レティシアとの初接触
昼下がりの学院図書館は、紙の匂いと微かな風の音しかない静寂の箱だった。
レティシアは難解な魔術理論書を読み終え、ぱたりと本を閉じる。指先から軽い疲労が抜けていく――その瞬間だった。
影が横に立った。
驚いて顔を上げると、そこには銀灰色の外套を纏った男が、まるで“いつからそこにいたのか分からない”佇まいで立っていた。
不審者というより、もっと説明しがたい。
正体を説明する気配すら持たない、異邦からの訪問者の気配。
「君がレティシア・アーデルハイト」
低く落ち着いた声が、図書館の空気を震わせずに沈み込むように響いた。
「……はい。そうですが……?」
「少し観測させてもらいたい。痛みはない」
レティシアは思わず身を引く。
“観測”という単語が、物騒にも学術的にも聞こえない、不思議な無機質さを持っていた。
「え、えっと……どちら様でしょうか?」
問いかけに、男は淡々と名を告げる。
「ユールグ・ヴァン・フロスト。北方連邦の観測者だ」
その瞬間だけ、杖先に灯る精霊光のように、レティシアの胸に緊張の火がともる。
外国の観測者――学院に来ていると噂には聞いていたが、まさか自分に接触してくるとは。
返答する暇すらなく、ユールグは懐から銀色の観測板を取り出した。
彼女の側頭部あたりへ、まるで温度を測るような自然な手つきでかざす。
「ちょっ……!」
抗議の声を遮るように、観測板が淡い光を発した。
ユールグは息をひとつもしないまま、波形を読み取っていく。
表情は変わらない。
だがその瞳だけが、異常値を前に研ぎ澄まされていく。
「……やはり“温度の歪み”が発生している」
「温度……?」
「世界の根源温度だ。
第2章と同じ波形が、君の周囲で継続して揺れている。
共鳴しているのは……君の存在だ」
語られる内容は難解で、ほとんど意味が分からない。
だが語り口は奇妙なほど静かで、温度も湿度も変わらないような一定の調子。
レティシアを脅かす意図も、詰問する態度もない。
ただ――“珍しい現象に遭遇した研究者”の、生の好奇心。
「共鳴……って、どういう意味なんでしょう?」
レティシアが不安と戸惑いを混ぜて口にすると、ユールグは初めて彼女の瞳を真っ直ぐに見た。
「分からない。
だから観測に来た。
原因を断定するには早すぎるが……
君の存在が、世界の揺れの焦点になっているのは確かだ」
彼の声は淡々としているのに、聞くほど胸の奥に冷たい波紋が広がっていく。
図書館の空気が、レティシアだけ一人冷たくなったような錯覚。
ユールグは観測板を閉じ、ひとつだけ付け加えた。
「危害を加えるつもりはない。
ただ、君を見ていれば――“世界”が分かる」
その言葉は、脅迫でも庇護でもなく、
ただ純粋な観測者の真理だった。




