第十八話 夢
黒い世界。
情報がただ流れている奇妙な世界。
そこにまた、俺は漂っていた。
前にも見た夢だ。
ここは居心地は悪くない。ただ、吐き気を催すような量の情報の波さえ無ければだ。
俺は実体のない脳で思考する。
この夢は一体なんなのだろう?
夢と認識できている以上、明晰夢なのは間違いない。であれば、ある程度景色や現象も自分の意志で干渉できるはずだがそれはできない。
『そりゃそうだ、ここは君の夢じゃないんだから』
誰か、若い男の声がした。
誰だろう、と意識を声の方向へと向けると、そこには人型の黒い靄のようなものが立っていた。前にもここに人影がいたような気がする。それだろうか?
『いいや、彼女はあっちにいる』
靄は情報の波の一端を指差すような動作をした。その方向には確かに、こちらに背を向けている立っている何かがいた。
『 ど ?』
何かを発声したようだが聞き取れない。
いや、聞きたくない。
聞いたらまずい気がする。
『あぁ、君にはまだ彼女の言葉は聞き取れないだろうね。僕の姿もまだ朧気にしか見えていないだろう?』
随分鮮明な夢だな、と思った。
『夢じゃないんだけどなあ……ま、いずれ分かるよ。最終階層……106階層で待っている。そこまでには僕の姿ぐらいは見えるようになっていると良いね、断片の卵くん』
黒い靄はそう言うとバイバイ、と俺に手を振った。
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「……ッ、今のは!?」
目が覚めると、先程までのボス部屋の光景が目に入る。充満していたはずのゴブリンの血の匂いは無くなっていた。地面の抉れも無くなっている。
「……え、ボス倒したの夢オチ?」
「なわけないでしょ」
思わず唖然としてしまうが、すぐ下から突っ込みを入れられる。はて、と下を見ると俺に抱っこされたニナがこちらを不服そうに見上げていた。
「ダンジョンには自動修復機能があるから。それで異物や損傷は基本的に勝手に無くなるの。ダンジョンにとっての魔力補給もかねてるわけだね」
「あー、そうなのか。というか起きてたんだな」
「2時間ぐらい前に起きたよ」
「マジ? 俺そんなに寝てた?」
「寝てた。領域干渉限界もゼロまで戻るぐらい寝てた。あぁ、あとね、レベルも5ぐらい上がってたよ」
かなり驚く。確か20万以上あった気がしたのだが、それがゼロまで戻るとは相当爆睡してしまったようだ。8時間以上寝ていたということでは無いだろうか。
レベルが5上がったというのも良いことだ。さらっと確認したがスキルレベルは流石に変化が無い。残念。
「まあ、アレからボスが出現する気配はないかな。次の階層への扉も開いたよ」
ニナが身をよじって後ろを指差す。自分たちがもたれかかっている壁のすぐ横に、今までは気づかなかった大穴が開いていた。穴の脇には青く輝く鉱石が埋め込まれている。
「……ところで、ニナ?」
「ん? なに?」
「……なんで俺に抱っこされたままなの?」
「そんなの決まってるでしょ。私がくっついてないとユキトの怪我治らないじゃない」
身もふたもない。確かにありがたいんだけど俺が欲しい反応はそういうものじゃない。
「あー、ここは『ユキトに抱っこされると安心するから……何言わせんのよ!』みたいな返しが欲しかったなぁ!」
「……安心はしたよ? じゃなかったら手をつないでるだけで回復できるでしょ……」
「はぁうっ!」
ニナは少しはにかみながら俺を上目使いで見る。反則だ。気のないフリをしてからのデレである。
「これが、これがクーデレなのか、山田ァ!」
「山田?」
『いや、それはただの無自覚幼女ですな、デレとかそういうものではなさそうですぞ……でも爆発しろ! 羨ましいですぞォ! ロリコンの風上にもおけませんぞぉ!』と、天国の山田の声が聞こえた気がした。いや、そもそも山田は死んでいない。というか俺はロリコンじゃない。
「ユキト、ロリコンってなに?」
「待って、思考読まないで。念話スキル使わないで。ロリコンについては知らなくて良い。変な単語は覚えちゃ駄目だ。あと、俺の意識の中にいたデブのことは気にするな。絶対会ってもついていっちゃ駄目だぞ」
『酷すぎますぞォ白井殿ォ!』と俺の妄想の中の山田が絶叫する。やめろ、去れ。
「あのぽっちゃりさんはたまにユキトの夢の中に出てくるから知ってるけど。友達でしょ?」
「なんで俺の夢見てんのォ!?」
「共鳴の影響でたまに夢が繋がったりするみたいだよ。何回かあった」
「そういややたら森を駆け回る夢とか結構見たな……そういうことか」
森を駆け回る記憶なんて俺には無い。あれはニナが見ていた夢なのだろう。夢の中で延々とひときわ高い木を眺め続ける夢だった。
「うん。異世界ってあんな感じなんだなーって見れて楽しかった。街に変な絵がたくさん貼ってあるんだね」
「待って? それアキバだよね? 俺そんなにアキバの夢ばっかり見てるの?」
そこで気がついた。もしかしたら、ニナなら先程の黒い世界の夢についても分かるのでは無いだろうか。
「黒い世界? ううん、それは知らないかな……」
と思ったら、駄目だった。まあしょうがないだろう。毎回毎回夢を共有しているわけでもないのだろうし。
「まあ、ならいいや。とりあえず飯食おうぜ。腹減った」
というわけで、魔袋から食料を出してもらって適当にパンを齧りながら情報交換続行。ニナは俺の傷が治っていることを確認するとさっさと離れた。切ない。お兄ちゃんは悲しい。
「しかし、なんで突然ボスが出たんだろうな。今まで出たこと無かったんだろ?」
ニナは口に含んでいたパンを飲み込んでから、魔袋から地図兼攻略本を取り出した。
「うん、予想でしか無いんだけどね。次の階層に続く入り口のところに青く光ってる石があるでしょ? あれ、コラムには何の反応も示さない透明な鉱石って書いてあるの」
青く光っている石自体は俺がこの部屋に入ったときにも反応していたはずだ。
「でね、ちょっと見てて」
ニナは立ち上がると青い石に近づいていく。青い石は特に反応を示すこともなくただ光り続けていた。
「で、次にユキト、こっちに来て」
なんだろう、と思いつつもニナのそば、青い石の近くに寄る。すると、青い石の輝きが増した。
「……俺に反応してる?」
「戦闘中もユキトが近づくたびにチカチカしてたの。多分だけど、ユキトが入ってこの石が反応したからボスが出現したんじゃないかな。この扉も普段は開きっぱなしらしいし」
「俺に反応……」
どういうことだろうか。俺が残滓だから、それとも異世界から来ているからか?
「実際のところは分からないけど……そもそも私たちは魔獣だったから反応しなかったんじゃないかな。ユキトは人間でしょ?」
「あー、そういうこと、なのか? 確かにそうだな……」
確かにそういうことなら納得もいく。人間を外に出さないためのシステムなのだろう。
「それで、次の階層の話なんだけど」
「おう、どんな感じなんだ?」
「『第102階層:毒蟲の巣』……だって」
「うっわ、行きたくねえ……」
響きが最悪である。毒蟲の巣って。
ただ、行かないとどうにもならないのでとりあえずコラムに目を通す。
『毒蟲の巣は虫型の魔獣と植物によって構成されている。蟲達は一種の生態系を築いており、互いに食い合うことでその毒は年々強力になっている。エリア終盤に至ると即死するような毒を持つものもいるため注意すること。一時期薄めて飲んで刺激を楽しむ遊びが流行った。101階層同様最後に大部屋があるが何も存在しない』
本当にあの村人達は暇だったらしい。なんなんだ、即死する毒を飲んで刺激を楽しむって。
「よく見たら荷物の中に毒消しのポーションがあるね」
と、ニナが魔袋からポーションの瓶を取り出す。
「あれ、まだある……」
そう言って不思議そうに次々取り出し続け、最終的には俺たちの前に数百本のポーションが並んだ。
「めちゃくちゃいっぱいあるな……」
「……いやな予感がするね」
「……あぁ」
ちなみに、いやな予感はこういう時はだいたい当たる。