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第13輪 ノアの湯船

「すまない。娘の親友たちと聞いて、張り切ってしまってね」

「……恥ずかしいわ」


 無邪気な笑顔で後頭部をかく釖木父こと才華さいかさん。

 今のところ大声の野太さ以外驚く部分はない。


「あ、郷華ちゃんのお父さん、今夜は急な訪問にもかかわらず受け入れてくださってありがとうございます。つまらないものですが」


 そう言って美雪は持っていた風呂敷から重箱を取り出して才華社長に差し出す。

 美雪の事情もあって少し心配だが、見守ることにした。


「失礼。こういう物は一旦、我々が受け取ります」

「は、はい」


 厳し表情からは想像できない綺麗な声に内心驚く。よく見るとジャケットの下はブラウスだっけか、それを着ている。

 男装の麗人という表現がとても似合う。


「出ましたね。多田ただの陰湿女」

「忘れさ瀬田、いたのですね。あまりにも釖木家に仕える人間としての風格が無さ過ぎて見えませんでした」

「あなたは相変わらずお客様の土産きもちを毒物かなにかみたいに扱うのは失礼ですぞ!」

「もしもの可能性を考慮しての行動です」

「白守様がご主人様に毒を盛るとでも?」

「あり得ない話ではありません」


 女性の行動が気に食わなかったのか後ろの方で待機していた瀬田さんが突っかかる。2人の言い合いは徐々にエスカレートしていき、俺達はただ雰囲気に押されているだけだった。


「多田、大人げない。そんなのほっといて土産の中身を確認をしろ」

「そうね」


 状況を見かねたのかなかなか渋い声の男性が女性……多田さんの肩を叩く。

 男性は見た感じ須原さんと瀬田さんより2回りほど若い印象だ。漫画の世界から飛び出してきたような長髪のイケメン執事。須原さん達と違う点は白手袋ではなく革製の黒い手袋を付けているところだ。


「すみません、客人の皆様。須原の教育がなっていないせいでお見苦しい姿を」

「最初に失礼な行動をしたのはそちらでは? お嬢様の友人を疑うような行動をなんかして。恥を知りなさい」

「あらあら、考え方の古いご老人は困ります。今や情報社会です。簡単な爆弾や毒物など製作、入手が容易になっています。警戒するに越したことはありません。おじいちゃん」

「それもいき過ぎると失礼となるのですよ。考えれば分かることですよ。若造」


 次は須原さんと男性の方で毒の掛け合いが始まってしまった。

 さすがに止めようかと声を出そうとした時だ。


「静かにしなさい! 世路せろ、須原。客の前だ。多田は白守さんの持ってきた土産を調べるのをやめなさい。私が責任もっていただく」

『は』


 才華さんの声に須原さん、瀬田さんそして世路さんが最初に待機していた場所に戻る。

 多田さんは美雪から受け取った重箱を才華さんの目の前に置く。


「中身は?」

「おはぎでした」

「ぐ……お、おはぎか」


 才華さんの表情が少し崩れた。おはぎに一体なにかあるのだろうか?


「実はお嬢の料理げきぶつの第1作品目がおはぎだったんだ。被害者はお嬢のお父さんってこと」

「あー……」


 そりゃトラウマになるか。可愛い娘から死にそうになるおはぎなんて渡されたらたまったもんではないだろうな。

 しかし、身内にも容赦ないんだな釖木。


「いやいや、ここで退いては釖木の男が廃る」


 才華さんが意を決しておはぎを一口食べる。その瞬間、動きがとまった。

 何とも言えない緊張が走る。


「う、うますぎる。苦しくない。痛くない。美味しい!」


 おはぎを食べるにしては感想に違和感ありまくりだが、涙を流すんじゃないかと思うくらいの感激の声に安堵する。

 真っ先に喜んだのはもちろん美雪だ。


「お口に合って良かったです。うちの人気商品なんです」

「店名は?」

しらやです」

「覚えておこう。ありがとう」


 才華さんが手を差し出す。美雪がその手を握ろうとしなかったのを見てハッとした。


「すまないすまない。君のことは郷華から聞いてたんだ」


 才華さんは申し訳なさそうに後頭部をかくとその目は俺の方へ向いた。

 どういう意味か分からず固まっていると才華さんがニコッと笑う。


「そして君が寺川君か。ここまで郷華に嫌われるのは珍しいぞ」

「へ?」


 素っ頓狂な声が出てしまった。そういえば確かに直接『嫌い』って言われたな……。

 でもそれは前の俺のことだと思ってたんだが。


「『好き避け』というものでもなさそうだし、大丈夫そうだね」


 スキサケ? お酒の話でもしてるのだろうか? でも俺達は未成年なわけでえぇっと、ええっと……。

 戸惑っていると笑顔だった才華さんが真顔になっていた。


さとかに手を出したら分かってるね?」

「だ、大丈夫です。えっとえっと、友人としてしか見てませんから!!」

「うちの郷華むすめが魅力的じゃないって言いたいのか!?」


 めんどくせええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

 どう答えれば正解なんだよ!


郷美さとみと似てナイスバディにボインボインだぞ。なのに────」


 才華さんの口からこれ以上言葉は出なかった。今の騒ぎのうちに1人の女性が才華さんにチョークスリーパーをかけている。恐らく才華さんの後ろにある扉から出てきたのだろう。

 才華おとうさんとは真逆のゆったりめのロングTシャツ。ズボンは履いてるか分からないほどオーバーサイズだ。さっきまで寝ていたのか髪の毛は少し乱れている。

 目は釖木──郷華むすめの方によく似ている。つまり、


「あんた、郷華をそんな目で見てたわけ?」

「……!!……!!」


 首が締まっているせいで才華さんは声にならない悲鳴を上げながら現れた女性の腕をものすごい速さで叩いている。

 本当に才華さんが意識を失うんじゃないかと心配し始めた時にやっと女性の拘束が解けた。


「ごめんねぇ。うちのバカ旦那が。翔太君お久しぶり!」

「ど、どうも、お久しぶり……です」


 さっきから気配を消して黙り込んでいた翔太がやっと口を開く。というか翔太が敬語をしゃべるのも珍しいな……。


「郷華のご友人達ね。初めまして、郷華のママの郷美さとみよ」

「初めまして、白守です」

「寺川です」


 挨拶を返すと郷美さんは俺と美雪を交互に見始める。

 思わず美雪の方を見ると美雪も丁度こちらを向いていた。


「うちの郷華と翔太君をみてもどかしくなってると思ってたけど、そっちはそっちでもどかしくしてるようね」

「何のことですか?」

「あら、寺川君ったら純粋ピュアぁ!!」

「私も何のことだか……」

「美雪ちゃんも可愛いわぁ~! 郷華が気に入るわけね」


 郷美さんも郷美さんで掴みどころがなくて空気を支配されている。

 俺達が戸惑っている間に才華さんが息を整えたのか咳払いをした。


「郷美、お客様の前でその恰好はどうかと思うぞ」

「いいじゃない。郷華の友人なんだからこのくらい。それに郷華の将来の旦那さんもいるんだしぃ」

「俺は認めないぞ! 林田の小僧となんて! 昔約束したんだ。お父さんと結婚するって!! む、娘はやらんぞ!!」

「また、やられたいの?」


 郷美さんのドスのきいた言葉に才華さんが黙ってしまった。

 さっきからこの部屋に来たことを後悔してそうな翔太に目を向けると首を横に振られる。

 これは昔からこんな感じの夫婦なんだな……。しかし、ここまで愉快な感じなのに釖木むすめはこんな仏頂面なのだろうか。謎は深まるばかりだ。


「林田の小僧はともかく寺川君と白守さん、自分の家だと思ってゆっくりしてくれ」

「翔太君も楽しんでいいからねぇ」

「……お父様、お母様。そろそろお風呂に入りたいから」

「そうね。まだ来たばかりだものね。大浴場も使っていいから」

「男どもは覗くなよ?」

「俺はそんなことしません。翔太は見てみたいと言ってました」

「恭平氏!! 」


 ドッと笑いが起こり、どことなく漂っていた緊張感が無くなったようだ。


「では、私はまだ仕事があるのでね」

「……お父様失礼します」

「では、皆様お部屋に戻りましょう」


 そう言って須原さんと瀬田さんが扉を開けてくれた。

 付いていくように部屋の外に出る。扉が閉まる直前、振り返ると郷美さんが笑顔で俺に手を振ってくれた。


 ***


「郷美、どう思うか?」


 この家の客である少年少女達が去るとこの家の持ち主である釖木才華は彼の肩に肘をかけている妻、釖木郷美にそう聞いた。

 声をかけられた郷美は妖しく笑い上げに手を当てる。


「『友人としてしか見てない』ね。いい子だと思うわよ」

「悔しいが林田の小僧以来だな」


 才華の言葉に郷美は小さく鼻で笑うだけだった。しかし、2人の間には言わずとも伝わっている雰囲気がある。それは約20年の夫婦生活の賜物なのだろう。


「あの子達とならもしかしたら」

「そうだな。そうであることを願うよ」


 祈るような声で才華は呟くように言う。

 側近の多田と世路は静かに佇むだけだった。


 ***


 才華さんの部屋から戻った俺達はお風呂セットを持って廊下で待っていた。するとスキップしながら翔太が出てくる。


「風呂だ風呂だ~!」

「翔太、覗くなよ?」

「……」

「黙るな」


 覗きを匂わせる発言は冗談だと思っていたのだが本当にやるのか?

 そんな疑問を抱いていると隣の部屋の扉が開けられる。


「お待たせ~!」

「そんな待ってないぞ」


 今度は風呂に行くには大荷物のような気がする量を抱えて美雪が出てきた。続くように釖木も出てくる。


「……待たせたわね。須原と瀬田は?」

「なんか準備があるって」

「……そう」


 恐らく大浴場の様子でも見に行ってくれてるのだろう。にしては遅いような気がするけど。


「お待たせしました。対しょう……大浴場の準備ができましたのでご案内しますね」

「ん? 須原さん何か言いかけませんでした?」

「い、いえ」


 それならいいんだが、少し不穏なにおいがする。

 もう見慣れ始めた須原さんの背中を追いつつお決まりになりつつあるルートでエレベーターに乗り込む。

 『3』のボタンが押されてエレベーターが動き出す。


「そういえば2階には何があるんですか?」

「住み込みで働く者の部屋になってます」

「でもそんなに入れないじゃない? 僕らの泊る部屋の感じからして」

「ゲストルームに比べたら簡素ですので部屋数はそれなりにあります。ですが……」


 何か問題でもあるのだろうか? 出迎えてくれた人数と須原さん、瀬田さんそして多田さんと世路さんを含めると大体10人強ってところか。

 俺達が泊る部屋の半分くらいにしてコワーキングスペースも部屋にすると考えるとほとんどの人間が入れそうなものだが。


「旦那様が大部屋を作ってしまったために、この家には使用人全員がプライベートな空間が確保できない状態になってました」

「今は寮を作る計画が進んでますが、しばらく後になりそうなのですよ」

「へー」


 寮ができるとなると2階いらなくならないかと思うがそこは釖木家のことなので口に出さないでおこう。

 そうしているうちに3階に到着。エレベーターの扉が開くと風呂場のようなにおいがした。


「すごい! 旅館みたい!」

「……お母様がこだわったのよ」


 卓球台にレトロなメダルゲーム、駄菓子が川のようにぐるぐる回っている……えっとスウィートランドという名前のやつが並んでいる。


「マッサージチェアもあるね! お嬢のお母さん分かってるね」

「翔太、おっさんみたいだぞ」


 まぁ、テンションが上がるのは分かるけど。人の家なんだからほどほどにしないとな。


「言われなくても分かるとは思いますが、右手が女湯で左手が男湯でございます。ごゆっくりしてくださいませ」


 須原さんの案内もここまでそうだ。

 何年振りか分からない大きな風呂に胸を躍らせ暖簾をくぐろうとする。


「言っておきますが翔太様」

「どうしたの?」

「覗いたら分かってますよね?」

「ヤ、ヤダナー、ナニモシナイッテー」


 おい、本当に覗く気だったのか。最近そういうのうるさい時代なんだからわきまえろ。もうこいつは無視して風呂に入ってしまおう。


 暖簾の先は誰もが想像するような銭湯の脱衣所だ。洗面台があり、体重計があり、ロッカーがある。

 適当にロッカーにあった木で編まれた籠に風呂セットを突っ込み、服を脱ぐ。

 旅行用のシャンプーとボディソープと手拭いを手に持って入ろうとすると翔太が遅れて入ってきた。


「置いてかないでよ。薄情だなぁ」

「覗き魔と一緒は嫌だからな」

「そういうこと言うとお嬢たちに恭平氏のパンツばらすぞ」

「やめろ。需要もない情報を流すな」


 一発引っ叩きたかったがこのままだと風邪をひくかもしれないので入ってしまおう。

 脱衣所で少しは見えていたが中も銭湯のようになっていた。

 スペースの都合上、小規模化してはいるが10人弱であれば問題なく使える範囲だ。


 適当な場所に椅子を置いてシャワーで体を流す。少しすると女湯の方から声が聞こえた。

 反響しているのとシャワーの音で少々聞こえずらいが美雪が感動しているようだ。

 さらに少しするとこちら側の扉が開けられた音がした。どう考えても翔太だ。


「白守どーーーーん!! 恭平氏のパンツは灰色ボクサーだったよーーー!!」

「くたばれーーー!!」


 手元にあった桶を翔太に投げつける。それは綺麗に真っ直ぐに翔太の頭を捉えた。景気のいい音が大浴場に響く。

 嘘ならまだ笑って許せたが、こいつわざわざ籠の中を見て確認しやがったな。


「酷いじゃないか恭平氏」

「あのな。友人でもやって良いことと悪いことがあるだろうが」

「僕を置いてった恭平氏が悪い」

「覗こうなんて考えてたお前が圧倒的に悪いだろうが」

「そうだそうだ。それを忘れてたよ」


 本当にするのかよ。巻き添えだけは勘弁してくれ。

 とりあえず壁をよじ登ったりしたらうち落とせるように桶を何個か確保しておこうか。


「やめとけ、そういうのはだなしっかりと関係を深めてだな────」

「確かに恭平氏は正しいかもしれない」

「ならな、そういう馬鹿なことはだな」


 説得をしようとするが何が何でも貫き通そうとする覚悟を決めた翔太の顔に気圧される。


「それでも、そこに桃源郷エデンがあるなら行くっきゃないでしょ!!」

「キメ顔で言われてもだな……」


 俺達以外の誰もいない大浴場で素っ裸の男子高校生が向かい合って何やってるんだか。第三者がいたら俺と翔太の温度差で風邪を引いてしまいそうだ。

 馬鹿馬鹿しくなってきたので無視して軽く体を流して湯船にでも浸かろう。


「ほら、僕を導くようにいい感じの縄が垂れ下がっているじゃないか!」


 覗きた過ぎて厳格でも見てるのかと思ったら本当だ。

 男湯の女湯の境界線、ちょうど角に当たる部分にすごく丈夫そうな縄が垂れ下がっている。翔太の身長でも簡単に手が届きそうだ。

 しかし、ここまでくると明らかだろ。


「普通に罠だろ」

「それでも僕は行く! いや、行かなくちゃ!!」

「バカだろ。こいつ」


 そう呟くも翔太の耳には届かないようだ。

 ため息一つついて湯船へと足を入れる。いい温度だ。個人的にはもう少し熱くてもいいがこれもこれでいい。


「よし、無限の彼方へさあ行こう!」


 なんとも版権絡みで問題になりそうな掛け声で翔太が縄に手をかける。

 木を登る猿のように順調に上がっていく。

 縄の中ほどに差しかかった辺りで何か仕掛けが動くような音がした。


「ガコン?」


 俺が間の抜けた声を出した瞬間、縄の上から大量のお湯が流れ込んできた。

 やっぱり罠だったんだ。大量のお湯は翔太を落としてもとどまることはなかった。

 いや、待てよ。このまま流れ続けるってことは……。


「結局、巻き添えじゃねぇ────」


 口から出た言葉を言い終える前に大量のお湯が襲い掛かる。

 少しの間もがいたがこれはどうにもならないと諦めると意識がどこかへと連れ攫われてしまった。

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