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「大丈夫だよ。それに僕もまたあのだらしない姿を見たいからね」


 そう言って茶化してくれた楼主だが、絶対に彼の負担になるのは分かっている。


「出来るだけ頑張ります」


 だったら私に出来る事はこの遊郭に少しでも貢献する事ぐらいだ。


「うん。でも無理はしないように。ところで」


 私が食べ終えて箸を置き手を合わせたタイミングを見計らって楼主が座り直した。恐らくこれからさっき言ってたお説教タイムが始まるのだろう。


 私も座り直して楼主を見上げると、楼主は仮面の奥の瞳を冷たく細める。


「どうしてあれほど言ったのに君は敷地から出たのかな? ここから逃げたかった?」


 その言葉に私は素直に首を振ったのだが、そんな私を見て楼主は不思議そうに首を捻る。


「それじゃあどうして」

「……怖かったんです」

「怖かった? 客を取るのが?」


 そうではない。そうではないのだ。私は膝の上の拳をギュッと握りしめた。


「格子の女の人の怒鳴り声が——母の声と似ていて」


 その言葉に楼主は深く息をつき、何かを考え込むように口元に手を当てる。


「それで逃げた?」

「……はい」


 私の言葉に楼主は小さな溜息を落として言う。


「深くは聞かないよ。ただ、君たちはここから一歩でも外に出たらもう二度とここへは戻れなくなる可能性の方が高いんだ。あの鬼火に導かれた者しか遊郭には辿り着けない。鬼火が導くのは妖怪のみだ。人間はそこには含まれない。今回はすぐに朧が気づいて追いかけてくれたから君は無事に戻ってこられたけど、毎回運良く誰かが追ってきてくれる訳じゃない。それを心に刻み込んでおいてほしい」


 厳しい楼主の言葉に私はコクリと頷く。この遊郭は常に移動している。それをすっかり忘れて勝手をしたのは私だ。


 私が俯いて下唇を噛み締めていると、向かいから安心したような息が聞こえてくる。


「逃げ出したくて自らここを出た訳ではなくて安心したよ。遊郭から出た人間の末路なんて、二択しかないからね」

「二択もあるんですか?」

「あるよ。一つはそのまま生気が賄えずに衰弱死。もう一つは遊郭に呼ばれない気性の荒い妖怪に捕まって奴隷のような生活を送って衰弱死。そのどちらかだよ」

「……それは結局、一択では」


 思わず突っ込むと、楼主はキョトンとして声を上げて笑う。


「はは! 本当だ。でもそうやって毎年何人もの人間が実際に亡くなっている。僕達楼主は休みの日以外はここから出る事を許されていないから、探しに行く事も出来ない。発信機とかがついてる訳でもないから見つける事も困難だしね。だから小春、今度からどれだけ怖い思いをしても外には出るな。決して。それなら一人で遊郭に入り込んでくれた方がマシだ」


 はっきりとした強い口調で言われて、私はさらに縮こまった。そんな私の前に楼主が何かを置く。視線を落とすとそれは梅の花がついた簪だ。


 驚いて顔を上げると、今までの厳しい口調とは打って変わって、楼主の表情はもう既にいつも通りだった。


「これは……?」

「初めて客を取った子には渡してるんだ。おめでとう、小春。これからも精進して早く任期を終えるんだよ」

「あり、がとうございます」


 私はその簪を受け取ると、しげしげと見つめて微笑む。


「喜んでもらえて何よりだよ。つけるつけないは別として、それは僕からのプレゼントだ。定期的に用意してあるから頑張ってね」

「はい」


 プレゼントなんかで誰かと寝るのは嫌だが、どのみち寝なければならないのなら多少のモチベーションにはなるだろう。


 私は振り向いて後ろにあるタンスの一番上の段に簪を大切に仕舞った。

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