第11話:運命のカメラ切り忘れ事件(後編)
真っ暗になったモニターを前に、私は数秒間、呼吸の仕方を忘れていた。
脳裏に焼き付いて離れない、あの映像。
知的な眼鏡の奥で、驚きに揺れていた深い色の瞳。
少しだけ寄せられた眉と、白皙の肌に広がる、鮮やかなまでの赤み。
「……無理。……好き。……っていうか、尊い……」
私は、手に持っていた一・五リットルのコーラをベッドに放り出し、シーツに顔を埋めてのたうち回った。
瀬戸さんがイケメンだとは、なんとなく想像していた。声があんなに素敵なんだから、きっと整った顔立ちなんだろうな、程度には。
けれど、あれは反則だ。
あんな、実写映画の主役を張れるようなハイスペック男子が、裏方として私のズボラな愚痴を一晩中聞いてくれていたなんて。
「……ダメだ。このままじゃ寝られない。っていうか、今すぐ確保しなきゃ誰かに盗られちゃう!」
炭酸の多幸感と、恋という名の猛毒が混ざり合い、私の理性は粉々に粉砕された。
私は狂ったように通話アプリを操作し、今しがた一方的に切断されたばかりの瀬戸さんへ、ビデオ通話をかけ直した。
呼び出し音が数回。
画面は真っ暗なまま――今度は向こうがカメラに物理的なカバーをかけたようだ――音声だけが繋がった。
『……山咲さん。……何の真似ですか』
聞こえてきた声は、いつもの数倍も低い。
怒っているというより、必死で自分を律しようとしている、そんな余裕のない響き。
「瀬戸さん! 隠してたんですか! あんな国宝級のイケメンだってこと! 詐欺ですよ、視覚的な暴力ですよ! 私、決めました。瀬戸さんと結婚します! 今すぐ区役所の場所調べてきます!」
『……落ち着いてください。……大体、君はさっきの自分の姿を思い出しなさい。ボサボサの髪に、首の伸びたジャージ。画面の端には脱ぎっぱなしの靴下が映っていましたよ。そんな惨状を晒しておいて、よくそんなことが言えますね』
「いいんです! 私はだらしないけど、瀬戸さんは完璧なんだから、足して二で割れば丁度いいんです! それに、瀬戸さんは私の『だらしなさ』が価値だって言ってくれたじゃないですか! これ、実質『一生僕が管理してあげるからね』っていうプロポーズですよね!?」
『……曲解も甚だしい! 私はあくまで、ビジネスパートナーとして……』
「じゃあ、なんであんなに顔を赤くしてたんですかぁ? 瀬戸さんのあの照れ顔、めちゃくちゃ可愛かったです! あの隙だらけの顔を見せられたら、私もう止まれませんよ!?」
『……っ、それは、部屋の照明の加減です! ……だいたい、君は……』
瀬戸さんが、明らかに言葉を詰まらせた。
あの有能で、どんなトラブルにも動じなかった瀬戸さんが、たった一回のカメラ切り忘れで、ここまでボロを出している。
その事実が、私をさらに狂わせた。
「瀬戸さん、瀬戸さん、瀬戸さーん! 私、瀬戸さんのこと、もう仕事相手として見られません! 大好きです! 私の旦那さんになって、一生私のコーラの買い出しに行ってください!」
『……却下です。……いいですか、山咲さん。今の君は炭酸の影響で理性が欠如しているだけだ。……明日になれば、自分の言動を後悔して死にたくなるのが目に見えています。……さあ、今すぐ通信を切って、顔を洗って寝なさい』
「嫌です! 瀬戸さんの声、もっと聞きたい! ……っていうか、さっきの顔、もう一回見せてくださいよぉ! スクショして待ち受けにしますから!」
『……絶対に、嫌です。……仕事に戻ってください』
瀬戸さんは、いつもの「はいはい、掃除をしてください」という逃げ口上すら忘れたのか、ひたすら私を追い払おうとしている。
けれど、マイク越しに伝わってくる彼の呼吸は、いつになく荒い。
◇
通話の向こう側。
瀬戸さんは、薄暗い自室で、自身の熱くなった顔を片手で覆い、デスクに突っ伏していた。
(……なんだ、あの顔は……)
画面に映った山咲ちあきの、あの素顔が頭から離れない。
いつも汚い部屋の物音や、だらしない泣き言を素材として送ってくる彼女。
声だけは天使だと思っていたが。
まさか、あんなに色素の薄い、吸い込まれそうな瞳をしていたなんて。
上気した頬と、驚きに潤んだ唇。
自分がプロデュースしている『琥珀ねね』というキャラクターを遥かに凌駕する、圧倒的な生命力と魅力を持った「一人の女性」が、そこにはいた。
(……仕事だ。これは仕事なんだ……。……だが……)
自分に向けられた「大好きです」という、炭酸酔いのせいだと分かっていても抗いようのない直球のアタック。
瀬戸さんは、自分の心臓が、かつてないほどの速度でビートを刻んでいるのを自覚せざるを得なかった。
◇
「……瀬戸さん? 黙っちゃってどうしたんですか? もしかして、私のこと考えて、悶絶してます?」
『…………。……山咲さん、君は本当に、恐ろしい人だ』
瀬戸さんが、ようやく絞り出すように言った。
その声には、冷徹な壁などもうどこにもなくて。
ただ、一人の男として、一人の女性に振り回されていることへの、心地よい諦めが混じっていた。
「瀬戸さん……。私、いつか画面越しじゃなくて、本物の瀬戸さんに会いたいです。……会いに行ってもいいですか?」
私の、少しだけ真面目なトーン。
瀬戸さんは、しばらくの間、静かに沈黙を守り。
『……今は、画面越しで十分です。……君の部屋を片付けさせる方が先決ですから。……おやすみなさい。……明日、ちゃんと反省しておいてくださいよ』
プツリ、という無機質な切断音。
けれど、最後に聞こえた彼の声は、これまでのどの「おやすみ」よりも、ずっと優しくて、甘かった。
「……あは。……絶対、会いに行ってやるんだから」
私は、空になったコーラのペットボトルを胸に抱き、真っ赤な顔でシーツに潜り込んだ。
瀬戸さんという、最高の獲物……じゃなくて、パートナーを見つけた。
もう、ビジネスライクなフリなんてしていられない。
私たちの関係は、一回のクリックミスによって、取り返しのつかないほど加速し始めた。
第11話をお読みいただき、ありがとうございます!
ちあきの「ブレーキ壊れた猛アタック」回、いかがでしたでしょうか?
有能な瀬戸さんが「照明の加減です!」と苦しい言い訳をするシーン、執筆していてとても楽しかったです。
一方の瀬戸さんも、ちあきの素顔の破壊力にやられて、内心はパニック状態……。
二人の距離が、ついに「仕事」の枠を完全に踏み越え始めましたね。
「瀬戸さんの赤面もっと見たい!」「ちあきのアタック、ナイス!」と思ってくださいましたら、
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