19. 中間報告
エルが薬草栽培研究官になってから、半年以上が過ぎた。先日、魔法薬部へ中間報告として、これまでの成果や経過等を書き記した資料を提出すると、長官のブランシャールから研究所に来たいとの申し出があったので、今ラシェルは到着を待っているところだ。
そわそわとしながら準備を進めていると、向こうから幾人もの人影がこちらへ近付いてくる。
「お待ちしておりました。ブランシャール長官」
「お疲れさん。見たいやつは付いて来いって言ったら、ぞろぞろ付いてきちまった」
「嬉しいですわ。どうぞご覧になってください」
小屋の中に全員が入るには狭すぎる。
これは外で説明をした方が良さそうだと、畑へと案内した。
「中間報告書に書いてある内容が真実かどうか、この目でみて確かめようと思ってな」
「もちろんです。真偽も確かめずに上へ書類を上げる訳には参りませんもの」
「うむ、それでは案内を頼む」
中間報告書と言っても、内容自体はラシェルが魔塔で働き始めてからこれまでの、成果や経過を書いたもの。
魔塔に来てからの研究成果を全て、あの書類に託すつもりで書き上げた。
「まず初めにこちら、棘無しのブラッディミルトスです」
「ふむ、確かに葉に棘が付いていないようだな」
「試しに触れてみますね」
「お、おいっ。棒か何かで試した方がいいんじゃないか?」
以前魔法薬部へ行った時、ブラッディミルトスの葉に刺されて流血していたゲールが、慌てた様子で止めに入った。
「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。ほら」
ラシェルがブラッディミルトスの葉に触れても、何も起こらない。他の植物と同様、ただ触れられるがままに揺れるだけ。
「すげぇな。どうやって棘のない品種なんて作り出したんだ?」
「方法自体は至極単純です。時々ある棘無しの個体から種を取って育てる。すると、通常のブラッディミルトスよりも棘無しのものが出てくる頻度が上がります。それを何度も繰り返して、棘無しの品種が出来ました」
「ひぇぇ、気の遠くなるような作業だな」
「はい。何年もかかりました」
すごいなぁ、と声が上がる中、女性が手を挙げた。
「質問をいいですか? 棘無しの個体は捕食反応が無くなるので、獲物を捕まえて養分を吸収するという事が出来なくなってしまいますよね? 」
「ええ、その通りです。ですから野生のものや、通常の育て方をしたブラッディミルトスは、大きく育つ前に枯れてしまいます」
報告書を既に読んでいるブランシャール長官だったが、改めて皆に説明するよう促してくれた。
「皆にも分かるよう、続けてくれ」
「棘無しの個体は葉から養分を取れなくなった分、高栄養の肥料を与えて根から吸収させると良いようです。特に大豆の絞りカスや豚か鶏のふん尿から作った肥料が適していることが分かりました。恐らく、肉や血の元になる成分を多く含む肥料が良いということでしょう」
「ああ、なるほど。牛や馬は植物しか食べないものね」
「そうです。他の植物では考えられないほどたっぷりと肥料を与えなければならないですが、農場では育てる時に、わざわざ繁殖させたネズミをブラッディミルトスに捕食させていたので、コストも手間もずっと抑えられるかと思います。それからもう一つ分かってきたことが」
ラシェルは近くにあるブラッディミルトスの葉を一枚もぎ取ると、自分の手に切りつけるようにして葉を動かした。
「うわっ、ちょっと!! ……ってあれ? 切れてない?」
改めて傷が出来ていないのがよく見えるように、手を前に差し出して見せた。
「棘無しの品種をずっと育てていると、今度は鋭くない葉を出すことが分かりました。恐らく根から十分な栄養を摂取できる状態が続くと、葉で捕食する必要が無いためではないかと考えています」
「うぉぉ、それ最高だな! 刺してこないわ切れないわで、ずっと使いやすくなる。魔力無しのくせして、あんたやるなあ!」
「ゲール、感心するのはまだ早いぞ」
ラシェルの背をバシバシ叩いてくるゲールに、ブランシャール長官が笑っている。
「マルガロンの栽培に成功の兆しがみえてきた。そうだろう?」
「ええ、まだ栽培を始めて半年ほどしか経ってないので、あくまで兆しがあるだけですが」
「早速見せてくれ」
「かしこまりました。こちらへ」
今度は皆を、マルガロンの研究に使っている池まで案内した。
池の中を覗くと、無数のマルガロンが生えているのが見える。
「このマルガロンは半年前にこの池へ植え付けました」
「報告書には川に棲むエビと一緒に育てるといいとあったが?」
「エビですか?」
今度は魔法薬素材について取りまとめているユベールが、池の中を凝視しながら言った。
「星屑エビという、夜に発光するエビです。このエビはどうやらマルガロンと共生関係にあるようで、エビはマルガロンに付着したカビやダニをたべ、マルガロンはエビの排泄物から栄養を貰っているようなんです」
「もしかして、マルガロンを採取して水槽に入れてもすぐに枯れるのは、付着しているカビやダニのせいですか?」
「その通りです。星屑エビはマルガロンのお掃除をしてくれているというわけですね」
水温や深さ等を野生の状態に近づけてもダメ。こうなったら、川の生態系を模倣してみようと過去の生態調査の記録を見直していると、必ずこのエビが近くにいることに気が付いた。
真夜中、エスティリオと研究所で会ったあの日、星屑エビを捕まえに行ったのはそんな理由からだった。
「このまま栽培を続けて、行く行くは繁殖まで出来るようになればと思っています」
「もし成功したら、薬草採取係が泣いて喜ぶぞ」
ほかの研究についても順に説明し終えると、ブランシャール長官は「よくやった」と肩を叩いてきた。
「正直、まあなんだ。あんまり期待してなかったんだ。ほら、お前さん欠陥品だろ? 甘く見てたっつうか、侮っていたというか……。皆もそうだろう?」
ブランシャールが魔道士達に聞くと、気まずそうに頷き返している。
「俺も、あん時はバカにして悪かったな」
「ゲール様……」
「私もです。とんでもない人を魔塔主様に押し付けられたと思いましたが、私が間違っていたようです」
「ユベール様……。魔塔主様は私のような者を信頼し、拾い上げて下さいました。このようなチャンスを下さったベクレル様には大変感謝しておりますわ」
「うんうん、そうだな! ブランシャール長官、今夜はこいつ連れて飯食いに行こーぜ!!」
「おお、いいな。どうだエル、来るか?」
食事に……?
ただ一緒に行こうと誘われただけで、こんなに嬉しくなるなんて。仲間として受け入れて貰えたような、そんな気分。
「ええ、もちろんです」
ラシェルは二つ返事で了承した。
魔法薬部の魔道士達と食事を終えて、ラシェルは宿舎へとは戻らずに研究所へと戻ってきた。まだ気分がふわふわとして嬉しくて、この余韻にまだ浸っていたかったから。
椅子に座って水を飲んでいると、カタンッと音がした。
「誰?!」
出入口の方を見ると月明かりを背に、一匹の獣が佇んでいた。
「リオ?」
「ウォッフ」
小さく鳴いたリオはラシェルの方へと駆け寄ると、その隣に定位置とばかりにストンと座った。
ラシェルの顔に鼻を近づけて、フンフンと匂いを嗅いでいる。
「ごめんね、お酒臭いかしら」
食事と一緒にお酒も何杯か飲んできたので、匂うのかもしれない。
自分の限界がどのくらいなのか分からないので控えめにしてきたが、少しだけ頭がぼうっとする。
「リオ、あのね、今日は魔法薬部の皆さんとご飯を食べに行ってきたの。何だか仲間として認めて貰えたような気がして嬉しかったわ」
魔力無しのラシェルは欠陥品と呼ばれ、出来損ないの人間として扱われてきたが、魔力とは関係なく接してくれる人達と出会うことが出来た。
「それもこれも、私を信じて官職に就けてくれたエスティリオのおかげよね。少しは結果を出せているから、少なくとも足は引っ張っていないと思うんだけど」
お酒のせいか饒舌になって、いつもよりリオに話しかけてしまう。行儀よくお座りをしてじっとしているので、まるで「エルが何を言っているのか、きちんと分かっています」とでも言っているかのようだ。
「……ブランシャール長官でも禁書のある書庫への立ち入り許可は出せないのだそうよ」
ブランシャールがお酒に酔ってきたタイミングで、書庫への立ち入り許可を出す権限を持っているのか、それとなく聞いてみた。
『あの書庫への立ち入り許可なんて、俺くらいの身分じゃダメだ。もっと上の奴から貰わないと』
そんな返事が返ってきて、やはりちょっと調べ物をしたいからというレベルで立ち入れる場所ではないのだと思い知った。
魔法薬部の長官でもダメとなると、それより上は数えるくらいしかいない。
「諦めるしかないのかしら……」
あの時、痩せ我慢などしないで、素直に許可を出してもらえばよかったのだろうか。
あれ以来、エスティリオには一度も会っていない。
本来なら魔塔主は、そういう立場の人だ。
ただの使用人のエルに、何度も話しをする機会があった方が異常だったのだから。
今日という日が楽しくて嬉しかった分だけ、エスティリオに会えない寂しさが際立ってしまう。
沢山お礼を言いたいのに。沢山話したいのに。
「エスティリオ……会いたい……」
一度口に出してしまうと、押さえ込んでいた気持ちが次々と溢れ出てくる。
「会って……言ってしまいたい。私はラシェルだって。あなたと一年を共に過したラシェル・デルヴァンクールだって……。そんなことすら許されないなんて……」
リオに抱きついてその毛皮に顔を埋めると、ふわふわとした感触が頬を撫でる。
学生の頃に触れたエスティリオの髪の毛も、こんな風に柔らかい猫っ毛だった。
エルを好きだなんて言わないで。
嫌いになってもいいら、せめてエルがラシェルだと知って。
「お父様にかけられたこんな呪い、無くなってしまえばいいのに」
ラシェルに抱きつかれ肩に乗せられていたリオの頭が、ふっと持ち上げられた。
「リオ……?」
じっとこちらを見てきたかと思えば、ペロりと頬を流れる涙を舐めとってくる。
「ふふっ……ありがとう」
頭のいい犬だからリオなりに、ラシェルが悲しみの中にいることは理解しているのだろう。慰めるようにペロペロと頬を舐めてくる。
「こんな所を二人に見られたら、また呆れられちゃうわね」
二人というのはもちろん、ナタリーとアルベラ。命令でラシェルの下で働いていたとはいえ、二人にも明日、改めて御礼を言わないと。
「だけどもう少しだけ、こうしていさせて」
もう一度リオを抱き締めると、ラシェルはその温もりを存分に味わった。