20. エルとリオ
トタトタと魔塔近くの石畳の上を歩く黒い犬。
その姿が一瞬にしてフッと消えたかと思うと次の瞬間には、魔塔のとある部屋の中にあった。
犬は自分の棲家に戻ってきたことを確認するかのように鼻ズラを持ち上げると、黒い犬がいた場所に一人の男が立っていた。
「呪い……やっぱりそうだったか」
執務室へ戻ってきたエスティリオに気が付いた侍従のアルノートが、隣にある書庫から出てきた。
「魔塔主が犬に化けて徘徊しているなんて知られたら、なんて言われることやら」
「いいんだよ。犬の姿になっている方が、みんなの素を見れるからね」
エスティリオがそのままの姿で巡視しても、「魔塔主が来た」と身構えられてしまうので、普段の仕事ぶりを見れない。犬に化け、何食わぬ顔をして歩き回る方が良いのだとここ最近気がついた。
と言っても、犬に変身し始めたのは巡視の為ではない。ラシェルの秘密を知る為だ。
ラシェルとティータイムを楽しんだあの日の翌日、謝りに行こうと研究所へ向かうと、ラシェルが猫に話し掛けているところに遭遇した。
普段なら絶対に口にしないような内容も、猫には気を許して喋っている。
そのままナタリーとの会話を盗み聞いていれば、ラシェルは犬の方が好きだと言った。
もしかすると犬になら、心の内を話してくれるかもしれない。
そう考えたエスティリオは犬の姿に変身して、ラシェルに近付くことにした。
期待通りラシェルは、何度も姿を現し懐いてくる犬に名を与え、食事を与え、日々の出来事やちょっとした悩みなんかも話して聞かせてくれた。
エスティリオが一番聞きたかった、エルが何故、ラシェルであることを隠しているのか。その部分についてはなかなか話してはくれなかったが、根気よく待っていた甲斐あってようやく今日聞き出すことができた。
呪われた主人公が出てくる小説、禁書を読みたい理由、そして本来の身分を明かさない理由。
それらを総合して鑑みるに、恐らくラシェルは呪いにかけられているのだろうと予想し、先程の話しで的中だったことが確定した。
あとはどんな魔法を使い、どう呪われているのかを知る必要がある。
ラシェルの中に極わずかな魔力がある事や、頑なに素性を明かさないことから、こちらも大体の予想はついている。あとはどうやって確かめるかだ。
ちょくちょくぼやく割に面倒見のいいアルノートは、自分の主人の為に早速ハーブティーを入れてきてくれた。
「エル殿に貰ったハーブティーはこちらで最後です」
「……そう」
ラシェルからオリジナル配合のハーブティーを貰ってからというもの、無くってはラシェルの元へ行き、新しく用意してもらっていた。
それも馬車でのあの一件以来はずっと控えていたので、とうとう底をついてしまった。
「あー、人生の先輩として、妻と2人の子を持つ男としてひと言申し上げても?」
「なに」
「自分が悪いと思うなら、さっさと謝っちまえ。ってことですよ」
「ご忠告ありがとう。肝に銘じておくよ」
「本当に分かってますか?」
「……分かってるよ、そのくらい」
謝りに行こうとして奇策を思い付き、それを早速実行してしまったものだから、すっかりタイミングを逃してしまった。
犬の姿でなら思う存分、甘えられるに。我ながら情けない。
ハーブティーをひとくち口に含んで、ソーサーにカップを置くと、テーブルに置かれた濃紺色の封筒に気が付いた。封蝋の刻印に見覚えがある。
「これは?」
「カレバメリア帝国皇帝からの御手紙でございます」
「なんだって?」
魔塔主宛の手紙は特別な指示がない限り、全てアルノートが目を通してからエスティリオの元へ渡されている。
開封されているので既に内容を知っていると思い、アルノートに尋ねた。
「国賓として魔塔主様を招待したいそうです。まだ皇帝にはお会いになっていませんから」
エスティリオが魔塔主に就任する式典には、皇帝ではなく息子が来ていた。
魔塔主に就任してしばらく経つので、落ち着いたタイミングを見計らって、ということだろう。最近はこういう招待状がぐっと増えてきた。
「ふっ……いいタイミングだね」
口元を歪ませるエスティリオに、アルノートがドン引きしている。
「ご自分が今、凄くわるーい顔をなさっているのをご存知ですか?」
「そう?」
「帝国に何か因縁でもおありで?」
「さあね。ただ悪い子にはお仕置しないと」
「何をなさるつもりか知りませんけど、貴方は魔塔主なんですからね」
「ははっ、知ってる。魔塔主だからだよ。行くと伝えておいて」
魔塔主だからこそ、許すわけにはいかない。これ以上ラシェルを苦しめることも。
優雅にハーブティーを飲みながら悪巧みをする主人を前に、アルノートは苦笑いをし、ただ「御意」と短く答えた。
◇◆◇
日が暮れてきて、空の色が茜色に染まる。
アルベラとナタリーは仕事を終えて帰っていった。
ラシェルも片付けをして宿舎へ戻ろうと動き回っていると、昨晩と同じように、出入口からカタンッという音がした。
ふふっ、器用な犬ね。
出入口のドアを自由に開けられちゃうんだから。
「リオ、いらっしゃ……」
当然リオがまた来たのだと思ったラシェルだったが、犬がいると思った場所にいたのはエスティリオだった。
「魔塔主様……」
固まって動けないのは、エスティリオが魔法をかけたからではない。何をどう挨拶すればよいのかも思いつかない。もう会いに来ないと思っていたから。
ただ見つめるばかりのラシェルに、ゆっくりとエスティリオが近づいてくる。
「エル……もしも口付けをすると呪いが解けると言ったら、エルは俺を許してくれる?」
「え……?」
ラシェルへと伸ばされた手。
塞がれた唇。
頭の後ろに手をあてがわれて、深く唇が重なり合う。
「んん……」
口の中をなぞられ、エスティリオの喉がゴクリと鳴る。その後の一瞬に、僅かに手の拘束が緩んだ。
「な……っ、何をなさるのですか?!」
突然来たかと思ったら、キスをしてくるなんて。
既に傷付きボロボロになりかけた心を、更に引き千切られたような気分だ。
エルの事を好きだからって、こんなこと……。
泣き出しそうになるラシェルを前に、エスティリオは「やっぱりそうだ」と頷いている。
なにが「そう」なのだろう?
人の気も知らないで、平然とした顔をして……!
「エル。俺、知っているんだ」
「知っているって……何を……」
ドッドッと鼓膜に、鼓動の音が鳴り響く。
呼吸することすら、忘れてしまいそうになる。
その先の台詞を、聞いてはいけない。直感的にそう思った。
「エルが本当は何者なのか」
「――――!!」
ラシェルがエスティリオを押し退けてドアの方へと走り出すと、すかさず腕を掴まれて後ろからキツく抱き締められた。




