292 父さんの思い出
父さんとは、折り合いが悪かった。
いつから悪かったのか、もう覚えてない。
少なくとも2歳か3歳の頃までは父さんが大好きで、肩車してもらって髪の毛掴んじゃうくらいには好きだった。
3歳くらいの頃、三輪車のペダルが壊れた時、父さんが替えのペダルを持ってきて取り付けてくれた時は、「お父さんって何でもできるんだ!」って感動した。
左右でペダルの色が違っちゃってたけど、“お父さんが直してくれた三輪車”って逆に誇らしかった。
弟が生まれた時は、毎晩のように病院に(母さんに)会いに連れてってくれた。
ついでに買ってくれるアイスも嬉しかった。
父さんは意外と雑学を知ってて、披露するのが好きな人だった。
「タイムボカン」のOPラストでタツノコプロのロゴ(タツノオトシゴマーク)が右を向いて「タツノコプロ」の文字を吐き出した後で左を向くという演出があった。
父さんは、タツノコプロの社長の名前が吉田竜夫だから「タツノコ」プロなんだって説明してくれた。
ブリヂストンが「石橋」からきてるって話を聞いたのは、ドレミサイクロンを買ってもらった時だったかな。
「ストーン」「ブリッジ」→ブリッジストーン→ブリヂストンなんだ、という説明を受けて、ほへ~っと感心した幼稚園児だった。
キャンディーズが新潟に来た時、父さんに連れていってもらったんだけど、
「伊藤蘭です、ランで~す」
「田中よしこです、スーです」
って自己紹介を聞いた父さんが「よしこだからスーなのか」とか呟いてたから何のことか訊いたら、「よし」の字がすきの「す」とも読むからだって教えてくれた。
意味はよくわからなかったけど、「よしこ」が「すき」って読めることはなんとなくわかった。
数年後、「好子」で「よしこ」って読むパターンを見て、やっと納得した。
あたしの説明好きって、父さんの影響だったりするかも。
父さんが苦手になったのは、いつごろだっただろう。
少なくとも弟が生まれた後だったはず。
ていうか、父さんは、あたしと弟とで明確に扱いが違ってた。
男と女の違いってだけじゃなくて、あたしの性格が父さんと合わなかったってのも大きいとは思う。
あたしは、我が強くて理屈っぽいから、直情型の父さんとは合わなかったんだよね。
小さい頃は、父さんに怒られると倉庫に閉じ込められた。
今時だったら虐待って言われるかもだけど、当時はちょっと厳しいくらいで普通の躾の範疇だったのよ。
閉じ込められたって別に怖くはないんだけど、“閉じ込められた”って事実の方がショックで泣き叫んでた。
弟は要領が良くて、あたしが怒られるのを見て学習して、うまいこと避けてた。
あの要領の良さも、父さんが弟を気に入ってた理由だね。
父さん好みの立ち回りをできる弟と、できないあたし。
主にそこで優劣が付いたのかな。
あと、弟が小さい頃は病弱で、すぐ風邪ひいて熱出すから心配してたってとこもあるかも。
反対に、あたしは丈夫で滅多に熱も出さなかったから、「お前は頑丈でいいな」なんて嬉しくない褒め方されたっけ。
ちびでガリガリのあたしに「食べさせてないみたいだから、もっと太れ」とか言ってきたりもしたなぁ。
や、けして父さんがあたしのことを憎んでたとか疎ましく思ってたってわけじゃないのよ。
昔は疑ってたけどさ。
父さんは、あたしのこともそれなりに気にしてくれてはいたのよ。
あたしが小学生の頃、クラスメートに突き飛ばされて怪我した時は、護身術として空手を習わされたし。
普通、女の子の護身術ったら、合気道じゃないかい?
まぁ、後でヒーローショーの時に役に立ったけどさ。
あたしと弟の扱いが違ったのは、男だ女だよりは、単に弟が父さんと気が合ったってことなんだと思う。
あたしが怒られるのを見てて、同じ轍を踏まないように回避してたからってのもある。
父さんなりに、世渡りが下手そうでインドア気質なあたしを心配してたんだよね。
中学生になっても高校生になってもアニメや特撮が大好きでテレビにかじりついて見てるあたしが心配だったってこともあると思う。
二言目には、「そんなん見てて飯が食えるか」って文句言ってたけど、あたしが大学行ってヒーローショーのバイトするようになって、「食べてけるかどうかはともかく、小遣い稼ぎはできるようになったよ」って言い返したら、以後、何も言わなくなった。
多分、あたしの「好き」が仕事にできるレベルだって納得したからだと思う。
そういうとこ、一応筋は通す人だったんだろうね。
中学を卒業した春休みのある夜、父さんが倒れたって電話があった。
その時、母さんは家にいなくて、電話に出たあたしは、自転車で父さんのとこまで飛んでった。
なんとか救急車の出発に間に合って、一緒に乗せてもらって。
意識が回復した父さんは、家の権利書のありかとか通帳のありかとか、説明しだして。
遺言みたいだと思ったあたしは、必死に覚えた。
今思うと、あの極限状態で、よくあたし取り乱さずにいられたなぁ。
父さんに言い残したいこと喋らせて安心させようって必死だった。
結局、一過性の脳梗塞で、特に後遺症もなく終わったけど、あたしの中で父さんとの別れの覚悟はこの時にすんでたみたい。
その後も父さんは2回倒れたけど、もうドキドキしなかった。
父さんの死に目には間に合わなかったけど、お通夜、告別式を通してあたしは泣かなかった。
あたしが冷たいってのもあると思うけど、いつ別れが来るかわからないって、あたしが覚悟しちゃってたってのが大きい気がする。
今あたしは、翼が世渡りが下手なのを見てイライラしたり、口を出したくなるのを押さえてる。
あたしがそれなりに経験を積んで、要領が良くなったから。
きっと父さんも、当時のあたしを見て同じように思って、口も出しちゃってたんだろうなぁ。
あたしが一向に結婚しないことを父さんは随分心配してたようで、天さんとの見合い話が出た時は、有無を言わさずって感じで引っ張り出された。
曰く「普段から子供の相手をしてるから、お前の子供っぽさも受け入れられるだろう」だって。
子供と、子供っぽい大人ってイコールじゃないと思うんだけどね。
結局、あたしは天さんを好きになって結婚することになったし、結果オーライではあるんだけど。
あたしが妊娠した時は、初孫だから大喜びだった。
しかも、さっさと男の子だってわかっちゃったもんだから、翼が生まれた時にはもう赤ちゃん用のふとんまで用意されてた。
最初から帝王切開と決まってたから、生まれる時には病院にいられて、生まれた直後の翼を見ることができて。
孫の顔見せてあげられたのが、あたしの最大の親孝行だったんじゃないかなぁ。
父親が死んでも涙ひとつ流さない薄情な娘だけど、まぁ、あたしはあなたの娘だったよ。




