第一ノ伍話「裏のものは、表のように動かない」
取材から、五日が経った。
原稿の締切まで、あと三日だった。
俺は、編集部の自分の席で、書きかけの記事を眺めていた。書き出しの一行が、また、決まらない。
外来種、というテーマは、自分で言い出したわりに、思ったよりも厄介だった。
三件の取材は、それぞれが面白かった。
けれど、3つを一本の記事にまとめようとすると、繋がりがうまく見えない。
・青葉
・ウゴメキソウ
・綴蛾
3つは「裏由来の外来種」という括りには入るが、共通点を強調しすぎると嘘になるし、違いだけを並べると、ただの羅列になる。
俺は、ノートを開いて、取材中のメモを順番に見返した。
篠田さんの庭。
小野さんの研究室。
古宮町の街灯。
永田さんの「蛾が出てる年は、たいてい、一人か二人、消える」。
書き出しの一行が、決まらなかった。
「三輪、進んでるか?」
佐伯さんが、紙コップのコーヒーを持って、横に来た。
「進んでないです」
「珍しいな、お前が止まってんの」
「いや、止まってはないんですけど。一行目が決まらなくて」
「相変わらずだなあ」
佐伯さんは、自分の席の椅子を引いてきて、俺の隣に座った。
コーヒーを一口飲んで、画面を覗き込んだ。
書きかけの記事には、たしかに、一行も書かれていなかった。
「外来種特集、だったよな」
「ええ」
「冒頭、青葉から書こうとしてた?」
「最初はそのつもりでした。けど、青葉から始めると、綴蛾までが遠いんですよ」
「綴蛾」
「夜の蛾。古宮町の」
「ああ、お前が勝手につけた名前のやつね」
「勝手につけてないですよ。横山さんに、つけていいって言われたんで」
「学者の許可がおりたら、もう勝手じゃないか」
佐伯さんは、コーヒーをもう一口飲んだ。
「三輪、お前さ、いつも最初の一行で詰まるけど、そのうち最初の一行を書かないで全部書き終わって、最後に一行目を書く、ってやってんじゃん。今回もそれでいいんじゃないの」
「それだと、構成が決まらないんですよ」
「構成が決まってないから、一行目が書けないんだろ。逆だろ、それ」
佐伯さんは正論を言って、自分の席に戻っていった。
俺は、画面の白いところを、もう一度見た。
佐伯さんの言うとおりだった。一行目で詰まっている、というのは、構成が見えていない、ということだった。
3つの取材を、どういう順番で、どういう視点で並べるか。それが決まれば、一行目は自然に決まる。
俺は、ノートに、簡単な図を描いた。
左に、青葉。真ん中に、ウゴメキソウ。右に、綴蛾。
その3つを、何が繋ぐのか。
青葉は、止まっている。ウゴメキソウはゆっくり動いている。綴蛾は回っている。3つとも、ある意味で「動きが普通じゃない」。
俺は、ノートに、「動きの異常」と書いてみた。
それから、それを横線で消して、もう一度、書いた。
「裏のものは、表のように動かない」
俺は、その一行を、画面に書き写した。書き出しの一行ができた。
あとは、ほとんど止まらなかった。三日かけて、記事を書き上げた。
完成した記事の冒頭は、こうなった。
裏のものは、表のように動かない。
取材で会った3つの漂流物——青葉という名の樹、ウゴメキソウという小さな草、それから綴蛾と呼ぶことにした夜の蛾——は、場所も違えば性質も違うもので互いに何の繋がりもないように見えた。
最初の2つは、武蔵帝大の小野彩さんによれば、仮に Cryosilva、Spirosilva という同じ属に分類されつつある、似た系統の漂流物だという。
3つ目の蛾は、その分類とは全く別の系統のものだ。
生えている場所も、関わっている人も、見た目も、全部違った。
けれど、五日間それを思い返してみて、ひとつだけ、共通していることがあった。動き方が、こちらの世界の理屈に従っていない。
篠田さんの家の青葉は、五年かけて、新芽を半分しか開いていない。
武蔵帝大の小野彩さんの研究室では、ウゴメキソウが、葉を呼吸するように上下させていた。
佐賀美の古宮町では、綴蛾が列を作って街灯のまわりを回っていた。
ゆっくり動かない。速く動かない。回るのを、やめない。
動きの理屈が、こちらにはない。
俺は、原稿を読み返した。少し変な書き出しだった。けれど、嘘ではなかった。
部長のところに、原稿を持って行った。
パーティションの中で、部長は、また巻物を読んでいた。なんの巻物なのかは、誰も聞いたことがなかった。
聞いても答えない気がした。
「三輪です。原稿、持ってきました」
「ああ」
部長は、巻物を巻き戻して、机に置いた。
それから、俺の差し出した原稿を受け取った。眼鏡をかけて、最初の一行を読んだ。
しばらく、黙っていた。それから、二行目を読んだ。三行目を読んだ。
五分ほど、黙ったまま、最後まで読んだ。
読み終わると、原稿を机に置いて、眼鏡を外した。
「三輪」
「はい」
「お前、今回も、何か食ってたな」
「食ってないです」
「いや何かは食ってただろう、人間だから」
「……取材中は、コンビニのおにぎりを」
「おにぎりか」
「ええ」
「クロワッサンじゃなくて」
「ええ」
「ふん」
部長は、鼻を鳴らした。それから、目のない鳥の剥製のほうを、ちらりと見た。鳥は、いつもと同じ角度で、首を傾けていた。
「悪くない」
「ありがとうございます」
「ただ、お前、ここの一行」
部長は、原稿の中ほどを指した。
「動きの理屈が、こちらにはない——ここ、書きすぎだ。書きすぎで、いい一行になってる。書きすぎでいい、っていうのは、滅多にない」
「はあ」
「次は、書きすぎなくてもいい一行を、書け」
「努力します」
「努力じゃない。おにぎり以上のものを食え」
「クロワッサンも入りますか」
「クロワッサンは、もう超えただろう、お前」
部長は、原稿を黄緑色のトレイに置いた。掲載が決まった、ということだった。
俺は、頭を下げて、パーティションの外に出た。
佐伯さんが、自分の席から、こちらを見ていた。俺と目が合うと、軽く親指を立てた。
俺は、自分の席に戻って、画面の中の原稿を、もう一度開いた。書き出しの一行を、もう一度、読んだ。
部長が「書きすぎ」と言ったところを、自分でも読んだ。
書きすぎていた。けれど、それでよかった。
雑誌が発売されたのは、それから二週間後だった。
発売日の朝、編集部に届いた見本誌を、佐伯さんが俺の机に一冊置いてくれた。
俺は、自分の記事のページを開いた。「裏のものは、表のように動かない」という見出しが、活字になっていた。本文を、最後まで読んだ。誤植はなかった。
昼休みに、コンビニで、サンドイッチを買って戻った。
途中で、駅前の本屋に寄って、棚に並んでいる『余白』の最新号を、しばらく眺めた。
表紙には、青葉の写真が小さく載っていた。篠田さんに、見本誌を一冊送らないといけない。
小野さんと横山さんにも。永田さん、布施さんにも。
席に戻ると、南が、自分の机で何かを書いていた。新人の研修日誌のようなものらしい。
「三輪さん、記事、読みました」
「ありがとう」
「あの、最後のところ」
「うん」
「『動きの理屈が、こちらにはない』ってあるじゃないですか」
「ああ」
「向こうの世界の理屈は、あるんでしょうか」
「あるんだろうな」
「観察できない、って、小野さんが言ってましたよね」
「なら、誰にもわからないですね」
「そうだな。俺達にはわからない」
南は、それで納得したように、また研修日誌に戻った。
午後の日差しが、編集部のフロアに、まっすぐ差し込んでいた。
窓の外で、誰かのスマホが鳴った。短く、二度。領域注意報の通知音だった。
フロアの誰かが画面を確認して、特に反応せず、また仕事に戻った。
今日の東都第八地区は、注意報レベル『並』。たいしたことはない。
俺は、サンドイッチを開けて、食べはじめた。
次の取材先のことを、考えはじめていた。




