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EP.3-10 歪んだ娯楽

皆さん、こんにちは!Time Bombです!


8月もあっという間でしたね。


改めまして、今月も『Abyss Trigger ーーSecret Xーー』をご愛読いただき、本当にありがとうございました!


今月のお礼については、明日改めて活動報告でお伝えさせていただきます。


EP.3はいよいよ任務編へ突入しましたので、ここからの展開も引き続き楽しみにしていただけると嬉しいです!


そして、明後日からはいよいよ連載9ヶ月目!

来月もよろしくお願いします!


そしてもう一つ。


ついに明日20時、『Summer Friend』最終話を更新します!


そちらもあわせて、よろしくお願いします!

 6月22日、任務当日。


 瑞葵は昨日と同様、柚木によってかわいい女の子の姿に変身していた。


 昨日はウィッグで長髪にしていたが、今日は任務のため、わざわざエクステまでつけたらしい。

 しかもただ長くしただけじゃない。

 毛先の流れも、前髪の落ち方も、横顔の見え方まで丁寧に整えられていて、昨日よりさらに女の子らしさが増していた。


夏月(昨日に比べて女の子らしさに拍車がかかってるのがムカつく。)


 夏月と瑞葵は、西横にいても浮かない服装へ着替える。


 夏月は、パンツが隠れるほど大きめのTシャツに短パンという格好だった。

 ラフで動きやすい服装ではあるが、その分、太ももがそのまま見える。

 任務用だと分かっていても、普段の自分ならまず選ばない系統だ。


夏月「なんか、足出しすぎな感じがする……」


悠喜「意外と足細くてきれいなんだな」


夏月「うっさい! 変態! あと、意外ってなに?」


 悠喜は肩をすくめるだけだったが、口元は少し楽しそうだった。


 一方の瑞葵は、髪をツインテールにされ、上は白が少し混ざった丈の短い黒のワンピース。

 脚には黒のニーハイソックスを履かされている。

 生地は薄く、足がうっすら透けて見えた。念のため、顔には黒いマスクもつけている。


 こうして全体を見ると、違和感どころか妙に完成度が高いのが腹立たしい。


 顔立ちが中性的なのもあるのだろう。

 身長も、華奢な肩も、少し落ち着きなく立っているその仕草すら、今は“女の子”として成立してしまっている。


瑞葵「肌は隠れてるけど、すごい……恥ずかしい……」


翼 「結構似合ってるよ。 しっかり地雷系女子になってる!」


晴翔「あとは声だな。 少しかすれ声で話せば、酒焼けしてるんだなくらいには勘違いされると思う」


 瑞葵はますます居心地悪そうに肩を縮める。


柚木「二人とも、これなら西横にいても怪しまれないね。 それじゃあ行きましょうか」


 その声で、部屋の空気が少し引き締まった。


 ここからは本番だ。


 夏月は、胸の奥で小さく深呼吸をした。


ーーーーー


 車内には、出発前の軽さとは違う妙な緊張が漂っていた。


 外を流れていく夜の街の光が、窓ガラスに細く伸びては消えていく。

 誰も大きな声では話さない。エンジン音と、時折タイヤが路面を撫でる音だけがやけに耳についた。


 瑞葵は目に見えて硬い表情をしている。


 無理もない。

 普段の任務でさえ、瑞葵はいつも不安そうな顔をしている。

 しかも今日は頼りの翼がいない。

 いつもなら翼が「大丈夫だ」と肩の力を抜かせてくれるが、今日はそうはいかなかった。


 河村亜美の件もあり、今回のように夏月と二人きりで動くとなると、何かあった時は自分がカバーしなければならない。

 そんな意識が、知らず知らずのうちに瑞葵の中に重く沈んでいるのだろう。


 マスクの奥で、何度も小さく息を整えているのが分かる。


 その隣で、夏月は窓の外を見ていた。


 普段の夏月なら、こういう時は翼のことばかり考えているはずなのに、今日は違った。

 昨日のことがまだ心のどこかに引っかかっていて、どうにも落ち着かない。


 兄は今も、自室にこもって勉強しているのだろうか。

 毎日どれくらい机に向かっているのか。

 何時まで起きているのか。

 そして、その頑張りを父はどう見ているのか。


 街の明かりがやけに幻想的に見えた。


 それは綺麗というより、遠いという感覚に近かった。

 触れられないもの。

 入れない場所。

 そこにあるのに、自分とは関係ないもの。


 苳也にとって、夏月は母を奪われた存在でもある。


 その事実は、どれだけ言葉を重ねても消えない。

 家庭の空気が歪み切ってしまった中で、苳也はその感情をどこにも置けず、夏月へぶつけることでしか保てなかったのかもしれない。


 今の自分は、夏月と同じ“出来損ない”の側へ落ちかけている。

 そう感じているのだろうか。


 散々見下してきた相手と、自分が同じ場所へ近づいている。

 苳也のプライドが、それを許せるはずがない。


 あの無言の横顔が頭をよぎる。


 何も言わなかったことが、かえって重かった。


柚木「夏月ちゃん、瑞葵くん。 そろそろだわ」


夏月「あ、はい」


瑞葵「は、はい」


柚木「昨日話した通り、施設の近くにたむろしてる西横キッズに紛れて中へ入ってね」


夏月、瑞葵「はい!」


柚木「あの施設は大人の出入りは厳重に見てるらしいけど、中学生くらいの見た目なら問答無用で入れるみたいだから」


夏月、瑞葵「分かりました」


 車がゆるやかに減速する。


 西横の空気が窓越しでも分かった。

 湿ったような夜気。

 どこか甘ったるい香水の匂いと、路地裏にこびりついた煙草の気配。

 慣れたはずなのに、何度来ても好きになれない。


 夏月と瑞葵は、以前と同じように西横から少し離れた場所で降ろされた。


柚木「何かあったらイヤモニですぐ連絡してね」


 ドアが閉まり、車が動き出す。


 夏月と瑞葵。

 初めてのペアで挑む任務が、今まさに始まろうとしていた。


ーーーーー


 車のテールランプが遠ざかっていく。


 その赤い光が見えなくなった瞬間、夏月は小さく息を吐いた。


 ここから先は、自分たちだけだ。


 目の前にある施設は、外から見ればただの古びた雑居ビルのひとつにしか見えなかった。

 ネオンの看板もなく、入口も派手ではない。

 だが、その周囲には明らかに場違いな空気が漂っている。


 建物の壁際には、同年代くらいの子どもたちが何人もたむろしていた。

 地面にしゃがみ込んで缶ジュースを飲んでいる者。

 スマホをいじっている者。

 退屈そうに壁へもたれかかっている者。

 笑っているのに、その目だけは妙に鋭い。


 誰もが暇そうで、誰もが何かを待っているようだった。


 甘ったるい香水の匂い。

 タバコの煙。

 湿った夜気。

 全部が混ざって、喉の奥に嫌な感じで残る。


瑞葵「……っ」


 隣で瑞葵の肩が小さく強張る。


 夏月は視線を前に向けたまま、小声で囁いた。


夏月「視線、下げすぎないで。 きょろきょろしたら目立つ」


瑞葵「う、うん……」


夏月「あと喋る時は短く。 声、少し低めにね」


 瑞葵は緊張したまま、こくりと頷いた。


 その様子を横目で見ながら、夏月は胸の奥で小さく息を整える。


 大丈夫。

 今日の自分はメインだ。

 瑞葵を引っ張るのも、自分の役目。


 そう言い聞かせて、夏月は一歩前へ出た。


 すると、たむろしていた子どもたちが無言のまま建物の中へ流れ込んでいく。


夏月「わたしたちも行くよ」


 瑞葵は無言で頷いた。


 建物の出入り口には、パーカー姿のラフな格好をした男が立っていた。

 だが、拍子抜けするほどあっさり中へ入ることができた。


 それでも、完全な無審査というわけではないらしい。


 夏月たちの後ろでは、一人の女性が引き止められていた。

 見た目で中年だと分かるその女は、何か食べるものが欲しいのだとしつこくせがんでいる。


 声が耳障りなほど甲高い。


瑞葵「ん!」


夏月「何? どうしたの?」


 夏月は“大きい声を出さないで”という表情で瑞葵を見る。


 瑞葵は無言で頷き、前を向こうとした。

 けれど、どうしてもその中年の女性へ視線を奪われてしまう。


 以前、翼と西横任務に行った時に見かけた女性だった。


 次の瞬間、女が突然叫び声を上げる。


「いやあああ!」


 今回も女は叫び出した。

 だが周囲は、その女をまるでいないもののように扱う。


 反応した子どももいたが、「臭っ」と顔をしかめるだけで、それ以上は誰も関わろうとしない。


 その空気に、瑞葵は少し胸が痛んだ。


 河村亜美を救えたように、この女性を救える誰かは今後現れるのだろうか。

 そんなことを考えてしまう。


夏月「瑞葵」


瑞葵「!」


 夏月は瑞葵に近づき、耳元で小さく囁いた。


夏月「今は任務に集中して」


 それだけだった。


 きつい言い方ではない。

 けれど、それ以上は許さないという声音だった。


 その声に、瑞葵ははっとする。


瑞葵(そうだ。 今は目の前のことを頑張らないと)


 少なくとも、この任務を成功できれば救える子どもたちが出てくるかもしれない。


 瑞葵はそう願い、改めて気を引き締めた。


 コロシアムは地下二階らしく、二人は人の流れに紛れて下へ進んだ。


 階段を下りるたびに、熱気が濃くなる。


 笑い声。


 野次。


 酒の匂い。


 汗の匂い。


 何かがぶつかる鈍い音。


 息苦しい。


 中は二百人ほど入れそうな広さだった。

 薄暗い照明の中、そこそこの数の女の子たちがすでに集まっている。

 壁際にたむろする者、試合前なのにもう出来上がっているような顔をしている者までいた。


 ここにいる全員が関係者とは限らない。

 だが、ここにいる全員が少なくともこの空気に慣れている。


「へえ、あんたたち見ない顔だね」


 声のした方を向くと、夏月と瑞葵より若干年上に見える女性が立っていた。


 濃いメイクに派手なアクセサリー。

 笑っているのに、目の奥は笑っていない。


 その視線のなめるような感じに、夏月は反射的に身構える。


夏月「最近、こっち来たの」


瑞葵「です」


「ふーん……」


 その女は、夏月と瑞葵をじっくり眺めた。


夏月「なに?」


「いや、どんな顔してんのかと思ってね。 あなたはまあ普通ね。 名前なんていうの?」


 夏月は“トイレ掃除で使った雑巾を顔パック代わりに使ってそうな顔の人に言われたくないです”という気持ちを必死に押し込めた。


夏月「……なつきです」


 一瞬、照子を使うか迷ってしまった。


 危ない。

 こういうところで迷うのは駄目だ。


「なつきね。 私はもえこ。 あんたは?」


 瑞葵はぴくっと怯える。


 肩がほんの少し上がっただけなのに、夏月にはそれがはっきり分かった。


夏月まったく……


夏月「この子、人見知りなの。 さっきから口数少ないのに、私についてきてて」


もえ「へーえ」


 もえこは必要以上に瑞葵の顔を覗き込み、マスクを引っ張って口元まで見た。


 瑞葵は男だと気づかれたのかと心臓が跳ね上がった。

 だが、もえこは「かわいいね」と言っただけだった。


もえ「君、結構かわいい顔してるね。 顔も整ってるし」


夏月(は?)


もえ「コロシアム参加するなら、顔は守っときなよ」


「も〜え〜」


 明らかに関わったら面倒そうな集団が、向こうから声をかけてきた。


 もえこは「わたし行くから」と言って、その場を離れる。


もえ「ここで暮らすなら仲間増やしときなよ。 コロシアム来れば、また相手してあげるから」


 そう言い残して、もえこは集団の中へ消えていった。


 瑞葵は男だとバレなかったことにひと息ついた。

 だが、隣の夏月が明らかに不機嫌そうだったせいで、完全には心が落ち着かない。


ーーーーー


 夏月たちは、人がたむろしている場所の死角を見つけ、そこで待機した。


夏月「ムカつく!」


瑞葵「夏月、落ち着いて。 正直、僕だってかわいいって言われても微妙だし」


夏月「任務終わったらコロシアムでギタギタにしてやる」


瑞葵「それはダメでしょ……」


 夏月は大きく息を吐く。


 腹が立つ。

 ただでさえ瑞葵の女装姿が完成しすぎていて腹立たしいのに、その上知らない女にまで“かわいい”を連発されるのは、なぜか思った以上に癪だった。


 でも、それを引きずって任務を潰すわけにはいかない。


夏月「ねえ?」


瑞葵「うん?」


夏月「怪しいところあった?」


瑞葵「え? あ……その……」


夏月「そこが甘いのよ」


瑞葵「ご、ごめん……」


 瑞葵はしゅんとする。


 その顔を見て、夏月は少しだけ言い方をきつくしすぎたかと思ったが、今は甘やかしている場合でもなかった。


夏月「あまりここに長居したくないから教えるけど、怪しいのは二階に繋がってる螺旋階段と厨房裏ね」


瑞葵「え?」


 言われて周囲を見回すと、たしかに螺旋階段のところにはラフな格好をした大人が二人いる。

 客のふりをしているが、立ち位置が不自然だ。誰かが近づけばすぐ分かる位置にいる。


 厨房の方は逆に誰もいないから一見安全そうに見える。

 だが、バックヤードに続く扉の奥は何も見えず、むしろそれが不自然だった。


瑞葵すごい


 もえこの言葉にイライラしているのは薄々分かっていた。

 けれどその中でも、夏月はちゃんと自分の役割を果たそうとしていた。


 自分だって、何かしなければ。


 そう思うだけで、さっきまでの緊張とは違う熱が胸に入ってくる。


瑞葵「夏月、僕は……どうすればいい?」


夏月「とりあえず、その格闘やらが何回戦かやるみたいだから、まずはそれを見るわよ」


瑞葵「分かった」


夏月「格闘の最中か、インターバルか。 どっちが隙が出やすいか見て、タイミングを測って潜入する」


瑞葵「うん」


 夏月の視線はもう、さっきまでの苛立ちとは別の鋭さを帯びていた。


 任務モードに切り替わったのだと、瑞葵にも分かる。


 そして、その姿を見て瑞葵は改めて思う。


 やっぱり夏月はすごい。

 感情が揺れていても、現場ではちゃんと前を向ける。


 だったら自分も、せめて足を引っ張らないようにしなければならない。


 地下の熱気の中、試合開始を告げるようなざわめきが少しずつ広がっていった。


 先ほどまでそれぞれ好き勝手に喋っていた子どもたちが、中央に設置された簡易リングの方へ自然と視線を集めていく。

 リングといっても本格的なものではない。

 床より一段高くなった四角いスペースをロープで囲っただけの粗末な作りだ。

 けれど、それが逆にこの場所の異様さを強めていた。


 遊びではない。


 ここでは本当に子どもたちを戦わせているのだと、誰の目にも分かる。


 リングの周囲には、酒の缶を持った女の子や、退屈そうに欠伸をしている子までいる。

 けれど試合が始まる気配を感じた途端、その場の空気がわずかに変わった。


 期待。


 興奮。


 退屈しのぎ。


 金の匂い。


 色んなものがごちゃ混ぜになった視線が、リングの上へ注がれていく。


瑞葵「……ほんとにやるんだ」


 瑞葵が小さく呟く。


 その声は、マスク越しでも分かるほど強張っていた。


夏月「だから来たんでしょ」


 夏月は短く返す。


 声は冷静だが、内心はまったく穏やかではなかった。


 子どもを集め、戦わせ、勝てば報酬。

 負ければ知らない。


 そんな仕組みがここでは当たり前のように回っている。


 吐き気がする。


 けれど今は、その嫌悪感に飲まれている場合ではない。


 リングの脇へ、二人の少女が連れて来られた。

 片方は茶髪のショートカットで、見るからに気が強そうな顔つき。

 もう片方は小柄で、細い腕をしている。

 だがその目は死んでいなかった。

 むしろ、妙にぎらついている。


「はいはーい、始めるよー」


 甲高い声が響く。


 見ると、リング脇に立つ年上の女が手を叩いていた。

 派手な化粧に露出の多い服装。

 司会役なのか、場慣れした様子で周囲を煽っている。


「今日の一戦目は、こないだ負けたリナの再挑戦! 対するは三連勝中のマコ!」


 歓声とも野次ともつかない声が上がる。


 リナと呼ばれた小柄な少女は無言のままロープをまたぎ、リングへ上がった。

 対するマコは観客へ向かって片手を上げ、余裕の笑みを浮かべる。


瑞葵「……あの子、僕らとそんなに変わらないよね」


夏月「見れば分かるでしょ」


瑞葵「うん……」


 夏月はリングではなく、その周囲を見ていた。


 試合が始まれば、人の意識はどうしても中央へ向く。

 そうなれば、警戒が薄れる場所が出るはずだ。

 柚木の言っていた通り、狙うべきは関係者のデータ。

 そのためにはまず、この施設の中で“人の目が薄くなる瞬間”を掴まなければならない。


 螺旋階段。

 厨房裏。

 どちらも怪しい。


 だが今のところ、階段付近には二人の大人が張り付いたままだ。

 客のふりをしているが、あの位置取りは明らかに監視役だ。


 一方、厨房裏は出入りが少ない。

 少ないが、それが逆に気になる。

 人気がなさすぎる場所は、近づいた時点で目立つ可能性がある。


 リング上で試合開始の合図が鳴る。


 直後、マコが迷いなく距離を詰めた。


 鈍い打撃音。


 小柄なリナは最初の一撃を腕で受けたが、その衝撃で体勢を崩す。

 そこへさらに膝蹴りが入る。

 周囲から歓声が上がった。


瑞葵「っ……!」


 瑞葵の肩がぴくりと跳ねる。


夏月「見るなら最後まで見なさい」


瑞葵「……うん」


夏月「目逸らしてたら、余計怪しまれる」


 そう言われて、瑞葵はぎゅっと唇を結んだ。


 任務だ。

 今は、任務。


 そう頭では分かっている。

 だが、どうしても身体が反応してしまう。

 痛そうだとか、止めなきゃとか、そういう感情が先に来てしまうのだ。


 リング上ではリナがなんとか反撃に出ていた。

 小柄な分、動きは速い。

 だが経験の差か、マコはそれを見切っている。

 空振りした腕を掴み、無理やり引き寄せて肩から床へ叩きつけた。


 また歓声が上がる。


 その歓声の熱とは逆に、夏月の胸の奥は冷えていた。


夏月(ここにいる子たちは、これを見て何を思ってるの)


 面白いのか。

 憧れるのか。

 それとも、自分もここで勝てば何か変わると思っているのか。


 どれにせよ、まともじゃない。


 試合は決着がついたらしい。


 リナが床へ倒れ込んだまま動けず、周囲からは「つまんな」「弱っ」など好き勝手な声が飛ぶ。

 マコは息を乱しながらも勝ち誇った顔をしていた。


 敗者に駆け寄る者はいない。


 ただ、係らしい女が乱暴に腕を引いてリングの外へ引きずっていくだけだった。


瑞葵「……」


夏月「言いたいことあるなら、終わってから聞く」


瑞葵「え」


夏月「今その顔してると分かりやすいのよ」


 瑞葵は慌てて表情を引き締めた。


 やっぱり、まだ危なっかしい。

 でもそれを責める気持ちは、昨日までより確実に薄くなっていた。


 受け入れる。

 松戸に言われたその言葉は、まだ完全に自分の中へ落ちてはいない。

 けれど、少なくとも“最初から切り捨てる”気持ちはもうなかった。


 次の試合の準備が始まる。


 さっきと比べて、明らかに瑞葵の顔色が悪くなっているのが分かった。


夏月「もう、トイレ行ってきな」


瑞葵「いや、いい……」


夏月「分かりやすいのよ。 それに今無理して、肝心の時に動けないと困るから」


瑞葵「ご……ごめん………」


 瑞葵は建物内にあるトイレへ駆け込んだ。


 その背中を見送りながら、夏月は小さく息を吐く。


夏月(はぁ……情けない……)


 けれど、ここで瑞葵を責めても仕方がない。

 任務は、自分で動くしかない。


 そう思って覚悟を決めたところで、背後から声がした。


もえ「あれ?さっきの」


 振り向くと、さっきのムカつく女が立っていた。


夏月「どうも」


もえ「どう? ここに来るのは初めてでしょ?」


夏月「まあ、そこそこ衝撃的というか……」


もえ「あのかわいい子は?」


夏月(どこがよ!)


夏月「さあ……」


 別にもえこに可愛いと言われても大して嬉しくはないと分かってはいる。

 それでも、自分を差し置いて瑞葵がかわいいと言われるのは正直ムカついた。


もえ「あのさ、一応言っとくけど、わたしの方が年上だと思うからね」


夏月「あ、すみません」


もえ「まあ、いいけど。 なつきだっけ? トガッた子好きだから」


 その言い方にも腹は立ったが、夏月は顔に出さなかった。


 むしろ今は、使える相手なら使うべきだ。


夏月「あの、ここって上はいくつまで入れるの?」


もえ「まあ、だいたい高校生くらい。 若い顔なら大学生でもいけると思うけど」


夏月「そうなんだ。 なんか、わたしと年が近い子がさっき闘ってたから」


もえ「まあ、年齢低い方が勝った分の戦利品いいのもらえるからね」


夏月「え? そうなの?」


 意外なところに情報源がいる。

 そう確信した夏月は、そのままの流れでもえこから情報を引き出しにかかる。


もえ「こーら! 敬語になってる。 タメでいいよ」


夏月「あ、ごめん」


夏月「戦利品って、誰が出してるの?」


もえ「分からないけど、コロシアム好きな大人がお金出し合ってるみたいな噂は聞くよ」


もえ「さっきのマコとリナも、大人同士でどっちが勝つか賭けるんだけど、マコは三連勝に対して、リナは前回マコに負けてるから、リナが勝った分お金が増えるみたいな噂はあるわよ」


夏月「ひどい……」


もえ「そう? その分、わたしたちにも潤い来るから、お互いWin-Winな関係だと思うけど」


 きっとこのもえこも、西横の空気に呑まれてしまっているのだと夏月は思った。


 西横の子どもたちにとって、ここは数少ない娯楽のひとつになっているのかもしれない。

 けれど、それは絶対に間違っている。


 こんな場所が“娯楽”として成立していること自体が、もう狂っていた。

次回予告


「今の瑞葵を見て、信用できると思う?」


潜入したコロシアムで、少しずつ明らかになっていく施設の実態。


手掛かりを掴み、一人で厨房裏へ向かう夏月。

残された瑞葵は、自分の失敗と無力さを突きつけられる。


それでも――

この任務にいるのは、夏月だけじゃない。


迫るタイムリミット。

リングに立ちはだかる、圧倒的な強敵。


瑞葵は震える身体を抑え、一つの決断をする。

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