第三章 まずは、調べましょう
「一つ質問なのですが」
はぐはぐとスノーランが朝早くから作ってくれた料理を食べていたアンレッティは、なに? と視線だけで問いかけた。
昨夜の醜態などすっかり忘れている彼女にほっとしながら言葉を続けるレイティス。
「いつになったら玉藍子の元へ赴くのです?」
「まあ! レイティス殿。姫様には姫様のやり方があるんですから、そんなに急かさなくとも」
「お言葉ですが、のんびり構えていては、十の玉州を制することはできませんよ」
「それは、そうですが……」
レイティスにやり込められたスノーランは、不満をありありと出しながらも語尾をすぼめた。
最後のひとかけらを飲み込んだアンレッティは、すかさずスノーランから手渡された紅茶で喉を潤した。
スノーランが市場に行って手に入れたらしい紅茶は薫り高く、味が濃かった。
「んと、今日はいくつかの領地を回ってみようと思うの」
「領地を、ですか?」
「そう。調べたいことがあるんだ」
にこにことそう言うアンレッティをうさんくさそうに見つめるレイティス。
「姫様、なにをお調べになるのです? わたくしでよければ、お手伝いを……」
「スノーランは、女将さんのお手伝いでしょ? スノーランが作る料理はおいしいって評判になってるって聞いたよ。すごいね! さすが、わたしの侍女だわ」
「いや、あの……ありがとうございます」
反論しようと口を開いたスノーランは、心からの賛辞に屈したようだった。
がっくりと肩を落とす彼女を、くすりとレイティスが笑うと、キッとスノーランが睨みつけた。
「レイティス殿。くれぐれも姫様から目をお離しにならないように!」
「もちろんです」
「屋台の食べ物を与えるなど、言語道断です!」
「ええ、その通りです」
「その言葉、信じておりますから」
ぎらついた眼差しに、レイティスは口元を引きつらせた。
まるで、あのときのことを知っているような口ぶりだ。
だてにアンレッティの侍女をしていないということか。
「さて、わたくしは、昼食をご用意しなければ。姫様、お昼はそちらをお召し上がりくださいね」
「あぅ」
屋台の食べ歩きをする気満々だったアンレッティは、ささっと片付けをして意気揚々と出て行く有能な侍女を見送った。
「あなたに傷のひとつでもつけようなら、命を落としそうですね」
「だって、スノーランはわたし命だもの」
「それはまた忠義深いですね。いつからの付き合いなのです? 確か、侯爵家の三女とお聞きしましたが」
「――わたしの物心がついた頃にはもういたわ」
アンレッティの双眸が翳った。
もともとスノーランの母が姉姫の乳母として働いていたのが縁だ。
『まあ、お労しい……』
当主の命を無視し、母に付き添って花の離宮へ現れたスノーランは、姉妹の中で一番病弱なアンレッティを憐れに思ったらしい。
『わたくしが姫様の手となり、足となりますわ。それでもう、お寂しくはないでしょう?』
姉姫が夭折し、自分の母が去ったあとも、スノーランはアンレッティ付きの侍女として残った。
「スノーランはすごいのよ。なんでもできるの。わたしの知らないこともいろいろ知っているし、本当にすごいの……」
「スノーラン殿のことがお好きなんですね」
「うんっ、大好きよ! スノーランはわたしの母であり、姉であり、とっても大切な侍女なの」
頬を染めてはにかむアンレッティは、野花のような可憐さがあった。
思わず、触り心地のよい髪に手を伸ばそうとしたレイティスは、ハッとしたように手を下ろした。
「レイティス……?」
「こほんっ。素敵な関係ですね」
「……そうね」
アンレッティはにっこり笑った。
その後、スノーランが作ってくれたお弁当を持ったアンレッティは、レイティスと共に転移の塔へと移動した。
アーヴァレー中央領には、三つの塔が存在する。そのうちの一つが、神殿の近くにあるのだ。
古の神々を奉る神殿は、厳かな雰囲気が流れていた。
厳重な塀に周囲を覆われ、世間から隔絶された神殿の周囲には、重装備の神兵が槍を片手に立っていた。
閉ざされた黒門の前で、レイティスが慣れたように許可証を見せた。羊皮紙には、レイティスとアンレッティの身分を証明する旨と、転移の塔の使用を許可する国王の署名が入っていた。
羊皮紙を陽に透かし、うっすらと浮かび上がる印を確認した神兵は、恭しくレイティスに許可証を戻した。
「失礼いたしました。どうぞ、お入り下さい。古の神々の名の下に、よき旅を」
「ずいぶんと厳重ですね」
「近頃、偽造をする者が増えておりますので」
困ったように笑った神兵は、それきり口を閉ざした。
傍で二人のやりとりを聞いていたアンレッティは、門をくぐりながら訊ねた。
「偽造なんてできるの?」
「それなりの魔力と知識があれば、不可能ではないだろうね」
アンレッティは、へにょりと眉を下げた。
「どうしたの?」
「元々、火急のときに側近を招集できるようにと、二代目の王が考えたんでしょ? 今じゃ、権力者たちが好き勝手使っていると聞くわ。どうして、民にも開放しないの? そしたらもっと便利になって、行き来も簡単になるのに」
「そのためには、膨大な魔力が必要となるからだよ」
魔物を退治できるのも、身を守るのも、魔力があってこそ。
現存する大貴族の祖先は、有能な魔導師の血を交配することによって力をつけていった。
属家はその最たるものだろう。先祖返りした者の中には、高位魔導師と同等の力を有していることも珍しくはない。
「つまり、魔力が強くなければ、貴族であろうと移転の塔を使用することができないということね!」
「ええ、その通り」
得意げに語るアンレッティが微笑ましかったのか、口元を緩めたレイティスは頷いた。
「ははっ、面白いことを話しているね」
優しげながらも威厳のある声が入り込んできた。
アンレッティが振り返ると、侍従らしき人たちを背後に従えた恰幅のよい初老の男性が立っていた。
転移の塔に用があったのだろう。
奥の神殿から現れたらしい初老の男性は、アンレッティの大きな目に見つめられると、困ったように頭をかいた。
「これは、すまない。盗み聞きをするつもりはなかったんだが……」
アンレッティを隠すように一歩前へ出たレイティスは、愛想よく笑って宮廷式のお辞儀を披露した。
「ほぅ、素晴らしい。とても優雅だ。さぞや名のあるご子息なのだろうね。名前を伺っても?」
「お初にお目にかかります、ハルヴァート卿。私は、レイティス・ホーヴァン・ディラ・カンフィートと申します」
「ああ、君が! 噂はかねがね聞いているよ。兄君も卓越した才があるが、なかなかどうして、弟君も負けていないようだ。立派な息子を二人も持てて、宰相殿も幸せだ」
「もったいないお言葉です。ハルヴァート卿は、先代の御代より、玉藍子の片翼としてご活躍されたと父から伺っております。私はまだまだ若輩者ゆえ、俗世にも疎く、ぜひハルヴァート卿のお知恵をお借りできればと思います」
「ははっ、なにを言う。ワシごときが君に教えることなどなにもない。若干六歳にして神童の名を欲しいままにしたと聞いているが?」
「過去の栄光です」
「ふむ、名だたる教授が嘆いていたが、なかなかどうして。ワシには輝きを失っているようには見えぬがな。それはそうと、珍しいお客がいたものだ。後ろの可憐なお嬢さんは、君の知り合いかね?」
レイティスは、ちらりとアンレッティに視線を走らせた。
ここで身分を明かしても、余計な混乱を招くだけだろう。
どうすべきかと悩んでいると、侍従から耳打ちされた初老の男性が焦ったように口を開いた。
「すまない。神殿に忘れ物をしてしまったようだ。これで失礼するよ。碧緑州はどの玉州よりも素晴らしい。楽しんでいきなさい」
「ありがとうございます」
「ええ、楽しむわ」
頭を下げたレイティスにならって、アンレッティもぴょこんとお辞儀をした。
それを優しく見つめた初老の男性は、急いできびすを返したのだった。
「あのおじさん、片翼なの?」
「おじ……」
あまりの物言いに額に手を当てたレイティスは、はぁっとため息を吐いた。
「お嬢さん、ハルヴァート様は素晴らしいお方ですよ」
「ええ、本当に。未熟な玉藍子に代わり、すべての業務をこなすだけでなく、下々にも目をかけてくれる聖人のように徳のある方です」
転移の塔に入ろうとしていた男性二人が近寄ってくると、代わる代わるに褒め称えた。
薄黄緑色の長衣に身を包んだ彼らは、先ほどの男性の部下なのだろう。
魔力を増幅させる魔具を腕につけていた。
「碧緑州の玉藍子は、未熟なの?」
「二年前、成人を迎えられた玉藍子様は、自らの権力を誇示するために改革をなさった。けれど、その改革はとても褒められたものではなくてね……。市民から暴動が起きたせいで戦意を喪失させた玉藍子様は、それ以降、執務を嫌がりは、部屋から出てこないそうだよ。お姿も御簾越しで、我々の目に触れることはないし」
「こらっ」
「まあまあ、子供相手なのだし、いいじゃないか」
片方がたしなめるが、穏和な顔をした男性が笑いながら流した。
「それに、宰相殿のご子息ならば、この程度のお噂はすでにご存じでしょう。今、碧緑州を動かしているのは彼の方です。彼の方が倒れられたら、ここはどうなるのです。ようやく市民の感情も落ち着いてきたというのに」
はははっと軽い口調で話した彼は、そのまま相方と一緒に塔へと姿を消した。
落ち着いてきた?
アンレッティは眉を寄せた。
屋台の娘は、あんなに憤っていたじゃないか。
玉藍子が行った、民を豊かにするための改革は、未だに深い影を落としているのだ。
それを彼らは気づきもしない。
「レイティス、予定変更! 改革のこと、もっと調べたい」




