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17.本心

 デールの屋敷から離れた場所に彼の馬車が隠されていた。御者も仮面をつけ、身分を隠している。グレンだろうかと思ったものの、背丈が違う。『夜梟』の協力者は彼以外にもいるのだろう。


 ヴィルエと『夜梟』を乗せて馬車が動き出す。こぢんまりとした馬車の中、ヴィルエの対面には『夜梟』がいるのだ。こんな状況、誰が想像していただろう。


 『夜梟』はというと、ヴィルエと顔を合わせたくないのか窓の方に視線を向けている。


(『夜梟』の正体を知られてはいけない。だから知ってしまった私を殺そうとしていたけれど……まさか、堂々と接するようになるなんて)


 今の彼から、明確な殺意は感じられない。だが仲良く言葉を交わし合うような仲でもないため、彼はヴィルエとの空間に気まずさを感じているのだろう。


「……私の家はわかっていますの?」


 無言を貫く彼に声をかける。息苦しく気まずいこの状況が緩和されればと思い、ヴィルエから会話を振ったのだ。『夜梟』はわずかに顔を動かし、こちらを見た。


「前に手当てをしてもらっただろう。あの屋敷まで送り届ける」

「ありがとうございます。あの後、怪我は良くなりましたか?」

「まあ、な」


 彼は短く答えたのみ。このまま会話が終わってしまう前にと、ヴィルエは告げる。


「あなたに助けていただきました。ありがとうございます」

「助けてはいないだろ。脱出を手伝っただけだ。だが、本当に一緒に来てよかったのか?」


 『ここから去るつもりなら手伝ってやる』そう言ったのは彼だというのに、何か迷いがあるのだろうか。理解できず、ヴィルエは首を傾げる。


「別に、構いませんけど?」

「……あの男に会う目的があったんだろ。お前は夫がいる身だと聞いた」


 この言葉でようやくヴィルエは質問の意味を理解した。

 つまり、『夜梟』はデールとヴィルエの関係を案じているのだ。『夜梟』のふりをしているからこその質問なのかもしれない。


(なるほど。つまり、私とデールの間にそういうことがあったかどうかを聞きたいのね)


 アクシオの不器用さに苦く笑いつつ、ヴィルエは素直に答える。


「安心してください。そういう関係ではありませんわ。ただの取引ですもの」


 『夜梟』がため息をついた。そこで彼なりに気持ちが変わったのか、座り直してヴィルエと正面から向き合う。


「薬を飲まされなかったのか?」

「まあ、心配してくださるの?」


 からかうように問い返せば、『夜梟』は返答に困った様子で黙りこんでしまった。その様子はアクシオの時と同じようなものだ。ヴィルエは口元に笑みを浮かべ、今度こそ彼の問いかけに答える。


「あの人が薬を盛るような下衆野郎とわかっていましたからね。その程度で私を落とせると思ったら大間違いよ」

「ふ……そうか」


 なぜか『夜梟』が笑っていた。仮面に隠されていない彼の口元が弧を描く。

 その様子に、ヴィルエの気が少しだけ緩んだ。


(安心したかのように笑うなんて。私がデールのところに行くのを心配していたのかしら。だから『夜梟』として来てくれたの?)


 ヴィルエが屋敷を出る前の、アクシオとの会話では『今なら引き返せる』と話していた。彼が今夜出かける予定はなかったはずだ。

 だから今宵の『夜梟』は――ヴィルエのために現れている。


 本当は違うのかもしれない。別の目的があったついでかもしれない。

 それでも自分のために来てくれたのだと思うと嬉しくなる。


「……ありがとう」

「さっきも聞いたぞ」

「改めて言いたくなったの。あなたが来てくれなかったら、私はデールの屋敷から出られなかったかもしれない」


 窓から飛び降りるなどをしてでも脱しただろうが、傷も汚れもなく脱出できたのは『夜梟』のおかげだ。

 ヴィルエは心のままにお礼を告げただけだが、『夜梟』が首を傾げていた。


「俺は『夜梟』だぞ。そんなやつに礼を言うなんてどうかしてる」

「でも助けてくれたことは事実だわ。あなたが誰であれ、私は助けてくれたあなたにお礼を言いたいと思ったの」


 恐ろしい暗殺者であるならば、今頃ヴィルエは生きてはいない。だから今は、『夜梟』に対する恐怖心がない。


 今回『夜梟』に助けられてわかったのは、彼が並の人間よりも優れた運動神経を持っていることだ。

 デールの部屋は二階にあったが、『夜梟』は驚くほどあっさりと二階の彼の部屋に侵入していた。柱を掴んでひょいと登ってしまう。それだけでなく、窓だって簡単に開けてしまった。


「でも不思議だわ。あなたって、音を消して忍び込めるのね。私を抱えた二階から降りるだなんて驚いたわ」

「誰だって出来る」

「その理論だと私もできることになってしまいますわね。先に仰っておきますが無理ですよ」

「そうだな。お前には無理だ。あんなに軽いなら抱えられている方が似合う」


 そこまで軽くはないと思っているのだが、こうもはっきり告げられると面映ゆい。照れてしまいそうになるのを堪えるべくヴィルエは咳払いをする。


「私も鍛えなければなりませんね。あなたがいなくても脱出できるように」


 軽い気持ちで告げたものであったが、『夜梟』の口元が強ばっていた。気まずそうに視線を外し、彼が言う。


「俺はそういう訓練を受けてきただけだ。お前がそれを受ける必要はない」

「それは暗殺者としての訓練、です?」

「……そうだな。他人のテリトリーに忍び込む術、音を消す術、人を殺す術。ずっと、そういう育ち方をしてきた」


 ヴィルエは息を呑んでいた。彼がそのように自分のことを語ると思っていなかったのだ。

 『夜梟』としての顔と、善良な領主であるアクシオの顔。その二つを持つ彼が、そのような過去を背負っていたなど思ってもいなかった。


「人として扱われることはない。痛みも苦しみも喜びも感じてはいけない。暗殺者という道具になる、そのための訓練だ」

「痛みも……」


 痛みと聞き、思い浮かんだのが怪我を隠そうとするアクシオのことであった。これまでに二度、怪我を隠すアクシオを見ている。グレンさえ言わなかったのだ。

 もしかすると彼が怪我をしても隠そうとしているのはこれが原因だろうか。


「怪我をしては暗殺者失格……そんな教えです?」

「ああ。怪我は弱点となる。だから人に知られてはいけない」


 頑なに怪我を隠していたことに合点がいく。アクシオの時も『夜梟』の時も、彼はそれに従い、怪我をしても痛みを表に出さず、隠し続けていたのだ。


(痛がってはいけないなんて、絶対に守らないといけないことなのかしら)


 暗殺者としての教えが、彼を縛り付けている。彼の周囲に見えない鎖があるかのようだ。

 絶句しているヴィルエに気づいたのか、『夜梟』が自嘲するように言った。


「そんなのおかしい、なんて思っているのか? 可哀想だ、ひどい、そんな風に俺を哀れんでいるのか?」


 痛みも苦しみも喜びも封じて人を殺すための道具として生きる。それが良いのか悪いのか――正直なところ、ヴィルエにはわからない。


「おかしいだなんて、まったく思っていませんわ」


 似ていると感じた。目的のために諦めて生きる。それは今のヴィルエとも似ている。彼は暗殺者だが、ヴィルエはオルナとセラティスを影から支援すると決め、『国王の耳』として国のために尽くしているのだ。


 だからヴィルエはその通りに告げた。どう生きるのが正解かなんて、他人が決めることではない。自分の価値観をベースにして哀れんではいけない。

 ここで語るべきは違う答えだったのかもしれない。彼が求めている答えを探り、それを口にするのが正解だろう。だが、頭がうまく回らない。ヴィルエは抱いた感情のまま、唇を動かす。


「目的があるからそうしている。そのようにしてでも暗殺者として生きる理由があるのならそれが正解でしょう?」


 その返答に『夜梟』は驚いた様子でこちらをじっと見つめていた。


「あなたの生き方を哀れむつもりはないわ。あなたが生き方を変えたいと願うのならその通りに、これでよいと思っているのならそうすればいい」


 ヴィルエだってそうだ。オルナとセラティスなんてどうでもいい、自分のために生きると考えれば、いつだってそのように出来る。だが、ヴィルエ自身がこの道を望んで生きている。そのためになら自分の身を削っても構わない。二人を支えるために喜んで暗躍の道を行こう。それほどに強い思いがあるのだから。


 彼もそうなのだろうか。ヴィルエは『夜梟』をまっすぐに見つめて問う。


「あなただって、そうしたいと思うほどの理由があるのでしょう? それとも私に、自分に優しく生きろと言って欲しいのかしら」

「……理由、か」


 『夜梟』はそう呟き、何かを考えるように俯いていた。


「……そうだな。お前の言う通り、暗殺者として生きる理由がある。止めて欲しいとは思っていない」

「ええ。ならば堂々としていて良いと思います。憐れむ人がいたとしても放っておけばいいのです」


 『夜宴の黒花』として過ごしていれば、ヴィルエのやり方を悪く言う者もいる。他の令嬢と比較をしては、慎みがないだの淑やかでいろだのと勝手なことを述べてくる。それでもヴィルエは自分を貫いた。これが、自分のやり方だと思っているからだ。


(ああ、だから私は最近のアクシオ様と過ごすのを苦と思っていないのかもしれない。今だって気が楽だもの)


 彼も裏の顔を持ち、一つの目的のために身を削っている。その意味ではヴィルエとアクシオは似ている。だから、彼が隠している裏の顔を知ってからというもの、彼と過ごすことをいやだと感じていないのだ。


(変ね。冷静になるべきだとわかっているのに熱く語ってしまった)


 自らの言動を振り返れば恥ずかしくなる。ヴィルエにしては珍しい行動である。皮肉もからかいもなく、正直に自分の考えを伝えていたのだ。人を翻弄し操る『夜宴の黒花』としては相応しくない。


 わかっているのだが、うまくできない。頭が回らない。


(視界が揺れている。おかしいわね……なんだか……)


 頭だけではない。体も重たく、馬車の揺れが気持ち悪い。どうしたものかと考えていれば、ヴィルエの体調など知らぬかのように『夜梟』が顔をあげた。


「お前が、そのように生きる理由は何だ? さっき『あなただって、そうしたいと思うほどの理由がある』と話していただろ。お前にも、このように生きる理由があるのか?」


 彼が何かを話している。この問いかけに対し、正直に答えてはいけない。躱さなければならないとわかっているのだが、うまく考えられない。


「私は……」


 言いかけたところで体がぐらりと傾いた。瞬間、『夜梟』が驚いたようにこちらに手を差し伸べる。


「おい、どうした」

「別に……何でも……」

「何かされたのか!? 変なものを飲まされたとか――」


 答えなければ。気持ちは急くのに、体が追いつかない。そのうちに視界がふっと暗くなった。


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