魔物が現れたのですっ
――――キャアァァァァァァァァ…………ッ
闇夜を切り裂く、女性の金切り声。
ハッと目を覚ますと同時に、扉が勢いよく開いた。
「アンレッティ様っ」
ご無事ですか、と血相を変えて駆け込んできたのは、光の球を周囲に浮かせたレイティスだった。
「レイ、ティス……?」
「どうやら周囲に巡らされていた結界の一部が壊れたようです」
「え……」
毛布ごとくるまれて横抱きにされたアンレッティが意味を理解できないでいると、スノーランも駆け込んできた。
「姫様! ああっ、ようごさいました……」
へなへなと崩れ落ちるスノーランを一瞥したレイティスは、荷物をまとめるよう指示をした。
「ま、待って、どこへ行くの?」
「ここは危険です。花の離宮へ避難しましょう。……お嫌ですか?」
首を振って拒否をするアンレッティに、レイティスは声を落とした。
「目的を忘れたの?」
「だからこそ、安全な場所へ……」
「違うわ! 違う……っ。こういうときだからこそ、引きこもっていては駄目なの」
ローレントに宣言したのだ。
だれもが笑って暮らせる国を作ると。
民が苦しんでいるときに逃げるのは、王として失格だ。
「……ッ」
思いがけず強い双眸に射すくめられたレイティスは、体を強ばらせた。
「レイティス殿の負けですわ。姫様は強情でいらっしゃいますもの」
くすくすとおかしげに語るスノーランは、さすがに付き合いが長いだけあって心得ているようだった。
「わかりました」
深窓の令嬢のように怖がっていればよいのに、と小さくゴチたレイティスは、急かすアンレッティをそのまま抱え、スノーランとともに外へと飛び出した。
そこには、酒場の客がたむろしていた。
いつもなら酒を飲んで暴れまくっている大男たちも、一気に酔いが醒めようで、呆然としていた。
「おい、魔物が現れってほんとか?」
「なんでまた……。玉藍子様はっ、魔導師様はどうした!?」
「だれか水を! フォーヌの館が火事だ!」
ふいに周囲が慌ただしくなる。
ヴォオォォォォォォオッ
野獣のような咆哮が空気を震わせた。
怖気だった。
本能的な恐怖だろうか。
身震いするアンレッティをレイティスが安心させるようにぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。すぐに魔術師たちによって捕縛されるから」
「……っ」
アンレッティは、唇を痛いほどに噛みしめた。
先ほどあれだけ大口を叩いたというのに、いざ混乱を前にすると震えてなにもできないでいた。
「な、なぁ、あんた、魔導師なんだろ!? 魔物をやっつけてくれよ! あそこにゃ、オレの家族がいるんだっ」
「オレもだっ。助けてくれよ!」
浮かぶ光の球に気づいた大男たちが、レイティスの周りに集まってきた。
恐怖に引きつった顔で、頼む、とすがりつく彼らをレイティスは何の感情も宿らない目で一瞥した。
「悪いけど、無理だね。俺は、魔導師ではないから」
「そ、そんな……っ」
絶望に呻き、力なく膝をつく彼ら。
くそっ、なんで! とだれにぶつけたらよいのかわからない怒りが、魔物の咆哮にかき消えていく。
家族を想う彼らの気持ちが、アンレッティには痛いほどわかった。胸がぎゅっと苦しくなる。こんなとき、自分にも力があったらと思うのだ。きっとローレントなら、嘆く民衆の声に応えて、鮮やかに解決したのかもしれない。
「わ、わたしが行くわ!」
声を震わせながらアンレッティが言った。
近づいてくる魔物の声に、びくりと体が竦むと、レイティスの手に力がこもった。
「なにを馬鹿なことを」
「確かに、馬鹿もしれない。移転の塔を使うにも増幅の腕輪が必要で……わたしに力があるってことも、力の使い方も、レイティスに教わって初めて知ったの」
「なら、わかるでしょ。足手まといは、かえって邪魔だ」
「でも、こうして黙って見ていることが正義なの?」
「あなたの命を脅かすよりは」
「っ、それって違う。死は怖いけど、わたしの命が民の命より尊いって違うよ。聖王はおっしゃったわ。命はだれもが平等であり、死もまた平等であると。だから……っ」
「レイティス殿が守ればよろしいだけですわ」
必死に言いつのるアンレッティが憐れに見えたのか、スノーランが後押しをした。
二人から責められたら、レイティスも動かないわけにはいかないだろう。
「怖いくせに……どうしてそう、生意気なことばかり言うんだろうね」
わかったよ、と苦笑したレイティスは、わがままな主の命令に従ったのだった。




