立ち聞き 2
「実はわたし、これまで恋をしたことがなくて……わたしの望みは一生エリス様に仕える事で、結婚なんて考えた事ありませんし……」
「結婚しても仕える事はできるでしょう。ねえ、エリス様」
領主母の言葉に、トマが激しく頷いている。
「ええ、もちろん。でもわたしは、ローラに好きな人ができたのなら、一生仕えるとかそういうことを考えず、自分の幸せを優先してもらいたいわ」
「わたしの幸せは、エリス様のお側にいる事です! 家が事業の失敗で没落し、両親も亡くなり、途方に暮れていたところをエリス様に救って頂いたのですから」
「あらまあ、苦労したのねぇ。将来皇后様になる予定のエリス様の侍女だったのだから、ローラさんも貴族の出なのかしら?」
「はい、男爵家でしたが、わたしが12歳の時に没落しまして。お茶会でご挨拶させていただいた事がある程度の私をエリス様は気にかけて下さり、侍女にして下さったのです」
「わたし、今12歳です。ローラさんは今のわたしと同じくらいの時に、そんな辛い思いをされたんですね……」
そうか……色々あるんだなぁ……。
領主娘の言葉を聞きながらしんみりしていると、お菓子が焼けたらしく、甘い香りが漂ってきた。
「いい色ね、上手くいったわ」
「味見したいです!」
「その前に次に焼く生地を並べなさい」
「はーい、おばあ様」
……トマの話は終わりみたいだな。
ワイワイしているのに紛れ、俺達は部屋に戻ろうとしたんだけど、
「エリス様、フェリックス陛下は、とっても素敵な方ですよね!」
俺はピタッと動きを止め、再び元の場所に戻った。
領主娘! いい事言うじゃないか!
「背も高いしかっこいいし、使用人達も笑いかけてもらったって喜んでました!」
「そう……陛下は、とてもお優しい方だから」
エリスの声は、笑顔が目に浮かぶような声だ。
「本当に、とても素晴らしい方……フェリックス陛下と出会う事ができて、わたしは本当に幸せだわ」
「フェリックス陛下とエリス様がお並びになった姿は、美しいのを超えて、神々しいです!」
領主娘、リアーナは、12歳の娘らしくキャッキャとはしゃいでいる。
「戴冠式や結婚式が楽しみです! ねっ、お母様」
「本当にそうね。……ところでエリス様、その戴冠式と結婚式に『皇帝の紫』の完成を間に合わせるように、との事ですね?」
「ええ。フェリックス陛下の衣裳を、完全な『皇帝の紫』で作りたいのです。皆さんに、無理をさせるのは心苦しいのだけれど……」
「大丈夫ですよ! 今日エリス様に教えていただいた方法が、なんだかうまくいきそうだって夫が言っておりましたし。今こそ、エリス様のお役に立たなければ! エリス様が援助して下さったおかげで、村の整備もできたし、学校も作れました。エリス様の仰る通りパンを配ったら、みんなしっかり通ってくれるようになりました。それに、エリス様が手配してくれた小麦の種のおかげで、土地が痩せているここでも小麦が採れるようになってみんな喜んでおります。ねえ、お義母様」
「ええ。ここでの暮らしはどんどん良くなっています。本当にありがとうございます。御恩に報いる為にも必ず『皇帝の紫』を復活させますよ」
「わたしも手伝います! 不誠実な皇太子様に見せつけてやりましょう! 深く深く、後悔すればいいんだわ!」
「リアーナっ!! あなた何てこと言うの!」
慌てたような領主妻の声が響いた。
「申し訳ございません、エリス様。リアーナが大変失礼な事を申しました」
「も、申し訳ございません、つい……」
はしゃぎ過ぎたリアーナも、慌てて謝った。
まあ、まだ12歳だし、仕方ないけど、
「でもわたし、こんなに自分の為にいろいろしてもらっているのに他の女性を好きになるなんて、皇太子様は酷いと」
「いい加減になさい! エリス様、本当に申し訳ございません。母であるわたしの責任でございます」
さっきまでのほのぼの雰囲気が一変した、と思ったんだけど、
「いいんですよ、ロザリアさん」
エリスの声だ。
「皇太子様がわたしの妹に心を動かされたという事は、誰もが知るところですから。……でも私は別に、皇太子様の事を恨んでは……今は、感謝しているくらいで」
「感謝、ですか?」
感謝だって? えっ? どういう事? まさか、まだ好きだなんて事は……。
俺も向こうにいる女性陣と同じく、エリスの言葉の意味がわからず動揺したけれど、
「だって、皇太子様が妹を好きにならなかったら、わたしはフェリックス陛下と出会う事はできなかったのだから。……これまでの全てが、フェリックス陛下と出会う為だったのだと思えば、苦しかった事も全て意味がある事に思えるし、頑張って良かったと思えるし……『皇帝の紫』を完成させたいのも、フェリックス陛下には、深い紫が似合うと思うからなの。フェリックス陛下が『皇帝の紫』で作った正装をされたら、とってもとっても素敵だと思わない? 威厳があるフェリックス陛下には、濃く鮮やかな紫がきっと良く似合うわ。背が高いからマントも素敵だと思うし……あ……えーと、この話は、そろそろ終わりにしましょうか。このクッキー、明日学校の子供達に配るから、もっと作らなきゃ……」
その声から、照れて頬を染めているエリスの姿が見えるようだった。
ああ、嬉しい。
エリスが、これまでの辛い思いさえも、俺と出会う為のものだったと思ってくれているなんて。
『皇帝の紫』を、俺に似合うだろうからと、完成させたいと思ってくれているなんて!
嬉しくて嬉しくて、笑い出したくなるのを必死でこらえていると、『はあ』と、ローラのため息が聞こえた。
「今のエリス様の言葉を聞いて、わたしはそこまでトマさんのことは思えないかと……これまでの出来事にさえ感謝するほどには思えなくて……」
その言葉を聞いて、トマはこの世の終わりのような表情になった。
なんだかすまん! トマ。
とりあえずもう少し酒をもらって、トマを慰めよう。
ついて来た護衛兵に酒をもらってくるように小声で頼んで、俺達はコソコソ部屋に戻った。
トマ、頑張れ! そして『フェリックス・マルタン』終了です。→だったのですが……諦めていた話を追加します!




