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郷愁の踊り子

 ユーリは城のバルコニーに立っていた。

 深紅のドレス姿。長い赤髪を後ろに束ね、その頂きに金色の冠を乗せる。


 眼下に広がるのは庭園であるが、今、そこには兵士から国民たちがひしめき、沈黙を保ったまま天を仰いでいた。

 踊り子としてではない。

 背後には兄や姉、そして近く夫となる者が立ち、誇りと不安、期待が混じる視線が向けられる。

 ユーリは首から提げた布袋に手をやり、それを撫でながら、そっと瞼を閉じた。


(おじさん……)


 十五歳の誕生日の直前、おじさんはいなくなった。


『グランス国の泉のほとりで、パンを食べるのが好きだったんだ』


 カトス城のすぐ側に、姉さまが故郷を偲んで造らせた泉がある。

 城におじさんの姿がなく、きっとそこだろうと思った。

 そして予想通り、おじさんはいた。昔の体型のような、パンをお腹に置いたままの恰好で。

 最初は眠っているのかと思った。

 けれど、呼びかけてもおじさんは起きなかった。

 何度も、何度も呼びかけても起きない。美味しいものを食べた時のような、幸せそうな微笑みを浮かべたまま目を閉じるばかり。

 泣きながら呼んでも、わんわんと泣いても、もう口の中に酸っぱいボイベリーを入れてくれない。――そう思うと、涙が止まらなくなった。


(あの日に見た夢は、ただの願望かもしれないけれど……)


 その日の夜のことを思い出していた。

 安置室に横たわるおじさんに、ずっと泣きすがっていた。

 シャインやメリザンド姉さんが、「もう」と肩を叩いて促すも、首を振るばかり。

 皆が諦め、その場を去ってもなお――いつの間にか、泣き疲れて眠っていたのだろう。

 ふと気がつけば、真っ白なステージの上に立っている夢を見ていた。


「ここは……」


 四方が白い壁に囲われた部屋の中。

 正面には同じく、黒い輪郭だけを描いた椅子が、ずらりと並んでいた。

 ぐるりと一周。そして元の位置に戻ったその時――


「! ……おじさん!」


 真っ正面の椅子の上に、おじさんが座っていたのである。

 黒い長丈の胴衣を着て、いつものボロボロのリュックを担いでいる。身体は記憶のまま、でっぷりと太った大きなお腹をしている。

 涙が噴き出し、歩み寄ろうとしても、一向に辿りつける気がしなかった。


「おじさんっ、おじさん……っ!」


 言葉が届かないのだろうか。

 おじさんは微動だにせず、目を向けるだけである。


(そうだ……!)


 ユーリは自分を思い出し、ステージの上で両腕を高く掲げた。


 ――おじさん、本当に死んじゃったの?


 ここでやっと、おじさんが反応したように、頷いたように見えた。

 何で。どうして。置いて行かないでよ。……頭に次の言葉が浮かぶものの、どれも相応しくない言葉だった。


 ――……


 腰を揺り動かす〈艶の舞〉を踊りながら、ユーリは考えた。

 我が儘言って、困らせてやろうとも考えたが、それよりも、


 ――おじさんの潔白、私が晴らしてあげるからね


 おじさんは、何か未練があるのかもしれない。

 そうだとすれば、信用第一でやってきたおじさんが、唯一、損ねたこと。

 私のために、お客さんの荷物に手をつけたことだ。

 それを晴らせるのは、女王である自分だけである。


「……」


 おじさんを見れば、安堵しているように見えた。


 ――それとね、一つ教えて欲しいの


 ユーリは少し躊躇した。

 何より知りたいことであるが、答えが怖い言葉。

 しかし、今しか聞けない。決意を固めるように、踊りの勢いを増した。


 ――おじさんは、幸せだった?

 ――私のせいで十年も無駄にして、出先で死んじゃって……

 ――何の報酬も貰わないまま、ご馳走も口に出来ないまま……


 ユーリは涙を零している。

 ボブの顔を見られず、目を俯かせていると、


「もう、最高の褒美を受け取っているよ」


 確かに、そう言葉をかけてくれた。

 ハッと顔を持ち上げると、おじさんは立ち上がっていた。

 古いリュック。剣に刺され、空いた穴を繕った深緑のリュックを置いたまま。


 ああ、そうか。


 ユーリは思い出した。

 おじさんの未練はもう一つ。

 誕生日のお祭りで、踊りを見るって約束をしていたことだ。


 ――配達、行っちゃうの?


 おじさんは新しいリュックを背負っていた。


『バーンズばあさんに、頼まれたんだ』


 そう言いたげに。

 少し困ったような顔をして、くるりと翻った。


 ――ミラ姐さんにも、よろしく言っておいて


 直後。ユーリはハッと目を覚ました。

 目から涙が零れ、しかしそれを拭うこともせず、横たわるボブを確かめる。

 そこには、ボブの亡骸があった。


(ファルファ姉さんだけじゃなく、マイヤ姉さんもわんわん泣いてたよ)


 ユーリは瞼を上げ、故郷を望む。

 青く抜けるような初夏の空に、緑豊かな山が連なっている。

 逆賊から国を奪い返すため、挙兵したのは夏の最中のこと。

 兄・ロレンス率いるパルティーン国。

 次女・メリザンドの夫・ハヴァル率いるカトス国。

 何とそこに、ホート・イールよりアミール率いる部族の軍まで加わったのである。

 火を見るよりも明らか。その時点で勝敗がついていた。


 同盟を結んだはずのウィンスロー国は挙兵せず。

 むしろ、裏切りを唆した南方のバレンダ国へ侵攻、長女・フローリアの嫁いだエルスルーカ国と与し、一気に討ち滅ぼした。

 自軍の兵だけで戦う故郷・グランス国も、大半がアテにならなかった。


 ――ミュレイア・キング・グランスの凱旋


 その報せは国中へと知れ渡り、これまで逆賊に服従しなかった兵士たち、心まで服従しなかった兵士たち、彼らはここぞとばかりに剣を抜き、城に向かって構えたのである。


『ミュレイア王女を故郷へ!』


 それを合図に。守りの要となる城門は、実にあっけなく開かれた。

 やはり戦果を上げたのはミルバールの兵士だ。兵を率いるランダルの活躍が目覚ましく、突撃牛に跨り、次々と敵を吹き飛ばしてゆく様は圧巻だった。

 逆賊の兵士たちは連合軍に殲滅され、王となった逆臣は逃亡する間もなく捕らわれた。

 そしてロレンスやユーリ、メリザンドら王の子たちの前に、引きずり出されれば、


『ミュレイアよ、この者への仕置きはどうするべきか』


 兄に判断を委ねられたユーリは動揺したものの、それが女王としての最初の仕事だと気づけば、


『我が胸にあるのは、怒りの炎のみにございます』


 毅然とした態度で、冷たく言い放つ。

 顔を引き締め、ただ短く。それだけでよかった。


 ――ミュレイア女王は、踊り一つで国を焼いた


 逆臣はただちに火刑に処され、民たちは昇ってゆく黒煙を前に狂喜乱舞した。

 おじさんの時とは大違いだ、とユーリは指先で布袋を撫でる。


(帰りも、おじさんに運んで欲しかったけどな……)


 カトス国の形式に則り、おじさんは火葬され、遺された骨は小箱へと納められる。

 帰路。かつてはそうやって運ばれていたように、ユーリは腕の中に小箱を抱え続けた。

 行きは十年。帰りは十週間。

 蛇の如き旅路は、直線にすると何と短い道のりだったことか。しかし歳月を重ねたおかげで、今の自分がいる。


 夢の言葉は、自分が望んだ勝手なものかもしれない。

 けれど、次の配達にゆくおじさんは、自分自身へ一つのケジメとなった。


(今度、私用の大きな踊り場を作ることにしたんだけど、その時は、おじさんの名前をつけさせてね)


 そうすれば、ずっとおじさんの上にいられるから。

 ユーリは顎を持ち上げ、天を望んだ。

 広い空に、大きくでっぷりとした雲が一つ浮かんでいた。


 両腕を上げても、腋の下に手を差し入れ、持ち上げてくれない。

 旅の山道。肩車から眺める世界は、もう見ることが出来ない。

 それは、高いバルコニーから望む景色にも敵わない。

 おじさんは何よりも大きな人なのだ。


(これまでみたいに、見守っていてね)


 ドレスでは政治は出来ぬと言う。

 されど、両親より賜った身体に纏うは、風光明媚なドレスにあらず。

 おじさんより賜った“ユーリ”と言う名前を持ち、師より賜った〈舞姫〉の衣装を纏う踊り子――胸に踊る炎を宿しし〈舞女王〉として、この国を治めてみせよう。

 決意を固めたユーリは、息を大きく吸い込み、作法に倣いながら両腕を広げた。


 ――ありがとう、おじさん


 まず空に向けて語りかけ、それから女王の言葉を発した。

※【郷愁の踊り子 ~配達屋のおじさん、亡国の幼姫を託される~】は、これにて完結となります。

 ここまでブックマーク・評価・感想、そしてPVも日増しに増えたこと、とても嬉しく思います。

 もしよろしければ、この作品はどうであったか反応を頂ければ幸いです。


 最後に。読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m

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