裏切り者
「リア!おかえり!」
両手を広げて私を部屋に迎え入れてくれる殿下。腕の中へ飛び込んで、胸元に頬を擦り寄せる。聞こえる心音。この音を聞けるのは私だけだと思うと余計に胸が高鳴った。
背中に回された腕に、私の髪を梳く指先。欲しくて堪らなかったもので溢れていて夢見心地。二人の時間を堪能し、殿下に案内されるままに中のソファーへと二人並んで腰掛けた。
「遅かったじゃないか。」
「ふふ、寂しかったのですか?」
「勿論だよ。一時でも離れたくないと思っているんだから。」
「殿下ったら。あ、そう言えば、殿下ご存じかしら?」
耳を貸して、と意味もなく接近する、二人きりの空間に不要な密着。殿下の柔らかい金色の髪を掻き分けて見えてきた、形の良い耳に唇を寄せた。
「エーデルガルト姫が、アルマール様に言い寄っているそうですよ。」
「……売女め。」
低く唸るような素敵な声に胸が痺れる。唇を離し、距離を作って見つめた先に、私の好きなエメラルドグリーンの瞳が怒りでゆらゆらと揺れて見えた。
殿下はエーデルガルト姫と婚約してから人が変わってしまったみたい。外見は同じでも言葉遣いも行動も、醸し出す雰囲気でさえもどこか違う。それまでは理性的で人望の厚い理想の王太子だった。でも、今は私だけの殿下。私だけを抱き締め、私だけに愛の言葉を囁いてくれる。
「リア、おれはリアのために次の舞踏会でエーデルガルトを断罪する。」
「殿下、それは……!」
「頼む、止めないでくれ。もうこれ以上我慢できないんだ。」
「殿下……。」
「どうかそんな顔をしないでくれ。……さて、まずは万全の状態で臨まないとね。」
「ええ、勿論ですわ。」
もうすぐ、公のもとに私だけの殿下になる。殿下の隣にいるのに相応しいのは私であると皆が認めることになるわ。
そのためには追い詰めるための証拠を集めなくちゃ。真実でなくとも構わない。だって、私と殿下の正しい未来のためならそれはきっと些末なことだから。私と殿下の正しい未来の先に明るい国の未来が待ってるはずだもの。
「舞踏会まであと二週間。その間にエーデルガルトがどれほど悪逆非道な悪女であるかを知らしめる証拠を集めよう。」
「証拠ですか……。」
「おれは知っているからな。エーデルガルトが裏でどんなことをしているか。」
裏でやっている、それを証拠とするにはどうすればいいかしら?
思考を巡らせる。動かぬ証拠というものが必要よね。そしてそれはインパクトが大きいものではないと、大した罪にはならない。私に嫌がらせをしていた、だけじゃ弱い。
じゃあ、国家間なら、どうかしら?エーデルガルト姫はオルトリンデの第二皇女。オルトリンデと言えば、エーデルガルト姫の兄が皇帝になったばかり。しかも、エーデルガルト姫を嫁がせるのはラングリッチを征服するための足掛かりだと専らの噂だ。
「そうだ、いいことを思いついた。」
「奇遇ですわね。私もですわ。」
鼻を突き合わせて、二人笑い合う。こんなにも気の合う二人なんだもの。まさに運命としか言いようがない。
「アルマールにエーデルガルトの悪事の証拠を集めさせよう。」
「アルマール様に?」
「ああ。近衛騎士団長として現を抜かしている暇もないほどこき使ってやろう。」
「大丈夫かしら?あの、アルマール様がやってくれるとは思えませんわ。エーデルガルト姫を気にかけているようですし。」
「おれの慈悲だよ、リア。エーデルガルトがどういう奴かわかればアルマールも目を覚ますだろう?」
「キャスは優しいわね!」
殿下の命令ならきっとアルマール様も私情を挟まずに動くだろう。エーデルガルト姫の裏の顔を集めるのはアルマール様にしてもらうとして、私は私で動かなくては。二人の未来のために私自らが動くことも厭わないわ。
幸い王宮に居を移しているから必要な材料を簡単に集められる。侍女長は色々目敏くて厄介だけれど、一侍女であれば容易に私の手足になってくれるはず。
「ふふふ。」
「楽しそうだね、リア。」
「ええ、とっても。殿下と一緒なら何でも。」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。」
殿下の肩に頭を乗せて、上目遣いで見つめれば、エメラルドグリーンの瞳は私だけを映して。優しく微笑まれ、同じように笑みを返す。指を絡めて握れば、すぐに握り返される温度に、目を閉じて味わう幸福感。こんな日が毎日続くなんて夢のようだ。
「証拠?ああ、証拠ですか。」
夢から、醒めていく。掲げられた三通の封書。薔薇の香油を染み込ませた特注の便箋は私のお気に入り。そしてその中身は――
「どうしてそれをあなたが……!」
持っているはずがない。だって、あれは私が確かに……!
目を見開き、悲鳴にも似た声を上げた。アルマール様に向けた、口元を覆っていた扇の先が小刻みに揺れる。そして、カラン、と音を立てて私の手から滑り落ちる扇。それと同時に殿下へと倒れ込み、啜り泣けば、私を抱き締める殿下の腕。震える指先をアルマール様に突きつける殿下を横目で見ながら、頭の中は封書のことばかり。
「アルマール、貴様!そいつを庇い立てするというのなら、お前も投獄してやる!」
今、アルマール様を刺激するのは得策ではないのに、口撃を止めない殿下。そんなことをして、あの封書が暴かれたら――
「違う違う……こんなはずじゃ……これは悪事を暴き、おれとリアが結ばれるための重要イベントなんだろ……?」
頭を抱え、意味のわからない言葉を喋り始める殿下に、急激に頭が冷えていく。
「待て、アルマール!」
「連れて行けと仰ったのは殿下ではありませんか。」
「違っ……エーデルガルトをこちらに渡せ!」
「何故ですか?」
「くそっ!何でシナリオ通りにいかないんだよ……!こいつもバグなのか!」
「行きましょうか。」
去り行く二人の背中を見つめた。そして、ちらりと横を見れば訳のわからない言葉を繰り返す殿下。どうしてこうなってしまったのだろう。もう一度出口を見つめればピンと背筋を張り、歩く二人はどこからどう見ても――
「違う。」
ガラガラと夢が崩れる音がした。




