エピローグ:完全な特権アクセス
あの深夜のシステム障害から数ヶ月。
季節が移り変わる頃、咲たちが担当していた大型システムは無事に本番稼働を迎え、安定した運用フェーズに入っていた。
「——以上で、本プロジェクトのリリース完了報告を終わります。インフラチームを含め、各部門の迅速な対応に感謝する。よくやってくれた」
会議室に響く、周の低く通る声。完璧にセットされた髪に、一切の隙を感じさせないスーツ姿。プロジェクトの陣頭指揮を執りきった「上北主任」の威風堂々たる姿に、参加していたメンバーたちから安堵と称賛の拍手が沸き起こる。
咲もまた、インフラ担当としてその末席に座り、誇らしい気持ちで周の姿を見つめていた。
(本当に、上北さんはすごいな……)
仕事に対してどこまでも厳しく、妥協を許さない。周囲が畏怖すら覚えるその完璧な上司は、今や咲にとって「怖い存在」ではなく、誰よりも尊敬し、そして誰よりも愛しい恋人になっていた。
拍手が鳴り止み、解散の空気が流れたその時。
資料をまとめながらふと視線を上げた周と、咲の目がパチリと合った。
ほんの一瞬。他の誰にも気づかれない、瞬きほどの短い時間。
冷徹なはずの周の瞳が、ふっと柔らかく、ひどく甘い熱を帯びて細められた。
『後でな』
声に出さず、口の動きだけで紡がれたそのメッセージに、咲の心臓がドクンと大きく跳ねる。顔が熱くなるのを誤魔化すように、咲は慌てて手元のノートPCに視線を落とした。
――数時間後。周の自宅マンション。
「んっ……上北、さん……っ、ちょっと、待っ……」
玄関のドアが閉まり、鍵のオートロックがカチャリと鳴った直後だった。
靴を脱ぐ間も与えられず、咲は壁に押し当てられ、深いキスで息を奪われていた。ネクタイを乱暴に緩めた周が、飢えたような熱で咲の唇を貪ってくる。
「待てない。……会議中、お前がずっと熱っぽい目で俺を見てるから、理性を保つのに必死だったんだ」
「そんな目、してない、です……っ」
「嘘をつけ。俺以外の奴に見せたくない顔をしてたくせに」
息継ぎの隙間に落とされる過保護で独占欲に満ちた言葉に、咲は抗うことを諦め、周の広い背中に腕を回した。
会社での張り詰めた緊張感はもうない。ここにあるのは、自分だけに向けられる底なしの甘やかしと、絶対に守られているという確かな安心感だけだ。
「……リリース、お疲れ様でした。周さん」
少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに見上げて名前を呼ぶと、周は限界を迎えたように低く甘い溜息を吐いた。
「ああ、ダメだ。……明日の朝まで、絶対にお前をベッドから出さない」
「えっ!? あ、あの、私、明日は朝イチでネットワークの保守点検が……」
「俺が承認する。お前の明日のスケジュールは、丸一日『俺に甘やかされること』だ」
耳元で囁かれる甘い横暴さに、咲はもう笑って頷くしかなかった。
仕事中は誰よりも冷徹で厳しい、氷の要塞のような上司。しかしその最深部にアクセスできる特権を持っているのは、世界中で咲ただ一人だけ。
窓の外では首都高のライトが流れている。けれど、二人だけの甘く閉ざされたプライベート・ネットワークには、もうどんなエラーも障害も入り込む余地はなかった。




