愛されキャラの拓海さん
リビングのソファでくつろぎながら、香織はふと類の横顔を見た。
テレビからは静かな音楽が流れている。
香織は手元のマグカップを膝の上で転がしながら、昔の記憶の扉をふっと開いた。
「……あの時の出来事、覚えてる?
オーキッドの夜。拓海さんが急に『ちょっと付き合え』って誘ってきたやつ」
類はテレビのリモコンをテーブルに置き、少しだけ視線を香織に向けた。
「覚えてる。あれは——俺が拓海に頼んで“セット”してもらったんだ」
香織は一瞬、呼吸を止めた。パチパチと瞬きをする。
「えっ……セット?」
「お前のことで、仕事が手につかなくなってな」
「なんだ、まさか運命だなんてとは思わなかったけど……そこまで綺麗に仕組まれていたんだ?」
「あの夜だけは、どうしても“お前の隣”にいたかった」
香織はぽかんと類を見つめ、それから可笑しそうに小さく笑った。
「……拓海さんって、すごく演技派だったんだね。
私のイタズラなんて全然及ばないくらい、
完璧な道化を演じきっていたじゃない」
「ああ。わざと場を盛り上げてピエロになって見せてな。
アイツなりの粋な気配りだよ。
不自然さを一切感じさせずに、すっと二人きりの空気を作ってくれた」
「そうそう!『急な用事を思い出した』なんて言って、ちょっとおどけた仕草で席を立った時も、全然怪しくなかったもの。
後でお礼を言っても『ん? 俺はただ酒を飲みたかっただけだよ』なんて気障にトボけてみせたりしてさ。
本当に憎めないよね」
「アイツは昔からそういう男だ。
押しが強くて、距離が近くて……人を巻き込むのが得意だ。
でも、わざと道化を演じることで相手に一切気を遣わせない。
だから誰も嫌な気がしないんだ」
「ふふ、確かに。
実は昔、他の知人カップルをくっつけた時もそうだったよね?
あんなに自然におどけて見せて、見事に二人を行きやすくさせちゃって。
ここぞという時のアシストは鮮やかすぎるよ」
「でもな、根は極度の寂しがりやなんだよ。
いつも賑やかに道化を演じているのも、そういう自分を隠すためなのかもしれない」
香織はコーヒーを一口飲み、ふと思い出したように言った。
「ところでさ、拓海さん——65歳で結婚したんだよね?
しかも初婚って聞いたけど」
類は鼻で笑った。
「初婚だよ。
アイツは“独身を謳歌する男”の代表みたいなやつだったからな」
「恋多き男ってやつ?」
「そう。でも独身だから不倫にもならない。手に負えない男だが——若い娘が好きでな」
香織は吹き出しそうになった。
「らしいね……」
「『俺の彼女はいつまで経っても20代』って言って、コロコロ指名キャバ嬢を変えてたよ。
彼女じゃないよな。
なのに——10年くらい前から一人の女と付き合い始めて、定年退職と同時に結婚したんだ」
香織は驚いたように目を丸くした。
「……あの拓海さんが、ひとりに落ち着くなんて」
「俺も驚いたよ。年は20歳ぐらい離れているが、今まで若すぎたから、リアルに見えるのも不思議だね(笑)
あいつも俺と同じ68歳だ。
昔みたいに騒ぎはしないが……まあ、幸せそうだ」
「それにしても、拓海さんっていつも時代のトレンドに敏感だったよね。
若い子と話していても全然会話が途切れないし、言葉選びも上手で」
「ああ見えて陰でしっかりアップデートしてるからな。
キャバクラでの会話はもちろん、アイドルグループの冠番組を観て、今の若者の空気感をちゃっかり研究してるんだよ。
それを鼻にかけず、スマートな雑談に落とし込むんだから大したもんだ」
「えっ、アイドルの番組を!? ふふっ、なんか拓海さんらしくて面白い! そのあくなき探究心とサービス精神があるからこそ、みんなから愛されるんだろうね」
香織はゆっくりと頷き、オーキッドの紫煙と騒音の中で、拓海がママに向かって大声で笑っていた姿を思い出した。
あえて道化を演じてみせる立ち振る舞いも、大人の余裕を見せる笑顔も、すべてはあの夜、自分たちの背中をそっと押すための粋な演出だったのだ。
「……あの夜、拓海さんがいなかったら、私たち、こうして一緒にいなかったかもしれないね」
類は少し照れたように視線をそらした。
「そうだな。アイツには頭が上がらないな」
香織はそっと類の手に触れた。
「じゃあ、今回の話はこの辺で。続きは——また今度」
香織は笑いながら言った。
「……でも、これ以上は聞かないでおくね。
だって——みんなのいじられキャラで、最高に粋な道化師の宮本拓海さんは……
次回作の主人公なんでしょう?」
類は少しだけ口元を緩めた。
「……ああ。アイツの話は、そっちで全部やればいい」
香織は頷き、コーヒーを置いた。
「じゃあ、拓海さんの続きは——また、物語の中で」




