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第8話 夜明けの光、頬に咲く星雲

 王城での騒乱から数時間が過ぎ、世界は深い藍色の静寂に包まれていた。

 カイル様の屋敷へ戻る馬車の中、私たちは向かい合って座っていた。

 車輪が石畳を叩く一定のリズムだけが、心地よいBGMのように響いている。


「……疲れたか、エリス」


 沈黙を破ったのは、カイル様の低い声だった。

 私は窓の外へ向けていた視線を彼に戻す。街灯のオレンジ色の光が、時折彼の整った横顔を照らしては過ぎ去っていく。


「いいえ。……不思議なくらい、心が軽いです」


 それは本心だった。

 もっと虚無感に襲われるかと思っていた。実の家族を、自らの手で断罪し、永遠の牢獄へ送ったのだから。

 けれど、胸にあるのは、嵐が過ぎ去った後の海のような、凪いだ静けさだけだった。


「そうか。……君の『光』が、変わったな」


 カイル様が、私の隣へと席を移動してきた。

 彼の纏う、冬の夜気とサンダルウッドの香りがふわりと鼻をくすぐる。


「変わった、とは?」

「以前の君の光は、悲痛なほど張り詰め、今にも壊れそうなほど強く圧縮されていた。だが今は……柔らかい。まるで、夜明け前の空のように穏やかだ」


 彼は躊躇いなく、私の右頬に指を這わせた。

 かつて誰もが忌み嫌い、私自身でさえ汚らわしいと思っていた黒い痣。

 けれど、彼の手はそれを至上の宝石であるかのように優しく撫でる。


「エリス。君のその頬の黒い結晶について、一つ隠していたことがある」


「え……?」


 私は身構えた。まだ何か、恐ろしい秘密があるのだろうか。


「君はこれを『周囲の穢れを吸い取った残りカス』だと思っていたな? そして私はそれを『守護の重力波』だと説明した。……だが、それだけではないのだ」


 カイル様は私の手を取り、彼自身の胸に当てさせた。

 トクトクと、力強い鼓動が掌から伝わってくる。


「君の魔力特性は『受容』と『変換』だ。君は長年、他人の悪意や土地の呪いというマイナスのエネルギーを受け止め、それを体内で純粋な魔力へと変換し続けてきた。……君のその痣は、ゴミ捨て場などではない。泥から蓮の花が咲くように、悪意を糧にして精製された、世界で最も純度の高い『魔石』そのものなんだ」


「魔石……これが?」


「ああ。見てごらん」


 カイル様が、私の頬に口づけを落とした瞬間だった。

 視界の端で、ボウッと柔らかな光が灯った。

 慌てて鞄から手鏡を取り出し、私は息を呑んだ。


 鏡の中の私は、泣きそうな顔で笑っていた。

 そして右頬の痣は――かつてのどす黒いコールタールのような色は消え失せていた。

 代わりにそこにあったのは、深い夜空のような紺青こんじょう色。その中に、無数の金色の粒子が散りばめられ、まるで小さな銀河が頬の上で瞬いているかのようだった。


「綺麗……」


 思わず呟いていた。

 これが、私の色? 私が耐え忍んできた十年間の結晶?


「呪縛が解け、君が自分自身を肯定したことで、魔力が本来の輝きを取り戻したのだろう。……『黒斑の魔女』などではない。君は、夜空を纏う『星読みの聖女』だ」


 カイル様の言葉に、涙が溢れて止まらなかった。

 醜いと罵られた。隠し続けた。

 でも、この傷跡は、私が誰かを守ろうとした証。それがこんなにも美しい星空に変わるなんて。


 カイル様は、涙で濡れた私の頬を両手で包み込んだ。

 その灰色の瞳は、見えていないはずなのに、誰よりも鮮明に私を見つめている。


「エリス。君はもう、一人で世界の重荷を背負う必要はない。だが、その優しい魂は、きっとこれからも誰かを守りたいと願うだろう」


 彼は一度言葉を切り、真摯な声色で続けた。


「だから、私に背負わせてくれないか。君が守る世界の、その土台を。君が安心して羽を休められる場所を、私が生涯をかけて作り続けよう」


 それは、プロポーズだった。

 華やかな指輪も、大勢の証人もいない。揺れる馬車の中での、静かな誓い。

 けれど、私にはそれがどんな宝石よりも輝いて見えた。


「……はい。……はいっ、カイル様……!」


 私は彼に抱きついた。

 彼もまた、私を強く抱き締め返す。

 右頬の星々が、彼の胸元で温かく瞬いた。

 それはまるで、私たちの未来を祝福する灯火のようだった。


 窓の外、東の空が白み始めている。

 長く暗い夜が明け、新しい朝が訪れようとしていた。

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