その九、祝宴
「藤吉郎殿、よろしいかな」
滝川一益も入城した。真の勝者、登場。わざわざ敗将を見に来たのか。
滝川の後ろには見慣れぬ武者が二人、従っていた。二人とも、青ざめた顔色をしている。誰とも目を合わさぬように、視線を下に向けていた。
「お屋形様(信長)より某に、阿坂城に入るようにと下知がありましてな」
それを聞いた秀吉の心に一瞬、嫉妬に近いようなものが湧いた。阿坂城を滝川に任せるということは……。信長はわかっているのだ。此度の落城の立役者は滝川であるということを。
「大宮含忍斎にございます」
しゃがれた声。痩せた肩。敗将、大宮含忍斎が滝川に頭を下げた。こころなしか、秀吉に対するそれより丁寧にみえた。
(この爺も気づいているのではないか。滝川がいなければ、俺が勝てなかったということに……)
秀吉は含忍斎に対してもイラつきをおぼえはじめた。
「内応者は野呂左近将監だけではなかったか……。我が大宮に仕える者にも居ったとはな……」
含忍斎は滝川の後ろについていた二人を見ながら言った。
二人の唇は震えはじめる。彼らは、火薬に水を入れ城を抜け出した張本人たちであった。大宮家の家老、源五左衛門とその息子條助である。
「滝川様! どうか! どうか! 入道様のお命をお助け下さい!」
源五左衛門は居ても立っても居られないと滝川にすがりついた。裏切ったとはいえ、かつての主君の悲しい姿に身が引き裂かれるような思いがしたのである。
「源五左衛門殿、苦しい立場でよくぞ我が織田につくことを決断してくれた。断腸の思いであったろう。旧主の命を守りたいと言う願い、しかと受け止めよう」
滝川はそう言うと秀吉の方を見た。もとより、秀吉は「生け捕り」にし、利用した後は殺すも生かすも決めかねていたのだが……。
滝川は生かすことに心が傾いているようだ。こういうところが、この男の美点であり、腹立たしいところでもある。
「拙者の命など要りませぬ。……老いさき短いこの身。首を刎ねるなり、なんなりと。そうした方が織田様の治世にとってよろしいでしょう。ひいては勢州のためとなりましょう」
含忍斎が声を震わせる。なんと同情を誘う姿だろう。そしてなんと英明なのだろう。今後のことを思って老いた身を差し出そうとは。この御仁のために源五左衛門も嘆願したのだ! 天晴れ! 勢州武士!
滝川一益は感涙極まって含忍斎の手をとった。
「貴殿のお命はお助けいたします。貴殿の心意気、我が主も悦ぶことでしょう。某からしかとお伝え申します」
「いえ、覚悟はできておりますゆえ……冥土の土産に弾正忠殿(信長)にお会いしとうございます」
(爺! まだ言うか!)
秀吉はこの老人が信長に会いたがっていることに警戒心を持っていた。
――この爺は……殺るつもりだ。
「滝川殿! 含忍斎殿のことは某にお預けくだされ。 お屋形様のお達しがあるまでの間、某の陣にて〝客〟として丁重にもてなすゆえ……」
「では、藤吉郎殿、よろしく頼む」
◇◇◇
日が沈んだ頃――。
阿坂城――桝形山の暗い森の中。
含忍斎は秀吉によって命を絶たれた。
滝川一益との約束は果たされなかったのである。
「含忍斎殿、命と引き換えに教えて頂きたい」
秀吉は含忍斎の喉に刃先をあてて取引をもちかけた。もちろん、含忍斎の両の手は後ろ手にきつく縛ってあった。
フクロウであろうか。不気味な鳥の声が響く。生温い風に木々の葉が揺れている。霧が濃くなりそうな夜だ。さっさと済ませよう。
「大河内城の兵数は?」
「……」
「では、兵糧は? 水は?」
「……」
「もし、含忍斎殿が大河内城を攻めるならば、何処から攻める? 抜け道が必ずあるであろう?」
「……」
含忍斎は口をかたく閉じたままであった。眼も閉じて、秀吉の存在そのものを無視しているかのような態度であった。
(クソジジイ……。まあ、どちらにしろ、殺すつもりだ)
秀吉は質問を変えることにした。大河内城に関する情報はすでに滝川が手下に命じ徹底的に調べ上げてあるはずだ。滝川が知らない情報が欲しい。
北畠攻略のために必要な情報は他にもあるはずだ。
「国司様はずいぶんと太っていて腹が出ていると聞く。噂では馬にも乗れぬとか」
具教の息子、国司・具房は肥満体で武芸が苦手であることが知られていた。
「かような御仁が大将とは、勢州武士もあわれなものよ」
秀吉の罵倒に含忍斎の眉が一瞬動く。
「前国司様の御子は凡愚ぞろいじゃ。御次男も長野家をあっさりと追い出された。大腹御所と出戻り御所。このお二人では伊勢の将来は危うい。尾張や美濃では伊勢はいい笑いものでござる」
具教の次男、具藤は長野家に養子に入り当主となっていたが、長野一族や家臣たちの謀略によって追い出されてしまった。
代わって長野家当主となったのは、信長の弟、信兼(信包)である。そして、今、具藤は実父・具教を頼って南伊勢に戻ってきているのだ。
秀吉は饒舌になっていた。含忍斎の心中をかきみだし口を割らせることが目的であるはずが、楽しくなる。悪口とは人をかくも残酷な生き物にするのだ。
主を嘲り笑われた含忍斎は喉仏を動かした。しかし、黙っている。反論をしたいが、堪えているのだろう。
「子息が愚かならなば、姫君方もさぞ足りない女人であろう。醜女であろうか、あるいは阿婆擦れか――」
「黙れ!」
とうとう含忍斎は堪えきれなくなった。秀吉に唾を吐きそうな勢いだ。
(ほぉ、そうか。姫君への罵倒は我慢ならぬか)
「姫君方も大河内城に籠っておられるのか?」
含忍斎は息を荒げるだけで何も言わない。
「城内では夜な夜な姫君方が兵たちを慰めておられると噂じゃ。そうでもしてもらわなければ、太り御所の下では働きとうないわ!」
この世で最も醜悪な言葉を口にし、秀吉は大いに笑った。どうだ、含忍斎。もっと心を乱れさせ、我を忘れよ!
もちろん、そんな噂はない。口から出るにまかせて言っている。
「そんなことはありえない! 断じてない!」
老獪であろう含忍斎がここまで乱れるのだ。勢州武士にとって、北畠具教の娘たちは偶像といえる存在なのかもしれない。
秀吉の勘。
北畠攻略に「姫君」の存在は使える――。
「もう一度訊く。姫君方も大河内城に籠って居られるのか?」
含忍斎は何も答えない。痩せた喉にあてた刃先をさらに押し当てた。血が滲み出る。
「含忍斎殿、姫君方はどこに居られる?」
「……大河内城に居られる」
「ほお、では、やはり噂通り、夜な夜な……」
「ありえないと言っておる……!」
含忍斎が言い終わる前に刃を深く差し込んだ。
「あいわかった」
秀吉がそう答えたときにはもう、命は尽きていた。
(お屋形様に会わせてやれずにすまなかったな。会わせるわけにはいかなかったのだ。滝川は騙せても、俺は騙せぬ。下手な芝居だったぞ、爺)
含忍斎の両の手をほどき、右手に刀を握らせる。自害したように見えるであろう。
返り血が少しだけ腕についてしまった。城内の井戸で洗うとするか。
秀吉は遺体を置いたまま森を去った。歩きつつ、「姫君たちは大河内城にいない」という可能性について考えていた。己の勘に賭けてみたい。この勘があたれば、滝川をだしぬけるぞ。
「姫君を探さねば、な」
城内に向かう。今宵、開城の祝宴が秀吉を待っている。滝川が秀吉のためにささやかながらも催したいと言ったのだ。そろそろ始まるのだろう、城内の方から兵たちの笑い声が聞こえた。
左腿の傷が痛む。庇うようにして歩いた。含忍斎の念がしがみついているのかもしれない。息子の矢が中ったその痕に。
秀吉のセリフ、自分が書いている本人なのにイラつきました。
念のために言いますが、そんな噂ありませんでしたからね。秀吉の口から出まかせです。




