許さなければいけない
「んっ……」
静かに瞬きを繰り返しながら、ゆっくりと意識が浮上していく。
淡い朝の光がカーテン越しに差し込み、ぼんやりとした視界の中に温もりを感じた。
「あ……」
隣には、一真さんがいた。
穏やかな寝息を立てながら、すぐそばで眠っている。
昨夜の記憶が鮮明に蘇り、頬がじんわりと熱くなった。
改めて、同じベッドの中にいることが不思議で……でも、心の底から嬉しい。
ゆるく乱れた前髪が額にかかっていて、無防備な寝顔がいつもより少し幼く見えた。
「……一真さん」
そっと名前を呼んでみる。
すると。
「……ん……澪……」
寝ぼけたような声が聞こえてゆっくりと瞼を開いた一真さんは、まだ眠たげな目でこちらを見つめた。
「おはようございます」
「……おはよう」
彼は微笑みながら、腕を伸ばして私の髪を指先で梳く。
「よく眠れたか?」
「はい……とても」
「それなら良かった」
一真さんが小さく笑い、私の頬にそっと手を添えた。
そのまま、ふわりと唇が重なる。
「……んっ……」
軽い口づけのはずなのに、心臓が跳ねる。昨夜のことが思い出されて、思わず彼の胸に額を押し当てた。
「起きようか」
「はい!」
それから私たちはベッドから起き上がった。
近くに有名なパン屋さんがあるとのことで、一緒に歩いてパン屋さんまで向かうとパンを買って朝ご飯に食べることにした。
「たくさん買っちゃいましたね!」
「朝は普段食べないんだが、澪がいるとどうしても食が進んでしまうな」
「一真さん……」
たくさん買ったパンを半分したり、美味しいコーヒーを入れてふたりで食べる。
その時間もすごく幸せな時間だった。
「今日は家具を見に行こうか」
「はい!」
この日は一真さんも一日休みだったため一緒に外出をして家具や必要なものを揃えることにした。
そして一真さんの運転でたどり着いたのは、都心にある高級百貨店だった。
車を止めて降りると、すぐにグローブを着けたドアマンが扉を開けてくれ、館内へとエスコートされる。私たちが向かったのは、最上階の特別サロンフロア。そこは一般の売場とは一線を画した、予約制のラグジュアリー空間だった。
エレベーターを降りると、控えめながら格式ある調度品と季節の生花が並ぶロビーに、スーツ姿のスタッフが待ち構えていた。
「凰条様、お待ちしておりました。本日はお二人の新居の家具選びとのこと、心を込めてご案内させていただきます」
「よろしくお願いします」
一真さんに合わせて私もお辞儀をする。
案内された特別サロンは、静謐な空気に包まれていた。
展示されている家具やインテリア用品は、すべて厳選された逸品ばかり。日本や海外の名工による手仕事が光る品々に囲まれて、どれを手に取ってもため息が出るような美しさだった。
フロア全体が貸し切りで、担当のスタッフが付きっ切りで案内してくれる。
こんな場所、来たことがない……。
やっぱり一真さんって、私たち御堂家とは格が違うんだなぁ……。
「気に入ったのがあったら教えてほしい。なんでも選んでいいから」
一真さんが私の背中にそっと手を添えて囁く。
私たちは、ゆっくりと店内を回りながら様々な商品を見ていった。
揃えたのは足りなかった食器と、インテリア用品だった。
「ソファーももし、買い替えたかったら変えてもいいんだぞ」
「いえ……一真さんが選んでくださったもの、とても気に入っていますから」
最初に生活に困るだろうと一真さんが選んでくれた家具は、どれも大切に使っている。新品だし、デザインも好みでわざわざ変える必要なんてない。
「キミは欲がないな……」
「そうですかね?」
十分買わせていただいたけどな……。
一真さんとお揃いの食器や、同じ色のクッション。
一緒に暮らしてるって感じがして、買い物さえ楽しい。
「まぁ……楽しそうにしてくれてるなら良かった」
「楽しいです、すごく!」
私の反応を見て、一真さんはふっと笑った。
今まで、自分が何かを選んで買い物をするなんて経験がなかった。
だから毎回、本当に私のセンスで選んでしまっていいのか心配になってしまうんだ。
でも一真さんは、私が商品を選んでいる姿を愛おしそうに目を細めて見つめてくれる。
「これはどうですか?」って尋ねると、「すごくいいな」「キミに似合う」「あの家に馴染みそうだって」全部肯定する意見をくれる。
それがすごく嬉しくて、自分という存在がその人にあることを知って、幸せに思うんだ。
それから近くのレストランで食事をして、自宅に帰ることになった。
明日から一真さんは仕事に向かう。
私も妻として一真さんを支えていけるように努めなくちゃ。
そんな生活を楽しみにしていた時、駐車場から降りてマンションの前にまでやってくると見慣れた人が視界に入ってきた。
「……っ!」
私はその相手を見て、思わず息をのんだ。
「……お父様……お母様……」
声が震えた。
もう会うことはないだろうと思っていた両親の姿がここにある。
どうしてここに?
なぜ家を知っているの?
様々な疑問が頭をめぐる中、お父様とお母様は私を見るや否や駆け寄ってきた。
「澪……っ!」
──ビクッ。
お母様の大きな声にまだ恐怖を感じてしまう。
それを見た一真さんが私を守るように一歩前に出て手を開いた。
「これ以上は近づかないでくれないか?」
一真さんは厳しい口調で吐き捨てる。
しかし、お母様の顔を見て驚いた。
お母親の目は赤く腫れていた。お父様もやつれた顔をしており、以前の堂々とした姿はない。
きっとあのことが公表され、対応に追われたのだろう。
店舗は一時休止しており、再開の目途は経っていないとテレビで報道されていた。
イメージが大きく落ちたことにより、恐らく再開するのは難しいだろう。
その全てが私が原因で起きたことだと思うと、申し訳ない気持ちにもなる。
うつむいていると、お母様は駆け寄ってきて伝えた。
「急に押しかけて申し訳ありません……」
お母様はそう言うなり、手に持っていた包みを一真さんに差し出した。
和紙に包まれた高級そうな箱。きっと、お茶菓子だろう。
「少しだけ、話をさせてほしくて」
私はは戸惑いながらも一真さんを見上げる。
すると、一真さんはお茶菓子を受け取らず冷静な声で言った。
「あなた方と話す気はない。それに、どうして俺たちの家を知っている?」
一真さんのピリついた雰囲気に私のお父様とお母様はびくりと身体を揺らした。
お母様が戸惑いながら顔を上げる。
「それは……その……」
「言え」
一真さんの一言に、お父様が観念したように答えた。
「……知人に、凰条家のことを調べてもらいました……」
「つまり、勝手に個人情報を探ったということか」
一真の声がさらに低くなる。
「申し訳ありません……!」
その言葉にお母親は一瞬たじろいだが、次の瞬間、なんとその場に膝をつき、土下座をしだした。
「ずっと……謝りたかったんです」
その行動を見て、お父様も同じように頭を地面につける。
「私たちが間違っていました……どうか、どうかお許しください……っ!」
通行人が足を止め、ちらほらとこちらを見ている。
高級マンションの前で、スーツ姿の大人二人が土下座する光景は異様だった。
私は慌てて両親に駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、一真さんが冷ややかに口を開いた。
「……そうやって頭を下げているのも自分たちの権力のためではないですか?今、ピンチで助けて欲しい。そのために謝罪をしているのではないですか?」
その声は静かだったが、冷たく突き刺さるような鋭さがあった。
「違うのよ、澪……母さんが間違っていたわ。母さんも本当は差別をしたかったわけじゃないの。零がね、あなたを褒めると機嫌が悪くなるから……あの子は、不機嫌になると制御が出来ないの。あなたをけなしている間はご機嫌でいてくれる。それで母さん……あなたのことをけなし続けてしまったの」
ポロポロと涙を流すお母様。
「そうだ澪……父さんは分かっていた。本当はお前の方が賢いと……」
お父様まで必死に縋るように言う。
私を蔑ろにした後は、今度はお姉様のことを悪く言うのね……。
自分たちは間違ってしまっただけ。
私たちが悪者だったわけじゃない。
そう言っているようにも聞こえた。
「お母さんね、本当はこんなことしたくなかった、お願いよ、澪……許して。愚かな母を許してちょうだい」
私の足にすがりついて、涙を浮かべながらそう告げるお母様。
そして頼み込むように言い聞かせるお父様。
今までお母様が周りの目も気にせずこんな風に謝ってきたことはなかった。
お母様がこんなに泣いているのも、メディアにさらされ相当ツライ思いをしたんだろう。
「ぅ、う……澪……澪……」
「お母様……」
名前を呼ばれると、私は許さないといけないんじゃないかという気持ちにさせられた。
確かに御堂家には蔑ろにされ続けてきた。
でもこんなに謝っているのだから許してあげないのは非情すぎるだろうか。
「あの、私……」
許します。
そう言わないと。
でも声が出なかった。
それと同時に今までされてきた数々のことがフラッシュバックしてしまう。
『お前は家にいろ。御堂家の恥さらになる前にな』
『どうしてこうも澪は愚図なのかしら』
「……っ」
私はきっとお父様とお母様の顔を見る度に苦しかった記憶を思い出すことになるだろう。
許すということは、これからも家族という関係を続けるということ。
私は……御堂家の家族に戻りたくはない。
「お母様、あの……」
そこまで言った時、一真さんは私の表情を見て遮るように言った。
「お母様、お言葉ですが許されないということは存在すると思います。あなたご自身もそれを理解しているのではないですか?」
「……っ、」
お母様が唇をかみしめる。
「散々澪をないがしろにし続けてきた。それを謝罪ひとつで許しを請うなんて澪に失礼ではありませんか」
一真さんの声に私はばっと顔をあげた。
「あなた方は今後一切、うちの妻に近づかないでいただきたい」
「一真さ……」
「それから……言っておきますが、僕は一生許しません」
一真さんはそう言い放つと、私の手を取りマンションの中に入った。
後ろで、お母様の「お願いよ、許して澪!」という声が聞こえてきた。
そして家の鍵をあけて部屋の中へ入る。
ようやく一真さんと二人きりになり私はほっとした。




