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「この池は人工なんですか?」と彼女は言った。僕たちは、不忍池に大量に咲いている蓮を眺めながら歩いていた。木陰は暑いけれど涼しい。


「いや、知らないけれど」と僕は言う。


「やはり、このように植物が生い茂るのが自然なんですね。魚も泳いでいます」と彼女は言った。蓮の隙間から魚が泳いでいる姿でも見つけたのだろう。


「これ、桜ですね」と、今度は桜に彼女の関心が移ったようだった。花が咲いていない桜を見て何が楽しいのか、俺にはよくわからない。


「なぁ、その……ドレミって、どんなところなの?」と俺は聞いた。都心に住んでいれば、上野公園は自然豊かだと思うけれど、それほど興奮をするほどのことでもない。


「人類最後の生き残りが生活している場所です。そして、私が生まれ育ったところです」と彼女は言う。


「やっぱり、核戦争?」と俺は聞いた。


「ウイルスです」と彼女は冷たく言った。


「病気?」


「結核菌を利用したテロです」


「炭疽菌じゃなくて?」と俺は聞き返した。結核って、正岡子規とか昔の人の病気ってイメージだ。


「結核です。テロリストは、潜伏期間の長い超多剤耐性結核菌を意図的に散布しました。感染してから一、二年は症状も軽く自覚症状を感じることがないとう悪質な細菌です。死に至るほどの発症者が現れたときには、人類のほとんどが既感者となっていました。そして、治療法も開発できず、人類は病に倒れました」と彼女は言った。


「バイオハザードの世界だね」と俺が感想を言うと、「生物災害の後の世界が、私の世界です」と彼女は静かに訂正をした。


「でも、どうして扇さんは生きていれたの? 感染してないの? というか、感染してたら、人類の滅亡が早まるんじゃない?」


「それはあり得ません。ド・レ・ミは、宇宙空間で地球と同じような循環型の生態系を人工的に生み出す実験施設です。もう二十年以上、閉鎖環境での持続的な生態系を維持しているのです。超多剤耐性結核菌が作られる前に外部と完全に接触を断っていましたから、結核菌が入り込んでいません」と彼女は言った。


「なるほどね。ん? テロリストは、まだ生きているの? 妨害がどうとか言っていたけど」


「もちろん、自らの結核菌で死んでいます」


「じゃあ、妨害なんてできないじゃん」


「いえ、出来ます。彼らも量子コンピューターを持っていますから」と彼女は言った。


「でも、死んでるんでしょ?」


「私が来た未来においては死んでいますが、過去では生きています」


「意味が分からないや」と俺は言った。一応、死人に口なし、が常識の世界で俺は生きている。


「テロリストは、量子コンピューターで未来を計算します。当然、私達が過去に行くことも彼らが生きている時点で分かっているのです」


「じゃあ、妨害されるじゃん」と俺は答える。まぁ、過去の人が未来の人を邪魔するということの意味が分からないのだけど。


「ですから、多項アプローチによる過去の改変を試みているんです」


「あの、ビリヤードの話だっけ? その多項ってやつでも、計算に時間がかかるだけでしょ? テロリストが過去にいるのなら、時間は彼らの方があると思うのだけど」と俺は言った。今を生きている人間は、現在から未来への時間しかないわけで、過去の人間は、過去から現在までの時間分、今を生きている人間よりも時間を持っている? でも、テロリストは、彼女が来た未来では既に死んでいる訳で……。もう、何が何だか分からないや。


「その通りです。ですが、テロリストは、いったん私達が生きていいる時代までの未来を計算して、それから私たちがどのように過去を変えようとするのか、ということを量子コンピューターで計算しなければなりません。そして、その過去の改変が複雑であればあるほど、彼らは計算の時間が必要になるのです。私たちの量子コンピューターでも計算に時間を要するほどのことなので、テロリストが自ら撒いた結核菌で死ぬまでに計算が終わらないはずだ、と私達は考えたのです」と彼女は自信満々に答えた。


「ねぇ? もしかして、タイムトリップって、今回だけじゃなくて何度も?」と俺は聞いた。良く分からないけど、彼女の話には、試行錯誤の形跡を俺は感じた。


「実はそうなんです。当然、テロリストから妨害を受けてしまって失敗しましたけれど……」


「そうなんだ。ちなみに、何回失敗をしたの?」


「二十四回ほど失敗しています」


「結構失敗したね」


「はい。そして、その失敗によりド・レ・ミは滅びることになってしまいました」


「え? どういうこと? まだ滅びていないんだよね?」


「二千二百二十二年に滅びます」


「それが分かってるなら、滅びないようにすればいいんじゃないの? そのコンピュターっていうのは、未来も計算できるんでしょ? 交通事故に合う未来を計算したなら、事故に遭う現場に行かなければいいじゃん」


「それがどうしようもないんです」


「頑張っても防げない事態?」


「はい。実は、タイムトリップのエネルギーを確保するために、ド・レ・ミの中で無茶をいろいろしまして」と彼女は言った。


「無茶って、何したの?」


「ド・レ・ミの中のヘリウム濃度を上げちゃったりです」と彼女は、苦笑いを浮かべている。


「ヘリウム? 何故に?」と俺は思わず答えた。サークルの忘年会で、声を換えて歌うという一発芸を後輩がしたとき依頼、ヘリウムなんて単語は聞いたことがない。


「え? 重水素を使って核融合をしたとき、ヘリウムが生成されるじゃないですか?」と彼女は事も無げに言う。


「いや、そんなこと、知らないけれど」と俺は言った。重水素って、なんだろう。重い水素なのだろうか。


「そうですか……。あ、栫さん、そろそろ時間です。私、消えます。後はよろしくお願いします。繰り返しになってくどいと思いますが、今後の人生で栫さんは壁にぶつかる時が来ます。どんなに頑張っても駄目だという時が。その際に、もう一度だけ頑張ってみてください。お願いします」


「分かった。まぁ、やってみるよ」


「ありがとうございます。あ、あと15秒ですね。かこいさん、ちょっと目をつぶってもらっていいですか?」

 俺は、目を閉じた。

 次の瞬間、俺の唇に柔らかいものがあったった。思わず目を開けたら、彼女の顔が目の前にあった。


「ごめんなさい。私、キスってどんなのか、やってみたかったんです。本当は、好きな人としてみたかったけれど、人類を救うかこいさんとならいいかな、って思ってしまいました。私にだって、やりたかったこと、経験したかったことが沢山あったんですよ? あ、時間です。デート、楽しかったです。さよなら」と彼女は言った。そして、消えた。


 突然コンセントを引き抜かれたテレビ画面のように、一瞬で彼女は消えた。こういうのって、手とか足から徐々に薄くなって最後は光の粒になっていくように消えていくのではないかと思ったが、違ったようだ。

 目の前で、人間が突然消えた。ファースト・キスの衝撃よりも、それが大きかった。彼女の話は本当だったということだろうか。もっと真面目に、彼女の話を聞いてあげれば良かったと俺は後悔した。彼女はどれほどのものを背負って、俺の所に来たのだろう。


 俺は、しばらく不忍池に映った夕陽を眺めた。夕日は、俺の影を長く伸ばしていた。彼女は、二百年後からやってきたと言った。それが本当なら、俺は彼女と会えることはもうないだろう。伸びきった影法師の遥か先に、俺は幽かに彼女の気配を感じた。この影の先は、きっと、未来なのだろう。


 俺は、不忍池の柵まで走った。そして、「俺は、諦めないぞ」と叫んだ。何に対してかは、俺自身も分からない。だけど、叫びたかった。もう逢うすべのない君へ。

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