09.当日、執務室にて
7月7日。
新聞に出した大々的な広告のおかげかそれとも【White Eye's】の犯行予告の影響か、その両方なのか、孤宝博物館は朝10時の開館から大勢の来場者やマスコミで溢れ返っていた。
どのフロアも長蛇の列ができて係員の整理が間に合わない程だったが、やはり入場客のお目当ては特別展示の大真珠【月下美人】であった。
大きなフロアのど真ん中に四角いガラスのショーケースが鎮座し、その中に大きな青い真珠が輝いていた。
来場者は展示された真珠から半径1メートルに張られた囲いの周りを、入り口から出口までぐるりと一巡して鑑賞する。
四方から当てられた光によって輝く【月下美人】は見る角度によって様々な印象を与え、その美しさに人々は魅入っていた。
『ガガ…こちら"a-3"。周囲に異常なしです』
「そこのロダンの像の横の柱が死角になってる。その場所が見えるように立て」
『了解です』
『こちら"b-2"。こっちも異常なしです』
「廊下の窓が一つ開いているようだが?」
『すぐに閉めます』
「あと"スターBOXコーヒー"のカップを手に持った男性客への注意を頼む」
『はっ』
『こちらモニタールーム。監視カメラに不審なものは映っていません』
「了解。引き続き監視を継続してくれ」
『はい』
執務室にいる善二は自身も2台のパソコンで監視カメラの映像を確認しながら片耳のイアホンから入ってくる報告を聞き、それぞれに指示を出していた。
「かははっ、大変だなぁ」
ソファに腰を下ろした初老の男が感心したようにつぶやいた。
でっぷりとお腹の出た恰幅のいい体躯にバレンチノのスーツを着込み、腕に機械式の金時計、指には大きな宝石が填められた指輪をしている。
右目に大きな切り傷の痕、白くなり始めたヒゲを太い指で撫でつけながら笑うのは関東では有数の暴力団『神成組』の組長・迅雷 源三郎である。
「今夜7時までの辛抱ですよ。例の怪盗一味のお蔭でマスコミにも注目されていますし、来場者の動員数も過去最高記録になりましたから悪いことばかりでもありませんしね」
【White Eye's】の犯行予告はむしろ良い方に転んだだと善二は不敵に笑う。
「かははっ、若いのに肝が座っとる。【White Eye's】と言ったらぁ儂等のような収集家からすれば恐怖の対象だろうに」
「それもそうなんですが、今回は組長さんの応援がありますから非常に心強く感じてます。お力添えをありがとうございます」
「そう言やぁ聞こえはいいがな、今回のは儂の組のリベンジでもある」
朗らかな雰囲気から一転、鋭い眼光になる源三郎。
「1年前のあれですか」
「そうだ。20行くか行かないかの小娘3人だと侮ってたらとんでもねえ曲者でな。全員眠らされていつの間にかお宝がパーだ。善二の坊もうかうかしてっと足元をすくわれかねんぞ?」
当時のことを思い出して苦々しい表情になる源三郎。
善二も【White Eye's】の危険性については聞いていた。
初めて聞かされた時は神成組のような大きな組織が手玉に取られた事に大いに驚いたものだ。
だが善二もなんの対策もしてないわけではない。
「気をつけます。まあ、警官隊は博物館の四方をぐるりと囲んでますし、中の警備システムや警備員、組長さんのところの応援もありますから早々破れるものではないですよ」
「どうかねぇ。あいつらの手口は毎回ちげぇからなぁ」
「まあなるようになるでしょう」
【White Eye's】の脅威を身を持って知る源三郎はなんとも言えない表情だったが、善二は自信たっぷりだった。
善二は話題を変える。
「改めて例の件はありがとうございました。詳しくは聞きませんでしたがどうやって手に入れたのです?」
「なんだ、あれくらいどうってことねえよ。ちっと月ノ宮のところの家令の娘を攫って脅しただけだ」
誘拐と脅迫など自分達にとってが息を吸うようなものだと源三郎は事もなげに言ってのけた。
「そうですか。その娘はどうしたんですか?」
「かなりの上玉だったからな、儂の愛人かうちの若え奴等の憂さ晴らしにでも使ってやっても良かったんだが……」
源三郎はにやにやとした下衆な笑みを真剣なものに変えて声を一段低くした。
「……月ノ宮はちとやべえ。綺麗なまんま返したな」
「月ノ宮が?そんなに力があるように見えませんが」
首を傾げた善二。
源三郎は一層真剣な表情になって答えた。
「"月ノ宮"はな。やべえのはその上にいる"黒条"だ」
「なるほど。あの"黒条"がですか」
「ああ、月ノ宮にあからさまなちょっかいをかけて黒条が動いたらさすがに儂の組でも勝ち目がねえ」
"黒条家"は関東を拠点に置く日本トップクラス、いや世界でも有数の巨額の資本を持つ大財閥である。
『黒条に目をつけられたら関東では生きていけない』と言われるほどその影響力は強く、そして広大である。
特に神成組のような暴力団組織は後ろ暗い事に手を染めても黒条家にわずかでも被害が及ばないように細心の注意を払っている。
今回の件はギリギリのギリギリ、それもわずかに赤い領域に踏み入れてしまったくらいだ。
これ以上の黒条家に繋がる者たちへの狼藉は神成組としても遠慮したいところだった。
「だから善二の坊よ。月ノ宮の女に手を出そうとしてるみてぇだがやめておいた方がいいぜ?今日は【White Eye's】のことがあるから手を貸したが、それ以降はちと無理だな」
「手を切ると?」
「善二の坊が月ノ宮にこれ以上関わるならな」
きっぱりと言い切った源三郎。
善二は眼鏡を中指でくいと上げると少し顔を顰めた。
「そうですか……それは困りますね」
「だろ?組も善二の坊のお蔭でそれなりにいい思いをしてるからなこの際…」
「黒条が知らない月ノ宮の秘密を知っていると言っても?」
「なに!?」
善二の提示した情報に驚き目を見開く源三郎。
「……どういうことだ?」
源三郎が身を乗り出し先を促すが、善二h至って冷静に言葉を続けた。
「月ノ宮水蓮と私が結婚しても月ノ宮は何も言えないし黒条も動かない。そんな秘密を私が知っているとすれば?」
「………」
「月ノ宮が隠している秘密はかなりのものです。それを利用すればそれこそこの国の経済を傾ける力を手にすることができる」
「かははっ、黒条を相手に出来るとでも?あいつらは本物の化け物だぞ?」
「たとえ黒条が相手だろうと問題ありません」
「本気か?」
「私は至極冷静です」
額から一筋汗を垂らしてから笑いした源三郎。
だが善二の表情は微動だにしない。
その落ち着きを見ていくらか冷静さを取り戻した源三郎は、乗り出した身をソファに沈め直してしばし考え込んだ。
そしてある結論に辿り着く。
「ふう………月ノ宮水蓮が鍵なんだな?」
「ご明察。月ノ宮水蓮は魅力的な女性ですがそれ以上に彼女の持つ力、それを私は手に入れたい」
探るような鋭い眼光が善二を射抜く。
これまで様々な場面で戦ってきた百戦錬磨の暴力団組長は善二の瞳に虚偽がないのを確認すると静かに口を開いた。
「……嘘は言ってねぇみたいだな」
「日頃お世話になっている源三郎さんに嘘などつきませんよ」
「……少し考えさせろ」
「ええ、待ちます。具体的には彼女が私のものになる午後7時7分過ぎ……いえ、コソ泥を捕まえる準備がありますから午後6時半まででお願いしたい」
そこで善二は部屋の隅の豪華な装飾の施された柱時計を見やった。
「……つまり今から8時間。彼女の能力は必ず神成組にとっても大きなビジネスチャンスになる。良い返事をお待ちしていますよ」
「……分かった」
「ずっと考え続けるのも良くありませんし、昼食前に面白いものをお見せしましょう」
「ん?面白ぇもの?」
「ええ。ものすごく面白いものですよ……」
いつもの薄気味悪い笑顔になった善二が何かを上着から取り出す。
源三郎はそれを見て驚愕に目を見開いた。
「かははっ、こいつぁ一本取られたな」
源三郎はニヤリと笑って髭を撫でた。