがよい。
[外国の]手先きにはなかなかなりにくい。ネールは大変けしからん。帝国主義・修正主義が負けてひどい目にあった。修正主義はいたるところで、壁にぶっつかっている。ルーマニアでも壁にぶつかり、ポーランドでは「命令が〕ききいれられず、キューバでは、半分はききいれられているが、半分はききいれられていない。半分しかききいれられないのでは、何ともしまつがわるい。石油を渡さなければ、武器は渡さない「という方針である」。帝国主義も暮しにくくなってきた。日本はアメリカに反対している。たんに、日本共産党、日本人民ばかりでなく、さらに、 大資本家までがアメリカに反対している。ほんのしばらく前、北×製鉄所がアメリカの調査を拒絶した。ドゴールの反米もブルジョアジーの要求である。
中国との国交回復でも、かれらは主動的に動いている。中国はアメリカに反対であり、北京にはかつて沈崇事件[アメリカ人の中国人女学生暴行事件〕があり、全国がアメリカ帝国主義に反対である。フルシチョフ修正主義はわれわれをセクト主義、エセ革命と罵る。うまく罵るものだ。しばらく前、ソ連共産党中央から中国共産党中央によこした書簡は次の四点を指摘している――1)公開論争を停止すること、②専門家を再派遣〔中国への〕すること、③)中ソ国境交渉、④貿易の拡大。国境については交渉してもよく、二月二五日に始まった。商取引もある程度やってよいが、うんと大きくはできない。ソ連の品物は重くて、不格好で、値段が高く、その上、肝腎なところは教えようとしない。
康生―――質も劣っている。
毛主席——一に不格好で、二に高値で、三に質がおとり、四に肝腎なところを教えない。フランス・ブルジョアジ ―と取引する方がまだましだ。いくらか商業道徳もあるからだ。
これまでの活動には誤りがあった。第一は盲滅法な指揮をしたことであり、第二は高率徴税・高率 [国家]買い上げである。今ではもう改められている。いまは反対側に走っている。盲滅法の指揮から指揮の欠如にはしっている。 これでは頑張りがなくなってしまう。だから、解放軍に学び、石油工業部の大慶に学ばなければならない。大慶油田には××あまり投資し、三年間で××万トンの油田、××万トンの製油所を建設しおえた。投資がわずかで、[建設] 期間がわずかで、効率が高い。文学海賦[『文選』にある「海賦」という文章のことであろうか。晋の木華作、海の自然をこまかに描写したもの〕は一読するに値する。
どの部も石油工業部に学び、解放軍に学び、一連のすぐれた経験を身につけ、敵に対しては戦闘隊となり、味方に対しては、工作隊となるべきである。大学生も解放軍に学ばなければならない。成果を発揚し、先進的な高い目標をうちたて、数多く表彰しなければならない。同時に、誤りを批判することもしなければならない。表彰を主とし、批判を従としなければならない。われわれの事業にはなはだ多数のすぐれた人びとがたずさわっており、表彰される必要のあるはなはだ多数のすぐれた典型がある。
昨年は、河北に大災害があり、南方に旱魃があった。もともと、〔全国的な〕作柄はよい方であったが、暴風雨がやってきたため、食糧二百億斤の損害が生じた。しかし、総計では、昨年はやはり百余億斤の増産となった。今年はもっとよい成果をあげなければならない。いまは解放軍に学び、石油工業部に学び、都市・農村・工場・学校・機関の典型に学び、活動の中での誤りを克服し、今年の活動をもっと立派にやることである。
今日は座談会を開き、国際問題を取り上げた。〔しかし〕、国内問題が根本である。国内のことがうまくゆかなければ、国外のことも話しにくい。いま、一部の国々はわが国と国交を結んでいる。たとえば、コンゴである。ルムンバのコンゴが遊撃戦争をやりはじめたが、なんら新式の武器をもたず、関公〔関羽〕の青竜偃月刀〔長い柄のついた三日月形の大刀〕、張飛の一丈八尺の長矛のようなものしかもっていない。
×××――ほかに黄忠の弓矢のようなものをもっている。
毛主席――どうせ、関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠の持っていたような〔旧式] 武器だけで、新式兵器はもっていない。われわれもやはり、以前は〔新式兵器を〕もってはいなかった。南昌蜂起で、二個師団を失ってしまい、朱徳 ・陳毅・林彪が残存部隊を率いて、井崗山にのぼった。私はぜんぜん、戦い方がわからなかった。私は、一九一八年には北京大学図書館におり、一ヵ月に大洋銀〔銀貨]八元をもらい、衣・食・住・交通のいずれを問わず、すべてを賄った。章士釗は袁世凱の役人になることを願わず、北京大学の校長にさせられた。かれは北京大学にかけこんで、 新聞発行をはじめた。黄炎培老、あなたは〔当時] 立憲派に属していましたか。
黄炎培――私は立憲派ではなく、革命派で、同盟会に参加していました。
章士釗――かれ[黄炎培] は革命派でしたよ。
毛主席——陳叔通老、あなたは研究会系でした。章士釗は第二次革命で、一九二五年に〔段祺瑞の下で司法・教育〕 総長になられましたね。いまは、あなた方はみなわれわれと一緒になられて、新中国で社会主義建設に参加しておられる。われわれは今年の仕事をもっと立派にやろうと考えており、たんに、「わが党]中央がそれを望んでいるだけでなく、あなた方もそれを希望しておられる。許徳珩、あなたは工業部ですね。
×××――かれの部は大変有望です。
毛主席———黄炎培老、あなたのお宅はまるで各党・各派〔の連合会]のようで、民主同盟、民主促進会、共産主義青年団の人びとがおられる。息子さんの黄万里の書かれた「賀新郎」という詞は大変よくできており、私は賞翫している。九三学社に属する一人の息子さんの〕詩も大変よくできており、これも賞翫している。小さな子供さん十数人のことはあまりよく知らない。君は郭子儀だね。
毛主席――各部門はみな解放軍に学ばねばならない。政治部に力をいれ、政治活動を強化しなければならない。成果を発揚し、先進的な高い目標をうちたて、数多く表彰しなければならず、同時に、誤りを批判しなければならない。 表彰を主とし、批判を従としなければならない。われわれの事業には大変多くのすぐれた人びとがたずさわっており、 また大変多くのすぐれた事蹟があり、表彰する必要のある大変多くのすぐれた典型がある。
<解題> 原題は「春節談話紀要」、「万歳」丁目本所収。 一九六二年九月、文化部長陸定一らによって作成された教育改革案が、公布された。これは知育を重視した教育綱領であり、それによって、ペーパーテスト万能主義が横行しはじめた。小学校から大学まで、全科目のうち二科目が六〇点未満だと留年となり、とりわけ国語や算数のような主要科目は一科目でも落第点をとれば留年になった。大学、専門学校、高級中学では二年つづけて落第すれば、退学処分になった。こうした教育制度に強い批判をくわえたのが、この談話である。ここにのべられた教育問題は、のちに教育制度改革の機運をもたらした。
毛主席 ……きょうは教育問題について話そう。いままでは工業は進歩したが、わたしのくみるところでは、教育も改革する必要がある。いまのままではダメだ。教育の路線と方針は正しいのだが、方法がまちがっているとおもう。改める必要がある。きょうは中央の同志、党内の同志、党外の同志、科学院の同志が集まっている。いまから××同志に話をしてもらう。
××× 現在、教育でさしせまっているプロブレムの一つは学制問題、つまり学制が長すぎるという問題です。現行では、七歳で入学し、小学校六年問、中学校六年問、大学は六年制のものもありますが、一般的には五年問で、合計十七、八年。二十四、五歳になってやっと大学を卒業し、それからあとも労働が一年問、実習が一年問で、社会に出るときには二十六、七歳になっている。これはソ連にくべて二、三年多い。ソ連では、中・小学校が十年、大学が四、五年で、二十三、四歳のときに仕事についています。年齢がかさむということは、文科を学ぶ場合にはそれほど問題ではありませんが、自然科学を学ぶ場合にはあきらかに長すぎます。とくに原子力科学をやるものは先端科学をやっているわけで、卒業年齢が高くなりすぎる。世界の各国の経験では、自然科学を学ぶものは二十四、五歳で貢献することができる。たとえばアメリカやソ連では、自然科学や原子力をやるのは成績優秀者で、一般的には二十四、五歳くらいが多く、この年齢がいちばん頭のはたらきがいい時期なのですが、わが国では、その年齢ではまだ学生は大学にいて、仕事についていません。二十六、七歳で仕事をするのでは、科学の発展にとって不利です。学制がとくに長いということ、学制の問題を考慮にいれるべきです。
毛主席 短くしたほうがいい。
××× 最近、××同志が、小学校五年、中学校四年とし、十六歳で中学卒業という意見を出しました。もし小学校を六年間とすれば、十七歳で中学卒業です。問題は、設備がととのっていないことで、毎年、大学はせいぜい十二、三万人から十五万人を入学させるだけです。その他の者は十六歳で職業についたほうがいい。中学卒業後、二年間職業教育をやり、十八歳のときに工場や農村で職業につくようにすれば、より年齢が近づくことになります。または二年間予科にいくようにすれば、大学とつながって、二十四、五歳で仕事につけるようになります。要するに、勉強する期間は短くしたほうがいい。いま中央は学制を専門的に研究するために小組をつくり、××同志がその責任者となっています。こうした意見をとりいれて国民教育を完成させるには、一般的には十五、六歳で卒業させるべきです。ただ問題は、兵役年齢に達しないということですが、これは予備兵としてもいいわけです。
毛主席 それはたいした問題ではない。兵役年齢に達しなくても軍事生活を送ることはできる。男子学生ばかりでなく、女子学生も兵役について、紅色娘子軍をつくればよい。十六、七歳の女子は半年から一年の軍事生活を送るべきだ。十七歳でも兵隊になることができる。
××× そういうわけで、文科系の学校はそれほど問題ではありませんが、理工科系が問題です。大学に一年から二年の予科をつくれば、中学卒業後、大学予科にすすむことができる。あるいは職業学校にすすんで二年間の教育をうけ、十八歳のときに工場や農村で生産に参加すれば、年齢的により近づきます。理工科にはいるにも年齢的に近くなり、二十三、四歳で卒業して仕事につくことになります。
毛主席 いまは本を読むことが多くて、人間をダメにしている。いまのカリキュラムは多すぎて、負担がかかりすぎている。そのため中学生も大学生も毎日緊張状態にある。中小学生の近眼が倍増しているが、これは改めなければいけない。 ××× カリキュラムは多すぎるし、きつすぎます。教師が宿題を山ほど出すため学生は対応できないで、たえず緊張をしいられている。課外活動の時間も、本を読む時間もない状態です。
毛主席 カリキュラムは半分切りすてたほうがよい。学生には娯楽や遊泳や球技や課外の自由な読書の時間が必要だ。孔子が学生に教えた学科は、礼・楽・射・御・書・数[士大夫階級が修得すべきマナー、音楽、弓馬術、歴史、ソロバンなどの]の六科目だけだ。それでも顔回、曾子[二人はとも孔子の弟子]……孟子[戦国時代の儒家]といった四大賢人が出ている。学生が一日じゅう教科書ばかり読んで、文化娯楽とか体育活動とか水泳など、飛んだり跳ねたりしないで、そのうえ課外の読みものも読まない……というのはよくない。 ××× 学生は緊張をしいられています。わたしの家では、子どもたちは、全学科が満点であっても役にも立たないといっています。
毛主席 歴史上の状元[科挙の最終試験である殿試の首席合格者]で世に出たものはほとんどいない。唐代の有名な詩人、李白や杜甫は進士[科挙の殿試の合格者]でもなければ翰林[皇帝の文書を司る官]でもなかった。韓愈[唐代の大文豪]、柳宗元[文学家]も二人とも進士[科挙の資格者]でもなければ翰林[皇帝の文書を司る官]でもなかった。王実甫[元代の戯曲『西廂記』の作者]、関漢卿[元代の戯曲家]、羅貫中[明代の『三国志演義』の作者]、蒲松齢[清代の『聊斎志異』の作者]。曹雪芹[清代の『紅楼夢』の作者]なども、進士や翰林ではない。蒲松齢は抜擢された秀才で、一段格が上がったが、それでも挙人[科挙の第一試験である郷試の合格者]ではない。進士や翰林になったものは、どれも成功していない。明朝でうまくやった皇帝は太祖と成祖の二人だけだ。ひとりは字を知らなかったし、もうひとりも少ししか知らなかった。くだって嘉靖帝のときには知識分子が実権をにぎったが、 weこれはダメで、内乱をひきおこした。漢の武帝[漢の五代目の皇帝。劉徹]、李后主[五代の南唐の皇帝。詩人としても有名]も文化過剰で国をほろぼした。してみると、本の読みすぎが人をダメにするのだ。劉秀[後漢の先武帝]は大学士だったが、劉邦[漢の初代皇帝]は無学だった。
××× カリキュラムが多すぎるし、宿題が多すぎて、学生は独立した思考ができない。現在の試験方法は……
毛主席 現在の試験方法は敵にたいするやり方であって、人民にたいするやり方ではない。奇襲をかけるし、かたよった問題やわけのわからぬ問題をだす。これはやはり八股文[科挙に課せられる形式にしばられた文体]を書かせるやり方であって、わたしは賛成できない。徹底的に改革する必要がある。わたしは、試験は問題を公開し、学生に公布して、学生が自分で本を読み、自分で研究し、本をみながらやるように主張する。たとえば『紅楼夢』[清代の大長編の房庭を描いた小説]について二十題くらい問題を出す。ある学生は半分しか書かなかったとする。しかしそのうちの数題は答えが群を抜いていて、創造性があれば、百点をあたえたらしい。ほかの学生のなかには二十題全部について解答したものがあると試する。しかしそれが本をまる写しにしたもの、教師の説明どおりに答えたもので、創造性がなければ、五十点か六十点ほどやればよい。試験では、お互いに耳打ちしあい、替え玉をつかってもいいようにすべきだ。替え玉になるものだって、人のものを写すだけのことだ。こちらがわからないとき、ほかのものが書けたというので、こちらが写す。それでも、なにほどかのことは理解したことになるわけだから、試験的にやってみたらいい。いきいきとしたやり方をするべきで、固定観念にとらわれるのはよくない。先生の授業のなかにはわけのわからぬものがある。学生の居眠りをゆるすべきだ。教え方がよくないのに、むりやりきかせようとする。学生にしてみれば、目をこじあけてきいているのは苦痛なだけで、それよりは居眠りしたほうが元気になるし、きかないでウツラウツラしていたほうが、頭が休まる。
××× 学制が短くなれば、労働や兵役につく時間をうみだせます。優秀な学生はいつまでも同じ学年にとどめておかないで、進級させるべきです。わたしの子どもと同じクラスのある生徒は優秀だったので、その後進級しましたが、やはり優秀であることに変わりない。してみると、学年をとびこして進級させることは許されていい。学制の問題については、××同志が専門小組をつくって研究していただきたい。
毛主席 ××や××もこの小組に参加したらいい。現在、われわれはとらわれすぎている。カリキュラムが多すぎるし、試験のやり方が古くさすぎる。われわれは賛成できない。いまの教育方法は人材をそこない、青年をそこなうものだ。わたしは、あんなに多くの本を読むのに賛成できない。試験方法は敵にたいするもので、人をダメにする。やめなければいけない。
××× 現在、教育庁長が会議をひらいて、二つの問題を研究しています。ひとつは学生の負担が重すぎること、どの科目も課外作業があります。第二には、教育学の三つの方法、すなわち孔子流をとるか、ソ連流をとるか、デューイ流をとるかという問題です。
毛主席 孔子のやり方はちがう。われわれは孔子の主たる流儀を捨ててしまった。かれは、礼・楽・射・御・書・数の六科目しか教えなかった。(毛主席は××に、書とは書道のことか歴史のことか、とたずねた)
××× 書道のことでしょう。
毛主席 歴史のことだろう。『書経』とか『漢書』とか……。
××× 現在、中小学校では進学が唯一の目標で、卒業後、労働をしようとしません。問題は非常に大きく、解決しなければならない。教育と生産労働とを結びつける必要がある。第二に、やはり両足で歩く必要がある。河北省では、昨年、洪水に見舞われ、教育庁はたいへん緊張した。建物の多くが倒れた。そこであれこれ考えて簡易学校をつくったところ、中小学校の生徒数は逆にふえた。
毛主席 洪水が教条主義につき破ったのだ。外来の教条も、土着の教条もみな棄てなければならない。
××× 他の地域では正規化、つまり単式教育をやって、複式教育をやろうとしないため、学生数が下降し、貧農と下層中農の人数が下降し、貧農と下層中農の未就学者の数が非常に多い。河北省はよい経験をしました。広東省の新会県で農業中学と普通中学を十校以上調査したところ、普通中学が学生一人を養成するのに、国は一年間に百二十元使いますが、農業中学では、一年間に六元八十銭にすぎなかった。農業中学の卒業生は職業につくのに問題はないが、普通中学の卒業生の場合、大学の試験に受からないとなると、職業につくことがたいへん面倒になる。ですから、中小学はどちらも両足で歩く必要があるし、同時に質の向上に注意する必要がある。以前はソ連流でしたが、これは一九五八年に突撃をかけて〔この年の冬から翌年春にかけておこなわれた社会主義教育運動をさす〕、労働を多くとりいれました。しかし、一方では学習を軽視したため、それを改めてからよくなりました。文芸も同じで、いまの水準はまえよりは高い。もし五八年のことがなかったなら、いまの水準には達していません。
毛主席 歌劇をやるもの、詩を書くもの、文学者、劇作家は都市を出て、続々と下へおりていく必要がある。時期を分け、グループに分かれて、農村や工場へいかなければならない。作家を機関のなかに住まわせてはならない。下へおりないでは、ものは書けない。おりようとしないものには、メシをあたまえる必要はない。下へいってから、メシのしたくをしてやるのだ。
××× 現在、中小学校の教師のなかには、わるい分子が二パーセントとちょっといます。中小学校にも評判のわるい分子がいます。
毛主席 それはたいした問題ではない。転職させたらすむことだ。
××× 現在、いちばんよくない学生が師範にすすみ、よい学生が理工系にすすんでいます。こんどは、師範の文科は直接、高級中学の卒業生を募集するのはやめて、高級中学を卒業してから一、二年の労働をやった学生を募集するよう考慮すべきです。自然科学を学ぶ学生も下へおりる必要があります。ハルビン××学校の経験では、教師を一、二年下放させたところ、よくなかった教師が労働から戻ったあとよくなって、骨幹となっています。
毛主席 下へおりるべきだ。いまでも、下郷や労働を重視しないものがいる。明朝の李時珍[明代の薬学者、『本草綱目』の著者]にあちこちへ出かけてき、山へのぼって薬を探った。祖沖之[宋の科学者、円周率の研究で有名]は中学も大学も出ていない。孔子は貧農の出身だ。羊を飼っていて、中学や大学へいっていない。笛吹きだったし、どんなことでもやった。人が死ねば、その家へいって笛を吹いたり、太鼓をたたいたりした。会計係になることもできた。琴もひけたし車も御せた。馬にも乗れたし矢を射ることもできた。「御」というのは車を駆けることで、自動車の運転手のことだ。顔回、曾子など七十二賢人を教えて弟子は三千人いた。かれは小さいときから大衆のなかで育ち、大衆の苦しみを理解していた。のちにかれは魯の国で役人になったが、それでも偉くはならなかった。魯国には人口が百万人以上もあった。長いあいだ、人びとはかれをバカにしていて、諸国を遊説したときにも、人びとはかれをののしった。この男は正直に話すのがすきで、苦労にやりきれず、屈辱に耐えきれなかった、と自分でもいっている。のちに子路[孔子の弟子]があらわれて孔子の用心棒となった。子路は、人が孔子の悪口をいうのを許さなかった。そんな話をしたものは、誰であろうと、殴りかかった。それ以来、不愉快な声は耳にはいらなくなり、大衆は孔子に近づこうとしなくなった。だが、孔子の伝統は棄ててはならない。われわれの方針は正しいのだが、方法がまちがっている。現在の学制、カリキュラム、教授法、試験方法はどれも多くの問題があり、全部ひっくりかえめて改める必要がある。それはすべて人をダメにしてしまう。
××× 小学校の五年間について、見込みがあります。
毛主席 小学校も勉強期間の長すぎるのはよくない。ゴーリキーは小学校を二年間やっただけで、学問はまったく独学だった。アメリカのフランクリンは、新聞売りの出身だが、電気を発明した。ワットは労働者だが、蒸気機関を発明した。古今内外の科学者の多くはみな実践のなかから自分をつくりあげたのだ。
××× 将来、学制が改革されれば、学生は二十三、四歳で仕事につくことが可能になります。七歳で入学というのは遅すぎるので、六歳にくりあげてもよい。建物をつくるということが問題ですが、小学校を五年制に改めれば、ある程度解決できます。中学は四年、予科コースは一、二年にする。大学は学部によって性質がちがうので、多様化したほうがよい。大学は毎年十四万人から十五万人を募集すれば、一、二年の予科コースがつくれます。
毛主席 大学へはいるまえに、時間を設けて、工場や農村で労働するほうがよい。
××× 軍隊へいって鍛錬するということもやったらよい。
×× 文科はそれでよいのですが、理科系は数学や理科や化学を修得する問題があります。二年間の労働のあいだに忘れてしまう恐れがある。
×× ソ連では、中学卒業後、二年間労働してから理科や化学へすすんでおり、直接にはつながっていない。
×× 大学は個別学校のほかに、学制を三つに分ける。六年制は主として医科、五年制は理工科、四年制は文科とします。大学の多くは四年制でよいでしょう。将来、学制は多様化形式をとり、いろいろな学制を設ける必要がある。都市では中学は二種類に分ける。一つは大学へすすむもの、もう一つは卒業後、専科へすすんで、二年間で卒業するものです。
毛主席 そうだ、多様化が必要だ。
×× カリキュラムの問題は、集中していないということのほかに、過去に研究した問題では、多くのカリキュラムがくりかえし学ばれているということです。中学では、毎学期、八、九科目学ばなければならず、試験が多くて、緊張をしいられています。
毛主席 いまは、ひとつには科目が多く、ふたつには本が多くて、負担がかかりすぎている。科目によっては、試験をやらなくてよいものもある。たとえば、高級中学で学ぶ論理学や文法は試験をする必要はない。真の理解は、仕事をするなかで、徐々に身についていくものだ。文法とはなにか、論理とはなにかということがわかれば、それでいいのだ。
×× いまは、つめこみと、棒暗記と、暗誦がすべてです。
××× いまは考え方が二派にわかれている。ひとつは深く教えることを主張し、もうひとつは、理解し、学びとることに重点をおいて、多くは教えないという主張です。現在、多くの学校が前者の意見です。 we weこれは、やってやれないものではないが、そんなやり方を主張すれば、思想が硬直化してしまう。
毛主席 それはスコラ哲学だ。四書〔儒教の教典である『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』〕、五経〔儒学で尊重する五部の書、すなわち『詩経』『易経』『書経』『春秋』『礼記』〕は注釈がやたらと多くて、いまでは消化しきれない。スコラ哲学はかならず滅亡する運命にある。たとえば経学〔四書五経などを研究する学問〕だが、あれほど多くの注釈が書かれたのに、いまではどれもこれも消滅してしまった。わたしは、このようなやり方で教えてこまれた学生は、中国でもアメリカでもソ連でも、どこでも消滅する運命にあり、反対の側面に向かっていくとおもう。たとえば仏教の経典はあれほどおびただしいが、唐の玄奘〔二十六歳のときインドにおもむき仏教を研鑽した玄奘が訳した『金剛経』[仏]は注釈が比較的簡単なもので、せいぜい千字余りにすぎなかったから、いまでも残っている。いまひとりの鳩摩羅什[インドの僧。三国時代]が訳した『金剛経』は注釈が多すぎて、滅んでしまった。五経、十三経〔儒教で尊重する十三部の書〕もいまでは、おこなわれなくなっているのではないか。注釈が多すぎれば、読まれなくなる。十四、五世紀にスコラ哲学がはやったために、十七、十八、十九世紀にかけてやっと啓蒙時代にはいり、文芸復興が出現したのだ。本をあまり読みすぎてはいけない。マルクス主義の本は読むべきだが、これも読みすぎてはいけない。数十冊も読めば十分だ。多く読みすぎると、きっと反対の側面に向かって、書物バカになり、教条主義、修正主義になる。孔子の書いたものには、農業知識がなかったから、学生は「四体勤めず、五穀を分かたず」〔『論語』に出てくることば。肉体労働をせず、農業のことがわからない意〕ということになった。こういう点は、対策を考えなければならない。
××× もうひとつ、政治問題として、学生の食費の問題を改善する必要があります。毎月、一人あたり十二元五十銭ほど食べるとすると、四千万元の支出が余計に出ます。
毛主席 四千万元余計に出てもいい。
××× 二元ないし四元ふやしてもいい。
毛主席 本を読みすぎると、読み殺されてしまう。梁の武帝〔南北朝梁の開国の皇帝〕は若いときはよかったが、その後、本を読みすぎてからダメになって、台城で餓え死にしてしまった。




