道
決めてからは、瞬きするほどの時間だった。
自国へ戻ってから、兄に頭を下げ、騎士団に戻った。一騎士として戻り、初めは戸惑っていた周囲も徐々に仲間として受け入れてくれて。気付けば九年の月日を経て、近衛騎士団の騎士団長にまでなっていた。
「お前も拗らせてるなぁ。」
「うるさい。」
休暇の度、ガッティーナの様子を見にオルトリンデへ赴いては、顔を合わせもせずいるおれをハディは笑っていた。それも、もう終わりだ。
エーデルガルトが十七歳の誕生日を迎え、オルトリンデからラングリッチに輿入れの申し込みがあった。ハディが約束を果たすために、兄に申し込んでくれたのだ。ちゃんと、彼女を守るだけの力をつけたおれを、認めてくれた。そう、思っていたのに――
「……殿下と、ですか?」
「オルトリンデのハディウス皇帝陛下からは我が国の王子と是非婚姻を、と聞いている。」
息の仕方を忘れた。上手く処理できずに、告げられた内容をただ繰り返す。玉座に座る兄上がおれを見下ろしながら、小さく溜め息を吐いた。
「あれは浮いた話の一つもない。よくできた息子だが、そろそろパートナーを持つべき年頃だろう。」
「それは、そうですね。」
「エーデルガルト姫はカスティエルと歳も同じだ。しかし、エーデルガルト姫は滅多に表に出てこず、どんな娘かわからぬ……だが、あのハディウス皇帝陛下が是非にと言うからには何かあるのだろう。」
「……ええ。」
頭ではわかっている。確かに甥のカスティエル殿下は優秀で人望も厚く、人格者でもある。そんな殿下の婚約者になるというのは、彼女にとって良いことだということは、わかっている。わかっている、が。
胸に手を当てて、呼吸を整える。空っぽになった肺に一気に酸素を送り込んで、長く息を吐いた。兄上はもう決めている。そして、きっと彼女も。
「ハディウス皇帝陛下と懇意にしていたお前なら何か知らぬか。」
右へ、左へ移動する視線。ハディの考えはおれにはよくわからない。兄上もそれを聞きたいのではなく、恐らく彼女のことを聞きたいのだと思う。ハディが是非婚約を、と勧めるほどの人物なのか、と。
「穏やかで優しく、聡明な方……と、聞いています。」
そう、答えるのが精一杯だった。彼女は歳を重ねるにつれ、皇女としての自覚を持って、背筋を伸ばし、穏やかでとても優しかった。そこに至るまで、たくさんの苦労や努力があったのも、知っている。おれは、知っている。だから、嘘など言えなかった。彼女の今までを否定するような、そんな嘘なんて。
「そうか。エーデルガルト姫とならカスティエルの良きパートナーになってくれそうだ。」
「……ええ、それはもう。」
頷くしかなかった。兄上は満足そうに笑い、次は殿下を呼ぶ。殿下にも意思確認をするつもりらしい。公平で誠実な兄らしい。
それから間もなく殿下に婚約者が出来た。オルトリンデの第二皇女、エーデルガルト姫。婚約者の座を狙っていたベルモント侯爵家を始め、国内の有力貴族たちはこぞって悪評を垂れ流し始めた。そんな中、オルトリンデからエーデルガルト姫が顔合わせと同時に婚約者として住まいをラングリッチに移すことになった。
「叔父上、エーデルガルト姫はどんな物が好きだろうか?」
「そうですね……ミモザ、がお好きだと、聞いております。」
「ミモザか!ミモザだったら、丁度見頃だな。よし、ドリーに言って庭園に席を設けよう。」
殿下は、優しい。当初は貴族たちの噂に惑わされそうになっていたが、お忍びで視察に来た彼女のことを、かつての私のように陰から観察して、心を決めたそうだ。会ってみたい、と言われた時、嬉しくも、どこか寂しくもあったが、殿下ならきっと、彼女のことを大事にしてくれるだろう。そうでなければ、いけない。
「エーデルガルト姫、あなたと婚約できたことを嬉しく思うよ。」
「殿下……身に余る光栄でございます。」
差し出された手を取り、二人歩き出す。その姿を誰よりも近くで見ていた。
「……これでいい。」
あの頃の彼女は、いない。目の前で殿下に連れられている穏やかで、優しく、聡明な皇女の姿。あの図書館の彼女はちゃんと歩き出したから。誰かの羽を借りなくても、ちゃんと自分で歩き出した。それならもう、いいじゃないか。
「悪かったな、アル。」
「……ハディ。何故お前が謝る。」
「私が王子と、って言ったばかりに。お前が王子じゃないってこと、すっかり忘れてたんだ。」
「もういいって言っただろ、それは。」
立場も違う。歳だって十も離れたおれとだなんて嫌だっただろうし。
それよりは歳も近い殿下の方が良かっただろう。それに十年近く前の約束など忘れているに違いない。むしろ、そうあって欲しいとさえ、今なら思う。
決めたんだ。おれは変わらず彼女を守り続けよう、と。彼女がどんな立場になっても、その誓いは変わらない。だからいいのだ、もう。瞼の裏に隠したあの日の彼女は変わらないから。
「何でクソヒロインがここにいる!」
劈くような声に、絶望する彼女を見るまでは。




