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後編

 後



 声も身体も大袈裟に震わせながら、父・優が真の居る書庫に突進してきた。


「真! 真はおるか!」

 父・優の鉄拳が飛ぶかと思い、流石に真は分厚い木管を差し出して身を守った。

 しかし、どうも様子が違う。ぶるぶると震えてはいるが、怒りの為とは言い難い。と思うと、がっしりと息子を抱きしめる。正直、獣に近い程漢臭い(おとこくさい)上に父親に抱きしめられても、嬉しくとも何ともない。というよりも正直、汗臭い上に何かがにちゃにちゃまとわりついて、気持ち悪いことこの上ないからやめて欲しい。自分だって男だ。抱きついてもらうなら、可愛い娘のほうが断然良い。


「素晴らしい栄誉だ! 褒めてとらすぞ!」

「はあ」

 腕の中の息子をぶんぶんと振り回して踊りだしかねない父・優を、真は必死で引き剥がした。父上がこのように喜ばれているという事は、宮中から御使者が来られたのだな、と真は胸をなで下ろした。


 真が立てた計略とはこうだ。せんに頼んで、皇帝・景にこのように申し出させたのだ。

 ――此度の戦勝の立役者は、作戦を立案した真にある。彼に褒美を取らせたい。ついては、自身の後見である蓮才人れんさいじんの姫君・しょうを、彼に娶らせてやりたい。


 最初は難色を示した皇帝・景であったが、確かに褒美を取らせなければならぬのであるし、父・優の政敵がこれ幸いにと、この縁組を皇帝に是非進めるよう進言したのだ。彼らにしてみれば、『男殺し』の星を持つ姫君を、宰相である父の手柄を立てた息子に押し付けられれば、これ以上の幸いはない。皇帝・景も、戰という出るむすこを討つ必要に思い至った。結果的に自分が栄達できぬとあれば、この先の戰の栄華もまたないのだと気がつき、申し出に許しを与えた。

 此度の戦で、一兵卒の犠牲も出さずに勝利をせしめた立役者である自分は、既に父の政敵に目を付けられている。その自分が『男殺し』の姫君を妻にすれば、この先の栄達は望むべくもない。


 これで父・優は暫くの間、政敵の目を眩ませて活動できる。しかも、正室の腹である兄達にとっても、自分がこれ以上表舞台に立つことはないと宣言するかのようなこの婚姻は、誠に胸のすくものであるものだ。自分は、主人あるじである戰にも見捨てられる程度のおとこなのだと、せせら笑っている事だろう。そして父もまた、真が皇子・戰に皇帝陛下にあのように申し出るように『うまく立ち回った』のだと、感激している。

 しかし、それで良いのだ。自分は、別に出世や栄達などを望んでいない。この書庫を与えられただけで充分だ。今はまだ父の代だから良いが、兄に代替わりすれば見捨てられるのは分かりきっている。それならここで、好きな本に囲まれて、気がついたら野垂れ死んでいるくらいで丁度いいと思っている。

 それを素直に信じさせる手立てがなく、今まで母共々苦労したが、これでもう誰も手を出しては来ないだろう。何しろ、主人あるじである皇子に見限られた証に、『男殺し』の義理妹を押し付けられる位であるのだから。


 父・優も、相当にホッとしている。だから『褒めてつかわす』と本音が出た。別にそれを責めようとも思わない。むしろ、構わずにいてくれた方が、有り難く感じる。

「お前には勿体無い縁組だが、当然うけるな?」

「はあ……まあ、皇子様のお申し出ですしね、断る理由は当然つけられませんしね」

 ぼりぼりと頭をかく真の指には、もう父に付けられたたんこぶの膨らみは当たらなかった。



 ★★★



 第一の目論見は上手く行った。皆、勝手に勘違いしてくれて、大いに助かった。実は、作戦的にはこれからが本番だ。上手く行ってくれよと真は心の中で呟いた。

 

 あれよあれよという間に、真としょう姫の縁組の話は進み、戰の申し出から7日後には輿入れの運びとなった。どうせなら、早ければ早いほうが良いでしょうと真自ら父・優に申し出たのだ。深く頷いて父はいそいそと皇帝陛下に謁見を申し出て、縁談を進めて貰うよう願い出た。

 その間は、流石に椿姫に触手を伸ばす輩はいなかった。蓮才人の部屋に姫君が移り、しょう姫の相手を務めるようになったからだ。しかし、誰も慌てない。いずれしょう姫が輿入れすれば、椿姫は無防備の檻の外へ放り出される。仔雀を捉えるよりも容易く手に入れられることだろう。唯一の味方と言える、真をも切り捨てたのだ。戰如きになど、如何な救済の策などたてられまい……。と、誰もが虎視眈々と少女を狙っている様子を、戰からの手紙を首輪に結わえた犬が教えてくれた。


 事は余りにもあっけなく、自分の思い描いた通りにすらすらと進んでいく。

 ひとつ気になると言えば、しょう姫の心の内だ。まだ5歳であるというのに、この最終兵器扱いだ。どのように感じているものなのだろう。

 考え、決心したのは自分であるが、人質妻よりもたちが悪い。自分とても彼女をはっきりと利用しているのだ。会ったこともない男の元に、悪利用されるだけの縁組で、幼い身の上で嫁がされる。それがたとえ長い目で見れば、彼女を助けるとはいえ、子供の心でそれを受け止められるものだろうか? 


 それにしてもと、改めて思う。

 椿姫の時にも感じたが、女性を、得に年端も行かない姫君を政争の道具に使うという感覚を、なぜ自然に持てるのであろうか? このような策を考え出した、自分で自分が気色悪くてかなわないというのに。皇子・戰も同じ思いなのだろう。珍しく、声音を恐ろしく強めて真に心の内を吐露したものだった。

 ――姫君たちを人質、即ち側室に差し出して国の安泰を図るくらいなら、国もろとも滅べと思う。姫の尊い犠牲の元に国は安寧を得るという偽善が、反吐が出るほど嫌いなのだ。王者はその統べる民草の為に如何なる犠牲も払うのだというのであれば、自分が人質にでれば良い。たとえ王族といえど、女王でもない限り、為政者でない限り、姫とても国の民草の一員だ。それの涙の上に再起を図る時間を稼ぐ程度の人間が統べる国など、『タカ』が知れている。そんな腐った国王なり皇帝なりが、後に姫を救い出したとして、どの面さげて会う気でいるのか、本気で聞いてみたいと思う。


 珍しく饒舌な戰だったが、自らの母・麗美人れいびじんしょう姫の母・蓮才人れんさいじんが起因しているのだと思うと、真も言葉がない。

 しかし、まあ、貴方が椿姫をやっぱり連れて行きたいと言わなけりゃ、こんな面倒くさい事にはならなかったんですけどね、と真はぼやきたくなる。ただ、本気で腹を立てている戰を見ていると、この皇子様の為にももうひと踏ん張りしてやらねばな、とつい思っていまうのだ。だからこそ、此度の縁組における、しょう姫の事を思うとやりきれなかった。

 嫌われたって仕方ないけれど、せめて友達くらいにはなれるといいなあ、と真は呑気に青空を見上げた。



 輿入れの列が厳かに到着した。

 迎え入れる真の母は、緊張の面持ちだ。それはそうだろう、相手はどのような相手であろうとも皇帝陛下の血を引く姫君だ。『男殺し』の星を持つ姫を息子の正室にすえねばならぬと知った時、泣き崩れるかと思ったが意外と母はしっかりしていた。彼女なりに、この婚姻が息子を守るものと、朧げながらも理解しているのだろう。対して、この家を取り仕切る正室は、腹の底から愉快でたまらぬという表情を崩しもしなければ隠しだてもしない。不愉快極まりないが、まあ、笑わせておけばいいのだ。


 しょう姫が輿から降りるのを見届けると、真は先祖を祀ってある廟へとつま先を向けた。そこで新妻となる姫を迎え入れ、先祖代々に婚姻の報告をする。その後、宴となり、夜半過ぎに新床で待つ自分の処に、妻たる姫が手を引かれて来るのだ。そして共寝をして、ようやく正式な夫婦として認められる。ちゃんと朝を迎えられれば・だが。大丈夫かな……まあいいか、何かあればそれはその時だ、と真はのんびりと欠伸をし、伸びをした。

 


 ★★★



 先祖を祀る廟で待つ真の横に、新妻であるしょう姫が介添えに手を引かれて静静と入ってくる気配がした。互いに、顔を面帯を垂らし伏せて隠している。新床につくまで、顔はあわせないのが為来りだ。

 しかし、ちらりと覗くまだ握り笑窪の消えぬ小さな丸みのある手は震えていた。ああ、やっぱりなあ……。怖くないはずが、恐ろしくないはずがないのだ。せめてこの屋敷での生活くらいは、自分が保証して差し上げなくてはな、と真は珍しく真面目に心に誓った。


 小さいながらも豪奢な贈り物に囲まれた宴が恙無く執り行われた。新郎である真は宴の最中に密かに姿を消す。宴が終焉を迎えると、白装束に着替えた新妻であるしょう姫が、真の待つ新床へと介添えに手を引かれてやってくるのだ。部屋で何故かどきどきと胸を高鳴らせながら、まんじりともせずに真はしょう姫を待った。宴の喧騒が静かに収まりを見せ始め、やがてしんと静まる。いよいよか、と目を閉じて待つ真の耳に、ちりんちりんと小さな鈴の音が聞こえてきた。花嫁の列が此方にやって来るのだ。


 部屋の扉が開き、床に腰掛ける真の横に介添えに手を引かれたしょう姫が横に座る気配を感じた。下女たちが皆下がるのを待ってから、真は新妻と介添えの娘に声をかけた。

しょう姫様、そして椿姫様、ようこそ」



 ★★★



 なんとか無事に、真は朝を迎えた。

 なんとか・とは、真の大誤算として、5歳の幼児がここまで寝相が悪いとは思ってもいなかった事だ。あちらへごろりとする間に鉄拳が飛び、こちらにごろりとする間に踵落としが落ち、そっちへ行くついでに頭突きを喰らわせて行く。仕方なく褥を新妻に譲り、自分は床の上で眠っていると、上からずどん! と柵を乗り越えて体当たりをすべくぶち落ちてきた。

 おかげで、真の全身にはあられもない痣が満載となっている。……新床で行為の証の痣を作るのは、新妻の方なのじゃないのかい? とぼやきたくなったが、大仰に謝るしょう姫を前にすれば、宥めながら苦笑するしかなかった。


 しかしなんとか朝を迎え、しょう姫は椿姫に介添えを受けながら、真と夫婦二人での初めての食事を交わすまでこぎつける事ができた。和やかに朝食を囲もうとしていると、父・優がどかどかと足音も高くやってきた。

「おや、これはわたしの新たなるお父上様」

 5歳の幼女に丁寧に頭を下げられ、毒気を抜かれた父・優は一瞬、う……と言葉を詰まらせたが顎をしゃくって真に此方に来いと命じた。やれやれ、と真はため息をつく。今日は鉄拳じゃ収まりがつかないかな、と少々怖気に身体を震わせていると、下男がばたばたと駆け込んできた。

「申し上げます、戰皇子様が、此方にご挨拶に参りたいとお出ましになられ……」

 顔を汗まみれにし、忙しく赤く青くさせている下男の言葉に、助かった! と真はだらりと四肢を投げ出して大の字になりたい気分だった。



 真の立てた計略は、至極簡単極まりない。

 そう、自分としょう姫の婚姻の折に姫の介添え娘として椿姫をたたせたのだ。通常、幼い姫にはその教育者たるものがつくのであるが、ほんの数日で椿姫を気に入ったしょう姫が、彼女を介添え娘にと強く望んだ故、お許しをと蓮才人が皇帝・景に申し出たのだ。介添え娘は、共に嫁した状態になる。余程の事がなければ、嫁ぎ先から出る事はない。


 椿姫に執心をみせる皇帝・景も、いくらなんでも嫁に行く娘の介添え娘を寝所に呼びたいから許しを与えぬと、その母である妃に向かって言えるわけがなかった。いやそもそもが、人質風情を幾ら才人如きの腹とは言え、歴とした王女の介添え娘に選ぶなどという発想がまずもってなかった皇帝・景は、絶句した。

 そして同じように、椿姫に執心を見せた皇子たちも、己の後ろ盾の不評を買ってまで、宰相の屋敷に赴き姫を差し出せとも命じられない。真の兄や来客人も、たとえ椿姫に目をつけたとしても、既に宮中には彼女が皇子や皇帝に目をかけられたという噂は通っている。そんな姫を態々手に入れようとはすまい。

 かたや戰はといえば、己の義理妹いもうとが嫁した部下の屋敷に、遊びに行くことのどこが不自然なのかというわけだ。


 下卑た下心のあるものはその下品な自分の性根に横っ面を張られ、姫君たちは麗しく平穏な暮らしを手に入れられ、画して四方八方丸く収まったというわけだ。まあ、収まりきらずに脳味噌を沸騰させている輩は多いだろうが、今のとこは姫君たちが笑顔をでいられるだけで良しとすべきだろうな、と真は欠伸をした。


 脳味噌を沸騰させている輩の一人である父・優が、何が言いたげにぶるぶると身体を震わせていたが、皇子である戰が現れると平身低頭片膝をつく条件反射は見事と言えた。その横を更に上を行く見事さで、戰は無視してすり抜ける。おいおい、何か一言声をかけてやって下さいよ、でないと後々が怖すぎて今から頭が痛い、と真は苦笑する。


「朝早くからすまないな。どうしても、義理妹いもうとの様子が気になってね」

 真の心情など知らず関せず、戰は変わらず柔和な笑顔と穏やかな口調だ。しかし裏腹に、真っ赤に充血させられた双眸は、不眠の不満を声高に主張していた。徹夜で夜を明かし、夜明けて城門が開く定刻になるのを待ってすっ飛んできたのだろう。


 ――やれやれ、気になっておられるのは、椿姫様の方でしょうが。

 内心で頭をかきながら、どうです戰様、ご一緒に朝食を、と真は明るく誘った。



 覇王の番犬いぬ   了




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