第一話:星が墜ちるまで(ホワイトチョコレートは溶ける)
短編「星が墜ちるまで」の連載版です。
「この世界の本編に、私という存在は登場しない」
魔物が空から降り注ぐ『流星事件』。
ゲームの物語が本格的に動き出すその日で、私の役割は終わる。ここで死ぬ。
最初からそう決まっている惨劇のシナリオ。だから、誰も好きになってはいけない。
そうやって心に固いブレーキをかけ、感情を殺して生きていくはずだった。
……この男に、出逢ってしまうまでは。
◇
「ふあ……はぁ、今日の会議、長すぎないか?」
作戦会議室の重苦しい空気を破るように、小さく欠伸を噛み殺した声が響いた。
ピリついた室内で、ひと際異彩を放つ男——第3部隊長、アル。
金髪に近い、色素の薄い無造作な髪。
肩口で不揃いに揺れる毛先の間から、ほんのりと白い首筋が覗く。
軽く緩められた制服の襟元と、そこからチラリと見える鎖骨のライン。
それは『隊長』という重い肩書きをあざ笑うかのような、抗いがたい色気を漂わせていた。
長身でシャープな肩のライン。
深く背もたれに身体を預け、長い脚を組む仕草ひとつで、周囲の視線を自然と奪ってしまう。
(……ズルい人)
私は書類に視線を落としたまま、胸の奥で小さく息を吐いた。
「隊長らしくない」と誰もが口を揃える。
態度も言葉遣いも気怠げで、いつだって掴みどころがない。
前世でプレイしていた『ゲーム』の世界に転生してから、もう長い月日が経つ。
ゲーム知識があるからこそ、私自身は第9部隊長として任務をこなせていたが。
この男は、本物だ。
ひとたび戦場に立てば、そのしなやかな体躯で刃を振るい、誰よりも美しく、誰よりも冷徹に敵を討ち倒す。
圧倒的な強さと、身を焦がすような色香。
そして何より罪なのは——その気怠げな瞳の奥に隠された、あまりにもズルい「優しさ」だった。
「ほら、ステラ。難しそうな顔してると、額にシワ寄るぞ」
会議が解散した途端、アルが私のデスクにすっと歩み寄ってきた。
長くて綺麗な指先が、ポケットから小さな板チョコを取り出す。
パキ、と軽い音を立てて半分に折るその手の動きさえ、洗練された映画の一シーンのように見惚れてしまう。
「あげる。真面目に頭を使った後は、甘いものに限るだろ」
「また……買ってきたの?」
「余っただけだって」
嘘をつくとき、彼の薄い唇はいつも微かに弧を描く。
彫刻のように整った指先、相手をからかうような、けれどどこか熱を孕んだ瞳。
青い硝子細工のようなその視線に見つめられるだけで、私の鼓動は嫌になるほど跳ね上がった。
この男を好きになるのに、理由なんていらなかった。
誰だって一度彼の瞳に見つめられれば、息を呑む。
日常のふとした瞬間に魅せる圧倒的な色気と、二人きりになった途端に注がれる呆れるほど甘く丁寧な気遣い。
そんなギャップに触れてしまえば、心を狂わされない人間なんてどこにもいないのだ。
彼を好きになってしまったのは、私にとって回避不能な「必然」だった。
(ダメなのに……。好きになればなるほど、いなくなる時が辛くなるのに)
「……会議って、相変わらず暇だな。屋上でちょっと風にあたろう、ステラ」
アルは当たり前のように私の隣に立ち、少しだけ腰を落として、覗き込むように視線を合わせてくる。
ふわりと漂う、彼の体温と微かな香水の匂い。
「……チョコ、屋上で食べる」
「はいはい。じゃあ付き合ってあげるか」
くすりと笑うアルの瞳に射抜かれ、私は胸の奥が熱く疼くのを隠すように立ち上がった。
これが甘い毒だと知っている。
触れれば触れるほど、離れられなくなる底なし沼だと分かっている。
それでも、彼が差し出してくれる指先の熱から、私は最後まで逃げ出すことができなかった——。
◇
重い鉄製のドアを押し開けると、夜の生ぬるい風が二人を包み込んだ。
立ち並ぶ高層ビルの隙間から吹き上げる風は、都市の熱を孕んでどこか重い。
眼下に広がる不夜城のネオンは、まるで青白い宝石を散りばめたように煌めいていた。
「風、気持ちいいな」
アルは手すりに体重を預け、大きく息を吐いた。
夜風に揺れる金髪。横顔の美しいラインを街明かりが優しく照らしている。
「ほら、ステラ」
アルがポケットから取り出したのは、先ほどの甘ったるい香りのするホワイトチョコレートだった。
パキと軽い音を立てて半分に折ると、彼はごく自然な動作で私の肩に腕を回し、自分のほうへぐっと引き寄せた。
「っ……」
密着する体温。
彼の服から漂う微かな香水と、甘いチョコレートの香り。
立ち眩みがするほどの距離感に、私の胸が痛いほど跳ね上がる。
「はい、あーん」
差し出されたホワイトチョコを口に含むと、まろやかな甘さが濃厚に舌の上で溶けていった。
アルの手が、私の頭の上にぽんと乗せられる。
髪を撫でる長くてしなやかな指先の力加減は、呆れるほど丁寧で、愛おしさに満ちていた。
頭では「離れなきゃ」と思っているのに、彼の体温があまりに心地よくて身体が動かない。
溶けてしまいそうな理性を必死に繋ぎ止め、私は低めの声で呟いた。
「……恋人じゃないんだから、やめて」
アルは柔らかく目を細め、いたずらっぽく首を傾げる。
「じゃあ、付き合う?」
「言い方が軽すぎるの」
私は頭に乗せられた手を軽く払い、肩に回された腕を外した。
彼の手が離れた瞬間、触れていた場所が急激に冷えていく気がして、胸の奥がキュッと縮む。
「本気なんだけどなあ」
空を見上げながらぼやいたアルの声は、夜風にさらわれて消えそうくらい優しかった。
(本気なわけ、ないじゃない。いつもそうやって……)
アル越しに見える夜空は、二人を隔てる透明な壁のように、どこまでも遠く冷たい。
揺さぶられる胸の奥を隠すように視線を逸らし、私は小さな唇を開いた。
「バカ……」
拒絶の言葉を紡ぎかけた、まさにその瞬間だった。
すっと伸びてきたアルの滑らかな指先が、私の唇に触れた。
思わずアルを見上げる。
「……っ」
言葉が喉の奥で止まった。
「ひどいな、ステラ。俺に『バカ』なんて言う?」
くすりと笑う彼の低い声が、夜風に混ざって耳奥をくすぐる。
開きかけた唇の指先から伝わる彼の体温と、見下ろしてくる瞳の深さに射抜かれ、私は完全に思考を奪われた。
見上げる青い硝子細工のような瞳には、いつものからかいの色など微塵もなかった。
夜景のネオンを吸い込んだその瞳が、熱を孕んで揺れている。
息を呑むほど情熱的で、逃げ場を塞ぐような眼差しに射抜かれ、私はただ言葉を失うことしかできなかった。
ぴたりと夜風が止む。
まるで世界から音が消え、二人の周囲だけ時間が凍りついたかのような感覚。
息が届く至近距離。
触れ合っているのは唇に添えられた彼の指先だけなのに、互いの熱い吐息が混ざり合い、密やかに重なっていく。
影が濃くなる。
ほんのあと数センチ、顔を近づければ唇が重なる。
アルの手が私の腰を引き寄せれば、それだけで二人を隔てる壁なんて簡単に崩れ去ってしまう。
一度でもその熱に踏み込めば、二度と引き返せなくなる——そんな指先ひとつで弾けてしまいそうなほど甘く重い沈黙が、二人を密やかに包み込んでいた。
胸の奥が甘く疼き、熱く痺れる。
アルの瞳に映る自分の顔は、熱に浮かされたように赤く染まっていた。
自分を繋ぎ止めていた理性の糸が、ブツリと音を立てて切れそうになる。
この大きな胸に飛び込みたい。
「本当は私だって好きだ」と、彼の服を掴んで泣きじゃくりたい。
自分を拒絶しないと分かっている温かい腕に抱きしめられて、自分という存在を彼の熱で満たしてほしい。
そんな浅ましいほどの恋心と葛藤が、私の胸の中で渦を巻いていた。
重なる視線。交じり合う熱い呼吸。
息が詰まるような甘い沈黙の中で、アルの指先が、まるで愛おしい宝物の感触を確かめるように、私の柔らかい下唇をゆっくりとなぞった。
触れられた部分が、熱い。
甘く澱んだ静寂の中で、全身に、毒のように浸透していく。
唇の端で、指が止まる。
アルは熱を帯びた低い声で、耳元に滑り込ませるように囁いた。
「……チョコの欠片、ついてた」
そう言って微笑むアルの指先は、名残惜しそうに唇を離れ、そのままポケットの中へと消えた。
手を仕舞い込んだ直後、彼の肩が一瞬だけぐっと力を含んで強張ったように見えた。
けれど——それも夜風の悪戯か、あるいは私の気のせいだったのかもれない。
私は体中の熱を隠すように、慌てて顔を背けた。
「……チョコ、美味しかった。また買ってきたら食べてあげる」
「はいはい。今度はステラのおごりだぞ」
どこか寂しそうに眉を下げて笑うアル。
私は胸の痛みを押し殺し、作り笑いを浮かべて目の前の夜空を見上げた。
不夜城の空はどこまでも暗く、深く、静まり返っている。
魔物が降り注ぐ『流星事件』——ゲーム本編が始まるその日は、刻一刻と近づいていた。
自分が死に、この世界から消え去るその時が。
(これ以上、好きになっちゃダメなのに……)
口の中に残るホワイトチョコの甘さが、切なくて、愛おしくて、たまらなかった。
本当の気持ちも、死ぬという未来も、絶対に明かせない。
だから私は、笑って、チョコを受け取って、時に突き放しながら肩を預けた。
——この時、私はまだ知らなかったのだ。
私が死ぬ未来で、彼がどれほど狂おしい『執着』を秘めて私を追いかけるのかを。
数ある作品から、お読みいただきありがとうございます!
※誤字脱字、表現の修整をしました。ストーリに変更はありません!




