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第一ノ壱話「裏のものは、表のように動かない」

部長に呼ばれているらしい、と佐伯さえきさんが言ったのは、午後二時を少し過ぎたころだった。

 俺は校了直前の原稿を読み返している最中で、その日の午前中はずっと、自分の書いた文章の何が気に入らないのかを言語化しようとしていた。結局のところ、書き出しの一行が悪い、ということに気づくのに2時間かかった。


 三輪(みわ)、と背中から声をかけられて振り返ると、佐伯さんが妙な顔で立っていた。

「部長が呼んでる」

「いま、ですか」

「いま」


 佐伯さんの妙な顔というのは、含み笑いとも同情ともつかない、つまり「お前またなんかやったのか」と「まあ頑張れ」が半々に混ざった顔のことで、これは『株式会社 余白』編集部に三年いる俺にも、まだ完全には読み解けない種類の表情だった。


 

 部長室、というほど立派なものはない。フロアの奥にパーティションで仕切られた一画があって、そこに机が1つと、デカイ鳥の剥製が置いてある。鳥は通年いる。なんの鳥なのかは誰も知らない。

 部長いわく”裏”由来の珍しい鳥とのことで、確かに、変な鳥だ。

 大きさはハクチョウくらいある。首の長さも、ハクチョウに近い。

 ただ、目がない。

 窪みがあるわけでもなく、目があるべきところに何もない。羽毛がそのまま続いている。

 顔の側面が、のっぺりとしている。剥製にするときに目を入れ忘れた、というのではなく、生きていたときから、たぶん、こうだった。


 この、灰色だか青だとかなんとも言えない雨の日の海みたいな色をしたこの鳥はデカくて目立つせいで

 いつのまにか来客の間でもうち『余白』の名物になってしまっている。

 

 俺がパーティションの入口に立つと、部長は背中を向けたまま、何かの巻物を広げて読んでいた。


「三輪です」


「ああ」


 返事はあったが、振り向きはしない。俺は所在なく立っていた。デスクの横に置かれた剥製の鳥は、いつ見ても同じ角度で首を傾けていて、たぶんもう何年もこの角度で生きている。生きてはいないか。

 

 三十秒ほど経って、部長は巻物をくるくると巻き戻し、机の脇に置いた。それから振り向いた。

「三輪、おまえ次号、何を書く」

「『裏由来の外来種特集』を考えています」

「分断帯の話じゃなくていいんだな」

「ええ、今回は東日帝内の話で」

 

「外来種」

「はい」

 

「外来種なあ」

 

 部長は鼻の頭を指で掻いた。それから鳥のほうを見て、何かを思い出すような顔をして、また俺のほうを見た。

「つまらん」

「は」

「いや、つまらんと言うと語弊があるな。普通だ。お前にしては普通だ」


 俺は黙っていた。部長というのはこういう人だ。「売れる記事を書け」と言ったことは一度もない。代わりに、「俺を驚かせろ」と言う。何度も言う。

 これが評価軸として正しいのかどうか、俺にはいまだに判断がつかない。

 ただ、小さなうちの会社が東都の中でも続けられているのは、この部長の勘のおかげだとは思う。

 

「先月号で書いた、あれだ。あの、なんだ、太郎草の話」

「マネビモドキの件ですか」

「太郎草でいいんだよ、ああいう草は。学名で呼ぶと、こっちが偉そうだ」

「俗称のほうが、たしかに親しみはあります」

「あれは良かった。周りの草に擬態して、種を見るまで誰にもわからない、というネタも良かったが、なによりお前、あんとき乗ってただろう。お前、あれを書いていたとき、何か食ってたか」

「食ってません」

「いや何かは食ってただろう、人間だから」

「……クロワッサンを」

「クロワッサンか。今度から取材中はそれを食え」

 部長の言うことには、ときどき論理の飛躍がある。というか、ほとんど常にある。


「で、外来種特集だ」

「はい」

「具体的にはどう書く」

「三件、取材を回ろうかと。1つは郊外で裏由来の植物を育てている個人の方、もう1つは領域学の研究室、最後にいま昆虫の大量発生で問題になっている地域です」

「植物、学者、害虫」

「外来種、と一口に言っても、社会の中の位置づけが全然違うので、その違いを並べて見せたいと」

「ふん」

 部長は鼻を鳴らした。これは、悪い反応ではない。


「いいだろう。書け」

「ありがとうございます」


「ただし」

 部長は、机の脇に立てかけてあった巻物を、もう一度手に取った。それから俺を見た。

「俺を驚かせろ。前回を超えろ」

「努力します」

「努力じゃない。クロワッサン以上のものを食え」


 俺は曖昧に頭を下げて、パーティションの外に出た。佐伯さんが机に戻る俺をちらりと見て、何も言わなかった。

 外来種特集。三件の取材先には、もう連絡を入れてある。最初は週末、郊外の家に出かける予定だ。

 席に戻って、書きかけの原稿を閉じた。本当は、書き出しの一行を直さなければならない。けれど、その日はもう、それをやる気にならなかった。


 窓の外で、誰かのスマホが鳴った。短く、二度。領域注意報の通知音だ。

 フロアの誰かが画面を確認して、特に反応せず、また仕事に戻った。

 今日の東都第八地区は、注意報レベル『並』。

 たいしたことはない。雨が降るかもしれない、くらいの話だ。

 

 俺は、クロワッサンを買いに行こうかと思った。

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