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NEURON STAR  作者: リンダ


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33/50

過去の攻撃者たち

第35話 過去の攻撃者たち


 ノクスの傷は、ただの損傷ではなかった。


 過去にいくつもの文明が残した、失敗の跡であり、同時に、まだ誰も読み切れていない巨大な記録でもあった。


 地球とセラトが共同で観測精度を上げるにつれ、ノクス表面の構造は、これまで考えられていた以上に複雑であることが分かり始める。


 共有外層は、一枚の均質な殻ではない。


 複数の巨大領域が互いに押し合い、沈み込み、滑り、再結合しながら、内部核を包み込んでいた。


 その境界には、地球のプレート境界を思わせる、幅数百キロメートルから数千キロメートルに及ぶ深い溝が走っていた。


 人類の科学者たちは、その構造を見た瞬間、同じ言葉を思い浮かべた。


 海溝。


     ◇


 2252年10月12日。


 月面軌道のノクス統合観測センターでは、最新の重力断層画像が巨大スクリーンへ投影されていた。


 ノクス表面を横切る暗い帯。


 その幅は場所によって異なる。


 浅いところでも三百キロメートル。


 深い場所では、共有外層の下部まで達している。


 帯の両側では、格子構造の向きが異なり、磁場の流れも反対方向へねじれていた。


「一つの殻じゃない」


 恒星物理学者のエリオット・グレイが呟いた。


 軌道力学主任のサムエル・オルテガが画像を拡大する。


「少なくとも十八の主要領域に分かれています。小規模なものを含めれば、百以上です」


「本当にプレートみたい」


 病室から参加していたミラ・セデックが言った。


 術後の体調はまだ安定していない。胸部と腹部では、三つの循環節がそれぞれ異なる間隔で動いている。


 第三循環節は、ミラの呼吸や感情の変化に応じて拍動を変えることが増えていた。


「地球のプレートとは違います」


 エリオットが念を押す。


「岩石圏の沈み込みではない。ノクスの場合は、磁気格子と高密度物質の層が、内部核の運動によって移動しています」


「でも、境界でエネルギーがたまる」


「はい」


「それが一気に解放されたら?」


     ◇


 会議室が静まる。


 ノクスの外層境界では、巨大な磁気応力が蓄積されていた。


 地球のプレート境界に力がたまり、地震が起きるように。


 ただし、その規模は比較にならない。


 境界が動けば、磁場。


 重力分布。


 内部核の軌道。


 共有外層の形状。


 すべてが連動して変化する可能性がある。


 そして、その境界のいくつかは、過去の文明が残した傷跡と重なっていた。


     ◇


 ミラーから、セラト文明の観測結果が届く。


過去の攻撃痕は、境界線へ集中しています


 オーブが地球側データと照合する。


一致率は八十一・四パーセントです


 レア・モーガンが尋ねた。


「過去の文明も、この境界を狙った?」


 オーブ。


その可能性が高いです


「では、なぜ失敗したの」


     ◇


 答えは、傷跡の分布にあった。


 過去の文明は、境界を狙っていた。


 だが、同時ではない。


 一つずつ。


 あるいは数か所ずつ。


 異なる時代。


 異なる位置。


 異なる方法で攻撃している。


 その結果、局所的な損傷は与えられた。


 共有外層の一部は崩れ、内部核の位置もわずかに変化した。


 だが、ノクス全体は生き残った。


 むしろ、外層は傷を回避するように再編成され、格子構造を組み替えていた。


     ◇


「一か所を壊しても」


 ミラが言った。


「別の領域が支える」


 エリオットがうなずく。


「構造的な冗長性があります。傷ついた部分を切り離し、周囲が負荷を引き受ける」


「生物みたい」


「機械にも似ています」


「どっちでもいい」


 ミラは画面を見つめたまま続けた。


「一か所ずつじゃ駄目なら、一斉にやったらどうなるんですか」


     ◇


 誰もすぐには答えなかった。


 共有外層を分ける主要境界。


 少なくとも十八本。


 その全てへ、ほぼ同時に高エネルギーを加える。


 ノクスが一つの損傷へ対応する前に。


 外層全体の結合を崩す。


     ◇


 安全保障代表が立ち上がった。


「シミュレーションすべきです」


 エリオットは厳しい表情を崩さない。


「結果によっては、内部核が七方向以上へ飛び散ります」


「完全に破壊できる可能性もある」


「破片が恒星系へ向かう可能性もあります」


「計算するだけです」


 ミラが言った。


「方法を知ることと、実行することは違います」


     ◇


 地球とセラトは、共同計算を開始した。


 使用されたのは、オーロラ。


 オーブ。


 リュール。


 アトラス。


 ミラー共同意思主体。


 そして、双方が保有する分散演算網。


 計算対象は、ノクス全体。


 主要境界十八本。


 内部核、推定七から十二。


 共有外層。


 磁気ジェット。


 降着流。


 過去の傷跡。


 外部刺激への反応。


 考えられる全ての条件を組み込む。


     ◇


 第一シミュレーション。


 境界十八本へ、同時に核融合爆発相当のエネルギーを加える。


 結果。


 外層の一部崩壊。


 内部核分離。


 破片数。


 二百八十四。


 太陽系方向へ向かう高密度破片。


 最大三十七。


 失敗。


     ◇


 第二シミュレーション。


 反物質爆発。


 エネルギー量を第一案の百倍へ。


 結果。


 共有外層は大きく崩壊。


 しかし、内部核は破壊されず。


 七つの主要核が別々の軌道へ。


 そのうち二つが太陽系へ接近。


 一つがセラト系へ。


 失敗。


     ◇


 第三シミュレーション。


 境界へ直接爆発を与えるのではなく、深部へ質量投射体を打ち込み、内部応力を同時に解放する。


 結果。


 外層分裂。


 内部核の一部衝突。


 巨大なエネルギー放出。


 ノクスの速度低下。


 だが、残存核が再結合。


 百数十年後に新しい複合天体を形成。


 失敗。


     ◇


 計算は続いた。


 七十九案。


 二百十四案。


 八百六十案。


 どれも、ノクスを完全には破壊できない。


 外層を壊せば、内部核が残る。


 内部核を分離させれば、危険が増える。


 一部を蒸発させても、質量と運動量は消えない。


 ノクスは、壊すほど厄介な形へ変わっていく。


     ◇


 安全保障代表の顔から、次第に勢いが消えていった。


「やはり不可能か」


 オーロラ。


現行の攻撃概念では


はい


「現行の?」


     ◇


 オーロラは、境界構造の別の特徴を示した。


 主要境界十八本は、同じ深さではない。


 そのうち三本だけが、共有外層を完全に貫き、内部核群の運動空間へ達している。


 さらに、その三本は、ノクスの回転軸を中心に、ほぼ百二十度ずつ離れている。


     ◇


 ミラが画面へ身を乗り出す。


「三本が、外層全体の結合を支えてる?」


 オーブ。


可能性があります


 ミラー。


セラト側の過去観測でも、三境界の磁場変化が全体構造へ強く影響しています


     ◇


 三つの深部境界。


 人類側の暫定名称。


 アルファ海溝。


 ベータ海溝。


 ガンマ海溝。


     ◇


 それぞれは、ノクス表面を数百万キロメートルにわたって横切っている。


 通常の境界は、外層領域同士の接触面。


 だが、この三本だけは、内部核群の重力と磁場を外層へ伝える巨大な結合軸だった。


 外層を支える継ぎ目。


 内部核の運動を全体へ伝える関節。


 もし三本を同時に切断すれば。


     ◇


 新しいシミュレーションが始まった。


 爆発ではない。


 切断。


 境界そのものへ、逆向きの磁場を作る。


 アルファ。


 ベータ。


 ガンマ。


 ほぼ同時。


 位相差。


 〇・〇〇〇一秒以内。


     ◇


 第一計算結果。


 共有外層の結合。


 急速低下。


 内部核群。


 重力共鳴を失う。


 外層は爆発的に飛散せず、複数の薄い層へ剥離。


 内部核同士の軌道。


 不安定化。


     ◇


 そして。


 核同士が互いに衝突する。


     ◇


 エリオットが息を呑む。


「内部で崩壊する」


 オーロラ。


はい


     ◇


 ノクスを外から吹き飛ばすのではない。


 全体を支える結合を切り。


 内部核自身の運動エネルギーによって崩壊させる。


     ◇


 その瞬間。


 ノクスの内部では、七つ以上の高密度核が複雑な軌道で動いている。


 結合軸が失われれば。


 軌道補正が働かない。


 核同士が接近。


 衝突。


 合体。


 あるいは破砕。


     ◇


「完全に消えるの?」


 ミラが尋ねる。


 オーブ。


消滅はしません


「なら、破片が残る」


はい


     ◇


 ただし、従来案とは違う。


 外側へ爆発的に飛び散るのではなく、内部へ崩れ込む。


 主要核が互いに衝突し、高密度物質がさらに圧縮される。


 その一部が。


 小型ブラックホールへ移行する可能性。


     ◇


 会議室が静まり返る。


「ブラックホール?」


 ヴィクターが言った。


 エリオット。


「質量が十分なら」


「ノクス全部が?」


「いいえ。内部核の一部です」


     ◇


 形成されるブラックホールの推定質量。


 太陽の〇・二倍から〇・五倍。


 周囲の外層と破片を取り込む。


 ただし。


 ノクス全体よりはるかに小さな重力源になる。


 進路も変わる。


 降着によるエネルギー放出。


 巨大。


     ◇


「それは安全なの?」


 ミラ。


 オーロラ。


安全ではありません


     ◇


 ブラックホール形成時。


 強いガンマ線。


 重力波。


 高エネルギー粒子。


 物質噴出。


 周辺空間へ壊滅的影響。


 太陽系近傍で起きれば、人類は生き残れない。


     ◇


「では、遠くでやる必要がある」


 サムエル。


「どれくらい」


「少なくとも、現在のノクス位置よりさらに遠方。太陽系とセラト系の双方から、数十光年以上離れた場所」


     ◇


 時間。


 距離。


 装置。


 すべてが問題になる。


 ノクスへ先回りし。


 三つの深部境界へ。


 精密な磁場反転装置を設置。


 〇・〇〇〇一秒以内で起動する。


     ◇


 必要装置数。


 最低三十六。


 一境界につき十二。


 境界は移動している。


 表面格子も変形する。


 ノクスの磁場は、人類とセラトの装置を破壊する可能性がある。


     ◇


 成功確率。


 初期試算。


 〇・八パーセント。


     ◇


「低い」


 エレナが言った。


 オーロラ。


しかし、ゼロではありません


     ◇


 わずかな希望。


 それまでの完全破壊案は、実質ゼロ。


 初めて、ノクスを単一の危険天体として終わらせる可能性が示された。


     ◇


 だが。


 成功したとしても。


 ブラックホール。


 高エネルギー放射。


 残存破片。


 それらの進路を制御しなければならない。


     ◇


 第二段階。


 崩壊後の残存重力源を、星の少ない方向へ誘導する。


 N7が示した第三方向。


 銀河面から離れた暗い領域。


 もしあの方向が、ノクス自身の望む進路だとすれば。


 崩壊を伴わない別の方法がある可能性も残る。


     ◇


 ミラは言った。


「破壊案と、対話案を同時に進めるべきです」


 安全保障代表が反発する。


「破壊できる可能性が出た」


「〇・八パーセントです」


「それでも、初めての数字だ」


「だからって、ノクスが知性を持っている可能性を無視できません」


「地球とセラトが滅びるかもしれない」


「分かってます」


     ◇


 ミラは胸元を押さえた。


 第三循環節が、早い拍動を返す。


「でも、知性かもしれないものを、話せる可能性を試さず壊すなら、それは防衛じゃなくて先制攻撃です」


     ◇


 ミラーも同じ見解を示した。


破壊可能性の研究へ同意します


即時実行には同意しません


     ◇


 地球側安全保障代表。


「セラトが反対したら、実行しないのか」


 エレナ。


「協定では、ノクスへの大規模刺激は共同評価すると決めました」


「人類の生存より協定を優先する?」


「協定を破れば、セラト側が独自の操作を始める可能性があります」


     ◇


 互いに勝手な攻撃をすれば。


 ノクスの挙動はさらに予測不能になる。


 協力は倫理だけではない。


 生存のための現実的な条件でもあった。


     ◇


 PROJECT SHATTERは、三つの研究部門へ分かれた。


 第一部門。


 深部境界切断。


 第二部門。


 内部核崩壊後の影響制御。


 第三部門。


 過去文明の失敗解析。


     ◇


 第三部門では。


 ノクスが過去に通過した恒星系の調査が進んだ。


 一つではない。


 少なくとも六つ。


 それぞれ異なる時代。


 異なる文明。


 同じような合金。


 格子構造。


 巨大攻撃装置。


     ◇


 第一文明。


 約百二十万年前。


 恒星系全体の資源を使い、三本の巨大質量投射器を建造。


 ノクスの境界を狙う。


 攻撃時刻。


 三か所で約十七秒のずれ。


 失敗。


     ◇


 第二文明。


 約九十万年前。


 高エネルギーレーザー。


 境界を広範囲に加熱。


 ノクス外層の一部融解。


 内部核配置。


 ほぼ変化なし。


 失敗。


     ◇


 第三文明。


 約七十四万年前。


 人工重力場で境界の一部を引き裂く。


 アルファ海溝に相当する領域へ大きな傷。


 他の二境界は未攻撃。


 ノクスは進路変更。


 文明の恒星系から遠ざかる。


 だが、その文明の外側惑星は磁気嵐で壊滅。


     ◇


 第四文明。


 約四十一万年前。


 複数の無人機を外層内部へ侵入。


 深部境界の同時切断を試みた可能性。


 起動同期誤差。


 〇・〇二秒。


 不十分。


 外層分裂。


 内部核再結合。


 失敗。


     ◇


「惜しかった」


 ミラが呟いた。


 〇・〇二秒。


 現在の推定必要値。


 〇・〇〇〇一秒以内。


 過去の文明は、ほとんど正しい方法へ到達していた。


 だが。


 同期できなかった。


     ◇


 その文明の装置残骸には。


 巨大な時間補正機構があった。


 光速遅延。


 重力場の揺らぎ。


 磁気乱流。


 ノクス表面の移動。


 それらを補正し、三境界へ同時に作用させようとしていた。


     ◇


「この技術を復元できれば」


 ヴィクターが言う。


「成功率は上がる」


 オーブ。


残骸データだけでは不十分です


     ◇


 第四文明の装置は、完全には残っていない。


 だが。


 三十二年周期で信号を出している装置が。


 この文明のものと一致する可能性が高まった。


     ◇


「開く」


 ミラが言った。


「彼らは、境界を開こうとしてた?」


 オーブ。


可能性があります


     ◇


 あるいは。


 後の文明へ。


 装置を開け。


 記録を読め。


 という警告なのかもしれない。


     ◇


 第五文明。


 約二十万年前。


 ノクスへ攻撃せず。


 恒星系全体の避難を試みる。


 巨大方舟。


 外縁への移住。


 文明の一部が生存した可能性。


 ただし、現在地不明。


     ◇


 第六文明。


 約六万年前。


 ノクスへ能動信号を送信。


 攻撃痕なし。


 ノクス進路。


 わずかに変化。


 文明の恒星系を外れる。


     ◇


 会議室の空気が変わる。


「信号だけで?」


 レア。


 エリオット。


「因果関係は確定していません」


「でも、攻撃しなかった文明だけが、生き残った可能性がある」


     ◇


 第六文明の痕跡。


 恒星系は大きく損傷していない。


 惑星も残っている。


 都市構造らしきもの。


 現在は見つからない。


 文明が移住したのか。


 滅びたのか。


 技術形態が変わったのか。


 不明。


     ◇


 彼らが送った信号を復元する。


 ノクス磁気波。


 N7格子。


 ミラーの擬態信号。


 そして、第三方向の波。


 共通する数学。


     ◇


 ミラ。


「話しかけて、道を示した?」


     ◇


 オーブ。


可能性があります


     ◇


 破壊できるかもしれない。


 対話できるかもしれない。


 どちらも確率は低い。


 だが。


 過去の痕跡は、二つの道が存在したことを示していた。


     ◇


 さらに。


 過去文明の攻撃痕を詳しく調べると。


 ノクスの格子構造は。


 攻撃された場所ほど密になっていた。


 防御反応。


 修復。


 学習。


     ◇


「攻撃されるたびに強くなる」


 ミラが言った。


「そう見えます」


 エリオット。


     ◇


 過去文明は、ノクスへ傷を与えた。


 ノクスは傷を修復し。


 境界を強化し。


 次の攻撃へ備えた。


 だから。


 同じ方法は通じない。


     ◇


 だが、深部境界三本だけは。


 完全には塞がれていない。


 構造上、必要だから。


 ノクスが自らを維持するために。


 消せない弱点。


     ◇


 そこを一斉に切断すれば。


 〇・八パーセント。


     ◇


 ミラー側が。


 セラト文明の技術を追加した。


 磁場反転装置を、生きた膜構造へ組み込む。


 ノクス表面へ接触した後。


 周囲の格子へ擬態し。


 破壊されずに深部へ侵入する。


     ◇


 人類側。


 SEED群が装置を制御。


 リアルタイムで境界移動を追跡。


 アトラスが同期。


 過去文明の時間補正技術を復元。


     ◇


 成功確率。


 再計算。


 六・四パーセント。


     ◇


 会議室がざわめいた。


 〇・八から。


 六・四。


 まだ低い。


 だが、八倍。


     ◇


 さらに。


 過去の第四文明の同期機構。


 完全復元できた場合。


 推定。


 十八・九パーセント。


     ◇


「MOSAIC BRIDGEと同じくらい」


 エレナが呟く。


     ◇


 破壊案。


 軌道偏向案。


 対話案。


 三つの道。


 どれも成功を保証しない。


     ◇


 安全保障代表。


「三つとも進めるべきです」


 ミラ。


「賛成です」


 周囲が少し驚く。


「破壊案にも?」


「はい」


     ◇


 ミラはN7の画像を見つめた。


「話しても止まらない場合がある。軌道も変えられないかもしれない。その時、最後の手段は必要です」


「なら」


「でも、最後の手段です。最初に使うものじゃない」


     ◇


 地球とセラトは。


 三重計画を決定した。


第一


 ノクスとの対話。


第二


 共同軌道偏向。


第三


 深部境界同時切断。


     ◇


 いずれか一つへ全てを賭けない。


 対話が失敗したら。


 偏向。


 偏向が失敗したら。


 破壊。


 ただし、状況によっては同時進行。


     ◇


 方舟も継続する。


 地下都市も。


 生命保存も。


     ◇


 希望を一つへ集中させない。


     ◇


 一方。


 方舟建造現場では。


 決定を待てない問題が起きていた。


 高耐久合金。


 不足。


 人工重力区画。


 進捗停止。


 農業追加モジュール。


 工事遅延。


     ◇


 削る候補。


 大型動物生態区画。


 文化再現施設。


 一般居住区画。


 予備推進区画。


     ◇


 決めなければ。


 全体が止まる。


 何も削らないという選択肢は。


 すでに消えていた。


     ◇


 建造責任者は、暫定措置を取った。


 文化再現施設の常設構造を縮小。


 その代わり。


 記録自体は保存。


 立体再現空間を、複数用途区画と共有する。


     ◇


 少数言語代表は反発した。


「また文化が最初に削られる」


 建造責任者。


「記録は残します」


「生きた場所がなくなる」


「居住区を削れば、人が減る」


「人だけ乗せて、何を未来へ残すんですか」


     ◇


 正しい答えはない。


 それでも。


 工事は進む。


 現実は。


 決めない者を待たない。


     ◇


 ミラの体内では。


 第三循環節が。


 新しい拍動を返した。


     ◇


 ミラ。


「怖い」


     ◇


 第三循環節。


 短い拍動。


 二回。


     ◇


「痛い」


     ◇


 長い拍動。


 一回。


     ◇


「うれしい」


     ◇


 短い拍動。


 三回。


     ◇


 偶然かもしれない。


 神経反応かもしれない。


 だが。


 感情語ごとに。


 異なる反応が繰り返される。


     ◇


 ソニア。


「学習している可能性があります」


 ミラー側医療知性。


循環節は、周囲と関係を作ります


     ◇


 ミラ。


「名前、つけてもいいかな」


 リュール。


独立した主体である証拠はありません


「分かってる。でも、呼び方があった方が話しやすい」


     ◇


 ミラは少し考えた。


「リズ」


 ソニア。


「どうして」


「リズムから」


     ◇


 第三循環節。


 短い拍動。


 三回。


     ◇


 ミラが笑った。


「嫌じゃなさそう」


     ◇


 人類とセラトの間に生まれた。


 新しい器官。


 新しい関係。


 それが生命なのか。


 知性なのか。


 まだ分からない。


     ◇


 ノクスも同じだった。


 何者か分からない。


 だから。


 対話も。


 防御も。


 破壊の準備も。


 同時に進める。


     ◇


 その夜。


 三十二年周期だった傷跡信号が。


 予定より早く放たれた。


     ◇


 前回から。


 わずか二年。


     ◇


 信号には。


 人類の重力測定パルス。


 セラトの擬態波。


 N7の第三方向波。


 そして。


 新しい構造。


     ◇


 オーブが復元する。


     ◇


二つ


来た


開く


     ◇


 会議室が静まり返る。


「二つ」


 ミラが呟く。


「人類とセラト?」


     ◇


 オーブ。


可能性があります


     ◇


「傷跡の中の何かが」


「私たちを知った」


     ◇


 三十二年ごとしか動かなかった装置が。


 二つの文明の信号を受けて。


 周期を縮めた。


     ◇


 それは。


 過去文明が残した人工知性なのか。


 拘束装置なのか。


 記録庫なのか。


     ◇


 そして。


 最後の一語。


 開く。


     ◇


 プロメテウスが到達する前に。


 遠隔で開ける方法はないのか。


 ミラーが解析を始める。


 N7の格子。


 傷跡装置。


 第三方向。


     ◇


 結果。


 傷跡装置は。


 三つの深部境界と接続している可能性。


     ◇


「過去文明の拘束装置が」


「まだ切断機構を持ってる?」


 ヴィクター。


     ◇


 オーブ。


はい


     ◇


 もし。


 傷跡装置を再起動できれば。


 三境界同時切断の成功率は。


 大きく上がる。


     ◇


 再計算。


 推定成功率。


 四十二・六パーセント。


     ◇


 会議室に。


 誰も言葉を発しなかった。


     ◇


 初めて。


 破壊案が。


 五割近くへ近づいた。


     ◇


 わずかな希望ではない。


 現実的な選択肢になり始めていた。


     ◇


 だが。


 傷跡装置を開けば。


 何が起きるか。


 過去文明は。


 なぜ作動させなかったのか。


 あるいは。


 作動させて失敗したのか。


     ◇


 開くという信号は。


 助けを求めているのか。


 罠なのか。


 起動命令を待っているのか。


     ◇


 人類とセラトは。


 また一つ。


 選択の前に立った。


     ◇


 開けば。


 ノクスを破壊できる可能性がある。


     ◇


 開けば。


 ノクスの内部で。


 何かが解放される可能性もある。



第35話 終


次回予告


 ノクス表面を走る三つの深部境界。


 アルファ海溝。


 ベータ海溝。


 ガンマ海溝。


 そこを〇・〇〇〇一秒以内の誤差で同時に切断すれば、共有外層の結合が崩れ、内部核が自ら衝突する可能性がある。


 破壊成功率。


 当初、〇・八パーセント。


 セラトの擬態技術。


 人類のSEED制御。


 過去文明の同期機構。


 それらを組み合わせれば、十八・九パーセント。


 そして。


 傷跡に残された装置が三境界へ接続していると判明。


 再起動できれば。


 推定成功率は四十二・六パーセント。


 ノクスを破壊できる可能性が、初めて現実の数字になる。


 だが。


 装置が送り続ける信号。


「二つ、来た。開く」


 傷跡の中の何かは、人類とセラトを認識している。


 過去文明の人工知性なのか。


 ノクス内部へ封じられた別の存在なのか。


 遠隔起動を試みるべきか。


 それとも、プロメテウスの到着を待つべきか。


 待てば、ノクスはさらに太陽系へ近づく。


 急げば、取り返しのつかないものを開くかもしれない。


 一方。


 方舟建造では文化再現施設の縮小が決定される。


 少数言語の共同体は、自分たちの文化がまた最初に削られたと抗議する。


 記録だけ残れば、文化は生きていると言えるのか。


 そして。


 ミラの体内で動く第三循環節、リズ。


 リズはミラの感情へ反応するだけでなく、ノクスの磁気波が届くたびに、同じ拍動系列を返し始める。


 セラト由来の循環節が、なぜノクスへ反応するのか。


 セラト生命とノクスの間には、まだ明かされていない関係があるのか。


 その頃。


 傷跡装置から新しい信号が届く。


「開けば、止まる」


 次回、


第36話「開けば、止まる」


 その言葉は救済なのか。


 過去文明が残した、最後の罠なのか。

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