静かな夕刻、ただ一人だけ世界から遅れている感覚
学院の一日は、夕刻に向かうほど柔らかく沈んでいく。
長く伸びた影が廊下に重なり、窓から差す橙色の光は、
いつもなら心をゆるませるはずの穏やかさを帯びていた。
――けれど、その空気はどこかおかしい。
石造りの廊下の端々で、ささやき声がふくらんでは消えていく。
それらの囁きの中に混ざる自分の名前に、レティシア(中身・健次郎)は歩くたび肩をすくめた。
「レティシア様が……」
「今日も落ち着いていらしたわ……」
「やっぱり只者じゃ――」
内容までは聞き取れない。
だが、声の向きも、視線の質も、明らかに昨日と違う。
(……なんか、空気が変だ。)
胸の奥がざわつく。
足を進めるほどに、学院全体が“何かを期待している”ような圧が肌にまとわりついた。
(俺、別に何もしてないよな?)
(ただ“場を片づけた”だけで……こんなことになる?)
断罪劇で落ち着いて振る舞った――と、本人は思っている。
あれは“取り乱したら死亡ルート一直線”というメタ知識があったから、
冷静を装うしかなかっただけだ。
しかし、廊下を歩くレティシアの周囲では、
まるで彼女だけが光源になったかのように視線が集まり、
小さな違和感が幾重にも重なって押し寄せてくる。
健次郎は“この世界のシナリオ的お約束”を知っているつもりだった。
狙われる場面、旗が立つ場面、誤解が生まれる場面――
いずれもパターンとして理解しているはずだ。
だが今は、そのどれにも当てはまらない。
むしろ、
「理由もなく世界が勝手に自分へ向かって歪んでくる」
そんな居心地の悪さだけが、じわじわと背骨を冷やしていく。
夕暮れの光がレティシアの金髪を照らし、
廊下のざわめきが、奇妙な熱を帯びてうねった。
彼女――いや、健次郎だけが、
世界の速度から一歩、取り残されているかのようだった。




