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死にかけ姫は、覇王となる  作者: 桜ノ宮
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第一歩なのです

 玲瓏たる銀月の女神が世界を支配する時分。

 漆黒の帳に包まれた空には、星々が煌めいていた。

 その中にひときわ輝く朱星を見つけたアンレッティは、目を大きく見開いた。

 銀月の女神に恋をした青年が、焦がれるあまりにその身を炎に包んで天に昇ったという逸話がある。彼は、銀月の女神に自分の存在を誇示するように星となってなお、燃え続けているという。

今では、朱星と呼ばれ、人々を導く重要な道しるべとなっている。

 花の離宮からずいぶんと離れた場所にやって来たというのに、見えるものが変わらないのは嬉しかった。

 もっと見ていたくて、窓を開け放つ。

 ぎしっと鈍い音を立てながら、ゆっくりと開かれる。

 生暖かい風とともに、一階の酒場から酔っぱらいどもの怒号が聞こえてくる。


「……これが、外なんだ」


 ここ数日は、本当に目まぐるしかった。

 ローレントの後押しもあって、アンレッティの訴えは認可された。

 あのときの衝撃と歓喜は、一生忘れないだろう。


(ここから始まるんだ)


 これは、第一歩だ。

 振り返ることは許されない。

 前を向いて歩き続けるしかないのだ。

 知らず胸元を掴んでいたアンレッティは、そこにある硬いものに触れて、ほっと息を吐いた。

 初めてこの目で見た外の世界は、なにもかも新鮮で、きらきらと輝いて見えた。

 魔導師が見せてくれたのはほんの一部であったが、映像で見るのと実際に見るのはまったく違う。

 みな、生きているのだ。


『その細い両肩に数多の民の命がかかっている。国王となるには、自分の感情をさらけ出すことは許されない。自分を殺し、民にその身のすべてを捧げる覚悟はあるか?』


 ふと、兄の言葉が脳裏をよぎる。

 民を生かすも殺すも自分次第……。

 そう考えると、なんだか怖くなった。

 覚悟していたことなのに、この当たり前で幸せな光景が、アンレッティの振る舞い一つで壊れてしまうかもしれないのだ。

 父や兄はずっとこの重圧に耐えてきたのだろうか。

 アンレッティは、夜空を見上げた。

 父が統べるセルヴィアス王国は、この夜空のように広く、果てしない。


「――眠れませんか?」

「!」


 ばっと後ろを振り返ると、扉にもたれかかるようにレイティスが立っていた。


「失礼。戸を叩いたのですが、反応がなかったものですから」


 その片手には、とってのついた木筒があった。


「飲みますか? 体が温まりますよ」


 わざわざ一階に下りてもらってきたのだろうか。

 木筒を両手で受け取ったアンレッティは、ふぅと息を吹きかけると一口飲んだ。


「! おいしい」

「当たり前です。特別に作ってもらったんですから」


 アンレッティは、もう一口飲んだ。甘みのある牛乳に、つんとクセのある味が独特だ。もしかしたらお酒が入っているのだろうか。

 生暖かい風とはいえ、薄着のまま当たっていたら、少し体が冷えていたようだ。芯から温まるで、ほっと顔を緩ませると、レイティスは自分が羽織っていた上着をアンレッティにかけた。


「大事なときに風邪でも引いたらどうするんです」


 人前ではないせいか、砕けた口調を引っ込めてしまったレイティスを寂しく思いながらも、気遣いが嬉しかった。


「……レイティスは、夢ってあるの?」

「夢、ですか?」

「うん、夢」


 アンレッティのたわいもない話につきあってくれるのか、丸椅子を寝台の横に移動させたレイティスは、優雅に腰掛けると首をひねった。


「そうですね……。兄のように尊敬できる主人に仕え、片翼となることが俺の夢です」

「じゃあ、その夢はもう叶ったのね!」


 自信満々に言うアンレッティに、レイティスはにっこりと微笑んで切り捨てた。


「尊敬できない主人は、お呼びではありません」

「ぐっ。レイティスひどい……っ」

「それで、あなたの夢はなんです?」


 アンレッティは、ぱちくりと瞬くと、ほんの少し睫を下げた。


「夢……いっぱいあるよ。毎日、お腹いっぱい食べることでしょ……それに、農園ももっと大きくして、スノーランが本宮殿にお世話にならなくてもいいくらい収穫するの。あと、離宮もキレイにして、お父様から玉座を奪うこともそうだし……あとあと、今はスノーランと二人きりだから、わいわいにぎやかな中で暮らして、みんな、笑顔で……」


 ――でも、本当は。


 手に持った木筒に、ぽたりと雫が落ちた。


「生きたい。死にたくないよっ」


 毎日、怖かった。

 眠ったら、もう起きられないんじゃないかって。

 ここまで生きられたのは本当に奇跡なのだ。

 だからこそ、いつ命が失われてもおかしくなかった。


「アンレッティ様……」

「ふつうの、生活がしたいよ。お兄様がいて、お父様がいて、お母様がいて……みんなで笑いあって、たまに、ふざけたり、喧嘩したりして……」


 涙腺が壊れてしまったように、とめどなく涙があふれてくる。


「知らないでしょ。離宮での生活がどんなだったか。死ぬのは流行病だけじゃない。それまで元気だったのに、次の日には体が冷たくなっているのよ。わたしは、姉様も幼い妹たちも見送ってきた。王女なのに、だれにも知られることなくお墓の下に眠るのよ。一人減って、二人減って、だんだん自分の番が近づいてきて、でも、まだ生きてて……」

「もう、黙って」


 肩を震わせ、静かに泣くアンレッティを見ていられなくなったのか、レイティスがそっと抱き寄せた。


「大丈夫。悪夢は終わりますよ。あなたが終わらせるのでしょ?」

「ぅん……、うんっ」

「吐き出したことは、すべて忘れてしまいなさい」


 木筒を取り上げたレイティスは、卓上に置くと、うつらうつらしているアンレッティを寝台の上に横たえた。


「果実酒は、いれるべきではなかったかな」


 薄い毛布を掛け、窓を閉めると、酒のせいもあって夢の中へと旅だったアンレッティの白い頬に指を走らせた。

 そして、睫にたまっていた雫をそっと拭う。


「俺は、あなたをなにも知らない……」


 少し腫れた瞼が痛々しい。

 興奮してほんのりと色づいた頬から、美しい白金の髪へと手を滑らせる。

 まるで、アンレッティの隠された闇を癒すように優しげに撫でた。


「俺は……」


 なにかを耐えるようにきつく目を瞑ったレイティスは、続く言葉を飲み込んだのだった。



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