生きるために、反旗を翻してもいいですか
すきま風が吹き込む室内で、アンレッティは、今日も深いため息を吐く。
「まあ、姫様。先ほど昼食を召し上がったばかりだというのに、もうお腹が空きましたか?」
「スノーランってば、それしか言うことはないの?」
むぅっと頬を膨らませたアンレッティは、レイティスの言葉を思い出してさらに眉間に皺を寄せた。
『あいにくと、俺には貴女に仕える利点がありません。我が一族を見くびらないでくださいね。属家とはいえ、心を動かさなければ王族に膝を折ることはしませんよ』
暗に、アンレッティでは分不相応だとばかりに鼻先で嗤うと、笑みを貼り付けた。
どこか冷たさを感じる笑みは、王女に対する畏敬の念すらない。
一筋縄ではいかないのはわかっていたが、なんとも手強い相手だ。
「ほほほっ、なにをおっしゃいます。姫様の悩みといえば、大概、食べ物に関することだけでしょ」
アンレッティの悩みなど些細なこととばかりに一笑に付すスノーラン。
「うぐっ」
「健やかにお育ち遊ばせばよろしいですけど、姫様は意地汚くお育ちになって……。大切な姫様を飢えさせるわけにはいきませんが、いかに空腹といえど、よだれを垂らすのはいかがなものかと……。わたくしがもう少し早くに戻ればよかったのでしょうが……」
嘆くスノーランに、アンレッティは、ぐっと言葉を飲み込んだ。
三日前、レイティスと入れ違いに花の離宮へと戻ったスノーランは、干し肉や新鮮な野菜でいっぱいとなった籠を喜々としてアンレッティに見せてくれた。
『姫様、ご覧くださいな! しなびていない葉物なんていつぶりでしょう。今日は新鮮野菜のサラダにしましょうね。じゃがいももいただいたので、こちらはすりつぶしてスープがいいかしら。腕がなりますわ』
その後ろから、宮廷の使用人が次々と現れる。その腕には、食料らしいものがつめられた籠や麻袋があった。
使用人たちは、アンレッティに目を留めると、わずかに目礼しただけで調理場へと足を向けた。
まぁ、なんて態度でしょう、とスノーランは憤慨していたが、慣れてるアンレッティは気にもとめなかった。
嫌々であろうと、この離宮に足を向け、食料を届けてくれるのはありがたいことだ。
きっと、スノーランが宮廷の料理人に頭を下げて回ったのだろう。
(わたしが、女じゃなかったら、スノーランに苦労させることはなかったのに)
死ぬ運命にある王女のことなどだれも顧みない。
父である国王でさえだ。
そのため、王家に生まれにも関わらず、貧しい生活を送っていた。
アンレッティの身の回りの世話だけでなく、掃除や料理まで一手に引き受けるスノーランは、まさに侍女の鑑だ。
疲れた顔を一切見せずに、平然とやりきる彼女に何度救われただろう。
「ねぇ、スノーラン」
「はい、なんです?」
アンレッティの服を繕っていたスノーランは、顔を上げた。そのひょうしに、肩口で切りそろえられた赤毛がさらりと揺れる。
「この頃ね、思うの。わたしも、運命に抗えないんだなって」
「なぜ、そのような不吉なことをおっしゃいますかっ。いつも暢気な姫様らしくありませんわ」
肩を怒らすスノーランを見つめたアンレッティは、可愛らしく小首を傾げた。
「でも、そうでしょ。ここまで生きられたのが奇跡。でも、例外はないわ。わたしが十六を迎える前に死ぬということは、決定事項。……お姉様や妹たちのように、ね」
スノーランの顔から表情が消えた。
それは、感情を表面に出さないように堪えているようでもあった。
スノーランは、アンレッティとともに冷たくなった亡骸を神の御許へと送ってきた同志なのだ。
深い悲しみと絶望は、いつまで経っても消えることはない。
「……わたくしは、嫌です」
唇を噛みしめたスノーランが声を絞り出すように言った。
「ほかのだれを失っても、わたくしは、貴女を失いたくありませんわ!」
情熱的な台詞に、アンレッティは思わず微笑んだ。
愛されていると実感できるからだ。
姉や妹たちが儚く命の灯火を消し去るたびに、この離宮からは人がいなくなった。乳母、料理人、庭師、兵士、使用人……。みな、申し訳なさそうな顔で、けれどなにかを恐れるように本宮殿へ異動を申し出た。
残ってくれたのは、スノーランただ一人だ。
そのため、アンレッティは、スノーランに育てられたといっても過言ではない。
彼女がいなければ、多くの時間を独りで過ごさなければならなかっただろう。
いや、その前に生きていたかも怪しい。
「だったら、わたしと一緒に反逆者になってくれる?」
「ひめ、さま……?」
不穏な言葉に、ようやくスノーランが眉を寄せた。
「生きるために、反旗を翻すの」
アンレッティは、なんでもないように言った。
これしかないのだ。
アンレッティが生き残る術は。
その一手として、この檻から抜け出さなければならない。
生ぬるく、排他的で、世の中から隔絶されたこの死臭漂う檻からは。
そっと、胸に手を置くと、硬い感触が伝わった。服の下にある首飾りが、力を与えてくれるようだった。
「理解ができませんが、わたくしは貴女にお仕えする身。たとえ地獄の底であろうと、貴女が行かれるのなら、ご一緒しますわ」
悩む素振りもみせずに言い切ったスノーランは、再びほつれていた裾を縫い始めた。
簡単に同意したけれど、彼女はフェイザー侯爵家の令嬢である。フェイザー侯爵家といえば、カンフィート家には劣るものの、乳母や女官を多く輩出してきた由緒ある家柄だ。
本来、王子に仕える予定だったスノーランは、アンレッティ付きの侍女になったことで、当主の怒りを買って勘当された。けれど、いくら縁を切ったとはいえ、仕える主人が王家に刃向かったとなれば、生家である侯爵家もただではすまないだろう。
だが、スノーランは、自分の生まれ育った家よりも、仕える主人を取ったのだ。
「スノーランのそういうところ大好きよ」
「……褒めても、おやつはありませんよ」
「! なんでっ」
「昨日、すべてお召し上がりになったでしょう?」
「あぅ」
「ああ、わたくしの主は、どうしてこんなにも食い意地が張っているのでしょう。ええ、本当に、どうしてかしら……。幼き頃、病弱な姫様を甘やかしてお育てしたツケが今になって、こうもわたくしを苦しめるなんて。いつまで経っても、姫君としての立ち居振る舞いを身につけてくださらないのだから、これでは歴代の教育係の方に顔向けもできませんわ」
「……甘やかされた記憶ないよ。スノーランは、だれよりも厳しかったよ~」
小さく抗議をしてみるが、スノーランは見事に無視し、すっと細めた双眸に静かな炎を灯した。
「そういえば、先日、我が小さな主様は、見知らぬ方からも施しを受けたようですし……。ふぅ。これは、教育し直さないといけませんわね。ええ、本当に、根本から。ふふふ」
決意を新たに、闘志を燃やすスノーランの傍で、身震いをしたアンレッティは、現実逃避するように昨日食べたお菓子を思い出していた。
王族に振る舞われるお菓子は、卵から砂糖まで最高級品を使っている。
いない者とされているアンレッティが彼らと同じ者を口にすることはできない。その代わり、王族の前には出すことができない失敗作をスノーランは分けてもらっているのだ。
多少、焦げていても、形が崩れていても、最高の味には変わりない。
ほろりと口の中でとろけ、上品な味が広がる。
一口食べれば、止まらない美味しさなのだ。
食いしん坊のアンレッティが、我慢などできるはずもなかった。
(あの焼き菓子もおいしかったなぁ……。お客様用なのかな。外はサクッと、中はふんわり。適度な甘さがくどくなくて、おいしいのよねぇ。また、食べたいなぁ)
きゅるるぅぅぅ
味を思い出して、生唾を飲み込むと、お腹が切ない音を立てる。
最低限の調度品しかない殺風景な部屋で、一人、くてりと床にくずれ落ちたアンレッティは、しくしくと泣いた。
「これから、お兄様たちはおいしいお菓子を召し上がるのね。……ぅぅ、なんて恨めしい」
「……しょうのない方ですね。お腹が空いては勉学にも身が入らないでしょうし……今回は特別に果物を切ってきますから、それで我慢してください」
あの量で、半月持つかしら、とぶつぶつと独りごちながら踵を返す彼女の背に、瞳を輝かせたアンレッティが言葉を投げた。
「わぁ! スノーラン、ありがとう! 今の時期は、赤い実のカッツェラがおいしいからそれをよろしく~」
「……どこで教育を間違えたのかしら。ええ、本当に、おかしいわ」
肩を落としたスノーランは、ため息を吐いのだった。




