揺れる金天秤:帝国領 第四幕 「教会の思惑」
「もう!一体なんで、第二軍団の方々から苦情が入るの? マニューエが何をしたって云うの!」
アナトリーの部屋。呟くようにそう言いながら、部屋をウロウロしている。部屋には侍女頭のクラシエしか居ない。 彼女の砕けた言葉は、クラシエの前でのみ発せられる。 アナトリーは、かなり頭に来ている。 帝国学園の高等科二年目は学院での最終年。彼女自身、過去五回学院舞踏会に参加しているが、今年が最後の学院舞踏会。 大事な年であった。
マニューエは前年、資格が無いと云う事で、招待を受けていない。学園舞踏会が終わってから知った。 ルルは二週間前に知って、色々動こうとしたらしいが、時すでに遅く招待出来なかったと聞いている。 学院の方も、全学生に出席してほしいとの意向はあったのだが、上級貴族の意思は固く叶わなかった。 この事態は、アナトリー、ピンガノ、ルルの耳には入らない様に、用意周到に計画されていたらしかった。なおさら、アナトリーは腹立たしかった。
クラシエはそんな主人を見詰めながら、なんと声掛けしていいか分からなかった。クラシエにしてもマニューエの事は心配している。 去年の事から学園の貴族社会から遊離してしまい、今では、学園の授業にすら出席していない。 その代わりに聖堂薬草園において聖女候補のお手伝いをすることで、授業とすると教授会で決まっているらしかった。 学園も、自らの不甲斐なさに、特例を設けたようだったが、それが今度は裏目に出ている。
理由は聖堂薬草園に新しく入った仕丁だった。 前年の学院舞踏会の会場でルーチェ卿に殴り飛ばされたセルシオが其処に入ったからだった。 彼はあの事件で第五王太子の身分を剥奪、一般市民として再登録されたが、しでかした事があまりにも大事だったので、未だに帝国の監視下に置かれている。 王太子身分を剥奪されたため、帝都内に留め置かれることは無いだろうとの大方の予想を裏切り、「教会」がその身を受けた。 どうも、彼が王太子として叙せられたのは「教会」の肝いりが有ったためだと噂されている。
その彼と、ずっと仕事を一緒にしているマニューエ。 ルルが深夜の御茶会で、それとなく彼女に聞いてみると、その通りだった。 屈託なく”一緒に仕事をしている人と、仲良くしなくては、良い結果は生まれませんよ”と、云うに至って、ルル達の悩みは深くなった。 アナトリーと連絡を取っていたルルからその話を聞いて、アナトリー自身打つ手が無くなったと思っている。
問題は、第二軍のセシリア=レゾン=アートランド姫様を護衛する部隊からの陳情だった。要望は簡潔にして明白だった。”学園に、セルシオと接触を持っているマニューエが出席するならば会場の安全は保障できない” アナトリーや、アルフレッドがマニューエの身分保障をして、学長も彼女に招待状を出そうとした矢先の要望だった。
ほぼ固まっていた、マニューエの招待が立ち消えになってしまった。もともとアナトリー達の裏付けのみでの招待だったので、”警備上の問題”と、云われてしまったらどうしようも無い。 更に、一介の生徒と第二王太子の御令嬢では話の重みが全く違った。
「・・・ストナさん、まさか、あそこまで徹底していたとは・・・あの方一人でのお考えでは無い筈。 直情型でそこまで先を見通せる方では無いもの・・・でも、一体誰が? 何の為に?・・・」
彼女の脳裏に「森のエルフ族」の、女性の顔がよぎった。
*******
システナ大聖堂「最奥の間」に、教皇ルーブラン=エイダズ=アルトマーが、大司教 バヌアン=フラール を呼び出していた。上がってくる報告に、多少の違和感を感じていたからだった。
「バヌアン、聞くが予定通り進んでいるのか?」
「はい、教皇様。 仰せのままに、あの娘を学園から切り離し、教会の施設にて監視しております」
「監視の報告には目を通して居るが、「薬草園」の手伝いとなっている。何故内宮にて監視をしないのか」
「はい、それが、申し上げにくのですが、一部助祭達が、人族を内宮に入れる事を頑なに拒んでおります」
「・・・教義を忠実に遂行していると云う訳だな」
「はい、我等「森のエルフ族」以外の者を内宮に上げる事に嫌悪感すら感じております。故に、あの娘に関する報告は幾分偏っていると・・・」
「相分かった。 ・・・どうしようか・・・」
「聖女候補としての役割を与える事を愚考いたします」
「そうだな、早めにあの娘を聖女候補として遇し、「神」への信仰を確かなものとしよう」
「手配いたします」
「頼む」
教皇ルーブランは鷹揚に頷き、大司教バヌアンに一任した。 バヌアンは、彼女の執務室に帰ると、早速、其れまでの報告書をまとめ上げ、マニューエを「聖女候補」とする為の準備を始めた。 一旦、「聖女候補」にさえなれば、助祭や、司祭の邪魔は相当免れる。 マニューエを早く、教皇様の前に引き出す為には、必要な手順だった。
*************
「マニューエ、此れ、見てくれないか?」
セルシオがマニューエの前に、一本の「回復薬」を持ってきた。 一見、普通の回復薬だった。 マニューエは、エルフィンの使っている、錬金台に持って行って、試薬紙で確認する。試薬をしみこませた紙の一端に一滴、セルシオが持ってきた「回復薬」を落とす。 グングンと色が変わっていき、マニューエの持つ反対側まで、色が変わった。
「高高品質ですね。 このサイズで、大回復薬と同じ能力が有ると思いますよ」
「・・・何でだ? エルフィンと同じ手順で、同じ材料しか使っていないのだが」
「一つは、「樹の精霊」様の祝福」
「それだけでは説明が付かないだろう? 大体精霊様の祝福なら、一段階上位に錬成出来るのが普通だよな」
「ええ、そうですね」
「明らかに、三段階以上の錬成だぞ、此れ」
「出来てしまったんでしょ?たまたまじゃなくて」
「ここの所、そうなっている。 何を作っても、高品質以上になっちまう」
「いい事じゃないですか。 狙って出来る事じゃないんだし」
「い、いや、そういう事じゃ無くって・・・何が起きてるんだ、俺に?」
マニューエは、事実を告げようかどうか迷った。 事実を告げて、彼がまた道を踏み外してしまう可能性を考えると、おいそれとは言えない。 彼の魂に付加されている技能が、開花し始めている。 そう「緑の手」。 こと薬剤を扱うと、この特殊技能の持ち主は最低でも三段階上の効能を持つ薬品を錬成する事が出来ようになる。 完全にその能力を使い切る頃には、どんな薬剤も思いのまま錬成できるようになる。まして、「樹の精霊」の恩寵を受けているセルシオは、それこそ”最高位光精薬”の錬成も意のままになる。 まだ、意思の弱いセルシオにその事を知らせるには、早いと考えていた。
「・・・まぁ、出来ちゃったんですから、理由は後から考えましょうよ。 エルフィンさんが、もっと高度な薬剤を錬成出来るようになるんですから、良い事でしょ?」
「・・・そうだな。 うん、そうだ。 ありがとう。 そうだよな、俺はエルフィンがもっと高みを目指せるように、此処にいるんだからな」
セルシオは、そう納得して、エルフィンの作業している錬金鍋の方へ向かっていった。マニューエはホッと溜息をつき、彼らを暖かな眼差しで見詰めていた。
”このまま、平穏に時間が過ぎて行けば、あの人達はこの帝国で、二人といない大事な人達になるはずよね”
そんな思いが、心の中に湧き出していた。




