第12話:じれ甘な日常の始まり
あのアクシデントから一夜明け、私の世界は完全に塗り替えられていた。
今までは「仕事熱心で声が素敵な編集者さん」だった瀬戸さんは、今や私の脳内で「早く私の旦那様になってほしい国宝級イケメン」へとジョブチェンジを果たしている。
ボロアパートの万年床の上で、私は一・五リットルのコーラを抱え、瀬戸さんとの定期打ち合わせの時間を待っていた。
「……ふふ、ふふふふ。あんなイケメンに毎日叱られてたなんて、私って実は前世で徳を積みすぎたんじゃないかな……」
炭酸を一口飲む。喉を通るシュワシュワとした刺激が、そのまま胸の鼓動に変わる。
そんな中、PCから聞き慣れた通知音が響いた。瀬戸さんからの着信だ。
私は反射的に背筋を伸ばし――いや、だらしなく寝転んだまま、けれど声だけはとびきり明るくして通話ボタンを叩いた。
「瀬戸さぁーん! 昨日は、私の熱烈なプロポーズ、一晩じっくり考えてくれましたかぁ!?」
『…………山咲さん。開始早々、脳の検査を勧めたくなるような発言はやめてください』
スピーカーから聞こえてきたのは、昨日失態を晒したとは思えないほど、極めて事務的で、冷徹なトーンだった。
画面は当然カメラオフ。海のアイコンがいつも通り冷ややかに鎮座している。
『昨日の出来事は、予期せぬ機材トラブルによる不可抗力です。お互い、なかったこととして処理しましょう。……いいですね? 今日は次回の記念配信の、収益配分と経費の計算について話し合います』
「ええーっ! なかったことになんてできませんよ! 私の網膜には、瀬戸さんのあの眼鏡越しの照れ顔が四K画質で保存されてるんですから! ねえ、今も顔赤いんじゃないですかぁ?」
『………………。仕事の話をします。いいから資料を開いてください』
瀬戸さんの声が、一瞬だけ微かに震えたのを私は聞き逃さなかった。
今までは「怖い人」だと思って縮こまっていたけれど、あの素顔を知ってからは、この冷たい態度さえも「照れ隠しのバリア」にしか聞こえない。
「もう、瀬戸さんは照れ屋さんだなぁ。……あ、そうだ。瀬戸さん、相談があるんですけど」
『……まともな相談なら、聞きますが』
「最近、他のVの方からコラボのお誘いが結構来てるんです。そろそろ、私も外の世界に出てみようかなぁ、なんて……」
私がそう言った瞬間、スピーカーの向こう側の空気が、一気に重くなった。
瀬戸さんの沈黙。それは怒りというより、もっと個人的で、どろりとした感情が混じっているような気がした。
『…………却下です』
「え、即答!? なんでですか?」
『……今の君の「だらしなさ」は、私が精密にコントロールし、編集で「癒やし」へと変換しているからこそ成立しているものです。……それを、他の配信者の前で不用意に晒し、コントロール不能な事故を起こされるのは、プロデューサーとして容認できません』
「あ、プロデューサーとして、ですかぁ?」
『そうです。……それと、君のあの……炭酸酔いの無防備な姿を、他の男……いえ、他のリスナー以外の目がある場所で見せるのは、リスクが高すぎます。……君の価値を守るために、君は私の管理下にあるべきだ』
瀬戸さんの言葉は、どこまでも論理的な「仕事の理屈」を装っていた。
けれど、最後に漏れた「君は私の管理下にあるべきだ」というフレーズには、隠しきれない独占欲がべったりと張り付いている。
「瀬戸さん……それって、他の人に私を見せたくないっていう、嫉妬だったりします?」
『………………っ。違います! あくまで、ブランド管理の話です! ……いいから、その散らかった部屋の空き缶を捨てなさい!』
通話の向こう側で、ガタンと椅子が派手に鳴る音が聞こえた。
間違いない。瀬戸さんは今、自分の言った言葉の破壊力に気づいて、耳まで真っ赤にして悶絶している。
「あははは! 瀬戸さんの『管理』、喜んで受けちゃいますよ! じゃあ、プライベートも瀬戸さんに管理してもらわないとですね。まずは、私の左手の薬指の空き状況とか……」
『……山咲さん。……君は、本当に……』
瀬戸さんは、絞り出すような溜息をついた。
それは呆れ果てたような音だったけれど、同時に、どうしようもなく私に絆されていることを認めてしまったような、甘い降伏の音でもあった。
『……明日までに、掃除が終わった部屋の写真を送ってください。……いいですね。素材じゃありません。私への、生存報告としてです』
「はいっ! 瀬戸さんのためなら、雑巾がけまでやっちゃいます!」
『……はいはい。……おやすみなさい、ちあきさん』
プツリ。
無機質な切断音。
けれど、最後に聞こえた「ちあきさん」という呼びかけ。
昨日よりもずっと自然に、そして慈しむように響いた私の名前に、今度は私の方が顔を真っ赤にしてベッドに沈み込んだ。
「……管理下、かぁ。……悪くないかも」
◇
その頃。
瀬戸さんは、静まり返った自室で、自身の顔を両手で覆い、机に突っ伏していた。
(……私は、何を言っているんだ。……嫉妬? 管理下? ……仕事のパートナーに対して、あんな……)
PCのモニターには、まだ消していない琥珀ねねの立ち絵が表示されている。
その向こう側にいる、あの色素の薄い瞳をした、だらしなくて放っておけない女性の姿を思い出し、彼は再び深い溜息をついた。
「……本当に、困った人だ……」
独り言。
その口角は、自分でも気づかないほど、優しく弧を描いていた。
◇
幸せな熱気が充満するボロアパート。
けれど、その多幸感の裏側で、不穏な動きが加速していた。
ちあきが、一人の女性として、そして一人の成功者として輝き始めたことに――。
地獄の底で喘いでいるはずの「あの男」が、ついにその『富』の匂いを、卑しくも嗅ぎつけようとしていた。
第12話をお読みいただき、ありがとうございます!
瀬戸さんの「管理下にあるべきだ」発言……。ビジネスを装った独占欲が漏れ出してしまうシーンに全力を注ぎました。
名前呼びも自然になり始め、二人の距離はもう「仕事相手」という言葉では説明がつかないところまで来ていますね。
瀬戸さんの嫉妬交じりの小言にニヤリとしていただけたなら幸いです!
これから二人の関係はどう深まっていくのか、そして不穏な気配を見せる健二は……。
「瀬戸さん、独占欲もっと出して!」「ちあきのアタックが効きまくってるw」と思ってくださいましたら、
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