お仕置き作戦会議
「ふーん。誰が来てる――」
ミラルがさらに尋ねようとした時、二階から豪快な男の笑い声が聞こえてきた。ひどいだみ声で品もなく、耳障りな笑いだった。
「期待してるよレスター博士。ぜひ『傾国の女神』の正体を突きとめてくれ」
「は、はい、全力で頑張ります」
偉そうな声とは対照的な、しどろもどろな青年の声が続く。
ギッギッ、と階段をきしませながら、二人の男が二階から降りてきた。
一人は恰幅のよい中年の男性で、小さな目鼻の下に蓄えた白髪まじりの髭を左右に跳ねさせていた。袖や襟首などに金糸の装飾が施された服を着て、裕福さを見せ付けている。けれど出っ張った腹や太くて短い足のせいで、高貴な装いは台無しだった。
もう一人は長身で、セロと同じ白い肌をした猫背の青年だった。にこやかで穏やかな顔つきをしており、うなじで無造作に束ねられた甘栗色の長い髪は所々が跳ねていた。
何度も頭を下げる姿を見ただけでも、人のよさそうな印象を受ける。顔は似ていないが、手足や首が長いところはセロと同じで、血の繋がりを感じさせた。
男たちがこちらに気づくと、階段を降りる音を少し早めて一階へやって来た。
「おや客人、待たせてしまって済まなかったな。じゃあ博士、ワシはこれで退散させてもらうよ」
太い指の手を軽く振ると、男は大きな足音を立てながら家を出て行った。
扉が閉まるまで男の背を見送ってから、ミラルは青年へ振り向いた。
「や、レスター。今のうるさいおっちゃんは誰よ?」
「この街で一番の権力者、ハーマン伯爵様だよ。有名な好事家で、たまにこうして様子を見にいらっしゃるんだよ。大金を払うから『傾国の女神』が見つかったら売って欲しいって、いつも言われているんだ」
困った笑いと共に、レスターはため息を吐いた。
「見つかったと分かったら、すぐに持って行かれそうで心配なんだ。せめて『傾国の女神』の研究が終わるまで待ってもらえると良いんだけれど……」
「大丈夫、レスターは研究に集中すればいいわよ。そういう損得勘定はアタシがしっかりしてあげるから」
ミラルは親指を立てて破顔する。それから「あ、そうそう」と思い出したようにイグニスとひびきを見た。
「前に言ってた担当のイグニスと、アタシの隣に座ってるのは雑用係のひびきね」
言われてレスターが二人を見ると、先にひびきへ「よろしく」と握手を交わす。
そしてイグニスの番になった瞬間、レスターの目が輝き、両手で念入りにイグニスの右手を掴んで握手した。
「ミラルからお話は聞いています! アレをどうにかして頂ければ、やっと念願のパドの森の遺跡に入れる……頼りにしています、イグニスさん」
「任せて下さい、必ず博士が調査できるようにします。そうしないとミラルからねちっこく怒られますし……」
イグニスは引きつった笑みを浮かべながらミラルを見やると、レスターから手を放した。
一連のやり取りに区切りがついたところで、ひびきはミラルへ尋ねた。
「アレ、というのは何でしょうか?」
「パドの森に住み着いている厄介なヤツ。そこらにいる人間が束になっても敵わないから、今まで核心の遺跡を調査できなかったのよ。多分イグニス以外の人間は相手できないと思うわ。……あ、もちろんひびきにも荷物持ちで来てもらうからね」
話の全貌が見えてこず、ひびきは小首を傾げる。
ミラルはニッと悪ガキのような笑みを見せた。
「ヤツが何なのかは、当日までのお楽しみ。ひびきがどんな顔で驚くか見てみたいしねー」
……つい最近、似たようなことを聞いた気がする。
スッと目を据わらせ、ひびきはイグニスを一瞥する。ずっと一緒に仕事をしてきたせいか、この二人、根本の考え方が似ているような気がした。
おどけて「期待してるわよ」と片目を閉じてから、ミラルは立ち上がってレスターの肩を叩いた。
「ねえレスター。今日マニキス山の遺跡を調べていたらさ、奥の小部屋の隅っこに新しい古代アドゥーク文字を見つけたのよ。多分『傾国の女神』の記述だと思うんだけど――」
「そこは見落としていたなあ。うん、早速調べよう。あ、僕の方もミラルが持ってきてくれた調査結果を調べていたら、マニキス山にあったとされる古代国家に、女神が実在したっていう新しい記録が――」
互いに『傾国の女神』のことを嬉々と話ながら、ミラルとレスターは二階へ上っていく。
残されたひびきたちは、話についていけず呆然と二人を見送る。
その後、イグニスとセロが同時に肩を落として項垂れた。
「これだから作家ってヤツは」
「これだから学者ってヤツは」
重みのあるため息とぼやきが、セロとイグニスから吐き出される。分身しているのかと思うほどに、二人の動きは揃っていた。
「いっっっつも研究のことばっかりで、こっちの都合や迷惑なんて考えないもんな。ちょっとは振り回されるこっちの身にもなって欲しいよ」
セロが握り拳で力説すると、イグニスが何度も大きく頷いた。
「そうそう、俺んところも同じだ。勝手にイノシシ頭で突っこんで、俺が嫌がっても『ネタのため!』で強引に押し切るからなー」
乾いた笑いがそれぞれの口から零れ、すでに諦めている空気が伝わってくる。
今日一日だけでも、ミラルについていくのは大変だと悟るには十分だった。彼らの苦労に共感し、ひびきもコクリと頷いた。
しばらく二人の愚痴が続いた後、セロが一息ついてから話を切り替えた。
「明日はきっと大変なことになると思うから、早く休んだ方がいいかも……ミラルと一緒で、ここにしばらく滞在するんでしょ? 二人の部屋はしっかり確保……あっ!」
突然セロの声が大きくなる。驚いてひびきは素早く彼を見た。
「セロさん、どうされましたか?」
「俺のことはセロでいいよ。……ごめん、ミラルから『一部屋に暑苦しい男二人押し込めればいい』って聞いてたから――」
……確かに、こんな過酷な仕事を引き受けるのは男性ばかりのはず。そう思って準備するのは当然のことだと、ひびきは納得する。
今さら部屋を分けてもらいたいと言っても、準備してくれるセロの負担になるだけだ。
覚悟を決めて、ひびきはセロへ「大丈夫です」と答えた。
「寝台の汽車の中でも同室でしたから問題ありません」
一瞬イグニスの目が点になる。
と、「よっしゃー!」と歓喜の声を上げ、体を左右に振って小躍りし始めた。
そんな浮かれたイグニスを、ひびきは静かに冷めた目で見つめる。
「セロ、長い縄を一本貸して頂けますか?」
「縄ならあるけど……急にどうしたの?」
不思議がるセロへ、ひびきは一旦目を合わせる。それから瞳を流してイグニスを見やった。
「もし何かあった時、寝具ごと縛り付けますから」
誰が、と言わなくとも当人とセロには伝わった。
「……ひびきちゃん、だんだん俺への扱いがひどくなってないか?」
うつむいて泣き真似をするイグニスとは裏腹に、セロは力強く頷いて同意する。
「確かに必要だね。よければ大きな木箱も用意しようか? 鎖や錠もあるといいかな?」
「それはいいですね、ぜひお願いします。あと、いくつか罠を仕掛けたいので――」
こちらを恨めしそうに見てくるイグニスを余所に、ひびきとセロはイグニスのお仕置き作戦会議を進めていった。