知識人問題に関する会議での講話 日中対訳 知識人問題に関する会議での講話 (一九五六年一月二十日)
会议开得很好。听了各位同志的讲话,很高兴,可以看出同志们的水平很不低,很高,许多讲话是很好的。
会議は非常によく行われた。同志諸君の発言を聞いて、とてもうれしく思った。同志諸君の水準が決して低くなく、非常に高いことがよく分かった。多くの発言は大変すばらしいものだった。
现在我要讲的是领导方法问题。有两种领导方法:一种是使事业进行得慢一些、差一些的方法,另一种是使事业进行得快一些、好一些的方法。拿最近一年来农业合作化,资本主义工商业改造,知识分子的问题等几件事来看,可以这样,也可以那样,可以迟一些、坏一些,也可以早一些、好一些。我们在延安时,曾组织过宪政促进会,现在没有了;现在有人说中央是全国社会主义促进会,这次会议也是一个促进会,省、市委,各部门,也是促进会。领导机关可以促进,也可以促退,也可以有进有退。蒋介石的国民政府就是国民促退政治,它促使社会倒退。我们的领导机关应该促进事业的发展,但也不完全是这样,如农村工作部有一个时期就是农村工作促退部,因为它要砍掉些合作社;卫生部有一个时期也是促退部,把事业搞垮了。各地方、各部门是否也有这种现象呢?上层建筑不适合经济基础,不能促进经济发展,这就丧失了上层建筑应有的作用。生产力和生产关系,生产关系是基础,上面还有政府,党,各部门,这都是上层建筑,必须起促进生产力发展的作用,如果不促进,就丧失了它的职能。
いま私が話そうとしているのは、指導方法の問題である。指導方法には二つある。一つは、事業の進展をより遅く、より悪くする方法であり、もう一つは、事業の進展をより速く、より良くする方法である。この一年間の農業協同化、資本主義的工商業の改造、知識人の問題など、いくつかの事柄を見てみると、やり方はいく通りもあることが分かる。遅く、悪い結果になることもあれば、早く、良い結果になることもある。われわれが延安にいたころ、かつて憲政促進会を組織したことがあったが、いまはもう存在しない。現在、中央委員会は全国社会主義促進会だと言う人がいる。今回の会議も一つの促進会であり、各省・市の党委員会や各部門もまた、促進会である。指導機関は、物事の進展を促進することもできれば、後退させることもできる。また、前進させることもあれば、後退させることもある。蒋介石の国民政府は、まさに国民を後退させる政治機関であり、社会を後退させていた。われわれの指導機関は、本来、事業の発展を促進すべきである。しかし、必ずしも常にそうであるとは限らない。たとえば、農村工作部は、ある時期には「農村工作後退部」になっていた。というのも、いくつかの合作社を取りつぶそうとしていたからである。衛生部も、ある時期には後退を促す部門となり、事業をだめにしてしまった。各地方や各部門にも、このような現象があるのではないだろうか。上部構造が経済的基礎に適合せず、経済の発展を促進できないのであれば、それは上部構造が本来果たすべき役割を失ったことになる。生産力と生産関係についていえば、生産関係が基礎にあり、その上には政府、党、各部門などが存在する。これらはすべて上部構造であり、生産力の発展を促進する役割を果たさなければならない。もしそれを促進できないのであれば、上部構造はその機能を失ったことになる。
反对右倾保守思想就是为了解决这个问题的,就是为了使上层建筑能够适应基础,促进社会的发展。你们对客观情况的发展注意不够,估计不足。凡事都有两面性,一万年后还是有两面性,但是,今年和明年不是一样的两面性,如果一点不变化,就没有马克思主义了。但是现在是马克思主义的,用马克思主义来看,农民几年来对他们的落后性抛弃很多,最近几个月,农民跑得很快,几个月就改变了个体经济。资产阶级也是这样,我们总是说他们“唯利是图”,现在他们已经把工厂交出来了(变成公私合营了),“唯利”又怎样“是图”法?对知识分子也是尽说他们不好,可是这次会上同志们说知识分子中进步分子占40%左右,中间分子也占40%左右,落后的当然还有,但是可以改变的,而且应该促进这种改变。可是有的同志看不到这种变化,想到没有对象的地方去决斗,对像没有了,还要斗,这就变成唐·吉柯德了。当然,还有对象,但也在起变化,因此我们应当欢迎这种变化。
右傾保守思想に反対するのは、まさにこの問題を解決するためであり、上部構造が基礎に適合し、社会の発展を促進できるようにするためである。諸君は、客観的状況の発展に対する注意が足りず、その変化を十分に見積もっていない。物事にはすべて二面性があり、一万年後であっても二面性は存在する。しかし、今年と来年とでは、二面性のあり方は同じではない。もし少しも変化がないとすれば、そこにはもはやマルクス主義はないことになる。しかし、いま起きていることはマルクス主義の立場から見なければならない。農民についていえば、この数年間で、自分たちの後進性をかなり克服してきた。ここ数か月、農民の歩みは非常に速く、わずか数か月で個人経営の経済形態を変えてしまった。資本家階級についても同じである。われわれはいつも彼らを「利潤ばかりを追い求める」と言ってきた。しかし、いま彼らはすでに工場を引き渡している(公私合営に移行した)。それでは、「利潤ばかりを追い求める」といっても、いったいどのように利潤を追い求めるというのだろうか。知識人についても、われわれは彼らの欠点ばかりを取り上げてきた。しかし、今回の会議では、同志たちの話によれば、知識人のうち進歩的な人々が約四〇%、中間的な人々も約四〇%を占めている。もちろん、後進的な人々もまだいる。しかし、彼らは変わることができるのであり、われわれはその変化を促進すべきなのである。ところが、一部の同志は、こうした変化を見ようとしない。相手がいないところへ行って決闘しようとしているのである。相手がもういないのに、それでも闘おうとする。これでは、ドン・キホーテになってしまう。もちろん、闘うべき相手はまだ存在する。しかし、その相手もまた変化しつつある。したがって、われわれはこうした変化を歓迎すべきなのである。
我们应该看到在生产关系改变后的新形势,去年上半年那样困难,到处骂我们,党内、党外都说我们不行,就是为几颗粮食,下半年不骂了。下半年有几件喜事,丰收和合作化是两件大喜事,还有肃反也是喜事。最近两三年,中国社会发生激烈变化,这些情况反映在同志中间,人民中间和知识分子中间,我们应该认识这些情况,并且适应这些情况。
生産関係が変化した後の新たな情勢を、われわれは見極めなければならない。昨年の上半期は、あれほど困難な状況にあり、至るところでわれわれは非難されていた。党内でも党外でも、われわれはだめだと言われていた。たかがわずかな食糧のことで、そうした非難が起きていたのである。しかし、下半期になると、非難は聞かれなくなった。下半期には、いくつかの喜ばしい出来事があった。豊作と合作化は、その二つの大きな喜びであった。また、粛清反革命分子の運動も喜ばしい出来事であった。ここ二、三年、中国社会には激しい変化が起きている。こうした状況は、同志たちの間にも、人民大衆の間にも、知識人の間にも反映されている。われわれは、これらの状況を認識し、それに適応しなければならない。
讲到促进和反对右倾保守思想,同时也应该注意不要搞那些没有根据的行不通的事情。锣敲、打鼓、报喜,这是好的,这正是促进嘛,这正说明中央是社会主义促进会嘛!但是现在已经可以看出,有些情况要引起我们注意,值得谈谈这一点。农村发展纲要中已把好些农业增产的指标去掉了,右倾保守思想存在于各方面,两种领导方法采取哪一种?我因为其中有些还没有研究,没有充分根据,例如垦荒五亿五十万亩,据说用的钱要等于一年的预算,要多少人民币?垦荒仍是要垦的,但是否能垦那么多,要仔细研究。计划一定要行得通,一定要建筑在有根据的基础上,不然又要搞成盲目性。
促進を唱え、右傾保守思想に反対するにあたっては、同時に、根拠がなく、実行不可能なことを行わないよう注意しなければならない。銅鑼を鳴らし、太鼓を打ち、喜ばしい知らせを伝えることはよいことである。これこそ、まさに物事の進展を促進することではないか。中央委員会が社会主義促進会であることを、まさに示しているのである。しかし、いまでは、われわれが注意を払わなければならない状況もいくつか見えてきた。この点については、少し話しておく価値がある。『農業発展綱要』では、農業増産に関するいくつもの目標がすでに削除されている。右傾保守思想は、あらゆる方面に存在している。では、二つの指導方法のうち、どちらを採用すべきなのだろうか。私が言いたいのは、まだ検討が十分でなく、確かな根拠もない事柄がいくつかあるということだ。たとえば、五億五十万ムーの荒地を開墾するという計画である。聞くところによれば、そのために必要な費用は国家の年間予算に匹敵するという。いったい、人民元でどれほどの金額になるのだろうか。荒地の開墾そのものは、やはり進めなければならない。しかし、果たしてそれほど多くの面積を開墾できるのかどうか、慎重に検討する必要がある。計画は必ず実行可能なものでなければならず、確かな根拠に基づいて立てられなければならない。そうでなければ、再び盲目的な行動に陥ることになる。
现在有些同志头脑已经有些发热了。合作化快是好的,但不要无根据的快。各省同志要注意。高级化务必要做到在绝大多数人满意条件下高级化,现在听说,有百分之三十左右的人对放弃土地分红还放不下,如果是这样,那就不如等几个月。北方可以到今年秋冬或明年春天再转,明春最好。建议你们多考虑。陈云同志说公私合营,人家送上门来,不要不好,但问题是内心是否通,如不通,那就等几个月,等几个月并不算长。
現在、一部の同志は、頭に少し血が上っているようである。合作化を速く進めることはよいことだが、根拠もなく速く進めてはならない。各省の同志たちは、この点に注意しなければならない。高級合作社への移行については、必ず大多数の人々が納得しているという条件のもとで進めなければならない。聞くところによれば、現在、土地の持ち分に応じた分配をやめることに、まだ踏ん切りがつかない人が三〇%ほどいるという。もしそうであるなら、数か月待ったほうがよい。北方では、今年の秋から冬、あるいは来年の春に移行してもよい。来年の春が最も望ましい。諸君には、この点をもっとよく検討するよう提案したい。陳雲同志は、公私合営について、相手のほうから進んで申し出てきているのだから、受け入れないのはよくない、と述べている。しかし、問題は、相手が心の底から納得しているかどうかである。もし納得していないのであれば、数か月待てばよい。数か月待ったところで、それほど長い時間ではない。
我建议这样,不要以为又是来阻挡你们,又是右倾机会主义!总要叫百分之九十几的人高兴,不高兴的过了百分之几就有问题。各部门计划指标也要放在可靠的基础上,本来可以做的不做,是不好的,但无充分根据的行不通的就叫盲目性,就是“左”倾冒险,虽然目前这还不是主要的倾向,但已经可以看出,有些同志的头脑不那么清醒,不敢于实事求是,怕右倾机会主义的帽子难听。凡是经过调查研究,办不到的,要敢于说办不到,敢于停下来,把计划放在可靠的基础上。
私は次のように提案したい。諸君は、これをまた自分たちの仕事を妨げるものだとか、右傾日和見主義だとか、考えてはならない。何事も、九〇%を超える人々が喜んで受け入れるようにしなければならない。喜ばない人が数%を超えるようであれば、問題があるということだ。各部門の計画や目標も、確かな根拠に基づいて立てなければならない。本来できることをやらないのはよくない。しかし、十分な根拠がなく、実行不可能なことを進めるのは、盲目的な行動というものであり、すなわち「左」傾冒険主義である。現在のところ、これはまだ主要な傾向ではないが、一部の同志の頭がそれほど冷静でなくなっていることは、すでに見て取れる。彼らは、事実に即して真実を求めることを恐れ、「右傾日和見主義」というレッテルを貼られると聞こえが悪いので、それを恐れているのである。調査・研究を行った結果、実行できないと分かったことについては、実行できないとはっきり言う勇気を持たなければならない。また、立ち止まる勇気も必要である。そうしてこそ、計画を確かな根拠に基づいたものにすることができる。
北京已进入社会主义,进入是进入了,但尚未完成,不要说已经完成。要完成,还要做几年工作(比如说还要三、四年),资本家定息的尾巴哪年割掉,还要看情况发展。北京资本家清产核资用自评的办法,可以介绍,以后农村中地主富农入社,那些人好,哪些人坏,哪些人算社员,哪些人算候补社员,哪些人应当管制生产,可不可以也让他们自己去评,我们加以领导,建议各地试试看,让他们自己里头发生斗争。
京はすでに社会主義に入っている。社会主義に入ったことは確かだが、まだ完成してはいない。すでに完成したなどと言ってはならない。完成させるには、まだ数年間の仕事が必要である(たとえば、あと三、四年はかかるだろう)。資本家に対する定息(固定利息)の支払いを何年に打ち切るかについては、今後の情勢の発展を見て判断しなければならない。北京の資本家が、財産の清算・評価にあたって自己評価の方法を採用したことは、他の地域にも紹介してよい。今後、農村で地主や富農が合作社に加入する際、誰がよい人間で、誰が悪い人間なのか、誰を正式な社員とし、誰を候補社員とするのか、誰に生産活動上の制限を加えるべきなのか、といったことについても、彼ら自身に評価させ、われわれが指導するという方法を採ることはできないだろうか。各地でこの方法を試してみることを提案したい。彼ら自身の内部で議論や対立が起こるようにするのである。
再一点,有的同志引用我在《中国农村的社会主义高潮的序言》中说到的:“已经不能完全按照原来所想象的那个样子去做了”这句话,我说“不能完全按照”,这就是说大体上还要按照,否则五年计划,岂不也没有了。但是有的同志一改改成“已经不能按照”或“已经完全不能按照”,可见头脑已经有些发热了。
もう一点ある。一部の同志は、私が『中国農村における社会主義の高まり』の序文で述べた、「もはや、当初考えていたとおりに完全に進めることはできなくなった」という言葉を引用している。私が「完全にそのとおりに進めることはできない」と言ったのは、つまり、大筋では依然として当初の計画どおりに進めなければならない、という意味である。そうでなければ、五か年計画そのものもなくなってしまうではないか。ところが、一部の同志は、これを勝手に改めて、「もはや当初考えていたとおりに進めることはできなくなった」とか、「もはや完全に当初のとおりには進められなくなった」とか、書き換えてしまった。こうしたことからも、彼らの頭に少し血が上っていることが分かる。
吴玉章同志的发言讲得很好,关于文字改革的意见,我都赞成,你们赞成不赞成?老百姓问题不大,识字很容易,但有些人觉得采用罗马字拼音,好是很好,可惜罗马字不是中国人发明的。中国人发明,外国人学习,“用夏变夷”,没有问题;外国人发明,中国人学习,“用夷变夏”,就有问题了。洋字比较好,吴玉章同志说的有理,字母少,写起来一边倒,汉字比不上。有些教授说:“汉字是世界上万国最好的文字。”我看不见得。因此我们采用罗马字。例如阿拉伯字也是外国发明的,现在不是大家都用了吗?罗马字出现在罗马,英、美、俄等国不也都在采用吗?我没有学过文字史,他们过去也都有自己的文字的。据说我们中国字是仓颉造出来的,我看不见得。社会主义不是出在俄国,俄国也学了。外国的好东西,我们要统统拿过来,变成我们的东西,要在一、二十年赶上国际先进水平。汉朝、唐朝就是这样的,唐朝奏乐、舞蹈有七种,有六种是外国的,唐朝很有名,搞久了就变成中国人的。
呉玉章同志の発言は非常によかった。文字改革に関する彼の意見には、私はすべて賛成である。諸君は賛成だろうか、反対だろうか。一般大衆にとっては、それほど大きな問題ではない。文字を覚えることは難しくない。しかし、ローマ字による表音文字の採用について、非常によい方法だとは思うものの、残念ながらローマ字は中国人が発明したものではない、と考える人もいる。中国人が発明し、外国人が学ぶのであれば、「夏を用いて夷を変える」ということで、何の問題もない。ところが、外国人が発明し、中国人が学ぶとなると、「夷を用いて夏を変える」ということになり、問題があるというのである。外国の文字のほうが比較的優れている。呉玉章同志の言うことには道理がある。アルファベットの数は少なく、書くのも簡単で、書きやすい。漢字はそれに及ばない。ある教授たちは、「漢字は世界中のあらゆる国の文字のなかで最も優れた文字である」と言っている。しかし、私は必ずしもそうだとは思わない。だからこそ、われわれはローマ字を採用するのである。たとえば、アラビア文字も外国人が発明したものだが、いまでは皆が使っているではないか。ローマ字はローマで生まれたが、イギリス、アメリカ、ロシアなどの国々も採用しているではないか。私は文字の歴史を学んだことがないが、それらの国々にも、かつてはそれぞれ独自の文字があったはずである。中国の漢字は倉頡がつくったと言われているが、私にはそれも必ずしも確かだとは思えない。社会主義はロシアで生まれたものではないが、ロシアもそれを学んだ。外国の優れたものは、すべて取り入れ、われわれ自身のものに変えていかなければならない。そして、一、二十年のうちに、国際的な先進水準に追いつくべきである。漢の時代や唐の時代も、まさにそのようであった。唐代の宮廷音楽や舞踊には七種類のものがあったが、そのうち六種類は外国から伝わったものであった。それでも唐代は非常に名高い時代となった。長い時間をかけて取り入れていけば、やがて中国人自身のものになっていくのである。
在吴玉章同志的讲话中,其中有一条我是不赞成的。就是他说:“这是由于毛泽东同志在去年七月三十一日作了关于农业合作化问题的报告,严肃地批判了右倾保守思想并用新的社会观点和理论来动员群众和组织群众的结果。”“这种新的观点和理论,只有当社会的物质生活的发展,已经在社会面前提出新的任务以后,才产生出来,当新的观点和理论产生以后,它们就成为最严重的力量,就能促进解决由社会物质生活的发展过程所提出来的新任务,就能促进社会的向前发展。”这样说来,好像农业合作化是新的事情,新的社会观点和理论。但是,这不是什么新东西,联共党史上就写到的,他们是地球上第一次做这件事,还在一百多年前马克思就已经讲过了,三十多年前,俄国已经做了。我们现在讲的,并没有什么新的观点和理论。
呉玉章同志の発言のなかで、私が賛成できない箇所が一つある。それは、彼が次のように述べた部分である。
「これは、毛沢東同志が昨年七月三十一日に農業合作化問題について報告を行い、右傾保守思想を厳しく批判するとともに、新しい社会的観点と理論を用いて大衆を動員し、組織した結果である。」さらに、彼は次のように述べている。「このような新しい観点と理論は、社会の物質生活の発展が、社会に対して新たな課題を提起するようになって初めて生まれる。そして、新しい観点と理論が生まれると、それらは最も強力な力となり、社会の物質生活の発展過程によって提起された新たな課題の解決を促進し、社会の前進を促進することができる。」このような言い方をすると、まるで農業合作化が新しい事柄であり、新しい社会的観点や理論であるかのように聞こえる。しかし、これは何も新しいものではない。ソ連共産党の党史にもすでに記されている。彼らは地球上で初めてこの事業を行ったのである。また、百年以上も前に、マルクスはすでにこのことを論じていた。三十年以上前には、ロシアですでに実践されていたのである。したがって、われわれがいま論じていることには、何ら新しい観点や理論があるわけではない。
我们没有什么新的东西,有就是有,没有就是没有。过去在欧洲,在马克思和恩格斯面前已经提出了新任务,产生了新的观点和理论,就是马克思主义,以后列宁又加以发展。我们有没有新的东西呢?有的,那就是在形式和细节方面,如互助组的普遍发展,全行业公私合营等,这是新的。关于过渡时期和资产阶级联盟,在理论方面,列宁已讲过了,只是我们实行得比较完全和有步骤,这很好,有必要加以发展。搞社会主义,不能使羊肉不好吃,也不能使南京板鸭,云南火腿不好吃,(现在云南没有火腿了吗?)不能使物质的花样少了,布匹少了,羊肉不一定照马克思主义做,在社会主义社会里,羊肉、鸭子应该更好吃,更进步,这才体现出社会主义比资本主义进步,否则我们在羊肉面前就没有威信了。
われわれには、何も新しいものはない。あるものはある、ないものはないのである。かつてヨーロッパでは、マルクスとエンゲルスの時代に、すでに新たな課題が提起され、それによって新しい観点と理論、すなわちマルクス主義が生まれた。その後、レーニンがさらにそれを発展させた。では、われわれには新しいものがあるだろうか。ある。それは、形式や細部における新しさである。たとえば、相互扶助組の広範な発展や、業界全体にわたる公私合営などは、新しいものである。過渡期の問題や、資本家階級との同盟については、理論上、レーニンがすでに論じている。ただ、われわれはそれを比較的徹底して、段階を踏んで実行しているのである。これはよいことであり、さらに発展させる必要がある。社会主義を進めるからといって、羊肉をまずくしてはならないし、南京の塩漬けアヒルや雲南のハムをまずくしてもならない。(いまでは雲南にハムはなくなってしまったのだろうか。)物資の種類を減らしたり、布地を不足させたりしてもならない。羊肉の問題まで、必ずしもマルクス主義に従って考える必要はない。社会主義社会では、羊肉もアヒル肉も、いっそうおいしく、いっそう優れたものになるべきである。そうなってこそ、社会主義が資本主義よりも進歩していることを示せるのである。そうでなければ、われわれは羊肉を前にしてさえ、威信を保てなくなってしまうではないか。
社会主义一定要比资本主义还要好,还要进步。要注意情况的复杂性,善于分析,以适合各种复杂情况。许多工作,也还有发展余地,譬如肃反也要发展,现在肃反有一个准备阶段,大有文章可做,不打无准备之仗,这是好的。准备工作做好了,就能做到比延安、甚至比去年又快又好。准备工作做不好,底没有摸清,就会把时间拖长,树敌太多。这都属于领导艺术,也都大有发展余地。去夏以来,几方面的工作,如反胡风、农业合作化、对资本主义工商业改造等领导艺术都是有发展的,在此基础上还可以更发展一步,我们在理论上也应有所贡献,把前人讲过的进一步的发展。但十月革命到现在还没有显着的新东西。
社会主義は、必ず資本主義よりも優れ、より進歩したものでなければならない。情勢の複雑さに注意を払い、分析を巧みに行い、さまざまな複雑な状況に適切に対応できるようにしなければならない。多くの仕事には、まだ発展させる余地がある。たとえば、反革命分子の粛清も、さらに発展させる必要がある。現在、粛清運動には準備段階があるが、この段階でできることは非常に多い。準備のない戦いはしない、というのはよいことである。準備を十分に整えれば、延安時代よりも、さらには昨年よりも、いっそう速く、いっそうよい成果を上げることができる。反対に、準備が不十分で、実情を十分に把握できていなければ、時間が長引き、敵をあまりにも多くつくることになる。これらはいずれも指導の技術に属するものであり、発展させる余地が大いにある。昨年の夏以来、胡風批判、農業合作化、資本主義的工商業の社会主義的改造など、いくつかの分野における指導の技術は発展してきた。この基礎の上に、さらに一歩進めて発展させることができる。理論面でも、われわれは何らかの貢献をすべきである。先人たちが論じたことを、さらに一歩発展させなければならない。しかし、十月革命以来、いまに至るまで、まだ目立った新しいものは生まれていない。
和平问题。和平问题是大家很关心的,是不是有可能让我们有十二年时间,来基本上完成工业化呢?看来是有的。第一次世界大战到第二次世界大战中共经过二十一年,现在,第二次世界大战后已经过去十年,还可能多些。现在和第一次世界大战后的形势已有不同,主要是德国和日本与过去不同,挑战不大可能。美国讲究赚钱,蚀本他不干,没有人抬轿子,自己不想用脚走路。现在美国军队的摆法,就不像打仗的样子,它到处搞基地,就像牛尾巴捆绑在桩上,怎样好动呢?但是还要估计到也有可能突然袭击,世界上可能出疯子的,必须估计到。所以我们的工作,越能提早完成越好,越有利。
平和の問題。平和の問題は、皆が非常に関心を寄せている問題である。われわれに十二年間の時間を与え、工業化をおおむね完成させることは可能だろうか。どうやら、その可能性はあるようだ。第一次世界大戦から第二次世界大戦までは、二十一年の間隔があった。現在、第二次世界大戦が終わってからすでに十年が経過しており、今後さらに長い平和の期間が続く可能性もある。いまは第一次世界大戦後の情勢とはすでに異なっている。とりわけ、ドイツと日本が以前とは違っており、挑戦してくる可能性はそれほど大きくない。アメリカは利益を重視する。損をするようなことはしない。誰も担ぎ手となってくれなければ、自分で歩こうともしないのである。現在のアメリカ軍の配置を見ても、戦争をする構えには見えない。アメリカは至るところに軍事基地を設けているが、それはまるで牛の尾を杭に縛りつけているようなもので、どうして自由に動けるだろうか。しかし、不意打ちの攻撃が突然行われる可能性も考慮しておかなければならない。世界には常軌を逸した行動をとる者が現れる可能性もあるのだから、その点も見込んでおく必要がある。したがって、われわれの仕事は、早く完成させればさせるほどよく、それだけ有利になるのである。
现在我们的主动一天一天多了,如农业,对资本主义工商业改造等。知识分子问题现在还没有主动,还要过一些时候才能主动。在工业方面也没有主动,大批机器还要靠外国,大的、小的(精密的),我们都不能制造,只能造中等的,“两头不行,中间可以”。我们吹牛皮吹不起来,工业上没有独立,科学上没有独立,重要的工业装备和精密机器都不能制造。地大、人多,但是自制的汽车、坦克、飞机有多少,一辆汽车,一架飞机,未免太少吧?有什么值得翘尾巴的!有的同志说些不聪明的话,说什么“不要他们也行”,“老子是革命的”,这话不对,现在叫技术革命,文化革命,革愚蠢无知的命,没有他们是不行的,单靠我们老粗是不行的。
現在、われわれが主導権を握れる分野は、日を追うごとに増えている。たとえば、農業や、資本主義的工商業の社会主義的改造などがそうである。しかし、知識人の問題については、まだ主導権を握るには至っておらず、主導権を握れるようになるまでには、もうしばらく時間がかかるだろう。工業の分野でも、まだ主導権を握れていない。大量の機械設備を、依然として外国に頼らなければならないからである。大型のものも小型のものも、特に精密機械は、われわれには製造できない。製造できるのは中型のものだけである。つまり、「両端はだめだが、中間ならできる」という状態なのだ。われわれは大口をたたこうにも、たたけない。工業面で独立しておらず、科学面でも独立していないからである。重要な工業設備も精密機械も、自分たちでは製造できない。国土は広く、人口も多い。それなのに、自分たちで製造した自動車、戦車、飛行機は、いったいどれほどあるだろうか。自動車が一台、飛行機が一機というのでは、あまりにも少なすぎるではないか。いったい何を誇ることがあるというのだろう。一部の同志は、あまり賢明とはいえないことを言っている。「彼らがいなくても何とかなる」とか、「おれは革命をやってきた人間だ」とかいうのである。しかし、こうした言い方は間違っている。いまわれわれが取り組んでいるのは、技術革命であり、文化革命である。それは、愚かさや無知を一掃するための革命でもある。だからこそ、彼らの力がなければやっていけないのである。われわれのような、専門知識に乏しい者だけに頼っていては、だめなのだ。
这些话是聪明的话,要向广大干部讲清楚,现在打仗,飞机要飞到一万八千公尺的高空,超音速,不是过去骑着马了,没有高级知识分子是不行的,现在我们看出这件事,就可以开始主动,要有大批的高级知识分子,就要有更多的普通知识分子,以后要使每人都有华罗庚那样的数学,都要能看《资本论》这是可能的,二十年不行三十年,最多一百年就差不多,否则叫什么共产主义?同志们回去要向各方面说清楚这件事情。
こうした発言こそ、賢明な考え方である。広範な幹部たちに、このことをはっきりと説明しなければならない。現在の戦争では、飛行機は高度一万八千メートルの上空を飛び、超音速で飛行する。もはや昔のように馬に乗って戦う時代ではない。高度な知識を持つ知識人がいなければ、やっていくことはできない。いま、われわれはこのことを認識したのだから、主導権を握るための取り組みを始めることができる。高度な知識を持つ知識人を大量に育成しなければならず、そのためには、一般の知識人もさらに多く必要となる。将来は、誰もが華羅庚のような数学の能力を身につけ、誰もが『資本論』を読めるようにしなければならない。これは実現可能なことである。二十年で無理なら三十年、遅くとも百年もあれば、ほぼ実現できるだろう。そうでなければ、いったい何をもって共産主義と呼ぶのだろうか。同志諸君は帰任したら、このことを各方面に対して、はっきりと説明してもらいたい。
中国应该有大批知识分子,先接近世界水平,过后赶上世界水平。我国地方大,人口多,位置也不错,海岸线很长,(就是没有轮船)应该成为世界上第一个文化、科学、技术、工业发达的国家。我们有社会主义制度,再加努力,是能够办到的。否则六亿人口,又是勤劳、勇敢干什么呢?几十年以后,如还不是世界上第一个大国,是不应该的。现在美国只有十几颗氢弹,一万万吨钢,我看没有什么了不起,中国应该搞它几万万吨钢。
中国には、大量の知識人が必要である。まずは世界の水準に近づき、その後、世界の水準に追いつかなければならない。わが国は国土が広く、人口も多く、地理的条件にも恵まれており、海岸線も非常に長い(ただし、船がないのだが)。中国は、文化・科学・技術・工業が発達した世界第一の国になるべきである。われわれには社会主義制度がある。さらに努力を重ねれば、それを実現することは可能である。そうでなければ、六億もの人口を擁し、しかも勤勉で勇敢な国民がいるというのに、いったい何のためなのだろうか。数十年後になっても、世界第一の大国になっていないとすれば、それは本来あってはならないことである。現在、アメリカには水爆が十数発あり、鉄鋼生産量は一億トンある。しかし、私に言わせれば、それほど大したことではない。中国も鉄鋼を数億トン生産できるようにすべきである。
中国有个好处,一个是穷,一个是白(无知识),这也有两面性,穷就要革命,知识少是不好的,但好比这张白纸,这一面写过了,就没有什么好文章可做,这一面没有写过,是空白的,就大有文章可做,几十年后,就可以赶上外国。
中国には、一つの長所がある。それは、貧しいことと、白紙であること(知識が乏しいこと)だ。これにも二つの側面がある。貧しいからこそ革命を起こそうとする。知識が少ないことは望ましくないが、たとえばこの一枚の白紙のようなものである。すでにこちらの面に文字が書かれていれば、もう大した文章を書く余地はない。しかし、こちらの面にはまだ何も書かれておらず、白紙のままであるならば、そこには大いに書き込む余地がある。数十年後には、外国に追いつくことができるのである。
(此记录稿未经校对,好多地方没有听清,仅供参考,勿公开引用)
(この記録原稿は校正されておらず、聞き取れなかった箇所が多数ある。参考用に限り、公開の場で引用しないこと。)
〔訳注〕 中国共産党中央委員会は、一九五六年一月一四日から二〇日まで、知識分子問題についての会議を開いた。出席者は党中央委員、同候補、各省・直轄市 ・自治区党委員会の書記・副書記をはじめとする一二七九名であった。本講話は同会議の最終日に行われた。一九五六年一月三〇日付『人民日報』では、毛沢東が本会議で「全党に対し、努めて科学知識を学習し、党外の知識分子と団結し、 迅速に世界の科学の先進的水準に追いつくために奮闘しよう」と呼びかけた、と述べられている。
会議の進行は大変すばらしい。それぞれの同志の話を聞いて、大変面白かった。同志諸君の理論水準は低くなく、 大変高いことがわかった。すばらしい話が多かった。
これから私がお話ししたいのは、指導方法の問題である。二種類の指導方法があるが、その一つは事業をいくぶんゆっくり、まずく進めるやり方であり、もう一つは、事業をどちらかといえば、いくぶん、速く、上手に進めるやり方である。最近一年間の、農業合作化、資本主義的工商業の改造、知識分子の問題など、いくつかの事がらをとりあげてみると、あのようにすることもできたし、このようにすることもできた。いくぶん遅くすることも、下手にすることもできたし、いくぶん早くすることも、上手にすることもできた。われわれは延安にいた頃、憲政促進会を組織したことがあったが、いまではなくなっている。
いま、一部には、中央は全国社会主義促進会になっているという人があるが、今回の会議も一つの促進会であり、省・市委員会、各部門も促進会である。指導機関は促進することもできるし、後退をはやめさせることもできるし、また、前進させたり後退をさせたりすることもできるのである。蔣介石の国民政府は国民の後退をうながす政府であり、社会の後退をうながす政府である。われわれの指導機関は事業の発展を促進すべきであるが、完全にその通りになっているわけではない。たとえば、農村工作部はある一時期は、農村工作の後退促進部になった。
なぜなら、一部の合作社を切り捨てようとしたからである。衛生部もある一時期は後退促進部となり、事業を台なしにした。各地方、各部門にも、このような現象は起らないだろうか? 上部構造が経済的基礎に照応せず、経済の発展を促進することができないのは、上部構造がそれにふさわしい働きを失っているのである。生産力と生産関係では、生産関係が土台であり、その上に、政府、党、各部門があるのであり、これらすべてが上部構造であり、生産力の発展を促進する働きをしなければならないが、もし促進しないなら、その機能を失ったことになる。
右翼保守思想に反対するのは、この問題を解決するためであり、上部構造を土台に照応させ、社会の発展を促進させるためでもある。彼らは客観情勢の発展に充分注意を払わず、評価が不十分である。およそ何事にもすべて二面性があり、一万年後でもやはり二面性がある。しかも、今年と来年では、同じ二面性なのではない。もし、少しも変化しなければ、マルクス主義がなりたたなくなってしまう。
しかし、いまマルクス主義は存在しており、マルクス主義からみると、農業では、この数年来、農民は後進性をどんどん投げ棄ててきており、ここ数カ月間に、農民は大またでかけだしており、数ヵ月間に、個人経営の経済をあらためてしまった。ブルジョアジーも同じことであり、われわれはいつも、彼らが「利益のみを追求する」ものだと言っていたが、今では、彼らはすでに工場を差し出しており(公私合営に変った)、こうなったら、「ただ利益のみ」をどのようにして「追求する」やり方があるだろうか? 知識分子についても、良くないとばかり言ってきたが、今回の会議で、同志たちは、知識分子のうちでは、進歩分子が四○%前後を占め、中間分子が四○%前後を占めているといっている。
そのほかに立ち遅れた者も、もちろんいるが、変化することができるし、しかも、このような変化は促進すべきである。しかし、同志の中には、このような変化が眼にみえず、相手がいないところへ行って決闘しようと考えているものがある。相手がいなくても闘おうとすれば、それはドン・キホーテになってしまう。
もちろん、まだ相手はいるが、やはり変化をとげつつあり、したがって、われわれとしてはこのような変化は歓迎すべきである。われわれは、生産関係が変った後の新しい情勢を見るべきである。昨年上半期はあのように困難であり、いたるところで、われわれは悪罵され、党内でも、党外でも、 われわれは駄目だと言われたものだが、つまりは幾粒かの穀物のためであり、下半期にはもう罵られなくなった。
下半期には、いくつかのよろこばしい出来事があり、豊作と合作化という二つの大きな出来事があり、さらに、反革命粛清もうれしい出来事であった。ここ二、三年間、中国社会には激しい変化が起っており、こうした情況は、同志の間にも、人民の間にも、また知識人の間にも反映している。われわれは、こうした情況を認識すると共に、こうした情況に適応すべきである。
[よろこぶべき変化を〕促進することおよび右翼保守思想に反対することについて述べたが、同時に、拠り所がなくてやれないことをやらないよう注意すべきである。銅羅をたたき、大鼓をたたき、よろこばしい出来事を知らせることはよいことであり、これこそ促進することであり、中央が社会主義促進会であることを証明している!しかし、 現在、すでに、われわれが注意をよび起さなければならない若干の情況が存在することをみてとることができ、この点は問題にする価値がある。
農業発展要綱中のかなりの農業増産の諸指標がすでに捨て去られており、右傾・保守思想が各方面に存在している。二つの指導方法のうち、どちらをとるのか? そこにはまだ研究されておらず、充分な根拠がない幾つかのことがある。たとえば五億五〇万ムー [一ムーは約六・六七アール〕の荒地を開墾するのに、聞くところでは、それに使われる金は一年の〔国家?」予算に等しいという。どのくらいの人民幣になるのか? 荒地はやはり開墾する必要があるが、そんなたくさん開整できるのかどうか。だから、くわしく研究してみる必要がある 〔と思う」。
計画は必ずやれるものでなければならず、拠り所のある基礎の上にうちたてられなければならない。そうしないと、またしても、盲目性をおびたものをこねあげることになる。現在一部の同志のあたまは、もう、いくぶんあつくなっている。合作化が速いのはいいことだが、根拠もなく速くしてはならない。各省の同志が注意を払う必要がある。高級合作化は、ぜひとも、圧倒的多数の人びとの満足する条件の下でやりとげねばならない。
現在、聞くところでは、三○%前後の人びとが放棄した土地に対する利潤の分配を〔受けることを〕まだ放棄していないそうだが、 もしそうなら、数カ月間、待った方がよい。北方では、今年の秋から冬にかけてか、または来年の春になれば、さらに〔情勢〕は転換するだろうから、〔高級化遂行は〕来春がもっとも良いだろう。この点について、諸君がもっといろいろと考えてみられるよう提案する。
陳雲同志は、公私合営は、他の人が門まで送りとどけてくれるのであり、いらないというのはよくない、と言っている。しかし、本心から納得しているかどうかが問題なのであり、もし納得していないなら数ヵ月間、待とう。数ヵ月間、待っても決して長いとは言えない。私は次のように提案したい、数ヵ月も待つというのは、諸君を邪魔しようとするものだとか、右翼日和見主義でもあるとは考えたもうな! どうしても、九〇数%の人を喜ばさねばならないのであり、喜ばない者が数%を越えるようでは、問題がある。
各部門の計画指標も、しっかりした基礎の上に据えねばならない。もともとやれることをやらないのは良くないが、充分な拠り所がなく、やってもできないのにやるのは、 にやるのは、盲目性といわれる。つまり極左的冒険である。さしあたっては、これはまだ主要な傾向ではないが、すでにその傾向は看取できるのであり、一部の同志は頭がそんなにすっきりとはさえておらず、大胆にありのままに物事を捉えようとせず、きこえのよくない右翼日和見主義という言葉を耳にするのを恐れているのである。
およそ、調査・研究してみて、やれないことなら、やれないと思い切って言い、思い切ってとりやめ、計画をしっかりした基礎の上に据えなければならない。
北京はすでに社会主義にはいった。はいるにははいったが、まだ完成しておらず、もう完成したとは言ってはならない。完成するまでには、なお数年間、活動しなければならぬ(たとえばの話だが、なお三、四年はかかるであろう。)
資本家への固定利息〔の支払い]という尻尾をいつ切りすてるかは、やはり情況の発展をみなければならない。 北京の資本家たちの資産の算出・審査には、自己評価の方法を用いることを〔ここに]紹介してよい。今後は、農村 で地主や富農を合作社に参加させる〔問題が重要で」、それにはどういう人たちはよいか、どういう人たちは悪いか、どういう人たちは社員となれるか、どういう人たちは社員候補になれるか、どういう人たちはその生産活動を監督すべきかどうか、という点があるが、やはり、彼ら自身に評定させてもよいだろうか? われわれが指導を加えるかどうか、各地でためしてみること、彼ら自身の中で闘争を起させるようにすることを提案する。
なおもう一つの[問題]点としては、ある同志が、私の『中国農村における社会主義の高まり』の序文のなかで述べられている「もともと想像していたような、そうしたやり方にしたがってやることはもはや完全にはできなくなった」というこの言葉を引用している点であり、私の言った「・・・・・・にしたがっては、 したがっては、完全にはできなくなった」というのは、大体においてはやはりそれにしたがってやらねばならないということであり、そうでなければ、五ヵ年計画ももうなくなってしまったということになりはしないか〔毛沢東は一九五五年一二月二七日に記した『中国農村における社会主義の高まり』の序文で、「中国の工業化の規模と速度、科学・文化・教育・衛生などの事業の発展の規模と速度は、もはや、もともと考えていたようなやり方にしたがってやることは完全にはできなくなった。
これらはすべて適当に拡大し、速度をはやめなければならない」と述べている〕。しかし、ある同志はこれを一度に「もはや、…………… にしたがってやることはできなくなった」とするか「もはや、………………にしたがってやることは完全にできなくなった」 と改めてしまった。頭がもういくらかあつくなっていることがわかる。
×××同志の発言は大変結構だ。文字改革についての意見には、私はすべて賛成だが、諸君が賛成されるかどうかだ。一般大衆の間には大きな問題はない。字を覚えるのが大変容易になるからだ。しかし、一部の人びとは、ローマ字で表音するやり方を採用するのは良いことは大変よいのだが、ローマ字が中国人の発明したものでないのを残念に感じている。
中国人が発明し外国人がこれを学ぶ、すなわち「夏〔中国の古称〕を使って夷〔他民族、他国の蔑称】 を変える」のは問題がないが、外国人が発明して、中国人が学ぶ、すなわち「夷を使って夏を変える」ことは問題があるというわけである。
ヨーロッパの文字は比較的よくできており、×××同志がいうように合理的であり、字母が少なく、書き慣れると、それに軍配をあげたくなる。漢字はくらべものにならない。「漢字は、世界・万国のうち、 もっともすぐれた文字だ」という一部の教授もいるが、私にはそうは思えない。だから、われわれはローマ字を採用したのである。
たとえば、アラビア文字[数字]も外国で発明されたものだが、今では、誰でもが使っているではないか。ローマ字はローマに現われたものだが、英、米、ソ連などの各国でも採用していない国はないではないか。私は文字の歴史を学んだことはないが、彼らも、過去においては、それぞれ自分の文字を持っていたのである。
中国の文字は倉頡〔そうけつ。上古、黄帝の時の左史。生れながらにして神聖で、四目があり、鳥獣の足跡を見て、初めて文字を作ったといわれる〕が作り出したものだそうだが、私にはそうとは思えない。社会主義はロシアに「はじめて] 出現したのではなく、ロシアも学んだのである。われわれは、外国のよいものは、すべてとりいれて、われわれのものに変えなければならず、一〇年か二〇年で国際的な先進水準にまで追いつかねばならない。
漢朝、唐朝だってそうであり、唐朝の奏楽、舞踏には七種類あり、そのうち六種類は外国のものだったが、唐王朝が大いに名を挙げ、それらを永く演じているうちに、中国人のものになってしまったのである。
×××同志の講話のなかに、私の賛成しかねる個所がある。すなわち彼はこういった。「これは、毛沢東同志が昨年七月三一日、農業合作化の問題についての報告を行い、右翼保守思想を厳しく批判すると共に、新しい社会的観点と理論によって、大衆を動員し、大衆を組織した結果である」。「こうした新たな観点と理論は、社会の物質的生活の発展が、すでに社会の前に新たな任務を提起した後にのみはじめて生み出されるものであり、新たな観点と理論が現われたのちには、それらは、もっともすごい力となり、社会の物質的生活の発展過程において提起された新たな任務の解決を促すことができ、社会の前進的発展を促すことができるのである」と。
こんなふうに言われると、農業合作化は、まるで新しい事物であり、新しい社会的観点と理論ででもあるかのようだ。しかし、これは新しい事物などというものではなく、ソ連共産党史に書かれており、彼らが地球上で最初にこれをやったのであり、さらに、百年以上も前に、マルクスがすでに、述べていたのであり、三○年以上前に、ロシアですでにやられていたのである。
われわれが、今、話していることのなかには、何か新しい観点や理論というものはない。われわれには何ら新しいというものはない。あるといえばあるが、ないといえばない。かつて、ヨーロッパにおいて、マ ないといえばない。かつて、ヨーロッパにおいて、マルクスとエンゲルスの前には、すでに新しい任務が提起され、新しい観点と理論が生みだされた。これこそマルクス主義であり、後に、レーニンがまた、これを発展させた。
われわれには新しいものはないのだろうか? ある。それは形態と細かなことがらに属するものであり、たとえば互助組を普遍的に発展させたこととか、全業種別の公私合営化などであり、これは新しいものである。過渡期におけるブルジョアジーとの同盟については、理論的には、レーニンがすでに述べたことであり、 われわれは比較的完全に、だんどりをおって、実行しただけのことであるが、これは大変よいことであり、発展させる必要がある。
社会主義をやるにも、羊の肉をまずくしてしまってはならず、南京の板鴨〔まるごとのあひるを醤油・酒・砂糖などの調味料に漬けてゆっくり焼き香ばしくしたもの。そのうち腹が開けられてないのをいう〕や雲南の火腿〔ハム。豚の腿肉を塩漬けにし、日光に晒して作る〕もまずくしてしまってはならず(今では、雲南には火腿はなくなっているのだろうか?)、物資の銘柄を少なくしたり、布類〔の銘柄]を少なくしたりしてはならない。
羊の肉は必ずしもマルクス主義にしたがってつくられるのではない。社会主義においては、羊の肉やあひるはより一層、 おいしいもの、より一層、進歩したものにすべきであり、そうしてこそ、社会主義が資本主義よりも進歩していることが、具体的に示されるのである。そうでなければ、われわれは羊の肉の前では、威信を失うであろう。
社会主義は、どうしても、資本主義よりももっとよいものでなければならず、もっと進歩したものでなければならない。情況の複雑さに注意を払い、立派に分析して、様々な複雑な情況に適応しなければならない。多くの活動にもまだ発展〔改善〕の余地がある。たとえば反革命粛清も発展させねばならない。現在の反革命粛清は一つの準備段階にあり、細微にわたってなさねばならぬことが大いにあり、準備のない戦いはしないのがよい。
準備活動がうまくできれば、延安のときに比べても、また昨年に比べてさえも、もっと速く、しかももっと立派にやりとげることができよう。準備活動がうまくできず、内情をはっきりとつかめなければ、時間がながくかかるし、あまりに多くの敵をつくることになる。これらはすべて指導の技術に属することであり、それらの技術はいずれも大いに発展〔改善〕の余地がある。
昨年夏以来、たとえば胡風反対の闘争、農業合作化、資本主義的工商業の改造など、いくつかの側面における活動上の指導技術はいずれも発展[改善〕をとげており、それを基礎にして、より一歩発展をとげることができる。われわれは理論の上でも貢献すべきであり、先輩たちの述べたことをより一歩、発展させるべきである。しかし、十月革命以来、現在までのところ、著しく新しい事物はまだあらわれていない。
平和問題。平和問題は、みんなが非常に関心をもっている問題である。われわれが一二年という期間に基本的に工業化を完成する可能性があるだろうか? みたところあるようだ。第一次世界大戦から、第二次世界大戦までに二一年間が、経過したが、現在は、第二次世界大戦が終ってからすでに一〇年間を経過しており、平和はまだもっとつづく可能性がある。
現在と第一次世界大戦後とでは情勢がすでに異なっており、それは主として、ドイツと日本が以前とは異なってきており、戦争を挑発する可能性があまり大きくないことである。アメリカは金もうけの方を追いもとめて、もとでに喰いこむようなことはやらない。興〔こし〕をかつぐ者もおらず、自分の足であるこうとは考えていない。
現在のアメリカ軍の配置は、戦争をするための配置のようにはみえない。かれらはいたるところに基地をつくっており、ちょうど牛の尻尾を家畜をつなぐ代〔くい]にしばりつけているようで、どうしてうまく動けようか。しかし、やはり突然の襲撃の可能性があることも計算にいれておかねばならず、世界には馬鹿があらわれるかもしれず、 それを計算にいれておかねばならない。したがって、われわれの活動は、できるだけはやくくりあげて完成することができればできるほどよく、また、それだけ有利である。
現在、われわれの主動性は日一日と多くなってきている。たとえば農業の改造や資本主義的工商業に対する改造などの面でそうである。しかし、知識人の問題では、今はまだ主動権をにぎっておらず、なお、しばらくの時間をかけなければ主動的に動くことはできない。工業の面でも、主動権をにぎっておらず、大量の機械はなお外国に頼らなければならず、われわれは大きな機械も、小さな機械(精密なもの)も、いずれも、われわれには製造できず、中くらいのものしか製造できず、「両端のものはだめだが、中間のものはやれる」というわけだ。
われわれはホラを吹くにも吹けない。工業の面で独立性がなく、科学の面で独立性がなく、重要な工業設備も精密機械もともに製造できないのである。土地は広く、人口は多いが、自分で造った自動車、戦車、飛行機がどのくらいあるか? 自動車一台、飛行機一機では少なすぎはしないか。
何か威張って見せるほどの価値のあるものがあるのか! ある同志たちはバカげたことをいい、「そんなものはなくてもやってゆける」とか「わが輩は革命的だ」などという。こうした言葉は誤りである。現在の、技術革命とか文化革命とかいわれるものは、無知愚鈍をあらためることであり、それらなしにはやってゆけず、単にわれわれの粗末なものにだけ頼っては、やってゆけないのだ。
こうした言葉が賢い言葉であり、広範な幹部にはっきりと説明してやらねばならない。現在の戦闘では、飛行機は一万八千メートルの高空を超音速で飛んでいるはずで、過去の、馬にまたがってやっていたのとは違うのであり、高級知識分子なしには、やってゆけないのである。今、このことがわかれば、ここで、はじめて、主動的に動くことができるようになる。
大量の高級知識分子を擁するには、それ以上のより多くの普通の知識分子が必要であり、今後は、あらゆるひとびとにみな華羅庚[科学院数学研究所所長]のような〔高度の〕数学を身につけさせねばならず、『資本論』が読めるようにさせねばならない。これは可能であり、二〇年でだめなら、三○年かければよく、もっとも長くて百年もかければ、ほぼ十分であろう。
そうでなければ、共産主義とは一体、何だということになる。同志諸君は帰ったら、各方面に、このことをはっきりと説明しなければならぬ。中国は大量の知識分子をもち、まず世界の水準に近づき、しかる後に、世界の水準に追いつくべきである。わが国は土地が広く、人口が多く、〔地球上の] 位置も悪くなく、海岸線は非常に長い(汽船がないのに)のだから、世界第一の文化、科学、技術、工業の発達した国になるべきである。
われわれには社会主義制度があるから、もっと努力すれば、それはやりとげることができるのである。そうでなければ、六億の人口がおり、さらに「勤勉で、勇敢」でありながら、何をしているのだということになる。数十年後にもまだ世界第一の大国になっていないとしたら、それはけしからんことだ。現在、アメリカには水素爆弾は十数発、粗鋼は一億トンしかなく、私の眼から見れば何も大したものではない。中国はアメリカよりも数億トンも多く粗鋼をつくるべきだ。
中国には長所がある。一つは貧乏だということであり、もう一つは白い(知識がない)ということである。これにはやはり二面性があり、窮すれば革命を望むということ、知識が少ないのは良くはないことだが、それは一枚の白 紙のようなもので、それに何か書かれてあればもうどんなすばらしい文章も書く余地がないのであり、それに何も書かれておらず、真白であれば、大いに文章を書きこむことができるのである。〔だから]数十年後には、外国に追いつくことができるだろう。




