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サルト  作者: 岩槻大介
10/19

ケツメドボンバー!

 県境を流れる川の土手に上ったら、思ったより太陽が上の方にあったのでぼくはちょっぴり安心した。

 だって、目の前にダイナミックな夕日がどーんと現れでもしたら、思わず「ばかやろーっ」なんて叫んでしまいそうだったんだもん。

 でも、草むらの中で静かに鳴き始めたカエルたちが、ぼくに向かって「バカヤロ、バカヤロ、バカヤロロロ」と言っているような気がしたので、なんだか腹が立った。

「ばかやろう…」

 結局ぼくは、そうつぶやいていた。

 どいつもこいつも、カエルまでも、ぼくをバカにしやがって。

 河川敷のランニングコースをあてもなく歩いていると、なんだか視界がにじんできた。鼓膜にこびりついていたいろんな声が、かさぶたみたいにぱさぱさとはがれて、耳の奥に落ちた。

「三人で一緒にゴールしようぜ」

「お前のその顔、はっきり言ってキモいよ」

「お前の存在自体の病気なんだ」

「俺はミュージシャンなんだ。だから忙しいんだよ」

 ちくしょう。

 往生際の悪い夏の風が、秋の風にとっちめられながら通り過ぎる。

 ぼくの前髪がふわっと揺れる。

 ころころころ、とアスファルトの上を空き缶が転がる。

 ちくしょう。ぼくはその空き缶を思い切り蹴飛ばした。

 いてっ。

 さっき台所でぶつけた足の小指に激痛が走った。ぼくの痛みを乗せた空き缶は空へ高く舞い上がり、見事な放物線を描いた。そして土手のへりに立つ柳の木の枝に突き刺さったまま落ちてこなかった。

 ぼくもあそこに突き刺されば、あっさりとこの世から消えてしまえるのかな。

 ぼくは、はっきりとものが言えないし、言えたとしても、キモいし。唯一の親は、だらしなくて情けなくて千葉県モミアゲのどうしようもないアホだし。

 もういっかなぁ。

 消えちゃおうかなぁ。

 このまま父ちゃんと暮らしていても、いいことなさそうだし。

 それになによりも、走りたくないし…。

 あぁ、ズキズキしてきた。

 足の痛みだけが、ギリギリのところで現実感の扉を開いていた。


「あれ、佐藤さんトコのぼっちゃんじゃない」

 駅前のドーナツショップが目に入った。気が付いたらぼくは、片足を引きずったままこんなところまで歩いていた。

 ぼくに声をかけてきたドーナツショップのおばさんは、制服ではなく普段着だった。

「しばらくぶりね。なに、今日はお出かけ?」

「あ、いや、はは…」

「ああ、まさかデートじゃないでしょうねぇ」

「ち、ちがいます」

 ホントに、どうかしてる。

 ぼくはよく母さんとここにドーナツを買いに来た。母さんはここのドーナツが一番おいしい、と言っていた。何度か来ているうちに、店のおばさんとも顔見知りになった。母さんの四十九日の日にどうしてもここのドーナツを供えてあげたくて、ぼくは一人で買いに来た。わけを話したら、おばさんは頼んでもいないのに大きな箱いっぱいのファミリーセットをぼくに持たせた。

「そうよね。小学生がこんな時間からデートしてたら、先が大変だわね。あ、ちょっと待ってて」

 そう言っておばさんは裏口から店に戻ると、紙袋をひとつ抱えて出てきた。

 中から何人かの「おつかれさまでしたぁ」という声が聞こえた。

「これ、お父さんと二人で食べて。じゃあね」

 おばさんはそう言って手を振ると、点滅し始めた青信号を足早に渡って行った。

 手渡された袋の中からは、ドーナツのいいにおいがした。

「ありがとう」

 ぼくが言うと、おばさんは一度だけ振り返ってニコッと笑い、人ごみの中へ消えた。

 ぼくは思わずぎゅっと締めたくなった。自分のからだをきつく、きつく、締めたくなった。そうでもしないと、何かがあふれてきそうだったのだ。目の奥から。

 まぶたをぎゅっと締めたので、世界はまっくらくらになった。

 深い暗闇の中で、ドーナツをほおばる母さんが見えたような気がした。おいしいね、刻人…。

 母さん…。

 かあさん…。

 かあ、「ケツメドボンバー!」

 んん!

 ぼくは飛び起きるようにして目を開けた。

 目覚めたばかりのネオンたち。到着するバス。走り出すタクシー。そして歩道にあふれかえる人、人、人。

 考えてみりゃ、駅前が最もにぎわう時間帯だ。どいつもこいつも反復横とびでも始めそうな勢いで、夜の始まりとたわむれている。

 くそう。誰だ、ぼくの大事な思い出の邪魔をしたヤツは。

 何がケツメドボンバーだ。

 パッキャマラドよりも意味不明じゃないか。

 バス停に並んでたり、ガードレールに腰掛けていたり、立ったり座ったり歩いたり止まったりしながら、みんな大声で勝手なことをしゃべっている。ちくしょう、どいつだ、どいつの声だ…。

 ぼくは犯人を割り出すために、もう一度目を閉じてみた。

 声の特徴ならまだ覚えている。何しろケツメドボンバーだ。また同じようなくだらない言葉を発するに違いない。

 どこにいる、ケツメドボンバー。

「――ご乗車ありがとうございまぁす」

「――ああっ、てめぇ返せよ、って俺んじゃねぇし」

「――いいですね、フグなんて最近ぜんぜん…」

 しっぽを出せ、ケツメドボンバー。

「――なんかさぁ、超マジやばくない?」

「――民営化のあおりなんだかどーだか。しかも黒ですよ」

「――ただいまキャンペーン中でーす、プロバイダーの新規…」

「――もしもし、ごめんね、反対側に出ちゃったぁ」

 しっぽを出すんだ、ケツメドボンバー。

「――お前の穴は、ふし穴か!」

「――いやーん、にゃははは、まじムカつくぅ!」

「――分かりました。分かりました平目のムニエル!」

 しっぽを…。

「――平気平気、そんなのノー・プログラムだぜ」

「――その点うちのダンナなんか、朝からアザラシ状態よ、おほほ」

「――ネカマの戦士、キターッ!」

 しっぽを……出さなくていい、ケツメドボンバー。

 ぼくはゆっくりと目を開けた。

 たぬきみたいに目の周りを黒くした女子高生。両手で一生懸命メールを打っている中年のサラリーマン。ダボダボの服を着た坊主頭の集団。顔の半分が口のような声のでかいばばぁ。あごでタクシーを停めているパンチパーマのおじさん。おそろいの紙袋を抱えたオタクっぽいお兄さんたち。真っ赤な顔をしてふらついているおじいさん。白目をむき出しにして大笑いしているカップル…。

 くだらない。なんてくだらないんだ。

 お前ら全員、ケツメドボンバーだ。

 この世は全て、ケツメドボンバーだ。

 母さん、世界はとうとう、ケツメドボンバーになっちゃったよ。

 ケツメドボンバーたちは、本当にくだらない。

 くだらないことを、くだらなく伝えながら、大騒ぎして、大騒ぎして、そして笑っている。ぼくがまぶたをぎゅっと締めているうちに、いつしか世界は、大笑いしている。

 言葉なんか、誰も使っちゃいない。

 平気なんだ。伝わるんだ。ケツメドボンバーに守られているから、世界はいつでも大笑いしていられるんだ。

 その時、誰かがぼくの肩をたたいた。

「キミ、一人かい、こんな時間に何をしているんだね」

 制服姿の警官だった。

「あ、いや、え、へへ…」

「家は近所なのかい? 誰かを待っているのかな?」

 矢継ぎ早に聞いてくるその言葉も、なんだかケツメドボンバー語に聞こえたので、ぼくは吹き出しそうになった。

 そんなぼくの顔を見て、警官は質問メドレーをストップさせた。

「何がおかしいの」

「あ、すいません。家はですね、歩いて十分くらいです。大丈夫。一人で帰れますから」

「そ、そう」

 一瞬憮然とした顔つきになった警官も、ぼくがそう言ったら、少し表情をゆるめた。

「いや最近キミくらいの子の家出が増えてるから、ちょっと心配になっちゃって。何でもそういう子は手荷物一つで簡単に飛び出してきちゃうらしいんだ」

 そう言って警官は、ぼくが持っている紙袋をチラッと見た。

 ぼくはそれをわざと振りかざしながら言った。

「おまわりさん、これはドーナツですよ。さっき知り合いのおばさんからもらったので、これから帰って父と食べるんです」

 警官は、それ以上何も聞こうとしなかった。

「そうか。じゃあもう遅いから、急いで帰りな。お父さんによろしくな」

「はい。さよなら」

 本当は「さよなら、ケツメドボンバー」と言ってやりたかった。

 それくらいぼくは、いや、ぼくも、いつしかケツメドボンバーな気分になっていた。


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