その六、友
兵たちが秀吉を囲み守る。辺りに警戒の視線を飛ばしつつも急いだ。早くこの場から立ち去らなければならない。いつ次の矢が飛んでくるかわからないからだ。とにかく遠くへ。
秀吉はというと、なんとか騎乗して歪んだ表情でしがみついている。矢は刺さったままだ。
近習が秀吉の馬の手綱を握り伴走している。
「殿! 思ったより傷は浅いと見受けられます! お気をたしかに!」
「うるさい! 俺の気はたしかだ!」
痛みに耐えつつも、城の縄張り図、そしてこの辺りの地形を思い浮かべていた。どう逃げて、どうやって再び攻めるべきか。敵から隠れるように山際に沿って逃げるべきだろう。
敵の追撃をなめるな。おそらく、出城の兵が直に打って出てくる。追いつかれるな。
秀吉が危惧した通り、出城である高城から敵兵が駆け下って追いかけてきた。秀吉の殿備えと乱戦状態である。
奥歯をギリリと噛む。悔しさと焦り。左足の痛み。己が命のかわいさ。立身出世の夢。一寸先は闇
「俺はまだ! 負けていない!」
自分に言い聞かせるように吼えた。
「急げ!」
背中は汗で濡れていた。口の中は乾いている。そんなことにかまわず、北へ北へ。雲出川をめざせ。
前を見ると、黄色い旗の一団がこちらに駈けて来ているではないか――。織田の軍であることを示す旗。あれは――。
「滝川殿の兵……!」
援軍だ。伊勢平野に颯爽と現れた、滝川一益。
「殿! これで助かりますぞ!」
近習の笑顔が癪に障る。己の怪我のことも忘れて秀吉は近習を思わずどつきそうになった。
(……滝川にまた手柄をとられてしまうではないか!)
滝川軍の登場によって秀吉の殿備えは息を吹き返したように敵兵を押し返す。見る間に敵兵は高城に帰って行ったのである。見たところ、高城に詰めていた兵の数は多くないはずだ。百五十、いや、もっと少ない。そんな手数に追い詰められた己が情けない。そこへ、多くの手柄をすでにものにしている織田家中の出世頭、滝川に救ってもらったのだ。
悔しさを誤魔化すかのように刺さったままだった矢を引き抜いた。血が溢れたのであろう、袴に血の染みがジワリと広がる。
「……クソッ! 滝川め!」
心のうちをつい口に出してしまったが、戦場の独特の高揚感で誰も聞いていなかった。
◇◇◇
城から伊勢平野を見下ろすと、数えきれないほどの黄色い旗の漣が広がっていた。織田軍であることを示すその旗を差した兵たちは「応!応!」と大声を出している。威嚇しているのだ。
一度追い払っても再び敵が押し寄せてくることはわかっていた。しかし、ここまで迅速に、しかも大勢だとは。大之丞は耳障りな敵兵の声を聞きながら、下唇を噛んだ。
さきがけの木下藤吉郎秀吉に一撃を食らわすことに成功した。これによって、我ら勢州武士の武威を見せつけ、少しでも北畠側に有利な講和へと相成ればと思っていた。
だが、甘かったかもしれない。
「多勢に無勢でございます。こちらの損害がほとんどない今のうちに降参してはいかがでしょう?」
そう言ったのは南郭を守っていた野呂左近将監である。この事態に急ぎ北郭に移り、阿坂城主である含忍斎、そして実質的な指揮官である大之丞に進言したのである。
老齢の含忍斎は目を瞑り、黙っている。耳が遠くなっているのかもしれない。大之丞はかまわず答えた。
「しかし、もう少し耐えられるのでは? 大河内城からの援軍が来るまで待ちたい。我々阿坂と援軍を足しても、圧倒的に織田側の方が数は多い。が、こちらには地の利がある。夜討ちにて織田の兜首をとれば、敵はあきらめて帰るか、あるいは……北畠に有利な和睦の条件を引き出せるやもしれぬ……」
今、あっさりと負けを認めてしまっては将来のために良くない。大之丞の政治的な思惑であった。それをたたみかけるように、野呂左近将監は強い口調で言った。
「その有利な条件を引き出せるのは今でございます!」
髭面が近づく。眼が血走っていた。勢州武士らしい奥二重のするどい眼。野呂左近将監は日ごろから大之丞が尊敬をしている武士であった。勇敢で義理堅い男。大之丞より十歳ほど年上のこの男は勢州武士の鑑だ。この度の戦で国司より付けられた時は共に戦えることを嬉しく思ったものである。
「野呂殿……?」
「今、降参いたしましたならば、織田は必ずや寛大なる態度で我らを迎えることでありましょう! 今しかありませぬぞ!」
言いつつ、野呂左近将監の目は涙をためていた。この男のそのような姿は初めて見る。何かがおかしい。
「野呂殿! もしや、敵と通じているのか!」
そんな言葉を口に出してしまった己が憎い。気づいていない体で野呂左近将監の意見に賛成をすればよかったのだ。そうすれば、変わらずに笑いあい、尊敬をしあえる友でありつづけることができたのに。大之丞は腰の刀に手をかけた。
「……よせ。……若い奴らと百姓は城の裏手の山に逃げよ。後のことは年寄りに任せよ……」
「父上……」
先ほどから黙って聞いていた含忍斎が口を開いた。出家して丸めた頭の地肌に年老いた者特有の茶色いシミが点在している。伸びた眉もうっすらと生える髭も白く、若い頃より一回りも小さくなった父。細い体に不格好な鎧に具足。その父が殿を任せてほしいと言ったのだ。
大之丞は力なく刀の柄から手を離し、一方の野呂左近将監は含忍斎に頭を深くたれた。この時、秀吉が阿坂城を攻め始めてから、わずか半日しか経っていなかった。
この頃の秀吉は滝川一益を「様」呼びしたのか、「殿」呼びしたのか。
悩みました。
その結果、秀吉の心の声は呼び捨てにしていますが、口に出すときは「殿」をつけることにしました。
寛政重修家譜には秀吉と一益は「舊友」であったことが記されているということ。豊臣秀吉文書集を見るとこの時期の秀吉は織田家臣として丹羽長秀や明智光秀と連署の文書を出していたりと結構頑張っていたらしいこと。
以上の二点から、秀吉は一益に対してそんなに卑下するような身分ではなかったのではないかな?と思い「殿」呼びにしました。
本当のところはわかりません。あくまでフィクションです。
……大河ドラマ秀吉では、竹中直人が段田安則を「様」呼びしていたような記憶があったり、なかったり……まあ、フィクションなんで! あたたかい目で見て頂きたく!
それと、タイトル変えました。よろしくお願いします。




