4-10 取引
「なんと、無メイの乖離がこちらに!?」
グリースレリア軍の本陣、作戦の進行を管理していた作戦参謀のヴェイグにも、
リングルスに降り注ぐ光の奔流は確認できており。
彼がこの地に現れたのは気がついていたが。
その彼が一度戦場から離れ、本陣までやってきていると衛兵から知らせを受けてヴェイグは再び驚く。
「はい、ヴェイグ作戦参謀との面会を希望されております」
「私に? あの方はいまどちらに?」
「本陣前にて、お待ちです」
「本陣前!? お通ししなかったのか!?」
「い、いいえ! ご案内しようとしたのですが、急ぎの用がある、と」
温厚なヴェイグの珍しい剣幕にたじろぎながらも状況を説明する衛兵。
今は作戦参謀と言う地位にこそあるが、その心は今でもおもてなし部隊の団長のつもりだ。
その対象である彼を待たせるわけにはいかないと駆け足で本陣前へと向かい。
門の前に立つ彼へ頭を下げ。
「お待たせいたしました! この度のご助力、感謝いたします。おかげさまで―」
リングルスの奪還は可能だと、感謝の気持ちを述べようとするのを名無しの少年は制し。
「―取引をしたい」
「取引、ですか?」
前口上を聞いている暇もない。
名無しの少年はヴェイグの言葉を遮って、すぐに本題を持ち出す。
「アズキがこのリングルスに来ている。探してもらいたい」
「アズキ殿が?
わかりました、ではグリースレリア軍の部隊を動かしましょう」
いまならばダルマック軍は浮き足立っている、諜報の得意な兵士をつかって探らせれば、2時間もあればアズキの所在は掴めるだろう。
だがそうではないと名無しの少年は首を横に振って。
「リンクスの建国者、英雄ハンクスは尋常ならざる情報収集能力を持っていたと聞く。
戦場のあらゆる情報を知り、その一人一人の心までも見透かし、あらゆる戦いを勝利に導いたと。
その血に受け継がれた、”天の滴”の力を借りたい」
天の滴、名無しの少年を唯一無二の最強の化け物へと変えた恐るべき力。
それはこの世に一つではない。
歴史を動かした偉人のほとんどがその力を授かった者だと言われており。
リンクス連邦を建国したハンクスも例外ではない。
そして彼の子孫の一人にはこの力が継承されており。
それが、名無しの少年の目の前にいる男の事でもある。
「・・・ご存知でしたか」
「詳細な能力は知らない。
だが、俺とアズキを探す能力があるはずだ」
これまで尽く2人を見つけてきたヴェイグの能力。
それを使って、アズキがいま居る場所を知りたいと、名無しの少年は頼む。
「隠し立てしていた事は謝罪いたします」
「可能なのか?」
「はい、二度の遺伝で受け継いだ能力は劣化しておりますが。
半径100Km以内の生体反応は全て感知可能です。
”アズキ殿の天の滴”の反応を探してみせましょう」
天の滴を継承する者だけは、生体反応が強く感じられるという。
その対象は名無しの少年はもちろん、動物を自在に操る能力を持つアズキからもその反応がある。
ならばと名無しの少年は。
「そちらの要請を一つ叶える。
その対価として、貴方の能力を借りたい」
「それが取引ですか」
ヴェイグが知っている限り、名無しの少年から誰かに取引を持ちかけた記録はほとんどない。
それを、たった一人の少女のために行う。
彼にとってアズキという少女がどれほどの存在なのかをヴェイグは改めて感じ。
静かに瞳を閉じ、体の内に宿る天の滴の力を解放する。
「―サーチ」
その言葉を呟けば、ヴェイグの脳内に効果範囲半径100Km内の生体情報が送り込まれる。
人だけでなく小動物に至るまで、その気になれば羽虫すらも捉えれるが、今は必要がない。
検索情報を人に固定、生体反応の中でも特殊な波長にフィルターをかけ、見つけたのは2つ。
ひとつはとても膨大な、天の滴を直接体内に宿す名無しの少年の反応。
そしてもうひとつ、何度も遺伝したせいかかなり小さくなっているが、天の滴を持つ者だけが放つ反応。
「リングルス中央のコルキス城、その最上階。
アズキ殿はそちらにいらっしゃいますね。
・・・側に2人の生体反応。
1つはアズキ殿と戦っています。
これは、ダルマック将軍でしょうか」
「わかった、助かる」
居場所はわかった、そして急がねばならない事も。
名無しの少年は急ぎ向かおうとしてから、振り返り。
「要請は後で聞く」
「はい、今はお急ぎ下さい」
「・・・至・無神」
ヴェイグの返答を聞くやいなや、名無しの少年は隻腕の獣へと姿を変え。
グリースレリアからここまでわずか3時間でやってきた走力で、コルキス城へと向かって行く。
それを見送りながらヴェイグはぽそりと。
「やれやれ、これまでの貴方の成果を考えれば、取引を持ちかける必要などないでしょうに」
ロックラウンドでの戦闘仲裁にランジベルの救済。
そして先ほどの街門の敵を薙ぎ払う支援と、どれもひとつだけで莫大な恩賞に値する。
それを恩に着せればいいのに、わざわざ新しい取引を持ちかけてくるのだから。
「欲が無さ過ぎて、取引に向いていない方だ」
それがあの方らしいのだがと、自然と笑みが浮かんでくる。
そんな彼だからこそ、しっかり者のアズキと惹かれあったのかもしれない。
ならば、ヴェイグはそれに協力を惜しまない。
とはいえ自分にはグリースレリア軍の参謀という仕事がある、戦場全体を把握して戦力を動かす大事な役目だ。
彼にばかりかまけてはいられないが、なんとかサポートしたい。
どうするかと思案するヴェイグの下に、先ほどとは違う伝令がやってきて。
「作戦参謀。ランジベルより増援が到着いたしました」
「ランジベルから? 随分早すぎるが」
ランジベルと言えば、土砂災害で被害を被った街だ。
あそこから馬車でグリースレリアまで到着するのに、ゆっくりとはいえ一週間近くかかった。
リングルス占拠の伝令ですらまだランジベルに到着していないだろうに、どうしてと疑問に思うヴェイグ。
「それが、無メイの乖離がランジベルを発ってから追いかけてきた部隊だそうでして。
指揮官は、ローレンス・ミックホルンと名乗っております。
今回のリングルス解放戦線に、是非加えてほしい、と」
「ほう・・・、ローレンス殿が・・・」
これはいい、ヴェイグの脳裏に妙案が浮かんだ。
「ランジベルの部隊に、動いてもらうとしようか」




