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天正十年の小夜曲  作者: 水上千年
第一章 阿坂城の戦い
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その五、宿命

 多気丸は櫓の上にいる父の背中を見ていた。皆が湧き立つ中、眼光を鋭くし、矢を番えた父。一人だけ、別の空気をまとっていた。城内の足軽、百姓はその神聖ともいえる大之丞の覇気に気づき、櫓を見上げる。


 ――父上は、獲物を見つけたのだ


 日は高くなっていた。逆光で父の後ろ姿の輪郭がつかめない。弓をひいている。的は遠いのであろう。

 ヒュッと音が鳴り矢が走り飛んで行った。見守っていた者たちは息をのむ。つかの間の静寂。


 次の瞬間、皆は土塁に駆けよった。我先にと矢が飛んで行った方を見ようと顔を出して覗く。


「当たった―!」

「大将に当たった!」


 多気丸も走り寄る。人の波をかきわけ、土塁に足をかけ必死で首を伸ばした。まだ少年の多気丸には背丈が足りない。


「若様、ご覧あれ」


 隣にいた年老いた足軽が多気丸の両脇の下に手を入れ、抱えてくれた。


 ――遥か先、ふもと。そこに、右往左往している様子の一団があった。多気丸は目を細めて、その一団の中央にある馬印を見た。


「……瓢箪ひょうたん?」


 金色の瓢箪。それが、父に射られた者の馬印。


「お父上は織田のさきがけ大将木下藤吉郎を射ぬかれたのでございますぞ!」


 老人の興奮が伝わる声だった。


「木下藤吉郎……」


 多気丸は口の中で小さく繰り返した。それは多気丸の宿命の相手となる者の名であった。



 ◇◇◇


「退け!退け―!」


 秀吉は東の方へと急いでいた。敗走、と言ってもよかったかもしれない。己の兵が死ぬのはわかっていた。力攻めには付き物だ。まずは一気に投入し阿坂城に備えてある矢と鉄砲玉を減らすことが目的であった。犠牲となった兵たちの死体を踏み台に再び持ち駒を投入すれば必ず城戸は破ることができると思っていた。人海戦術。阿坂の兵、一千。秀吉の兵、八千。勝てるに決まっている。

 しかし――、

 阿坂の兵たちの弓矢の精度は思った以上だった。百発百中ではないのか。矢を一本も無駄にしていない。

 そして、何よりも嫌な汗をかかされたのは八田城からの援軍だ。まさか、裏手の山からあいつらが忍び寄っていたとは……。甘く見ていた。前日の八田城攻めの失態も思い出され、身の危険を感じたのである。


(……あいつらは化け物か)


 いったんは退いて体勢を立て直した方が得策だ。秀吉は手勢をひきつれて来た道を下った。途中からは馬に乗り必死で鞭を当てた。急げ。八田城の兵が森の中から追いかけてくるかもしれない。


 心臓が早鐘をうっている。死にたくない。生きる。そして勝つ。今は逃げろ。


 この男が強運の持ち主であることを歴史は示してくれている。

 だが、この時の木下藤吉郎秀吉は無我夢中であり、時代の狭間にやっと芽を出し始めたばかりの男であった。


「退いたら急ぎ陣を立て直せ! 再び攻めるのだ!」


 唾を飛ばし怒鳴り散らすように指示を出す間も逃げ続けた。


(負けるわけにはいかない――)


 やっと谷をぬけた。雲出川の方に行こうと馬の鼻先を北に向ける。鞭を持つ手が汗ばんだ。強く握りしめる


 その時だった。秀吉の全身に激痛が走った。


「殿――!」


 近習の金切声が耳を刺す。痛みの根源は左足だ。見る。外側の腿に矢が刺さっていた。


 城の方から「わっ」と声が上がるのがここまで聞こえてきた。櫓に武者がいるのが見える。顔の表情まではわからない距離だ。武者は弓を持っている――?


「まさか、あそこからここまで矢が届いたのか――?」


 にわかには信じられなかった。


勢州軍記によると、阿坂城攻めの前夜、北畠配下の船江衆が織田軍を攻撃して幾人かの首を討ちとっています。その場所は松阪市小金付近、旧伊勢寺村役場跡とのこと。「小金塚に打出で、信長勢を駈散らして分捕り高名し、首数少々討取る。」

小金塚における船江衆の活躍は信長公記や太閤記には書かれていません。この話は拙作『勢州軍記読もうぜ!』にていずれ詳しく書くつもりです。


この『天正十年の小夜曲』でも船江衆のことは省いてしまいました。話がややこしくなるかな、と思いまして。

位置関係をみると、秀吉軍は阿坂城と船江衆の挟み撃ちにあうところにいることがおわかりいただけるかと思います。秀吉にとって阿坂城攻めはギリギリの戦いだったのではないかなぁ、と私は妄想しまして。今回、「逃げる秀吉」を表現してみました。



ていうか、後書きを書くのやめた方がいいですかね……? 作品の雰囲気をこわしちゃったりしてませんかね……

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