ユールグが王国に到着 → 最初の学院観測
王国学院の中庭は、常春の庭と呼ばれるほど気候が安定している。だがその朝、ひやりとした風が一筋だけ石畳を撫で、花弁を逆方向へ揺らした。その異変に気づいたのは、学院の誰でもない――北方連邦からの使者、ユールグ・ヴァン・フロストだった。
銀灰色の外套を揺らし、ユールグは淡い銀色の観測板を掲げる。板面には、肉眼では見えない“精霊流の温度”が刻々と色相として浮かび上がっていた。
その様子は、無表情でありながら、どこか神秘的な儀式めいている。
学院関係者数名が、少し距離をとりながら彼を観察していた。
「……北方の観測者、ってこんなに無口なのか?」
「いや、それよりあの板……魔術道具じゃなくて、学術機器だそうだ」
「妙に不審者感が……」
小声のさざめきなど、ユールグは微塵も気に留めない。精霊流を前にした彼は、政治や視線といった雑音を完全に遮断する。
観測板に指を滑らせた瞬間――。
「……やはりだ。ここだけ温度帯が乱れている」
低く落ち着いた声が、中庭の空気を震わせた。
同行していた王国魔術研究員が、恐る恐る問いかける。
「温度……と申されますと? 気温のことではなく?」
ユールグの青白い瞳が、ちらりと研究員の方へ向く。
「世界の“根源温度”だ。
精霊の流れが乱れると、熱の向きそのものが揺らぐ。火が冷え、水が温む……そういう類の、通常なら起こらない変化だ」
彼が再び観測板に目を戻す。
そこには淡い光の筋が、まるで“誰か”が歩いた軌跡をなぞるかのように、ゆるやかに尾を引いていた。
学院の正門から中庭へ――
その細い光跡は、まるで意志を持つかのようにユールグの前で震えた。
レティシア・アルヴェールが、今朝歩いてきた経路と完全に一致していた。
ユールグは、誰にも聞こえないほどの低音で呟く。
「……この少女の周囲だけ、世界の温度が違う。
第2章現象と一致……」
彼の眉がわずかに動いた。
それは驚愕とも警戒とも違う、もっと冷たい――“事実を積み上げる学者の反応”。
中庭を渡る風が止む。
花弁が、理由なく一瞬だけ浮き上がる。
世界が微細に、しかし確かに揺れている。
ユールグは観測板を閉じ、静かに言った。
「原因は、間違いなく……この学院の内部にある」
そしてまだ見ぬ少女――レティシアへと、その視線の向きを定める。




